【風に揺られる風神さん】
渦巻く風が今日も世界を包み込む。
そのスーパーは街の隅に位置していた。誰も気付かないようなひっそりとした店だが何故か潰れない。近くに大学があり、一人暮らしをしている学生によってその経済は保たれているからだと思われる。客層も近所の老人を除けば若人が多い。
「今度の学園祭、ドーナツって言うのもいいんじゃないかな」
手作り菓子のコーナーにて、ホットケーキ用のパウダーを手に持った女性が声を弾ませる。白のワンピースに、薄手のパーカー。どこにでもいそうな格好なのに育ちがいいのだろうか、どこか気品が漂っていた。
「ドーナツ、好きなの?」
「うん。家でよく作るんだ。揚げたてって美味しいんだよ?」
「へぇ……」
生返事を不審に思ったのか、女性が隣に立つ男性の顔を覗き込んだ。こちらは女性に比べると全体的に貧相だ。どこか頼りない、いかにも草食系といった印象が際立つ。女性が安そうな服を上手く着こなしているのに対して男性はまだ真新しい服を着慣れないでいるようだった。カジュアルだが落ち着いた色合い。服の系統から察するに、横にいる彼女が影響していることが周囲の人間にも容易に分かった。ただ、似たような服を着ているのに印象は随分変わる。
急にお嬢様にグイと顔を寄せられて焦ったのか男性はどぎまぎして視線を逸らせた。
「で、でもあれじゃないかな、ほら、揚げ物をする場合は教授の申請がいるって」
「そういうのはゼミのみんなに任せれば良いじゃない。上手くやってくれるよ」
「まぁ、そうだけど……。佐伯さん結構人使い上手いというか、荒いね」
すると佐伯と呼ばれた女性はビクリと体を震わせた。
「そうかしら」
「あ、気に障ったならごめん。そういうつもりじゃなくて……ええと経営者的と言うか」
「経済学部に入ったらよかったかな。それか経営学部」
「いや、そう言う事じゃなくて……。そ、そそそれに佐伯さんがいないと僕は困るよ」
男性が反発する。舌が回らず、少しどもっている。人付き合いが下手なのだろう。人の目を見るとき、一度か二度躊躇うように視線をさまよわせていた。
その様子を見て何故か佐伯は嬉しそうに笑みを浮かべると、再び商品棚に向き直った。
「じゃあ久保君は何がいいと思う? ゼミの出店」
「僕の意見なんか通らないんじゃないかな」
「良いから。聞かせて」
「実はさ、揚げアイスクリームってどうかなって」
「アイスを揚げるの?」
「別の大学の学祭に行った事があって、そこで売ってたんだ。すぐ溶けちゃうけど、美味しかったし面白いかなって」
「へぇ……、気になるなぁ」
「な、何なら作ってあげようか?」
「作れるの?」
「作り方調べたから。あ、でも場所がないか」
「久保君の家は?」
「え?」
「久保君一人暮らしだし、ここから家近いし。それに私、久保君の家に行ってみたいなって……」
そこまで言うと佐伯は少し顔を赤らめて顔を背けた。
「駄目かな」
「だ、駄目じゃない。全然駄目じゃないよ」
「よかった。じゃあこのケーキパウダーは購入ね。あとアイスも買わないと」
「アイスどこに置いてたっけ」
「あっちだよ」
佐伯はそう言うとごくさりげない動作で久保の手を掴んだ。急に手を握られ、久保は今生の幸せを噛みしめるようにぐっと目を瞑り天を仰ぐ。その姿を見て佐伯はおかしそうに笑った。
会計を済ませた二人は、レジ袋に商品を詰め込んだあと、今後の予定について話した。家で揚げアイスを作るという話が拡大し、いつの間にか晩御飯も一緒に作る流れになったのだ。
カレーでも作る? ビーフシチューが良いかも。材料がないや。いま買えばよかったね。買う? いや、また買いに来よう。近いもんね。うん近い。
二人でいると何をやっても楽しい。そんな幸せが滲み出ていた。傍から見ればあどけない新婚夫婦そのものだ。まだ学生だろうし、恐らく二人は付き合ってもいないだろうけど。
彼らの様子に、スーパーに来ていた老人達も微笑ましく笑みを浮かべていた。そっと若かりし日の事を回顧するように目を細め、初々しい二人の姿を眺めている人もいる。
店を出ようとして、ふと久保は何か落ちていることに気がついた。
「どうしたの、久保君」
「これ……」
ハンカチだった。タオルのような材質で、センスの良いユルキャラが描かれている。
「誰のだろう。お店の人に届けたほうがいいかな」
「あ、でもあの人が落としたんじゃないかしら」
佐伯が視線を向けたその先に、スーツを着た世にも若く美しい女性が一人。大人びた印象で、誰からも慕われる頼りがいのあるキャリアウーマン。
「どうして分かるの?」
「だってあの人さっき私たちと同じコーナーにいたじゃない。その時このハンカチを手に持ってたもの。可愛い柄だなって思ったから覚えてる」
「よく見てるね、さすが。ちょっと渡してくるよ」
女友達とまともに話すことにも慣れていないのに。人が良いであろう久保はすいませんと小走りで声をかけてきた。
私に。
「ハンカチ、落としてませんか?」
差し出された物を私は優美に受け取ると、にっこり微笑んだ。
「ありがとう。これ、大事なものだったから」
するとおよそ童貞青年であろう久保は私の世界的美貌に胸を打たれたのか、言った。
「なんて美しい人なんだ。佐伯さんなんかよりずっと良い」
「あら、やだわ本当の事を……」
「きいぃぃ、悔しいけど私じゃ世界一周しても敵わないわ。ぐりりりり、久保君帰ってきてぇ」
「無理だよ佐伯さん、この人の美しさに比べたら君なんかペッだ」
そこで私は彼の頬をそっと手の平で包み込んだ。
「いけないわよ。レディを泣かしたら。いくら私がそこにいるちんちくりんなお嬢様より四千倍ほど美しく凛々しく果てしなく優しい存在だからと言っても、あなたみたいな陰キャラには勿体ない素晴らしい子じゃないの。私には到底及ばないけれど」
私はそう言うと颯爽と振り返ってスーパーを出た。
「いい恋しなさい、若者達よ」
「ありがとう! ありがとう!」
泣き叫ぶ乳臭い大学生二人の歓喜の声を背に受け、私は後ろ手にビッと二本指を立てた。
今日も街には優しい風が吹く。私と言う女神を包む、美しい大気の流れが。
「ね、いいこと言ったでしょ」
「ええ、そうね」
「本当に、二人とも、涙を流しながらね、私の事を見つめて……」
「辛かったわね、本当に。涙、拭きなさいよ」
「泣いてないわよ」
「本当はどうしたの」
「えっ」
「ハンカチ」
「……投げつけました」
「それから」
「唾を、吐きました」
「奢りよ。朝まで飲みな」
「うぅ……ありがと吾郎ちゃあん」
「その名を呼ぶんじゃねぇよ!」
私は風巻楓、OLだ。
見た目二十五だが今年で五百歳になる。
彼氏は出来た事がない。
友達からは時折こう呼ばれる。
風神さん、と。
そのスーパーは街の隅に位置していた。誰も気付かないようなひっそりとした店だが何故か潰れない。近くに大学があり、一人暮らしをしている学生によってその経済は保たれているからだと思われる。客層も近所の老人を除けば若人が多い。
「今度の学園祭、ドーナツって言うのもいいんじゃないかな」
手作り菓子のコーナーにて、ホットケーキ用のパウダーを手に持った女性が声を弾ませる。白のワンピースに、薄手のパーカー。どこにでもいそうな格好なのに育ちがいいのだろうか、どこか気品が漂っていた。
「ドーナツ、好きなの?」
「うん。家でよく作るんだ。揚げたてって美味しいんだよ?」
「へぇ……」
生返事を不審に思ったのか、女性が隣に立つ男性の顔を覗き込んだ。こちらは女性に比べると全体的に貧相だ。どこか頼りない、いかにも草食系といった印象が際立つ。女性が安そうな服を上手く着こなしているのに対して男性はまだ真新しい服を着慣れないでいるようだった。カジュアルだが落ち着いた色合い。服の系統から察するに、横にいる彼女が影響していることが周囲の人間にも容易に分かった。ただ、似たような服を着ているのに印象は随分変わる。
急にお嬢様にグイと顔を寄せられて焦ったのか男性はどぎまぎして視線を逸らせた。
「で、でもあれじゃないかな、ほら、揚げ物をする場合は教授の申請がいるって」
「そういうのはゼミのみんなに任せれば良いじゃない。上手くやってくれるよ」
「まぁ、そうだけど……。佐伯さん結構人使い上手いというか、荒いね」
すると佐伯と呼ばれた女性はビクリと体を震わせた。
「そうかしら」
「あ、気に障ったならごめん。そういうつもりじゃなくて……ええと経営者的と言うか」
「経済学部に入ったらよかったかな。それか経営学部」
「いや、そう言う事じゃなくて……。そ、そそそれに佐伯さんがいないと僕は困るよ」
男性が反発する。舌が回らず、少しどもっている。人付き合いが下手なのだろう。人の目を見るとき、一度か二度躊躇うように視線をさまよわせていた。
その様子を見て何故か佐伯は嬉しそうに笑みを浮かべると、再び商品棚に向き直った。
「じゃあ久保君は何がいいと思う? ゼミの出店」
「僕の意見なんか通らないんじゃないかな」
「良いから。聞かせて」
「実はさ、揚げアイスクリームってどうかなって」
「アイスを揚げるの?」
「別の大学の学祭に行った事があって、そこで売ってたんだ。すぐ溶けちゃうけど、美味しかったし面白いかなって」
「へぇ……、気になるなぁ」
「な、何なら作ってあげようか?」
「作れるの?」
「作り方調べたから。あ、でも場所がないか」
「久保君の家は?」
「え?」
「久保君一人暮らしだし、ここから家近いし。それに私、久保君の家に行ってみたいなって……」
そこまで言うと佐伯は少し顔を赤らめて顔を背けた。
「駄目かな」
「だ、駄目じゃない。全然駄目じゃないよ」
「よかった。じゃあこのケーキパウダーは購入ね。あとアイスも買わないと」
「アイスどこに置いてたっけ」
「あっちだよ」
佐伯はそう言うとごくさりげない動作で久保の手を掴んだ。急に手を握られ、久保は今生の幸せを噛みしめるようにぐっと目を瞑り天を仰ぐ。その姿を見て佐伯はおかしそうに笑った。
会計を済ませた二人は、レジ袋に商品を詰め込んだあと、今後の予定について話した。家で揚げアイスを作るという話が拡大し、いつの間にか晩御飯も一緒に作る流れになったのだ。
カレーでも作る? ビーフシチューが良いかも。材料がないや。いま買えばよかったね。買う? いや、また買いに来よう。近いもんね。うん近い。
二人でいると何をやっても楽しい。そんな幸せが滲み出ていた。傍から見ればあどけない新婚夫婦そのものだ。まだ学生だろうし、恐らく二人は付き合ってもいないだろうけど。
彼らの様子に、スーパーに来ていた老人達も微笑ましく笑みを浮かべていた。そっと若かりし日の事を回顧するように目を細め、初々しい二人の姿を眺めている人もいる。
店を出ようとして、ふと久保は何か落ちていることに気がついた。
「どうしたの、久保君」
「これ……」
ハンカチだった。タオルのような材質で、センスの良いユルキャラが描かれている。
「誰のだろう。お店の人に届けたほうがいいかな」
「あ、でもあの人が落としたんじゃないかしら」
佐伯が視線を向けたその先に、スーツを着た世にも若く美しい女性が一人。大人びた印象で、誰からも慕われる頼りがいのあるキャリアウーマン。
「どうして分かるの?」
「だってあの人さっき私たちと同じコーナーにいたじゃない。その時このハンカチを手に持ってたもの。可愛い柄だなって思ったから覚えてる」
「よく見てるね、さすが。ちょっと渡してくるよ」
女友達とまともに話すことにも慣れていないのに。人が良いであろう久保はすいませんと小走りで声をかけてきた。
私に。
「ハンカチ、落としてませんか?」
差し出された物を私は優美に受け取ると、にっこり微笑んだ。
「ありがとう。これ、大事なものだったから」
するとおよそ童貞青年であろう久保は私の世界的美貌に胸を打たれたのか、言った。
「なんて美しい人なんだ。佐伯さんなんかよりずっと良い」
「あら、やだわ本当の事を……」
