Q,小説に関して、読む楽しみよりも作る楽しみを先に覚えてしまったような私は一体どうしたらより良い楽しさを実感することが出来ますか? また、どうしたら自分の作った小説に満足できるようになれるのでしょうか。(投稿者)w/d
A,――その楽しみが、他人の作ったものと自分のものとを番号付けして縦に並べ、自己満足とも言える優越感に浸ることを目的としたものである場合は、決して読む楽しみを知っている人たちに敵うことはないでしょう。読書の感動において、彼らはいわば場数を踏んできたツワモノなのですから。自分が作り出したものを客観的に評価する目はあなたよりも厳しく、同時に作品そのものも洗練されていて当然だと言えます。あなたが天地揺るがさんほどの感動を覚えた物語さえ、彼らにとって取るに足らない、汗牛充棟の使い古された子供だましだと言われてしまうかもしれません。
あなたがそれでも寄り道はいやだと言うのなら、それでもいいでしょう。自分の納得する小説を書き上げるための方法はあるのです。それには他でもない、自分のことを深く知り、正しく理解することが必要になります。
あなたが思うとおりに小説をかけないと悩むことがあれば、それは即ち、自分の表現したいものをうまく文字に著せていないことに他なりません。姿を見たこともなければ名前さえ聞いたことがないような動物を絵に描き表せないのと同じように、具体的に何を書きたいのかわかっていないのに筆が進むことはありません。愉快な物語を書きたい時は、自分が愉快な気持ちになれるときはどんなときか、どんな場合かを詳らかに知っておかなければなりません。同様に、自分が悲しい気分になったときや、怒ったとき、笑ったとき、自分は何に反応してそうなったのか正しく理解しておかなければいけないのです。ちなみにこのとき、あなたは他人になってまでそのことを分かろうとしなくてもよろしい。喜怒哀楽の四大感情は普遍的なもので、あなたが愉快なことは他のほとんどの人にとっても同様に愉快なことに違いないのです。
そして、その小説でなにを表現したいかということは、最も重要なことで、あるいは明確に定めておかなくても小説自体は進行しているように見えることも多いですが、一貫した壮大なテーマがあるかないかということは、読後の爽快さや衝撃に大きく影響してくることでありますから、漠然としたイメージでも当初のうちに定めておくべきです。結局何が言いたいのかわからなかった、なんて言われてはせっかくの努力さえ無駄になってしまうでしょう。
但し、もしあなたが自分の胸の中からテーマを探し出そうとして、その結果空っぽの箱の底を爪の先で掻きむしる様な空虚な気持ちに襲われたとしても、私はそれに対していかなる責任も負いたくはありません。なるほど小説が書けないのも当然だと得心できたならば、私の答えが少しでもお役に立てたようで光栄の極みですが、その後の自分と小説の在り方について考える必要に迫られたとしても、一切関与いたしません。再び質問箱に投函なされるというのなら、それはそれで大歓迎なのですが。