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私の世界:2

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今日は私にとってとても驚いた日であった。

いつもと同じ朝。
窓の隙間から微かに香る朝の匂いを感じて、私は目を開けた。
「おはよう」
返事を期待してないのだが、あたりまえ、なので私は彼女に向かって挨拶をした。
いつの間にか布団に包まって丸くなっていた彼女が、もぞ、とその仕草で部屋の隅からその挨拶に答えた。
言葉を交わすことがないのだが、稀に、彼女は私に動作で意思を伝えてくれることがある。
どうやら、今日は彼女の調子が良いみたいだ。
少し幸せな気持ちになり、
今日は外に出てみないかい、
そう誘おうとしたが、喉元でその言葉を飲み込み、
「今日も一日晴れそうだね」
そう言って、私は髪を掻き揚げた。

洗面所で顔を洗い、歯を磨き終えると、部屋に戻り、朝食をとることにした。
部屋の外には、パンが二枚、目玉焼き、サラダ、湯気を漂わせるコーヒーと紙切れが一枚、お盆にのせられて置いてあった。
紙切れには、
パートに行ってきます、母より。
と書かれているに違いない。
今日は母親がパートの日だったと思う。
そうなると、昼食は外で済ませないといけなくなるから、少しだけ億劫な気持ちになる。
作る、という選択肢がないわけではないのだが、家で作るとなると、必然的に彼女の分も面倒を見ないといけなくなるので、なんというか、面倒くさいし気が進まない。
彼女に対して、愛情や友情や様々な感情がありはする、あのことに関して、彼女の力にもなりたいと思ってもいる。
だが、私は基本的に面倒くさがりで気分屋なのだ、理解してほしい。
気が向いたら作るよ。
誰に言うわけでもないが、心の中でそう弁解した。

「いってきます」
今日は母親がいないので、彼女に向かって、私は外出の意を示した。
「いってらっしゃい」
耳を疑った。
今しがた起こった事実が飲み込めなくて、私は、部屋のドアノブから手を離せないでいた。
後ろを恐る恐る振り返ると、部屋の隅で丸まっていた彼女は完全に顔を伏せており、その表情をうかがい知る事はできず、寝ているのか起きているのかすら判断できなかった。
寝言なのかもしれない。
これまでに動作で反応してくれることはあったが、明確な返事、いや、声すらも初めて聞いた。
そうか、やはり、彼女は彼女だったのだな、と、まったく別のことを考え付く。
寝言でもいい、それでもいいんだ。
幸せな気持ちに、胸の奥からこみ上げてくる何かがあったが、
「うん、いってくるよ」
少し大きめの声で返事をすると、私は外に出た。

外の世界は、見違えるようだった。
空は雲ひとつない晴天の青空で、
老夫婦が、綺麗な透き通った水色の川を眺めながら静かに散歩をしていたし、
いつも釣りをしているおじさんは、川を眺めながらタバコをふかしていたし、
川を泳ぐ魚は、気持ちよさそうに水中を泳ぎ、
空を飛ぶ名前もわからない鳥は、その羽を大きく広げ、空を自由に飛んでいた。
「おはようございます、今日もいい天気ですね」
私は道行く老夫婦に声を掛けた。
老夫婦の二人は返事こそしないものの、静かに、私に微笑んでくれた。
ああ、なんと美しい。
私はそう叫びたい気持ちを一生懸命に抑え、まるで踊りを踊るかのような足取りで、川原を歩いた。

川を眺めながら、ランニングコースなのだろうか綺麗に舗装された道のかたわらにあるベンチに、私は腰掛けていた。
川からくる風をからだいっぱいにうけとめ、私はいつか聞いたような気がする歌を口ずさんでいた。
平日の昼下がり、人足はまばらで、川原にはまるで私しかいないような、そんな気分であった。
下手をすれば、このままうたた寝してしまいそうだったが、
お腹の虫がそろそろお昼、ということを音とともに知らせてくれた。
誰かに聞かれてはいなかっただろうか、そう思うと同時に、私は顔をわずかに赤らめ、その場を後にすることにした。

すっかり日も暮れ、夕焼けの満ちた世界に夜の帳が下ろされようとしたとき、私は家に着いた。
キッチンの方から、包丁の音が一定のリズムで聞こえてきたので、母親が帰宅していることを確認した私は、
今日の晩御飯は何かな、
と考えながら、玄関の扉を開けた。

部屋の外に空の食器を出すと、私は今日の出来事を彼女に話した。
「今日はとても気持ちの良い一日だったよ」
少し興奮気味に、私は、じっと見つめて丸くなっている彼女にそう伝えた。
「空はとても青かったし、風はとても気持ちが良かった、どうだい、これなら、」
その続きを言おうとしたとき、
私の視界に、薄い文庫本の小説が一冊、私にめがけて飛んできた。
そんなこと想定もしていなかったので、私は面をくらい、目を瞑った。
その本は部屋の壁に、あまりうるさくはないが音を立てると、床に落ちた。
「危ないじゃないか、どうしたんだい」
内心は、彼女の行為に驚いて、心臓の音が口から漏れそうだったのだが、私はそう彼女に問うた。
わずかな沈黙、
部屋を漂う空気はどこか淀んでいて、彼女の気持ちが伝わってくるようだった。
部屋の外から、誰かの気配を感じ、私は更に続けようとした質問の口を止め、
「どうしたの、何かあったの」
母親の声が、ドア越しに聞こえたが、
「いや、なんでもないよ、少し読んでいる本を落としてしまっただけだよ」
そう伝えると、気配はしばらくして去っていった。
「まったく、ヒヤヒヤしたよ」
そういうと、私は布団を引き寄せ、
「明日も、いい天気だといいね、おやすみなさい」
そう伝え、眠りにつくことにした。

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