「きいぃぃ、悔しいけど私じゃ世界一周しても敵わないわ。ぐりりりり、久保君帰ってきてぇ」
「無理だよ佐伯さん、この人の美しさに比べたら君なんかペッだ」
そこで私は彼の頬をそっと手の平で包み込んだ。
「いけないわよ。レディを泣かしたら。いくら私がそこにいるちんちくりんなお嬢様より四千倍ほど美しく凛々しく果てしなく優しい存在だからと言っても、あなたみたいな陰キャラには勿体ない素晴らしい子じゃないの。私には到底及ばないけれど」
私はそう言うと颯爽と振り返ってスーパーを出た。
「いい恋しなさい、若者達よ」
「ありがとう! ありがとう!」
泣き叫ぶ乳臭い大学生二人の歓喜の声を背に受け、私は後ろ手にビッと二本指を立てた。
今日も街には優しい風が吹く。私と言う女神を包む、美しい大気の流れが。
「ね、いいこと言ったでしょ」
「ええ、そうね」
「本当に、二人とも、涙を流しながらね、私の事を見つめて……」
「辛かったわね、本当に。涙、拭きなさいよ」
「泣いてないわよ」
「本当はどうしたの」
「えっ」
「ハンカチ」
「……投げつけました」
「それから」
「唾を、吐きました」
「奢りよ。朝まで飲みな」
「うぅ……ありがと吾郎ちゃあん」
「その名を呼ぶんじゃねぇよ!」
私は風巻楓、OLだ。
見た目二十五だが今年で五百歳になる。
彼氏は出来た事がない。
友達からは時折こう呼ばれる。
風神さん、と。
もうすぐ創業百年を迎えるらしい超長寿オカマバーは近所の探索好きな学生ですら知らないような街の奥深く、真新しいマンションが集う中にポツンとあるくたびれた貸しビルに存在している。薄暗い店内にはカウンター席とテーブル席がいくつか。それなりに繁盛しているのか常連も多い。
私もその一人だ。
「悔しいわけじゃないのよ。ただ、やっぱり街中でいちゃつかれると不愉快じゃない。こっちは仕事で疲れてるんだし、たまの休日くらいそういうストレスの要因? 作りたくないじゃない」
私がカウンターに頬杖をついてマティーニを飲み干すと、目の前にいる女子力溢れる男性がすかさずお代わりを作ってくれた。動きにそつがない。
オカマバーの名に背かず、カウンターの向こう側で酒を作っているこの赤毛ツインテールのロリっ子もれっきとしたオカマだ。
名前を雷吾郎。通称雷神さん。
ここ、オカマバー『雷神』の店長であり私の親友でもある。
パッと見ても女の子だし、よく見ても女の子だ。髪は染めたのではなく地毛だろう。手入れが行き届いており私の髪よりもずっと美しく艶やかだ。
しかしフグリはついている。
見た目と違い、その頼りがいがある可憐さに男女問わず彼に食われてきた。
しかしフグリはついている。
おぞましい。
「それでハンカチを渡してくれた男の子を罵倒したと」グラスを差し出し、私をじっとりと視線で探るロリっ子。
「罵倒なんてとんでもない。ただイカ臭い童貞が私の高貴なハンカチに手を触れるとはどういう神経をしているのだと詰問しただけよ」
「唾を吐いてハンカチを投げつけた」
「女子力よ、女子力」
「そんなのは女子力とは言わん!」
雷神さんはカウンター越しに私を指差す。
「あんたのは女子、力だ!」
「じょ、じょし、ちから?」
何だそれは、分離されとるがな。戸惑っていると私の存在を否定するようにロリっ子は首を振った。
「いい? 女子力って言うのはもっとこう、守ってあげたいって思わせるオーラのような物を指すのよ」
「オーラ、オーラ力」
「そりゃダンバイン」
こう言う八十年代アニメネタがするりと通じる時、彼との付き合いの長さを感じる。
「確かに私、頼りがいありすぎるかも……今年で社歴百二十五年目だし」
創業時代に入社したので必然的にそうなる。現会長は私の後輩にあたる。
「楓、今までずっと頑張ってきたんだからそろそろ家庭に入ったら? 歳も歳だし、結婚も視野に入れたって悪くないと思うけど?」
「いや、でも結婚しても相手先に死んじゃうし……」
「結婚とまではいかなくても恋愛は女を磨くのに必要よ? 仕事して、たまの休みに飲んで、暇な時はアニメや漫画見て、それはそれでいいかもしれないけれども、女の喜びってそういうのじゃないでしょ? もっと自分を大事になさい」
オカマに女を説かれるとは。もう私は駄目かもしれない。
一人へこんでいると雷神さんは携帯を開き、愛しそうに画面を眺め出した。私はカウンターに身を乗り出して中を覗いてみる。
「何このイケメン」
携帯の待ち受け画面には雷神さんと頬を寄せ合って写る某アイドル事務所もおののきそうな好青年の姿が写っていた。どうやら自画撮りらしく、どこかの遊園地で撮影したものらしい。普通に見れば中睦まじいカップルのいちゃいちゃ写真にしか見えない。
「喰ってきちゃった、この間」
「喰った? どういう事?」
比喩表現なのはさすがに分かっているが、いやしかしどういう比喩なのか想像したくはありませんなぁっはっはっは。
「やだ、五百歳にもなって分からないの? セックスしたって事に決まってるじゃない」照れくさそうに両手で頬を包むおぞましい生物が目の前で蠢く。手が震えた。
「じゃあこの人ゲイなの?」
「ノンケを開発する、それが私のテクニック」
「開発……」
ベッドインした相手の陰部にフグリがついていた。
諦めもつくか。
果たしてつくのか。
「だからさ、ほら、楓も私くらい火遊びしないと、ね? どんどん枯れてっちゃうわよ」
「ううむ……」
そりゃあ私だって恋愛に憧れを抱かなかったわけではない。それに五百歳で未だ処女ってどうなのよ。いやもうそれって冷静に考えるとヤバイってレベル超えてるんじゃないですか。いやいや人間単位で考えるとやばいけど、年齢五百って時点で私たち人ではないから別に大丈夫なのでは。
「一応まがいなりにも私たちって神様じゃない。穢れを知ってしまった神様ってやっぱりよくないって言うか」
するとジトッとした目で雷神さんは私を睨んできた。これが最近流行のジト目と言う奴か。女子力が上がるとどうやらこんなことも出来るらしい。
「何、何か私の顔についてる?」
「あんた、このままじゃ、ずっとお局様(おつぼねさま)よ」
「お局? 私が?」
「気付いてなかったの?」
「いやいや、気付いてなかったもなにも、私がお局様なわけないじゃない」
そう、この私がお局様なわけ──
「風巻さん、その書類」
「えっ?」
ハッと意識を取り戻した時はもう遅かった。私の手から何枚か重なった書類が業務用シュレッダーへと吸い込まれていく。声を出す前に目の前で書類が細切れにされていた。
入社して二年になる雅ちゃんが慌ててかけてくる。フワフワとシャンプーの香りが漂う。何使ってるのかしら。いや、いま重要なのはそこではない。
「あぁ、その書類午後の会議で使うやつですよぅ」
「本当?」
シュレッダーを開く。クロスカット状に裁断された書類がボックスの中を満たしていた。ここまで細切れにされていると修復は不可能だろう。くそう、日本GBC社製シュレッダーめ、くそう。
職務中に昨夜の事なんて思い出すんじゃなかった。そもそも雷神さんが余計な事を言うからいけないのだ。あんな発言なければこんな凡ミスするわけない。
「どうするんですかぁ。あの書類原本だから予備なんてありませんよぅ」
雅ちゃんが半泣きで手をバタバタさせる。なぜあんたが半泣きになる。
「元データがあるでしょ? 再出力したら万事解決じゃない」
「それも無理ですよぅ」
「どうして」
「ほら、先日社内のサーバーが熱にやられてダウンしたでしょう? 大半のデータはバックアップ取っていたけど、こういう臨時の書類系は全部アウトでぇ……」
「だれかUSBメモリで持ち運んだりとか」
「ないですよぅ。どうするんですかぁ、もう」
「なんであなたが泣くの!」
「ひぃぃいい、ふぇえええ」
こうなってはもうラチがあかない。私は雅ちゃんにハンカチを持たせると、そのまま私のデスクまで連れて行った。
「か、風巻さぁん、どうするんですかぁ」
「部長に報告してくるから、あなたは落ち着くまでそこにいなさい。私のミスなんだから、尻拭いくらい自分でするわよ」
私は部長の個室へと向かった。我が社は仕切りによって完全に個人デスクへと分離されており、部長のデスクなど普段滅多に行かないので普通の社員なら足を運ぶだけで結構緊張する。そう、普通の社員なら。
部長である三隅君がデスクに座ってなにやら苦い顔で資料を見つめているのを確認し、私は入り口付近の壁をコンコン、とノックした。
「三隅君、少し良いかしら」
何気なく顔を上げた三隅君の顔が凍りつく。
「か、風巻さん」
「ちょっと報告があるのだけれど」
「ど、どうぞどうぞ」
三隅君は慌ててデスク前に設置されている応接用のソファを指し示す。私は黙ってそこに座ると、足を組んで机の上に乗せた。
四十を越えた恰幅の良いおじさんが私のような見た目若者の前で萎縮する姿は傍から見ればSMクラブみたいだったそうな。
「そ、それで風巻さん、御用は一体……」
「三隅君」
「は、はい」
「二時間後に会議あるじゃない。新商品展開とそのコンセプトに向けての」
「え、ええ、まぁ」
「その書類をね、シュレッダーにかけたわ」
沈黙がミチル君。
「はい?」やっとの事と言う様子で三隅君はそう搾り出した。
「書類をミスってクロスカットしてしまいました。以上。細切れ。すんごいの」
「いやいやいや、意味がわからない。ミスの報告なのになんでそんな態度でかいんですか!」
「私の態度がでかいのはあなたが何十年と後輩だからよ」
「そういう話ではなくてですね」三隅君は頭を抱える。「何かの手違いですか? シュレッダー予定の書類に混ざっていたとか」
「そうだったら良かったんだけどね……」
「まさか風巻さんがそんなミスを? にわかには信じがたいですが……」
その言葉には答えず、私はゆっくりと窓の外を見た。部長室は一面ガラス張りになっており、そこから向かいのビルと狭苦しい空が見わたせる。
「三隅君、私はお局様なのかしら」
「えっ」
「友達に言われちゃったのよ。そのままじゃあんたずっとお局様だって。『ずっと』って事は、今までもお局様だったって事じゃない?」
言いながら涙が浮かぶ。向かいのビルに反射した太陽の光が眩しい。
「お局様ってほら、あれじゃない? 年齢が微妙すぎて結婚の話も歳の話も出来ないし、変に仕事できるから誰も逆らえないし、結構厄介な存在でしょう?」
まさかね、私がそんな厄介な存在なわけないわよね。
三隅君はうな垂れた状態で私の向かい側に座った。両膝の上に肘を乗せ、手を組んでひたすら視線を下に向けている。何か重大な問題ごとを抱えるように。
「お局ってます、風巻さん。現在進行形で……」
部屋の気温と湿度が増した気がした。ずんと重い空気が漂う。
「今時の若者みたいな言い方しちゃって……」
「風巻さんの影響ですよ」
「そっか……」
私は軽く首を振ると、ふと天井を眺めた。
「ところで、ここ空調のパイプ調子悪いんじゃない? さっきから漏れ出た水滴が私の眼球にぶち当たって本当、痛くてかなわないのよね」
「本当に、空調、調子悪いですね」
「参っちゃうわよね、本当」
「ええ、本当に」
「これ、涙とかじゃないから」
「分かってますよ」
「塩味もしないから」
「でしょうね」
「目が赤いの、昨日徹夜した為だから」
「なるほど」
「鼻水出てるのはアレルギー性鼻炎よ」
「そりゃ災難だ」
「三隅君」
「はい」
「死にたい」
書類は後に私が一時間で再編成した。
私もその一人だ。
「悔しいわけじゃないのよ。ただ、やっぱり街中でいちゃつかれると不愉快じゃない。こっちは仕事で疲れてるんだし、たまの休日くらいそういうストレスの要因? 作りたくないじゃない」
私がカウンターに頬杖をついてマティーニを飲み干すと、目の前にいる女子力溢れる男性がすかさずお代わりを作ってくれた。動きにそつがない。
オカマバーの名に背かず、カウンターの向こう側で酒を作っているこの赤毛ツインテールのロリっ子もれっきとしたオカマだ。
名前を雷吾郎。通称雷神さん。
ここ、オカマバー『雷神』の店長であり私の親友でもある。
パッと見ても女の子だし、よく見ても女の子だ。髪は染めたのではなく地毛だろう。手入れが行き届いており私の髪よりもずっと美しく艶やかだ。
しかしフグリはついている。
見た目と違い、その頼りがいがある可憐さに男女問わず彼に食われてきた。
しかしフグリはついている。
おぞましい。
「それでハンカチを渡してくれた男の子を罵倒したと」グラスを差し出し、私をじっとりと視線で探るロリっ子。
「罵倒なんてとんでもない。ただイカ臭い童貞が私の高貴なハンカチに手を触れるとはどういう神経をしているのだと詰問しただけよ」
「唾を吐いてハンカチを投げつけた」
「女子力よ、女子力」
「そんなのは女子力とは言わん!」
雷神さんはカウンター越しに私を指差す。
「あんたのは女子、力だ!」
「じょ、じょし、ちから?」
何だそれは、分離されとるがな。戸惑っていると私の存在を否定するようにロリっ子は首を振った。
「いい? 女子力って言うのはもっとこう、守ってあげたいって思わせるオーラのような物を指すのよ」
「オーラ、オーラ力」
「そりゃダンバイン」
こう言う八十年代アニメネタがするりと通じる時、彼との付き合いの長さを感じる。
「確かに私、頼りがいありすぎるかも……今年で社歴百二十五年目だし」
創業時代に入社したので必然的にそうなる。現会長は私の後輩にあたる。
「楓、今までずっと頑張ってきたんだからそろそろ家庭に入ったら? 歳も歳だし、結婚も視野に入れたって悪くないと思うけど?」
「いや、でも結婚しても相手先に死んじゃうし……」
「結婚とまではいかなくても恋愛は女を磨くのに必要よ? 仕事して、たまの休みに飲んで、暇な時はアニメや漫画見て、それはそれでいいかもしれないけれども、女の喜びってそういうのじゃないでしょ? もっと自分を大事になさい」
オカマに女を説かれるとは。もう私は駄目かもしれない。
一人へこんでいると雷神さんは携帯を開き、愛しそうに画面を眺め出した。私はカウンターに身を乗り出して中を覗いてみる。
「何このイケメン」
携帯の待ち受け画面には雷神さんと頬を寄せ合って写る某アイドル事務所もおののきそうな好青年の姿が写っていた。どうやら自画撮りらしく、どこかの遊園地で撮影したものらしい。普通に見れば中睦まじいカップルのいちゃいちゃ写真にしか見えない。
「喰ってきちゃった、この間」
「喰った? どういう事?」
比喩表現なのはさすがに分かっているが、いやしかしどういう比喩なのか想像したくはありませんなぁっはっはっは。
「やだ、五百歳にもなって分からないの? セックスしたって事に決まってるじゃない」照れくさそうに両手で頬を包むおぞましい生物が目の前で蠢く。手が震えた。
「じゃあこの人ゲイなの?」
「ノンケを開発する、それが私のテクニック」
「開発……」
ベッドインした相手の陰部にフグリがついていた。
諦めもつくか。
果たしてつくのか。
「だからさ、ほら、楓も私くらい火遊びしないと、ね? どんどん枯れてっちゃうわよ」
「ううむ……」
そりゃあ私だって恋愛に憧れを抱かなかったわけではない。それに五百歳で未だ処女ってどうなのよ。いやもうそれって冷静に考えるとヤバイってレベル超えてるんじゃないですか。いやいや人間単位で考えるとやばいけど、年齢五百って時点で私たち人ではないから別に大丈夫なのでは。
「一応まがいなりにも私たちって神様じゃない。穢れを知ってしまった神様ってやっぱりよくないって言うか」
するとジトッとした目で雷神さんは私を睨んできた。これが最近流行のジト目と言う奴か。女子力が上がるとどうやらこんなことも出来るらしい。
「何、何か私の顔についてる?」
「あんた、このままじゃ、ずっとお局様(おつぼねさま)よ」
「お局? 私が?」
「気付いてなかったの?」
「いやいや、気付いてなかったもなにも、私がお局様なわけないじゃない」
そう、この私がお局様なわけ──
「風巻さん、その書類」
「えっ?」
ハッと意識を取り戻した時はもう遅かった。私の手から何枚か重なった書類が業務用シュレッダーへと吸い込まれていく。声を出す前に目の前で書類が細切れにされていた。
入社して二年になる雅ちゃんが慌ててかけてくる。フワフワとシャンプーの香りが漂う。何使ってるのかしら。いや、いま重要なのはそこではない。
「あぁ、その書類午後の会議で使うやつですよぅ」
「本当?」
シュレッダーを開く。クロスカット状に裁断された書類がボックスの中を満たしていた。ここまで細切れにされていると修復は不可能だろう。くそう、日本GBC社製シュレッダーめ、くそう。
職務中に昨夜の事なんて思い出すんじゃなかった。そもそも雷神さんが余計な事を言うからいけないのだ。あんな発言なければこんな凡ミスするわけない。
「どうするんですかぁ。あの書類原本だから予備なんてありませんよぅ」
雅ちゃんが半泣きで手をバタバタさせる。なぜあんたが半泣きになる。
「元データがあるでしょ? 再出力したら万事解決じゃない」
「それも無理ですよぅ」
「どうして」
「ほら、先日社内のサーバーが熱にやられてダウンしたでしょう? 大半のデータはバックアップ取っていたけど、こういう臨時の書類系は全部アウトでぇ……」
「だれかUSBメモリで持ち運んだりとか」
「ないですよぅ。どうするんですかぁ、もう」
「なんであなたが泣くの!」
「ひぃぃいい、ふぇえええ」
こうなってはもうラチがあかない。私は雅ちゃんにハンカチを持たせると、そのまま私のデスクまで連れて行った。
「か、風巻さぁん、どうするんですかぁ」
「部長に報告してくるから、あなたは落ち着くまでそこにいなさい。私のミスなんだから、尻拭いくらい自分でするわよ」
私は部長の個室へと向かった。我が社は仕切りによって完全に個人デスクへと分離されており、部長のデスクなど普段滅多に行かないので普通の社員なら足を運ぶだけで結構緊張する。そう、普通の社員なら。
部長である三隅君がデスクに座ってなにやら苦い顔で資料を見つめているのを確認し、私は入り口付近の壁をコンコン、とノックした。
「三隅君、少し良いかしら」
何気なく顔を上げた三隅君の顔が凍りつく。
「か、風巻さん」
「ちょっと報告があるのだけれど」
「ど、どうぞどうぞ」
三隅君は慌ててデスク前に設置されている応接用のソファを指し示す。私は黙ってそこに座ると、足を組んで机の上に乗せた。
四十を越えた恰幅の良いおじさんが私のような見た目若者の前で萎縮する姿は傍から見ればSMクラブみたいだったそうな。
「そ、それで風巻さん、御用は一体……」
「三隅君」
「は、はい」
「二時間後に会議あるじゃない。新商品展開とそのコンセプトに向けての」
「え、ええ、まぁ」
「その書類をね、シュレッダーにかけたわ」
沈黙がミチル君。
「はい?」やっとの事と言う様子で三隅君はそう搾り出した。
「書類をミスってクロスカットしてしまいました。以上。細切れ。すんごいの」
「いやいやいや、意味がわからない。ミスの報告なのになんでそんな態度でかいんですか!」
「私の態度がでかいのはあなたが何十年と後輩だからよ」
「そういう話ではなくてですね」三隅君は頭を抱える。「何かの手違いですか? シュレッダー予定の書類に混ざっていたとか」
「そうだったら良かったんだけどね……」
「まさか風巻さんがそんなミスを? にわかには信じがたいですが……」
その言葉には答えず、私はゆっくりと窓の外を見た。部長室は一面ガラス張りになっており、そこから向かいのビルと狭苦しい空が見わたせる。
「三隅君、私はお局様なのかしら」
「えっ」
「友達に言われちゃったのよ。そのままじゃあんたずっとお局様だって。『ずっと』って事は、今までもお局様だったって事じゃない?」
言いながら涙が浮かぶ。向かいのビルに反射した太陽の光が眩しい。
「お局様ってほら、あれじゃない? 年齢が微妙すぎて結婚の話も歳の話も出来ないし、変に仕事できるから誰も逆らえないし、結構厄介な存在でしょう?」
まさかね、私がそんな厄介な存在なわけないわよね。
三隅君はうな垂れた状態で私の向かい側に座った。両膝の上に肘を乗せ、手を組んでひたすら視線を下に向けている。何か重大な問題ごとを抱えるように。
「お局ってます、風巻さん。現在進行形で……」
部屋の気温と湿度が増した気がした。ずんと重い空気が漂う。
「今時の若者みたいな言い方しちゃって……」
「風巻さんの影響ですよ」
「そっか……」
私は軽く首を振ると、ふと天井を眺めた。
「ところで、ここ空調のパイプ調子悪いんじゃない? さっきから漏れ出た水滴が私の眼球にぶち当たって本当、痛くてかなわないのよね」
「本当に、空調、調子悪いですね」
「参っちゃうわよね、本当」
「ええ、本当に」
「これ、涙とかじゃないから」
「分かってますよ」
「塩味もしないから」
「でしょうね」
「目が赤いの、昨日徹夜した為だから」
「なるほど」
「鼻水出てるのはアレルギー性鼻炎よ」
「そりゃ災難だ」
「三隅君」
「はい」
「死にたい」
書類は後に私が一時間で再編成した。
風巻が年齢を気にして病んでいる。そのような噂は流星の如きスピードで社内を飛び交った。いや、それはもはや社内の枠組みを超え取引先まで流れ込んでいた。
「いやぁ、風巻さん、相変わらずお美しい」
商談のたびにそのようなおべんちゃらが私に掛けられるようになった。ちなみにそのような発言、今まで一度もされた事はなかった。
「ちょっと谷村さん、私に媚売ろうってんですか」
「え? いや、そういうわけでは……」
「言っときますけどね、ウチの新製品そんなに安くはないですよ。既に海外メーカーからの追加発注も来てますし、下手なお世辞を述べる暇があるなら御社が行う今後の市場展開についてもっと詰めて欲しいところですね」
私は受け取った資料をパンパンと叩いた。
「な、何か不明点でも……」
「不明点でも? 不明点しかありませんけど? 資料では我が社にプラス十パーセントの利益を確約していますがね、そちらが持つ店舗の市場規模から見込まれる売上幅では当社がそちらに払うインセンティブを加味するとどうみても五パーセントも確保できませんが? 一体そちらはうちが出す新商品をどれだけの規模で展開するつもりなんですか? 一店舗いくら辺りの売り上げで換算しています?」
「ひ、ひぇぇ、しーましぇん……」
「糞が」
創業百二十五年を迎える我が社の権力と、その頃から勤めている私の立場はもはや雲の上よりも高かった。
私はやさぐれていた。
女子力。
女子力とは一体なんなのか。
それを手にするとき私はどれほどまでに強大な力を得る事が出来るのか。
「強大な力は得られないかもしれませんけどぉ、京大の力は得る事できるかもですねぇ」
私のデスクに遊びに来た雅ちゃんが髪の毛をいじりながら言った。
「女子力が京都大学の学生を得られると? そういいたいの」
「そういう事ですよぉ」
「よろしい、続けたまえ」
私は両手を口の前で組むという通称『碇ゲンドウポーズ』を取り、目を光らせた。
「正確にはぁ、大学生っていうか院生が多いですけどぉ。合コンとか? よく誘ってもらったりしちゃいますよぉ」
「大変興味深い話だ。それを具現化するためにもっと具体的な案はないのか? 出来れば資料を要求する。そう、綿密なプランを書いた資料を、だ」
「あはは、どうしたんですか風巻さん。なんか怖いですよぅ」
「お世辞にもBランク、いや、Cランク私立大学出身でさほど他大学と綿密な交流を果たしたとも思えない君が一体どういう手法で京大生、正式固有名称京都大学学院生と知り合う事が出来たのか」
「えぇ? そんな事言われてもなぁ。合コンはぁ、普通に友達に誘ってもらっただけですしぃ、やっぱり横の繋がりが大事ですよぉ」
「横の繋がり……?」
私は眉を吊り上げた。
今年五百歳にして見た目二十五歳の私に横の繋がりなど。
「そういえば楓、今度合コンに誘われたんだけど、あんたくる?」
あったやないか!
バー雷神へと足を運んだ矢先、開口一番に雷神さんからその誘いを戴いた。
「聞いたわよ。最近お局様状態を自覚してから荒れてるらしいじゃない。それでちょっと探したらね、三対三の合コン、あたしの男友達が組んでくれるって」
誰のせいで自覚したと思っているのだ。そもそも一体どの様な話のめぐりでこのオカマの元にその噂が飛んだのだ。色々聞きたいことはあったがいまはまぁいいだろう。
私はカウンターに肘を乗せ、口の前で手を組んだ。
「実に興味深い話だ、続きを言いたまえ」
「鬱陶しいキャラ作らないでよ」
「余計な事は言わなくて良い」
「だから、あたしの男友達が会社の同僚を連れてきてくれるって言ってんでしょうが。それより人数が問題よ。ウチの店の子を連れて行ってもいいけど三対三の合コンなのにオカマ二人はさすがにきついでしょ。五対一になっちゃう」
「私は一向に構わん」
「相手が悲惨すぎるでしょうが」
どうやらオカマなりに遠慮心はあるらしい。
「あんたあと一人工面出来る?」
「余裕だ。うちの女子力高いのを用意しよう」
かくして年齢にやさぐれる私を励ますための合コンがセッティングされた。
女であれば、男を喰わねばならん。
そう、この腐りきった膜を打ち破るためにも、一刻も早く喰わねばな。
空が夜色を帯び始めた頃、駅前にある時計台にもたれていると雅ちゃんが姿を現した。休日らしく可愛らしい薄手のワンピースにカーディガン。香水なのかシャンプーなのか、極さりげなく爽やかに鼻腔をくすぐる香り。
「風巻さん、すいません遅れちゃって……」
「大丈夫よ、私も今来たところだし」
そう、私は今来たところだった。時間にすると大体二時間ほど前だ。今来たばかりだ。
「そう言えば、もう一人の方は?」
「私の友達なんだけどね、まだ来てないのよ」私はそっと溜息を吐き出すと、雅ちゃんの姿を見回し、口元をおさえて含み笑いした。
「それにしても雅ちゃん、今日はいつになく張り切ったんじゃないの?」
「えっ? そ、そうですかぁ?」
「分かるわよ。男欲しい感じ、全身からにじみ出てるもの」
「そういうつもりじゃなかったんですけどぉ、言われてみればそうかもしれませんねぇ。最近彼氏いないから寂しくってぇ」
エヘヘと頬を人差し指で掻く雅ちゃん。わざとらしい仕草なのに癇に障らない。この間合いの取り方は見事である。あとで私も使う事にしよう。
私が感心していると、雅ちゃんが口を開く。
「でも風巻さんはさすがですねぇ、一際余裕があるっていうかぁ。男の人のハードル、あげてますよねぇ」
「そ、そう?」
やはり大人の色香は誤魔化せないか。私は美しすぎる自分の美貌に恐怖した。
「そうですよぉ。Tシャツにデニムって、あんまりがつがつしてない感じじゃないですかぁ。風巻さんの雰囲気もあいまって、格好いいですよ」
「格好良い……」
私は自分の姿を見た。格好いいだろうか。しばし考える。
バンドマンっぽい。
部屋着感がすごい。
それが私の出した結論だった。
本来ならばスーツで『出来る女オーラ』をかもし出すはずだった。黒スーツに縦ストライプのシャツなんてどうかしら。そして合コン会場についた段階で「暑くない?」とおもむろに上着を脱ぐ。皆私のダイナマ伊藤……いやダイナマイトボディに釘付けになるはずだった。
なのに。
「虫に喰われてんじゃねぇよちきしょぉぉぉぉ」
よくよく考えたら今日って会社休みだからスーツで来たら浮くよね、とか等身大の自分を表現とか色々考えたら限りなく部屋着に近い格好に生まれ変わってしまった。女子力とはどこに。
「ど、どうしたんですかぁ風巻さん? 気分でも悪いんですか?」
「悪くないわよ!」
私は鼻をすする。すると遠目にも分かるほど違和感溢れる赤髪ツインテール女子もどきが手を振って近づいてくるのが見えた。あまりに呑気な顔に殺意すら沸く。
「ヤッホー、待った?」
「遅いのよ。ぶっ殺すわよ」
「おやおや、幹事に対してその態度はいかなるもんかね」
「くっ……」それを言われると何もいえない。
「んで、今日つれてきてくれた三人目の女子はその子?」
目で指されて私の後ろに姿を隠していた雅ちゃんがビクリと体を震わせた。
「あ、はい。篠崎雅って言います。風巻さんには普段からお世話になっていてぇ……」
「良いのよかしこまらなくても。気軽に行きましょ、気軽に。私の事はライちゃんって呼んでちょうだい」
「ら、ライちゃんさん」
「さんもいらない。ライちゃん」
「ら、ライちゃん」
「オッケー」
そこで雷神さんは満足げに頷く。南米バリのフランクさをかもし出してくるこの女、いや男はこうして簡単に場の空気を牛耳ってしまうので厄介である。ダテに老舗の店長ではない。
「ライちゃんは風巻さんとはどう言う間柄なんですかぁ?」
すると雷神さんはビッと雅ちゃんを指さす。
「タメ口でいいわ、雅。私とこの行き遅れの雌豚はただの腐れ縁。付き合いが長いだけよ」
「そ、それってどういう」
困惑して私を見てくる雅ちゃんの様子にそっと溜息をついて私は口を開いた。
「同じ歳なのよ。昔からご近所さんでね。幼なじみってやつ」
「幼なじみって言うとぉ……」
「二人とも今年で五百歳」と雷神さん。
雅ちゃんは驚いて口元に手を当てた。
「それってすごくないですかぁ? すごぉい、私どうしよう、感動しちゃう」
「しなくていいわよぉぉ! あがががが! おごごごご!」
限界まで目を見開いて睨みつけると雅ちゃんは「マジですんません」と沈黙した。
「まったくあんたは。四百八十歳も年下の相手をビビらせてどうすんのさ。だからお局様とか言われるのよ」
「黙りなさい。年甲斐もなくホットパンツなどはきおって」
「にしても、すごい美脚」雅ちゃんもついつい顔を覗かせる。
覗き込みすぎてはいけない。この美脚の付け根には獣が潜んでおるのだ。
「ライちゃん、すごくお洒落……」
「でしょ? でも雅だって可愛いわ。今日の男子はきっと喜ぶでしょうね、可愛い女子が三人もいて」
「三人? 私も入ってるって言うの?」私は目を見開いた。
「あたりまえじゃない」
何よこいつ。五百年目にして気付いたけど結構いい奴じゃない。
しかし私はこの時気付いていなかった。私が含まれたとしても、女子『三人』と言う表記はおかしいと言うことに。
待ち合わせの場所に募った女二人、オカマ一匹はどうみても『美女三人集』だったそうな。
そう、誰がどう評価しようときっとそうなのだ。
今宵は暑く、否、熱くなる。そう、最高のパーリナイの開始よ。
「いやぁ、風巻さん、相変わらずお美しい」
商談のたびにそのようなおべんちゃらが私に掛けられるようになった。ちなみにそのような発言、今まで一度もされた事はなかった。
「ちょっと谷村さん、私に媚売ろうってんですか」
「え? いや、そういうわけでは……」
「言っときますけどね、ウチの新製品そんなに安くはないですよ。既に海外メーカーからの追加発注も来てますし、下手なお世辞を述べる暇があるなら御社が行う今後の市場展開についてもっと詰めて欲しいところですね」
私は受け取った資料をパンパンと叩いた。
「な、何か不明点でも……」
「不明点でも? 不明点しかありませんけど? 資料では我が社にプラス十パーセントの利益を確約していますがね、そちらが持つ店舗の市場規模から見込まれる売上幅では当社がそちらに払うインセンティブを加味するとどうみても五パーセントも確保できませんが? 一体そちらはうちが出す新商品をどれだけの規模で展開するつもりなんですか? 一店舗いくら辺りの売り上げで換算しています?」
「ひ、ひぇぇ、しーましぇん……」
「糞が」
創業百二十五年を迎える我が社の権力と、その頃から勤めている私の立場はもはや雲の上よりも高かった。
私はやさぐれていた。
女子力。
女子力とは一体なんなのか。
それを手にするとき私はどれほどまでに強大な力を得る事が出来るのか。
「強大な力は得られないかもしれませんけどぉ、京大の力は得る事できるかもですねぇ」
私のデスクに遊びに来た雅ちゃんが髪の毛をいじりながら言った。
「女子力が京都大学の学生を得られると? そういいたいの」
「そういう事ですよぉ」
「よろしい、続けたまえ」
私は両手を口の前で組むという通称『碇ゲンドウポーズ』を取り、目を光らせた。
「正確にはぁ、大学生っていうか院生が多いですけどぉ。合コンとか? よく誘ってもらったりしちゃいますよぉ」
「大変興味深い話だ。それを具現化するためにもっと具体的な案はないのか? 出来れば資料を要求する。そう、綿密なプランを書いた資料を、だ」
「あはは、どうしたんですか風巻さん。なんか怖いですよぅ」
「お世辞にもBランク、いや、Cランク私立大学出身でさほど他大学と綿密な交流を果たしたとも思えない君が一体どういう手法で京大生、正式固有名称京都大学学院生と知り合う事が出来たのか」
「えぇ? そんな事言われてもなぁ。合コンはぁ、普通に友達に誘ってもらっただけですしぃ、やっぱり横の繋がりが大事ですよぉ」
「横の繋がり……?」
私は眉を吊り上げた。
今年五百歳にして見た目二十五歳の私に横の繋がりなど。
「そういえば楓、今度合コンに誘われたんだけど、あんたくる?」
あったやないか!
バー雷神へと足を運んだ矢先、開口一番に雷神さんからその誘いを戴いた。
「聞いたわよ。最近お局様状態を自覚してから荒れてるらしいじゃない。それでちょっと探したらね、三対三の合コン、あたしの男友達が組んでくれるって」
誰のせいで自覚したと思っているのだ。そもそも一体どの様な話のめぐりでこのオカマの元にその噂が飛んだのだ。色々聞きたいことはあったがいまはまぁいいだろう。
私はカウンターに肘を乗せ、口の前で手を組んだ。
「実に興味深い話だ、続きを言いたまえ」
「鬱陶しいキャラ作らないでよ」
「余計な事は言わなくて良い」
「だから、あたしの男友達が会社の同僚を連れてきてくれるって言ってんでしょうが。それより人数が問題よ。ウチの店の子を連れて行ってもいいけど三対三の合コンなのにオカマ二人はさすがにきついでしょ。五対一になっちゃう」
「私は一向に構わん」
「相手が悲惨すぎるでしょうが」
どうやらオカマなりに遠慮心はあるらしい。
「あんたあと一人工面出来る?」
「余裕だ。うちの女子力高いのを用意しよう」
かくして年齢にやさぐれる私を励ますための合コンがセッティングされた。
女であれば、男を喰わねばならん。
そう、この腐りきった膜を打ち破るためにも、一刻も早く喰わねばな。
空が夜色を帯び始めた頃、駅前にある時計台にもたれていると雅ちゃんが姿を現した。休日らしく可愛らしい薄手のワンピースにカーディガン。香水なのかシャンプーなのか、極さりげなく爽やかに鼻腔をくすぐる香り。
「風巻さん、すいません遅れちゃって……」
「大丈夫よ、私も今来たところだし」
そう、私は今来たところだった。時間にすると大体二時間ほど前だ。今来たばかりだ。
「そう言えば、もう一人の方は?」
「私の友達なんだけどね、まだ来てないのよ」私はそっと溜息を吐き出すと、雅ちゃんの姿を見回し、口元をおさえて含み笑いした。
「それにしても雅ちゃん、今日はいつになく張り切ったんじゃないの?」
「えっ? そ、そうですかぁ?」
「分かるわよ。男欲しい感じ、全身からにじみ出てるもの」
「そういうつもりじゃなかったんですけどぉ、言われてみればそうかもしれませんねぇ。最近彼氏いないから寂しくってぇ」
エヘヘと頬を人差し指で掻く雅ちゃん。わざとらしい仕草なのに癇に障らない。この間合いの取り方は見事である。あとで私も使う事にしよう。
私が感心していると、雅ちゃんが口を開く。
「でも風巻さんはさすがですねぇ、一際余裕があるっていうかぁ。男の人のハードル、あげてますよねぇ」
「そ、そう?」
やはり大人の色香は誤魔化せないか。私は美しすぎる自分の美貌に恐怖した。
「そうですよぉ。Tシャツにデニムって、あんまりがつがつしてない感じじゃないですかぁ。風巻さんの雰囲気もあいまって、格好いいですよ」
「格好良い……」
私は自分の姿を見た。格好いいだろうか。しばし考える。
バンドマンっぽい。
部屋着感がすごい。
それが私の出した結論だった。
本来ならばスーツで『出来る女オーラ』をかもし出すはずだった。黒スーツに縦ストライプのシャツなんてどうかしら。そして合コン会場についた段階で「暑くない?」とおもむろに上着を脱ぐ。皆私のダイナマ伊藤……いやダイナマイトボディに釘付けになるはずだった。
なのに。
「虫に喰われてんじゃねぇよちきしょぉぉぉぉ」
よくよく考えたら今日って会社休みだからスーツで来たら浮くよね、とか等身大の自分を表現とか色々考えたら限りなく部屋着に近い格好に生まれ変わってしまった。女子力とはどこに。
「ど、どうしたんですかぁ風巻さん? 気分でも悪いんですか?」
「悪くないわよ!」
私は鼻をすする。すると遠目にも分かるほど違和感溢れる赤髪ツインテール女子もどきが手を振って近づいてくるのが見えた。あまりに呑気な顔に殺意すら沸く。
「ヤッホー、待った?」
「遅いのよ。ぶっ殺すわよ」
「おやおや、幹事に対してその態度はいかなるもんかね」
「くっ……」それを言われると何もいえない。
「んで、今日つれてきてくれた三人目の女子はその子?」
目で指されて私の後ろに姿を隠していた雅ちゃんがビクリと体を震わせた。
「あ、はい。篠崎雅って言います。風巻さんには普段からお世話になっていてぇ……」
「良いのよかしこまらなくても。気軽に行きましょ、気軽に。私の事はライちゃんって呼んでちょうだい」
「ら、ライちゃんさん」
「さんもいらない。ライちゃん」
「ら、ライちゃん」
「オッケー」
そこで雷神さんは満足げに頷く。南米バリのフランクさをかもし出してくるこの女、いや男はこうして簡単に場の空気を牛耳ってしまうので厄介である。ダテに老舗の店長ではない。
「ライちゃんは風巻さんとはどう言う間柄なんですかぁ?」
すると雷神さんはビッと雅ちゃんを指さす。
「タメ口でいいわ、雅。私とこの行き遅れの雌豚はただの腐れ縁。付き合いが長いだけよ」
「そ、それってどういう」
困惑して私を見てくる雅ちゃんの様子にそっと溜息をついて私は口を開いた。
「同じ歳なのよ。昔からご近所さんでね。幼なじみってやつ」
「幼なじみって言うとぉ……」
「二人とも今年で五百歳」と雷神さん。
雅ちゃんは驚いて口元に手を当てた。
「それってすごくないですかぁ? すごぉい、私どうしよう、感動しちゃう」
「しなくていいわよぉぉ! あがががが! おごごごご!」
限界まで目を見開いて睨みつけると雅ちゃんは「マジですんません」と沈黙した。
「まったくあんたは。四百八十歳も年下の相手をビビらせてどうすんのさ。だからお局様とか言われるのよ」
「黙りなさい。年甲斐もなくホットパンツなどはきおって」
「にしても、すごい美脚」雅ちゃんもついつい顔を覗かせる。
覗き込みすぎてはいけない。この美脚の付け根には獣が潜んでおるのだ。
「ライちゃん、すごくお洒落……」
「でしょ? でも雅だって可愛いわ。今日の男子はきっと喜ぶでしょうね、可愛い女子が三人もいて」
「三人? 私も入ってるって言うの?」私は目を見開いた。
「あたりまえじゃない」
何よこいつ。五百年目にして気付いたけど結構いい奴じゃない。
しかし私はこの時気付いていなかった。私が含まれたとしても、女子『三人』と言う表記はおかしいと言うことに。
待ち合わせの場所に募った女二人、オカマ一匹はどうみても『美女三人集』だったそうな。
そう、誰がどう評価しようときっとそうなのだ。
今宵は暑く、否、熱くなる。そう、最高のパーリナイの開始よ。
市内にある、少しこじゃれた居酒屋に入った。
薄暗い室内にはオレンジ色の照明が点り、耳障りにならない程度にピアノが流れる店内。妙にムーディーだ。真新しい木造の壁からは漆のにおいが心なしか漂う。
店員に予約の旨を伝えると、奥の個室に案内された。少し広めのテーブル席だ。既に男性陣は席についており、彼らは私たちの姿を見ると立ち上がって出迎えてくれた。
「始めまして」
「……」
「どもども」
三者三様、それぞれ中々にいい面をしている。悪くない。
恐らく一番手前入り口側に座る男性がもう一人の主催、雷神さんの知り合いだろう。この中では一番だ。綺麗目な服装で好感が持てる。背丈も高く、体もそれなりにがっしりしてはいるが過度の男臭さは感じさせない。
真ん中の男は何だか見た目からして無口なのが見て取れた。顔は悪くないが、一人目に比べるとどうしようもなく見劣りする。
三人目。気さくで話しやすそうな男ではある。顔も悪くない。すこし童顔で可愛さが残る。カジュアルな服装はどこか私に精通するものがあった。しかしこやつからは何だか得体の知れない貧乏臭がする。何かに憑かれているのではないだろうか。貧乏神とか。
「ごめんごめん、すっかり遅くなっちゃったわね」
まるで謝罪の気持ちが込められていない雷神さんの上っ面だけの言葉にも、男たちは嫌な顔一つしない。
「いいよいいよ、俺たちもいま来たばっかだから」
そのまま流れで私たちは各々席に着いた。主催者二人が入り口近くの下手席に座り、真ん中に雅ちゃん、端に私と言う構図だ。
六人掛けの席に、私たちは見合い形式で対座する。普通男女混合で座るのでは、いや、焦るのは良くない。私はひそやかに深呼吸をした。そう、時期を見て席替えを提案すればよいではないか。
「それじゃあ始める前に飲み物だけ頼んじゃおっか。自己紹介はそれからって事で」
「悪くないねぇ、出来る男!」
「いやぁ、それほどでも」
主催二人の掛け合いが始まる。まだみんな会話する段階まで行ってないから必然的に主催二人の手腕にこの場の空気は託される。雷神さんなら上手くやってくれるだろう。そう言う点では信頼性抜群だ。
「それじゃあ、生の人」
当然のように最初はビールのカウントが計られる。ビールが大好物だった私はいの一番に手を上げた。
ビールを注文したのは、男三人と、私一人。
この段階で私は自分の選択ミスを察した。どうしよう、がっつり飲む女だと思われちゃうじゃないの。
雅ちゃんはカシスオレンジとか頼んじゃうし、雷神さんにいたってはウーロン茶とかそんな馬鹿な。以前私と朝までテキーラで飲み比べていたあのカマが。
最初の注文の段階で既にバトルは開始されている。私はその時初めて合コンの恐ろしさを垣間見た気がした。
「それじゃあ、まず自己紹介行きましょうか」
幹事の男性が言い、じゃあ僕から、とそのまま続ける。
「三城昌平と言います。食品メーカーに勤めていまして、休みの日はよくバスケにいきます。今日は幹事ですが、はっちゃけたいと思うんでよろしく!」
「バスケ男子……素敵」雅ちゃんが小声でなにやら呟く。ロックオンするの早くないですか。
続いて真ん中の寡黙男子が立つかと思いきや、何故か立ち上がったのは私の対面に座る童顔男子。
「いやいや、どうも秋元秋と言います。上から読んでも下から読んでも同じ読みなので親のセンスを疑いますなぁっはっは」
一人で笑うこの男を見て彼は頭がどうかしていると思った。冷たい視線を感じたのか、秋元は軽く咳払いをしてとりなす。
「三城君とは同期で、同じ食品メーカーに勤めてます。あぁ、あと趣味でドラムやってます」
そこで秋元は隣の寡黙男子の頭にぽんと手を乗せる。
「こっちの喋らないのは竹松です。僕と同じバンドでベースやってます。三城君から今回のお誘いをいただいて、あと一人参加者を探してたら切望してきたのが彼です」
喋らないのに切望したんだ……。我々女子から声にならない声が漏れた。
「じゃあ、これで僕たち三人の自己紹介は終わりです」
「えっ?」
結局男子で自己紹介したのは二人であり、さっそく場が微妙な空気に襲われた。
だれか助け舟出せよ……。皆が雷神さんを見る。
視線を受けた雷神さんはあからさまに焦った顔をした。どうしよう、友が窮地に立たされている。なにかしてやらなくては。
仕方なく私は新卒の後輩を激詰めするような面持ちで彼女を見つめた。場慣れしてんだろ? 早く立てよ。盛り上げてみろよこの場を。私は視線で彼女を責めた。
「じ、じゃあ次はわったしたちの番だね。自己紹介しようか」
キョロキョロと雷神さんは皆を見る。
「えぇっと、雷影鈴(らいかげりん)っていいまぁす。あだ名は雷神さんでっす。バー経営してまぁす。よろしく」
ぶりっ子にも程がある。見ていられなくて私はうつむいた。五百歳。しかも偽名。たぶん源氏名だ。彼がオカマにも関わらずこうして合コンを組んだと言う事は、三城君はこいつが男である事をしらないのだろう。気の毒である。
そう思っていると次に雅ちゃんが立ち上がった。
「えっとぉ、篠崎雅でぇす。入社してまだ三年目のひよっこ社員でぇす。会社に入っても事務が中心で出会いとかあまりなくってぇ、今回さそってもらったので来ちゃいましたぁ。よろしくおねがいしまぁす」
雅ちゃんに関しては元がもう媚びているような話し方なのであえて突っ込むのはよそう。
天然系女子とロリータ元気っ子。
クズが。
キャラがすこしかぶっているではないか。経験は豊富かもしれないが、糞どもは戦略性がないから困る。
年上系お姉さまの路線である私に道は大きく開かれていた。
席順に伴うバストサイズも納得の階段形式。左から雷神さん、雅ちゃん、私の順に大きくなっている。私は知っていたのだ。先ほどから私の胸部に注がれる男子どもの熱い視線を。利は我にあり。
雅ちゃんが座るのを見計らって、私は立ち上がった。この第一印象が大事だ。姐御系で行くか、大人びたお姉さんでいくか。断然この場なら後者だろう。草食系男子どもは優しく蹂躪せねばならない。
私は男子三人に向かってにっこりと笑いかけた。
「始めまして、風巻楓と申します」
「失礼します、生四丁お持ちしました」
最悪のタイミングで店員が割って入ってきた。
「あ、やっと来た。配っちゃお」
雷神さんがてきぱきと受け取った飲み物を流していく。おい、フォローなしかよ。全員につつがなく飲み物が渡され、その間私は突っ立っているだけだった。死にたい。
「じゃあ乾杯しよっか。あれ? なんで楓立ってるの? あ、もしかして乾杯の音頭が取りたいとか? はりきっちゃってぇ」
このオカマはあとで殺さねばならない。八つ裂きが良いか、それとも圧死か。目の前にでかでかと置かれた中ジョッキが異様に目立つ。私は黙ってジョッキを持った。
「風巻さんってお酒強そうですね」
目の前にいる秋元が直情的な感想を述べてくる。そうだ、自己紹介は流されたがここで諦めてはいけない。私は空気を和ませるために薄く笑みを浮かべた。
「やだ、初対面なのに生が好きだなんて引かれないかしら」
場の空気が一瞬重たくなる。みんななんでもなさそうに笑っているが明らかに表情が浮かない。何かまずい事を言っただろうか。自分の発言を回顧し、そして気付く。
「ち、違いますよ! 言っとくけど私別に生中出し援交プレーが好きとかそういうんじゃないですから」
異物を見るような顔で皆が私を見る。ミスった。私は頭を抱えた。
「あぁあ! 下ネタ言ってもた!」
私の叫びで空気が凍りつく。どうにかしなければ。
そこで私は先ほどの雅ちゃんの姿を思いだした。そうだ、ここであれをやるしかない。
「飲み会始まりで下ネタ言っちゃうなんて、恥ずかしいなぁ」
そう言ってエヘヘと頬を掻く。
反応がないので見ると全員白目を剥いていた。ドツボだ。
「ちょっと! 楓! せっかくみんな流そうとしたのに!」耐え切れなくなったのか雷神さんが立ち上がる。
「ミスったんだから仕方ないでしょうが!」
私はビールを持ち上げるとその場にいる全員をにらみつけた。営業歴百二十五年の間に培った取引先殺しと呼ばれる視線だ。これで幾度となく取引先に不利な条件を飲ませてきた。
「あんた達! 今夜は飲むわよ!」
「お、おぉ……」
引き気味な場の空気。このままではやられる。死なばもろとも。私は胎をくくった。
「おっぱいが欲しいか」
「えぇ?」何言ってるのこの人、戸惑い気味な男子。
「チンコにむしゃぶりつきたいか」
女子にいたっては答えすらしない。上品ぶりやがって。そこまでして上っ面に塗り固められた欲情を隠したいと言うのか。
キレた私は思い切り机を叩いた。
全員がビクリと体を震わせる。
「こうなったら上品な会合はなしにしましょう。今宵は欲望にまみれたパーリナイなう、なんだから」
私は雅ちゃんと雷神さんに目を向ける。
「女共! 彼氏が欲しいか!」
「え……」
「彼氏が欲しいかって聞いてんのよ」
「う、うん……」戸惑った二人。
「野郎共! 私のおっぱいが触りたいか!」
「へ?」
「セックスがしたいのかって聞いてんのよ!」
「お、おぉ……」
「え、セックスしたいんだ、怖い……」
引く女子二人を私は全力で否定した。
「いやいやいやいや、したくない方が怖いわよ! あんた達も体がうずいてるんでしょ! オープン! オープンユアマインド!」
「まぁ、それは、こういう場所に来ているわけだし、ねぇ?」
「マジかよ……俄然燃えてきた」上がる男性陣。
いい感じだ。ここは即興ラップでオーディエンスを沸かすしかない。
ドンツー ドンツー チュカチュカ
yeah yeah yeah
始まりますよ今宵のパーティー 男女混合集まるパーティー
狙うは女子のはくパンティー 脱がしゃ今夜はそくチャリティーだ yeah
蠢く男女の下心! いつかはみなが行き着く所!
優しさは持ち合わせているものと! 思ったら抱きしめあうよ友と!
ナンバーワン よりもオンリーワン
犬がワンワンワン 鳴いてパンパンパン
弾けあう男女の営みに 発情するんだ人並みに
そして地味に 下にビキニ 来たら先に 飛び込むよ海に!
YO!
「すげー」
よし、受けた。今宵もオーディエンスを沸かしてしまった。このまま波に乗るしかない。
「よっしゃあ! テンションも上がってきたところでそぉら! 私のおっぱい、何カップか当ててごらん!」
Dカップ! Fカップ! それエフエフエフエフエフカップ! いやいやジージーGカップ!
もはや飲み会における新入社員の様な身を呈した盛り上げっぷり。社会人歴百二十五年はダテじゃない。
「残念! 正解は! Fカップでした! ほらかーんぱーい!」
こうしてパーリナイは開始された。
薄暗い室内にはオレンジ色の照明が点り、耳障りにならない程度にピアノが流れる店内。妙にムーディーだ。真新しい木造の壁からは漆のにおいが心なしか漂う。
店員に予約の旨を伝えると、奥の個室に案内された。少し広めのテーブル席だ。既に男性陣は席についており、彼らは私たちの姿を見ると立ち上がって出迎えてくれた。
「始めまして」
「……」
「どもども」
三者三様、それぞれ中々にいい面をしている。悪くない。
恐らく一番手前入り口側に座る男性がもう一人の主催、雷神さんの知り合いだろう。この中では一番だ。綺麗目な服装で好感が持てる。背丈も高く、体もそれなりにがっしりしてはいるが過度の男臭さは感じさせない。
真ん中の男は何だか見た目からして無口なのが見て取れた。顔は悪くないが、一人目に比べるとどうしようもなく見劣りする。
三人目。気さくで話しやすそうな男ではある。顔も悪くない。すこし童顔で可愛さが残る。カジュアルな服装はどこか私に精通するものがあった。しかしこやつからは何だか得体の知れない貧乏臭がする。何かに憑かれているのではないだろうか。貧乏神とか。
「ごめんごめん、すっかり遅くなっちゃったわね」
まるで謝罪の気持ちが込められていない雷神さんの上っ面だけの言葉にも、男たちは嫌な顔一つしない。
「いいよいいよ、俺たちもいま来たばっかだから」
そのまま流れで私たちは各々席に着いた。主催者二人が入り口近くの下手席に座り、真ん中に雅ちゃん、端に私と言う構図だ。
六人掛けの席に、私たちは見合い形式で対座する。普通男女混合で座るのでは、いや、焦るのは良くない。私はひそやかに深呼吸をした。そう、時期を見て席替えを提案すればよいではないか。
「それじゃあ始める前に飲み物だけ頼んじゃおっか。自己紹介はそれからって事で」
「悪くないねぇ、出来る男!」
「いやぁ、それほどでも」
主催二人の掛け合いが始まる。まだみんな会話する段階まで行ってないから必然的に主催二人の手腕にこの場の空気は託される。雷神さんなら上手くやってくれるだろう。そう言う点では信頼性抜群だ。
「それじゃあ、生の人」
当然のように最初はビールのカウントが計られる。ビールが大好物だった私はいの一番に手を上げた。
ビールを注文したのは、男三人と、私一人。
この段階で私は自分の選択ミスを察した。どうしよう、がっつり飲む女だと思われちゃうじゃないの。
雅ちゃんはカシスオレンジとか頼んじゃうし、雷神さんにいたってはウーロン茶とかそんな馬鹿な。以前私と朝までテキーラで飲み比べていたあのカマが。
最初の注文の段階で既にバトルは開始されている。私はその時初めて合コンの恐ろしさを垣間見た気がした。
「それじゃあ、まず自己紹介行きましょうか」
幹事の男性が言い、じゃあ僕から、とそのまま続ける。
「三城昌平と言います。食品メーカーに勤めていまして、休みの日はよくバスケにいきます。今日は幹事ですが、はっちゃけたいと思うんでよろしく!」
「バスケ男子……素敵」雅ちゃんが小声でなにやら呟く。ロックオンするの早くないですか。
続いて真ん中の寡黙男子が立つかと思いきや、何故か立ち上がったのは私の対面に座る童顔男子。
「いやいや、どうも秋元秋と言います。上から読んでも下から読んでも同じ読みなので親のセンスを疑いますなぁっはっは」
一人で笑うこの男を見て彼は頭がどうかしていると思った。冷たい視線を感じたのか、秋元は軽く咳払いをしてとりなす。
「三城君とは同期で、同じ食品メーカーに勤めてます。あぁ、あと趣味でドラムやってます」
そこで秋元は隣の寡黙男子の頭にぽんと手を乗せる。
「こっちの喋らないのは竹松です。僕と同じバンドでベースやってます。三城君から今回のお誘いをいただいて、あと一人参加者を探してたら切望してきたのが彼です」
喋らないのに切望したんだ……。我々女子から声にならない声が漏れた。
「じゃあ、これで僕たち三人の自己紹介は終わりです」
「えっ?」
結局男子で自己紹介したのは二人であり、さっそく場が微妙な空気に襲われた。
だれか助け舟出せよ……。皆が雷神さんを見る。
視線を受けた雷神さんはあからさまに焦った顔をした。どうしよう、友が窮地に立たされている。なにかしてやらなくては。
仕方なく私は新卒の後輩を激詰めするような面持ちで彼女を見つめた。場慣れしてんだろ? 早く立てよ。盛り上げてみろよこの場を。私は視線で彼女を責めた。
「じ、じゃあ次はわったしたちの番だね。自己紹介しようか」
キョロキョロと雷神さんは皆を見る。
「えぇっと、雷影鈴(らいかげりん)っていいまぁす。あだ名は雷神さんでっす。バー経営してまぁす。よろしく」
ぶりっ子にも程がある。見ていられなくて私はうつむいた。五百歳。しかも偽名。たぶん源氏名だ。彼がオカマにも関わらずこうして合コンを組んだと言う事は、三城君はこいつが男である事をしらないのだろう。気の毒である。
そう思っていると次に雅ちゃんが立ち上がった。
「えっとぉ、篠崎雅でぇす。入社してまだ三年目のひよっこ社員でぇす。会社に入っても事務が中心で出会いとかあまりなくってぇ、今回さそってもらったので来ちゃいましたぁ。よろしくおねがいしまぁす」
雅ちゃんに関しては元がもう媚びているような話し方なのであえて突っ込むのはよそう。
天然系女子とロリータ元気っ子。
クズが。
キャラがすこしかぶっているではないか。経験は豊富かもしれないが、糞どもは戦略性がないから困る。
年上系お姉さまの路線である私に道は大きく開かれていた。
席順に伴うバストサイズも納得の階段形式。左から雷神さん、雅ちゃん、私の順に大きくなっている。私は知っていたのだ。先ほどから私の胸部に注がれる男子どもの熱い視線を。利は我にあり。
雅ちゃんが座るのを見計らって、私は立ち上がった。この第一印象が大事だ。姐御系で行くか、大人びたお姉さんでいくか。断然この場なら後者だろう。草食系男子どもは優しく蹂躪せねばならない。
私は男子三人に向かってにっこりと笑いかけた。
「始めまして、風巻楓と申します」
「失礼します、生四丁お持ちしました」
最悪のタイミングで店員が割って入ってきた。
「あ、やっと来た。配っちゃお」
雷神さんがてきぱきと受け取った飲み物を流していく。おい、フォローなしかよ。全員につつがなく飲み物が渡され、その間私は突っ立っているだけだった。死にたい。
「じゃあ乾杯しよっか。あれ? なんで楓立ってるの? あ、もしかして乾杯の音頭が取りたいとか? はりきっちゃってぇ」
このオカマはあとで殺さねばならない。八つ裂きが良いか、それとも圧死か。目の前にでかでかと置かれた中ジョッキが異様に目立つ。私は黙ってジョッキを持った。
「風巻さんってお酒強そうですね」
目の前にいる秋元が直情的な感想を述べてくる。そうだ、自己紹介は流されたがここで諦めてはいけない。私は空気を和ませるために薄く笑みを浮かべた。
「やだ、初対面なのに生が好きだなんて引かれないかしら」
場の空気が一瞬重たくなる。みんななんでもなさそうに笑っているが明らかに表情が浮かない。何かまずい事を言っただろうか。自分の発言を回顧し、そして気付く。
「ち、違いますよ! 言っとくけど私別に生中出し援交プレーが好きとかそういうんじゃないですから」
異物を見るような顔で皆が私を見る。ミスった。私は頭を抱えた。
「あぁあ! 下ネタ言ってもた!」
私の叫びで空気が凍りつく。どうにかしなければ。
そこで私は先ほどの雅ちゃんの姿を思いだした。そうだ、ここであれをやるしかない。
「飲み会始まりで下ネタ言っちゃうなんて、恥ずかしいなぁ」
そう言ってエヘヘと頬を掻く。
反応がないので見ると全員白目を剥いていた。ドツボだ。
「ちょっと! 楓! せっかくみんな流そうとしたのに!」耐え切れなくなったのか雷神さんが立ち上がる。
「ミスったんだから仕方ないでしょうが!」
私はビールを持ち上げるとその場にいる全員をにらみつけた。営業歴百二十五年の間に培った取引先殺しと呼ばれる視線だ。これで幾度となく取引先に不利な条件を飲ませてきた。
「あんた達! 今夜は飲むわよ!」
「お、おぉ……」
引き気味な場の空気。このままではやられる。死なばもろとも。私は胎をくくった。
「おっぱいが欲しいか」
「えぇ?」何言ってるのこの人、戸惑い気味な男子。
「チンコにむしゃぶりつきたいか」
女子にいたっては答えすらしない。上品ぶりやがって。そこまでして上っ面に塗り固められた欲情を隠したいと言うのか。
キレた私は思い切り机を叩いた。
全員がビクリと体を震わせる。
「こうなったら上品な会合はなしにしましょう。今宵は欲望にまみれたパーリナイなう、なんだから」
私は雅ちゃんと雷神さんに目を向ける。
「女共! 彼氏が欲しいか!」
「え……」
「彼氏が欲しいかって聞いてんのよ」
「う、うん……」戸惑った二人。
「野郎共! 私のおっぱいが触りたいか!」
「へ?」
「セックスがしたいのかって聞いてんのよ!」
「お、おぉ……」
「え、セックスしたいんだ、怖い……」
引く女子二人を私は全力で否定した。
「いやいやいやいや、したくない方が怖いわよ! あんた達も体がうずいてるんでしょ! オープン! オープンユアマインド!」
「まぁ、それは、こういう場所に来ているわけだし、ねぇ?」
「マジかよ……俄然燃えてきた」上がる男性陣。
いい感じだ。ここは即興ラップでオーディエンスを沸かすしかない。
ドンツー ドンツー チュカチュカ
yeah yeah yeah
始まりますよ今宵のパーティー 男女混合集まるパーティー
狙うは女子のはくパンティー 脱がしゃ今夜はそくチャリティーだ yeah
蠢く男女の下心! いつかはみなが行き着く所!
優しさは持ち合わせているものと! 思ったら抱きしめあうよ友と!
ナンバーワン よりもオンリーワン
犬がワンワンワン 鳴いてパンパンパン
弾けあう男女の営みに 発情するんだ人並みに
そして地味に 下にビキニ 来たら先に 飛び込むよ海に!
YO!
「すげー」
よし、受けた。今宵もオーディエンスを沸かしてしまった。このまま波に乗るしかない。
「よっしゃあ! テンションも上がってきたところでそぉら! 私のおっぱい、何カップか当ててごらん!」
Dカップ! Fカップ! それエフエフエフエフエフカップ! いやいやジージーGカップ!
もはや飲み会における新入社員の様な身を呈した盛り上げっぷり。社会人歴百二十五年はダテじゃない。
「残念! 正解は! Fカップでした! ほらかーんぱーい!」
こうしてパーリナイは開始された。
帰り道。
私は道路の真ん中で、赤毛のツインテールロリと一緒に歩を進めていた。既に終電はない。
何故私はこのカマと一緒にいるのだ? こんなはずではなかった。
「どこへ向かっているの、私たちは」
恐ろしく人気のない大通りを私たちは歩く。空はまだ暗く、夜明けは遠そうだ。
「うちの店よ。近場で泊まれるとこって言ったらそこしかないでしょが」
「まだ結構距離あるんじゃないの」
「あと三十分はかかる」
私はタクシーの姿を探した。しかし先ほどから一台も車が通る気配はない。
「どうしてこうなったの」
「私に聞いても知らないわよ」
「経験者なんでしょ、それくらい知ってなさいよ」
「経験者でもわかる事とわからない事があるのよ」
私たちは二人、はぁと大きく溜息をついた。
事件は合コン開始一時間半後に起きた。
雷神さんが秋元・竹松コンビと戯れ、私がビールを煽りながらその光景を眺めている時の事だ。
「あれ、そういえば三城君と篠崎さんは?」
ふと秋元がそう発言して空気が一転した。見ると確かにどこにも姿がない。不安に思って携帯を開くと、私の携帯電話に一通メールが届いていた。
『風巻さんごめんなさい! 先においとましますねぇ☆』
「あ、あぁ……おごごご」
私が口を開いて涎を垂れ流しながら全身を白目でブルブルと痙攣させると、不審に思ったのか雷神さんが顔を近づけてきた。
「ど、どうしたの楓? 吐きそうなの?」
「ももも、ももも」
「も?」
「……かれた」
「へっ?」
「もって行かれた……!」
刹那、事の次第を悟った雷神さんの目が死ぬ。
「同等の対価……」
失ったものは大きかった。今回最大の獲物。
三城君……。
雅ちゃんは最大の当たりをそつなくゲットして煙のように消えたのだ。これが女子力、本物の、ぴっちぴちの女子の力。
「三城君は真面目な男だと信じていた僕が馬鹿でした」
事情を話すと秋元は嘆いた。落ち込む彼の隣に極さりげなく座る私。
「仕方ないわ。相手は底知れぬ女子力溢れるギャル。その色香に誘われてしまったら」
「きっとワンピースの胸元を見せたんでしょうな」
「Dはあるからね、あの子」
「D……ロケットおっぱいか、くそう、あの時触っておけば、くそう」やたらと顔をしかめる秋元。Dカップに何か嫌な思い出でもあるのかこの男は。しかしこれはチャンスだ。アタックチャアンス。
「秋元君、ここに、Fがあるわ」
「F?」
秋元のつぶらな瞳に、Tシャツをピンと張った私のおっぱいが映し出される。
「右も、左も、Fよ。FF」
「ファイナル、ファンタジー……」
そんな馬鹿な掛け合いをしていると不意に奥の方からガタガタと足音が聞こえてきた。何事かと秋元と顔を合わせる。そう言えばいつの間にか竹松と雷神さんの姿が消えていた。
「二人は?」
「さっき竹松がトイレに行きまして、雷影さんがその介抱にいくとか言ってましたが」
するとトイレから物凄い勢いで竹松が姿を現した。ベルトが半分外れており、ズボンもチャックが開いたままである。それまで一言も喋らなかっただけにその大きな表情変化は目立った。
「竹松、どうしたのさ」
竹松は秋元の問いに答えるよりも早く彼の腕を掴むと、物凄い勢いで引っ張って店から出て行った。相当焦っていたのか、何もかもが置いてけぼり状態。その場に私だけがポツンと取り残される。飲みかけのビールに、喰いさしの食べ物、溶けたアイス、乾いたお絞り、欲情。
一体何が起こったのか当惑していると「参ったわぁ」と呑気な声を出して個室から雷神さんが姿を表した。
「何があったの?」私は思わず尋ねる。
「キスまでは行ったんだけどね、そこで興奮した息子様がホットパンツからはみ出ちゃって、ばれたのよ」
「ああ、そう……」
店の会計は私が支払った。
「吾郎ちゃん、何であんなところで欲情したのよ」
「一組成立したらそのビックウェーブに乗るしかないっしょ」
考えは一緒と言う事か。私は肩を落とした。
「せっかく秋元君といい感じだったのに……」
「ドンマイドンマイ、次につなげましょ」
「殺すわよこの糞カマ」
飄々とした様子が一層腹立たしい。
私が雷神さんを睨みつけていると、背後から車がやってくる気配がして慌てて道の端へと退避した。やってきた車はよく見るとタクシーだった。これはありがたい。私は思い切り手を上げた。
しかしタクシーが止まる事はなかった。無常にも私たちの横を通り過ぎていく。
「誰か乗ってたみたいね」
「えっ、本当に?」
雷神さんの呟きに、私は目を凝らす。確かに後部座席には人の姿があった。どこかで見たようなシルエットだ。
そこで気付く。
「雅ちゃん……」
「えっ? 雅? 本当に?」
よく見ると隣には男性も乗っている。そう、三城君だ。
ラブホテルにて、一夜の関係をこれから築こうとでも言うのか。そうだよね、一次会を途中でブチって、二人で飲みなおしてたら丁度いい時間だもんね。
「そんな上手い話をただ掴ませるものですか……」
私は道路のど真ん中に立ち、遠くに行くタクシーを睨んだ。
途端、周囲の風が完全に止み、街が静止したように沈黙が満ちる。雲が止まり、大気の流れは霧消する。落ちる葉はそのままストンと地面に向かう。
そこに存在するだけで鳥肌の立つような静寂が街を襲った。
「か、楓?」異変に気付いたのか、雷神さんがうろたえた声をだす。
「下がってて五郎ちゃん。私は、私はあの後輩を内臓からばらばらにしないと気がすまない」
私が手を構えると地響きがなるようなすさまじい空間の揺らぎが発生し、竜巻に似た内側へ向かう大気の流れが起こった。私の右腕に風が集まっているのだ。それはやがて目に見える形で手の平大の球体状へと化し、その勢いを潰すことなく物凄い風の渦が巻き起こる。
「やだぁ! ちょっとそれ螺旋丸じゃない! パクリは良くないわよ!」
「うるさいわね」
私が睨みつけると雷神さんは言葉と共に生唾を飲み込む。その様子に私は頷いた。
「ご先祖様が元(げん)と日本との戦いで使った事があってね。船壊すわ海荒れるわで神風とか言われたらしいわ」
「それ、あの車に放ったらどうなるの?」
「木っ端微塵。車内にいる人間は筆舌で語るには忍びない肉塊へと変貌する。半径数百メートルに及んで血の雨が降り、内臓や脳みそ、目玉は粉砕しそこら中の壁や窓に張り付く。粉末状になった骨は当然大気中を漂い肺から人々の体へ入り込むでしょうよ」
「ちょっとぉ! 筆舌で結構詳細に語っちゃってるわよう! 大体私たち神なのよ? 神が人殺してどうすんのよ!」
「神と言う理由だけで私がやつを消さない理由にはなりえん」
大体昔からいけ好かん娘だった。語尾にいちいち小さく母音を残す様や、さりげなく自慢する様子や、ちょっと人を馬鹿にしくさったその態度とかな。それでも可愛い後輩と大目に見てやったが、この私を出し抜こうとしたのが末路への架け橋となった事をここで思い知らさなければ。
私が手の平の風を飛ばそうと構えると、進行方向上に雷神さんが立ちはだかった。
「吾郎ちゃん、何を」
「雷神として、あんたの親友として、どくわけにはいかない」
「キャラ崩れてるわよ」
「たまには男に戻るさ」
顔つきがいつものか弱いものとは違う。体中から雄のオーラを放っている。
「吾郎ちゃん、お願い。私はあなたを殺したくない」
「お前に俺が殺せると思ったか? 仮にも俺は『雷神』だぜ?」
雷神さんは右手に物凄い量の電気を集める。彼の手の平がバチバチと音を立て手の平を電流が覆う。
まさかその技は。
「千鳥……」
「似たもの同士だからな。今更驚く事でもねぇだろ?」
どうやら同じ漫画から着想を得て開発したらしい。私は「まぁね」と肩をすくめた。
風球を構える。雷神さんが対峙する。二人の技が放つ空気圧に、アスファルトが割れた。
「もう一度聞く。楓──風神、やめる気はねぇんだな?」
「くどいわよ、吾郎ちゃん。いや、雷神」
すると覚悟を決めたのか、雷神さんも右手を構えふっと笑みを漏らした。
「受けてやる。来いよ、何処までもクレバーに抱きしめてやる」
「メンズナックル……!」
私は正面を睨み据える。その視点の先は雷神さんを突き抜け、雅ちゃんの乗る車、ただ一つ。
「きええええええええええ!」
「おおおおおおおおおおお!」
私たちはほぼ同時に一歩踏み出した。
私の手から風球が離れ、物凄い轟音を出して雷神さんへと迫る。技を放った威力が強すぎて私は十メートルほど後ろへ吹き飛んだ。転がりそうになるのを何とか足で踏ん張り、体制を立てる。スニーカーでよかった。
放たれた風球は物凄い速度で雷神さんの右手にぶつかる。瞬間、包み込まれた大量の風が暴発し、あたり一面を揺らした。木々は倒れそうなほどに風に揺られ、看板は吹き飛び、道路表札は物凄い勢いで回転している。眠っていた鳥たちは羽を広げる隙もなく吹き飛び、車はくるくると空を舞いビルへと突き刺さる。
雷神さんが立つ地面がボコリとへこんだ。我ながらなんと言う高圧力。雷神さんは涎を垂れ流して白目を剥きながら耐えていた。顔のそこら中から血管が浮かび上がり、鼻血も出ている。その顔はもはや修羅そのもの。どんな厚化粧でも誤魔化せない。
風球は雷神さんの手の中で威力を落とし、やがて回転する速度を緩めたかと思うと灰が空気に溶け込むように雲散霧消した。轟音から一転、街に再び静寂が舞い戻る。
既に雅ちゃん達を乗せたタクシーは姿を消していた。どうやら大分距離があったために被害を食らわなかったらしい。
その代わり、全ての傷を受けたものが一人。
「吾郎ちゃん!」
膝をついた雷神さんに駆け寄ると、彼は地面に手をついたまま「ハハハ」と乾いた笑い声をもらした。私はそんな彼の肩を抱く。
「情けないわね。こんな醜態」
「どうして、どうしてなのよ! 五郎ちゃん!」
「親友(とも)の過ちを正すのが、真の友情でしょう?」
「馬鹿……!」
私は雷神さんを強く抱きしめた。視界が滲む。
満身創痍の雷神さんを引きずって私はその場から離れ、たまたま見つけた小さな公園へと足を踏み入れた。あのままあそこに居たら騒動になっていただろう。
「ここまで来たら、もう安心よね……」私は雷神さんを近くのベンチに座らせ、その隣に座り込んだ。必然的に寄り添う形になる。
「ちょっと休みましょう」
「そうね……」
一体何時間そこで佇んでいただろう。その間、私と雷神さんは静かにこれまでの思い出話をした。出会いから、これまで。
一揆に巻き込まれた事、幕府のお触れに逆らった事、天下統一、大政奉還、二・二六事件、太平洋戦争、第二次世界大戦、戦後復興、バブル経済、リーマンショック。
「本当に、私たちずっと一緒に行動してきたね」
「楓にはいつもヒヤヒヤさせられたわ」
「吾郎ちゃんだって、急に同性愛に目覚めたりなんかして……」
「だから……その名前で呼ぶな……て……」
「吾郎ちゃん?」
私は雷神さんを見る。彼は今にも生気を失いそうな顔をしていた。もう長くない。そんな予感と不安が私を襲う。
「ちょっと、大丈夫?」
「ヤバイかも」
「死んだり、しないよね?」私は雷神さんの手を取った。
「あんたを置いていくわけないでしょ」手がどんどん冷たくなる。死の温度に近づいていく。「ねぇ、楓」
「何?」
「私たち、いい友達だったわよね」
「相棒よ。最高の親友」
「ふふ、うれし……い……」
ガクリと、雷神さんの全身から力が抜けた。
「吾郎ちゃん? 嘘でしょ? ねぇ、吾郎ちゃん」
悪い冗談かと思って私は幾度か彼の名前を呼んだ。だが、返事はない。あるのは冷たい手の感触と、美しく気高い神の亡骸が一つ。
静かな公園で、私は人知れず涙を流した。鼻水も。ぐしゃぐしゃだ。
五百年も時を共にした仲間が逝った。その悲しみを感情だけで表しきるのは不可能だった。
「やだよ、やだよぉ、吾郎ちゃん……」
気がつけば空は明るくなり始めており、新聞配達をするバイクの音が耳に入る。
その時どこかで聞き覚えのあるメロディが流れてきた。
確かこれはジュディ&マリーの『Over Drive』だ。
「一体どこから……」
するとさっきまで微塵も動かなかった雷神さんの腕が突如として動き、ポケットからなにやら取り出す。驚愕している私をよそに、彼はそこから携帯電話を取り出した。
「もしもし、雷吾郎です」
そして雷神さんは目をカッと見開く。
「あ、弁天? やだぁ! 久しぶり!」
彼は嬉しそうに声を挙げると寄り添っている私を思い切り突き飛ばした。地面に頭を打って身もだえする私を放って雷神さんは通話を続ける。相手は弁天か。私たちの共通の飲み友達である。
「どうしたの、急に。しかもこんな朝早く。え? うん、うん。マジで? やだぁ、絶対いく! えっ? 楓? 楓もつれてくわよぉ。あったりまえじゃない」
うん、うん、それじゃあ当日ね。そんな短い会話で電話を切ると雷神さんは立ち上がったぐっと伸びをした。
「うぁーあ、良い朝だわね」
彼は私に視線を向け、酷く驚いた顔をした。
「どうしたの楓? そんなところでうずくまって」
「おぃい! おいお前!」
「な、何よ」
「ベタすぎるわ! ベタすぎるわこの糞が! ホンマに殺すぞこんボケが!」
「やだぁ、合コン失敗したからってキレすぎでしょ……。これだからお局様は」
「人としてキレとんじゃ! わいが死ぬ時でもおどれの命(タマ)だけは獲ったるわおらぁ!」
すると顔面鼻血まみれの雷神さんはフフフと笑って私の頬をつんと突いた。
「そんな失恋モードでへこんでるあなたに大ニュース。なんと旧友弁天さんに現役大学生の知り合いが出来たらしくって、今度その子達のサークルに行って一緒に飲むんだって」
「だからなんだってんのよ」
「鈍いわねぇ」雷神さんはチッチと舌を鳴らす。「弁天がね、一人じゃ不安だから一緒に行かないかって。来るでしょ? もちろん」
「あぁ?」
私は雷神さんの胸倉をつかむと思い切りガンを飛ばした。奴のおでこに私のおでこをぶつける。
私はドスの効いた声で言った。
「当たり前じゃないのよ。こちとら十年間休んでもお釣り来るくらい有給貯めてんのよ」
「決まりぃ! そうと決まったらさっそく飲みなおすわよ!」
「どこで」
「私の店に決まってるじゃない! さぁ行きましょ! はしーるー、くもーのー、かげーをー、とびーこーえーるわー」
雷神さんはOver Driveを歌い走り出す。
「待たんかいおらぁ!」
私は近くに偶然落ちていた鉄パイプを拾うとその背中を追いかけた。
空には朝陽が昇り、空気は悠然と輝いていた。走り出す道は明るく照らし出され、どこまでも続くように思える。
私に彼氏は出来なかった。
でも、まだまだこの世には楽しい事が山ほど眠っているのだ。
その楽しさを知り尽くすまで、のんびり伴侶を見つけるのも悪くないかもしれない。
朝一のビールを求めて、目の前のオカマを亡き者にする為、私たちはそれぞれ年甲斐もなく走った。
──了
私は道路の真ん中で、赤毛のツインテールロリと一緒に歩を進めていた。既に終電はない。
何故私はこのカマと一緒にいるのだ? こんなはずではなかった。
「どこへ向かっているの、私たちは」
恐ろしく人気のない大通りを私たちは歩く。空はまだ暗く、夜明けは遠そうだ。
「うちの店よ。近場で泊まれるとこって言ったらそこしかないでしょが」
「まだ結構距離あるんじゃないの」
「あと三十分はかかる」
私はタクシーの姿を探した。しかし先ほどから一台も車が通る気配はない。
「どうしてこうなったの」
「私に聞いても知らないわよ」
「経験者なんでしょ、それくらい知ってなさいよ」
「経験者でもわかる事とわからない事があるのよ」
私たちは二人、はぁと大きく溜息をついた。
事件は合コン開始一時間半後に起きた。
雷神さんが秋元・竹松コンビと戯れ、私がビールを煽りながらその光景を眺めている時の事だ。
「あれ、そういえば三城君と篠崎さんは?」
ふと秋元がそう発言して空気が一転した。見ると確かにどこにも姿がない。不安に思って携帯を開くと、私の携帯電話に一通メールが届いていた。
『風巻さんごめんなさい! 先においとましますねぇ☆』
「あ、あぁ……おごごご」
私が口を開いて涎を垂れ流しながら全身を白目でブルブルと痙攣させると、不審に思ったのか雷神さんが顔を近づけてきた。
「ど、どうしたの楓? 吐きそうなの?」
「ももも、ももも」
「も?」
「……かれた」
「へっ?」
「もって行かれた……!」
刹那、事の次第を悟った雷神さんの目が死ぬ。
「同等の対価……」
失ったものは大きかった。今回最大の獲物。
三城君……。
雅ちゃんは最大の当たりをそつなくゲットして煙のように消えたのだ。これが女子力、本物の、ぴっちぴちの女子の力。
「三城君は真面目な男だと信じていた僕が馬鹿でした」
事情を話すと秋元は嘆いた。落ち込む彼の隣に極さりげなく座る私。
「仕方ないわ。相手は底知れぬ女子力溢れるギャル。その色香に誘われてしまったら」
「きっとワンピースの胸元を見せたんでしょうな」
「Dはあるからね、あの子」
「D……ロケットおっぱいか、くそう、あの時触っておけば、くそう」やたらと顔をしかめる秋元。Dカップに何か嫌な思い出でもあるのかこの男は。しかしこれはチャンスだ。アタックチャアンス。
「秋元君、ここに、Fがあるわ」
「F?」
秋元のつぶらな瞳に、Tシャツをピンと張った私のおっぱいが映し出される。
「右も、左も、Fよ。FF」
「ファイナル、ファンタジー……」
そんな馬鹿な掛け合いをしていると不意に奥の方からガタガタと足音が聞こえてきた。何事かと秋元と顔を合わせる。そう言えばいつの間にか竹松と雷神さんの姿が消えていた。
「二人は?」
「さっき竹松がトイレに行きまして、雷影さんがその介抱にいくとか言ってましたが」
するとトイレから物凄い勢いで竹松が姿を現した。ベルトが半分外れており、ズボンもチャックが開いたままである。それまで一言も喋らなかっただけにその大きな表情変化は目立った。
「竹松、どうしたのさ」
竹松は秋元の問いに答えるよりも早く彼の腕を掴むと、物凄い勢いで引っ張って店から出て行った。相当焦っていたのか、何もかもが置いてけぼり状態。その場に私だけがポツンと取り残される。飲みかけのビールに、喰いさしの食べ物、溶けたアイス、乾いたお絞り、欲情。
一体何が起こったのか当惑していると「参ったわぁ」と呑気な声を出して個室から雷神さんが姿を表した。
「何があったの?」私は思わず尋ねる。
「キスまでは行ったんだけどね、そこで興奮した息子様がホットパンツからはみ出ちゃって、ばれたのよ」
「ああ、そう……」
店の会計は私が支払った。
「吾郎ちゃん、何であんなところで欲情したのよ」
「一組成立したらそのビックウェーブに乗るしかないっしょ」
考えは一緒と言う事か。私は肩を落とした。
「せっかく秋元君といい感じだったのに……」
「ドンマイドンマイ、次につなげましょ」
「殺すわよこの糞カマ」
飄々とした様子が一層腹立たしい。
私が雷神さんを睨みつけていると、背後から車がやってくる気配がして慌てて道の端へと退避した。やってきた車はよく見るとタクシーだった。これはありがたい。私は思い切り手を上げた。
しかしタクシーが止まる事はなかった。無常にも私たちの横を通り過ぎていく。
「誰か乗ってたみたいね」
「えっ、本当に?」
雷神さんの呟きに、私は目を凝らす。確かに後部座席には人の姿があった。どこかで見たようなシルエットだ。
そこで気付く。
「雅ちゃん……」
「えっ? 雅? 本当に?」
よく見ると隣には男性も乗っている。そう、三城君だ。
ラブホテルにて、一夜の関係をこれから築こうとでも言うのか。そうだよね、一次会を途中でブチって、二人で飲みなおしてたら丁度いい時間だもんね。
「そんな上手い話をただ掴ませるものですか……」
私は道路のど真ん中に立ち、遠くに行くタクシーを睨んだ。
途端、周囲の風が完全に止み、街が静止したように沈黙が満ちる。雲が止まり、大気の流れは霧消する。落ちる葉はそのままストンと地面に向かう。
そこに存在するだけで鳥肌の立つような静寂が街を襲った。
「か、楓?」異変に気付いたのか、雷神さんがうろたえた声をだす。
「下がってて五郎ちゃん。私は、私はあの後輩を内臓からばらばらにしないと気がすまない」
私が手を構えると地響きがなるようなすさまじい空間の揺らぎが発生し、竜巻に似た内側へ向かう大気の流れが起こった。私の右腕に風が集まっているのだ。それはやがて目に見える形で手の平大の球体状へと化し、その勢いを潰すことなく物凄い風の渦が巻き起こる。
「やだぁ! ちょっとそれ螺旋丸じゃない! パクリは良くないわよ!」
「うるさいわね」
私が睨みつけると雷神さんは言葉と共に生唾を飲み込む。その様子に私は頷いた。
「ご先祖様が元(げん)と日本との戦いで使った事があってね。船壊すわ海荒れるわで神風とか言われたらしいわ」
「それ、あの車に放ったらどうなるの?」
「木っ端微塵。車内にいる人間は筆舌で語るには忍びない肉塊へと変貌する。半径数百メートルに及んで血の雨が降り、内臓や脳みそ、目玉は粉砕しそこら中の壁や窓に張り付く。粉末状になった骨は当然大気中を漂い肺から人々の体へ入り込むでしょうよ」
「ちょっとぉ! 筆舌で結構詳細に語っちゃってるわよう! 大体私たち神なのよ? 神が人殺してどうすんのよ!」
「神と言う理由だけで私がやつを消さない理由にはなりえん」
大体昔からいけ好かん娘だった。語尾にいちいち小さく母音を残す様や、さりげなく自慢する様子や、ちょっと人を馬鹿にしくさったその態度とかな。それでも可愛い後輩と大目に見てやったが、この私を出し抜こうとしたのが末路への架け橋となった事をここで思い知らさなければ。
私が手の平の風を飛ばそうと構えると、進行方向上に雷神さんが立ちはだかった。
「吾郎ちゃん、何を」
「雷神として、あんたの親友として、どくわけにはいかない」
「キャラ崩れてるわよ」
「たまには男に戻るさ」
顔つきがいつものか弱いものとは違う。体中から雄のオーラを放っている。
「吾郎ちゃん、お願い。私はあなたを殺したくない」
「お前に俺が殺せると思ったか? 仮にも俺は『雷神』だぜ?」
雷神さんは右手に物凄い量の電気を集める。彼の手の平がバチバチと音を立て手の平を電流が覆う。
まさかその技は。
「千鳥……」
「似たもの同士だからな。今更驚く事でもねぇだろ?」
どうやら同じ漫画から着想を得て開発したらしい。私は「まぁね」と肩をすくめた。
風球を構える。雷神さんが対峙する。二人の技が放つ空気圧に、アスファルトが割れた。
「もう一度聞く。楓──風神、やめる気はねぇんだな?」
「くどいわよ、吾郎ちゃん。いや、雷神」
すると覚悟を決めたのか、雷神さんも右手を構えふっと笑みを漏らした。
「受けてやる。来いよ、何処までもクレバーに抱きしめてやる」
「メンズナックル……!」
私は正面を睨み据える。その視点の先は雷神さんを突き抜け、雅ちゃんの乗る車、ただ一つ。
「きええええええええええ!」
「おおおおおおおおおおお!」
私たちはほぼ同時に一歩踏み出した。
私の手から風球が離れ、物凄い轟音を出して雷神さんへと迫る。技を放った威力が強すぎて私は十メートルほど後ろへ吹き飛んだ。転がりそうになるのを何とか足で踏ん張り、体制を立てる。スニーカーでよかった。
放たれた風球は物凄い速度で雷神さんの右手にぶつかる。瞬間、包み込まれた大量の風が暴発し、あたり一面を揺らした。木々は倒れそうなほどに風に揺られ、看板は吹き飛び、道路表札は物凄い勢いで回転している。眠っていた鳥たちは羽を広げる隙もなく吹き飛び、車はくるくると空を舞いビルへと突き刺さる。
雷神さんが立つ地面がボコリとへこんだ。我ながらなんと言う高圧力。雷神さんは涎を垂れ流して白目を剥きながら耐えていた。顔のそこら中から血管が浮かび上がり、鼻血も出ている。その顔はもはや修羅そのもの。どんな厚化粧でも誤魔化せない。
風球は雷神さんの手の中で威力を落とし、やがて回転する速度を緩めたかと思うと灰が空気に溶け込むように雲散霧消した。轟音から一転、街に再び静寂が舞い戻る。
既に雅ちゃん達を乗せたタクシーは姿を消していた。どうやら大分距離があったために被害を食らわなかったらしい。
その代わり、全ての傷を受けたものが一人。
「吾郎ちゃん!」
膝をついた雷神さんに駆け寄ると、彼は地面に手をついたまま「ハハハ」と乾いた笑い声をもらした。私はそんな彼の肩を抱く。
「情けないわね。こんな醜態」
「どうして、どうしてなのよ! 五郎ちゃん!」
「親友(とも)の過ちを正すのが、真の友情でしょう?」
「馬鹿……!」
私は雷神さんを強く抱きしめた。視界が滲む。
満身創痍の雷神さんを引きずって私はその場から離れ、たまたま見つけた小さな公園へと足を踏み入れた。あのままあそこに居たら騒動になっていただろう。
「ここまで来たら、もう安心よね……」私は雷神さんを近くのベンチに座らせ、その隣に座り込んだ。必然的に寄り添う形になる。
「ちょっと休みましょう」
「そうね……」
一体何時間そこで佇んでいただろう。その間、私と雷神さんは静かにこれまでの思い出話をした。出会いから、これまで。
一揆に巻き込まれた事、幕府のお触れに逆らった事、天下統一、大政奉還、二・二六事件、太平洋戦争、第二次世界大戦、戦後復興、バブル経済、リーマンショック。
「本当に、私たちずっと一緒に行動してきたね」
「楓にはいつもヒヤヒヤさせられたわ」
「吾郎ちゃんだって、急に同性愛に目覚めたりなんかして……」
「だから……その名前で呼ぶな……て……」
「吾郎ちゃん?」
私は雷神さんを見る。彼は今にも生気を失いそうな顔をしていた。もう長くない。そんな予感と不安が私を襲う。
「ちょっと、大丈夫?」
「ヤバイかも」
「死んだり、しないよね?」私は雷神さんの手を取った。
「あんたを置いていくわけないでしょ」手がどんどん冷たくなる。死の温度に近づいていく。「ねぇ、楓」
「何?」
「私たち、いい友達だったわよね」
「相棒よ。最高の親友」
「ふふ、うれし……い……」
ガクリと、雷神さんの全身から力が抜けた。
「吾郎ちゃん? 嘘でしょ? ねぇ、吾郎ちゃん」
悪い冗談かと思って私は幾度か彼の名前を呼んだ。だが、返事はない。あるのは冷たい手の感触と、美しく気高い神の亡骸が一つ。
静かな公園で、私は人知れず涙を流した。鼻水も。ぐしゃぐしゃだ。
五百年も時を共にした仲間が逝った。その悲しみを感情だけで表しきるのは不可能だった。
「やだよ、やだよぉ、吾郎ちゃん……」
気がつけば空は明るくなり始めており、新聞配達をするバイクの音が耳に入る。
その時どこかで聞き覚えのあるメロディが流れてきた。
確かこれはジュディ&マリーの『Over Drive』だ。
「一体どこから……」
するとさっきまで微塵も動かなかった雷神さんの腕が突如として動き、ポケットからなにやら取り出す。驚愕している私をよそに、彼はそこから携帯電話を取り出した。
「もしもし、雷吾郎です」
そして雷神さんは目をカッと見開く。
「あ、弁天? やだぁ! 久しぶり!」
彼は嬉しそうに声を挙げると寄り添っている私を思い切り突き飛ばした。地面に頭を打って身もだえする私を放って雷神さんは通話を続ける。相手は弁天か。私たちの共通の飲み友達である。
「どうしたの、急に。しかもこんな朝早く。え? うん、うん。マジで? やだぁ、絶対いく! えっ? 楓? 楓もつれてくわよぉ。あったりまえじゃない」
うん、うん、それじゃあ当日ね。そんな短い会話で電話を切ると雷神さんは立ち上がったぐっと伸びをした。
「うぁーあ、良い朝だわね」
彼は私に視線を向け、酷く驚いた顔をした。
「どうしたの楓? そんなところでうずくまって」
「おぃい! おいお前!」
「な、何よ」
「ベタすぎるわ! ベタすぎるわこの糞が! ホンマに殺すぞこんボケが!」
「やだぁ、合コン失敗したからってキレすぎでしょ……。これだからお局様は」
「人としてキレとんじゃ! わいが死ぬ時でもおどれの命(タマ)だけは獲ったるわおらぁ!」
すると顔面鼻血まみれの雷神さんはフフフと笑って私の頬をつんと突いた。
「そんな失恋モードでへこんでるあなたに大ニュース。なんと旧友弁天さんに現役大学生の知り合いが出来たらしくって、今度その子達のサークルに行って一緒に飲むんだって」
「だからなんだってんのよ」
「鈍いわねぇ」雷神さんはチッチと舌を鳴らす。「弁天がね、一人じゃ不安だから一緒に行かないかって。来るでしょ? もちろん」
「あぁ?」
私は雷神さんの胸倉をつかむと思い切りガンを飛ばした。奴のおでこに私のおでこをぶつける。
私はドスの効いた声で言った。
「当たり前じゃないのよ。こちとら十年間休んでもお釣り来るくらい有給貯めてんのよ」
「決まりぃ! そうと決まったらさっそく飲みなおすわよ!」
「どこで」
「私の店に決まってるじゃない! さぁ行きましょ! はしーるー、くもーのー、かげーをー、とびーこーえーるわー」
雷神さんはOver Driveを歌い走り出す。
「待たんかいおらぁ!」
私は近くに偶然落ちていた鉄パイプを拾うとその背中を追いかけた。
空には朝陽が昇り、空気は悠然と輝いていた。走り出す道は明るく照らし出され、どこまでも続くように思える。
私に彼氏は出来なかった。
でも、まだまだこの世には楽しい事が山ほど眠っているのだ。
その楽しさを知り尽くすまで、のんびり伴侶を見つけるのも悪くないかもしれない。
朝一のビールを求めて、目の前のオカマを亡き者にする為、私たちはそれぞれ年甲斐もなく走った。
──了