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第十九章 生成された秋(とき)

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 毎日のように、会議は開かれた。しかし、一向に進展は無い。二つの主張が、単にぶつかり合うだけなのだ。抗戦か降伏か。メッサーナに対して、国はどの道を選択するべきかという議論を、もうすでに嫌という程に繰り返している。
 宰相のウィンセが殺された。殺したのは、メッサーナの黒豹という特殊部隊だったという。国が擁する闇の軍とは敵対関係にあり、何度も暗闘を繰り返している、という話は私も聞いた事があった。ウィンセが殺された時も暗闘はあったようで、この時の戦いで闇の軍の隊長は討たれている。
 宰相が死んだ事で、国の内政状態は混乱の極みに達していた。まず、第一に後任が居ない。ウィンセは若い宰相であり、在任期間も極端に短かった。だから、後任を育てる、という事はしていなかったのだ。有能な政治家は居るには居るが、現状を治めきるのは至難だろう。いや、これから、と言う方が正しいのか。
 メッサーナが降伏勧告を出してきたのである。まだ、両国の間で休戦協定は結ばれている。だが、この勧告でメッサーナは協定を一方的に破ろうとしている事は明白だった。というより、休戦協定を結んでいるが故の勧告なのだろう。協定が無ければ、ウィンセが死んだと同時に軍を動かしてもおかしくはない。
 そういう状況下で、降伏論は湧いて出た。当たり前だが、降伏論を支持しているのは文官達である。そして、反対しているのは武官達だ。それぞれにまとめ役は居るが、議論が終息する事は無かった。どちらも主張を曲げず、どちらも決め手を欠いているからだ。
「レキサス将軍のお考えを伺いたい」
 文官のまとめ役が、私にそう言った。議論が膠着すると、私に振ってくる。地方軍をまとめる軍団長という立場だが、会議の間では中立を守っていた。
「降伏という選択肢は持っているべきです。しかし、その選択をするのは、勝ち目が無くなってからで良いのでは、と思いますが」
「では、将軍は抗戦派という事ですか?」
「そうとは言っていません。エルマン殿の意見を汲んで、私は発言しているだけですよ」
 武官のまとめ役はエルマンだった。大将軍の後任という事で、さすがに権力という意味で力は持っている。
 エルマンは抗戦を強硬に主張していた。降伏するつもりなど、微塵もないという態度を貫き通している。
「今更、ハルトレインなど」
 文官の一人が鼻で笑うように言った。それを機に、文官側の方々で失笑が起きている。
「本気ですか、エルマン殿? ハルトレインなどという若造に、国の全てを託すと?」
「私は何度もそう言っている」
 エルマンは本気でハルトレインに賭けていた。確かにハルトレインは、サウスですら成し遂げられなかった南の平定を、僅か二年弱で成した。報告によると、戦の手腕も見事なものだったという。南での戦は犠牲の多さが付き物だが、その犠牲もほとんど出していない。そればかりか、南の兵は弱兵ばかりと言われていたのが、今では地方軍最強とも噂されているのだ。つまり、調練でも力を発揮した。しかも、ハルトレイン自身にも、その勇猛ぶりから、竜巻というあだ名まで付けられている。
 エルマンは、そんなハルトレインを大将軍に据えたがっていた。一応、ハルトレインは私の部下という事になっているが、あの男がその枠内に収まりきらないという事は、よく分かっていた。
 だが、そのハルトレインが中々、帰ってこない。凱旋する、という報告はあがっているのだが、いかにも帰りが遅いのだ。
「エルマン殿、戦をすれば民が苦しみます。そこは承知して頂けているのですか?」
「無論だ。だが、それで降伏が最善だと言えるのか? 国の歴史はどうする? フランツ殿やレオンハルト大将軍の遺志は? そして、幼き王は? お前達、文官は自らの身の安全しか考えていない」
「何たる暴言を。ハルトレインが帰ってきた所で、勝てる訳が無い、と私は言っているのですよ」
「貴様こそ、暴言を吐いているぞ。ハルトレインはレオンハルト大将軍の血を引いている」
「それが何だと言うのです? 血で戦に勝てますか」
「軍は鍛え続けてきた。腐った政治の中で、軍だけは鍛え続けたのだ。これはメッサーナの精鋭に負けず劣らず。その軍を扱うだけの資格を、ハルトレインは有している」
「果たして、本当にそう言えるのですか? レオンハルト大将軍の偉大なるご子息は、荒淫に耽っているという話ですが?」
 文官が薄ら笑いを浮かべた。これは噂に過ぎないことだが、私の耳にも入っている。南で捕らえた女を相手に、陵辱を加えているという話だった。それで凱旋が遅れているとも言われているのだ。
「何が言いたい?」
「腑抜けになっているのではないですか? ましてや、この国の一大事に荒淫ですぞ。そんな男に命運を託すなど」
 文官の言う事は、もっともな事ではあった。しかし、まだハルトレインは帰ってきていないのだ。だから、この時点ですぐに結論は出せない。特にハルトレインは、敵を作りやすい性格だった。今はその性格も覆っているが、過去のイメージはどうしても拭い切れないものだ。だから、荒淫がどうのという話は、幾分か誇大化されていると考えた方が良いだろう。つまり、完全には信用できない。
 抗戦か降伏かは、ハルトレインが握っている。エルマンをはじめとする武官は、ハルトレインが居れば勝てる、と見込んでいるのだ。しかし、文官はそうではない。だから、戦をするだけ無駄だ、と考えている節もある。あとは保身だろう。抗戦すれば、敗戦後にどうしても立場は悪くなる。
 私は中立だと会議の場では示しているが、その内心は抗戦派だった。文官達の言い分は、あまりにも王や国をないがしろにし過ぎている。上手く言葉で繕ってはいるが、結局は戦う事が怖いのだ。いや、正確には敗れた後が怖いのだろう。政治うんぬんについても、言う事は消極的だった。
 天下統一が成されれば、政治は何とかなる。今、国が混乱しているのは、メッサーナが降伏勧告を出してきたからだ。そして、その先に間違いなく天下を見据えている。
 無論、私とて無駄な戦などやるべきではない、と考えている。無駄、つまりは勝ち目がない戦だ。そんな戦をするぐらいなら、無理に抗戦するよりも、少しでも有利な条件をもって降伏した方が良い。
 だが、それを決めるには、まだ早いのだ。エルマンが言うように、まだハルトレインが居る。ハルトレインなら、という想いは私にも確実にあるのだ。だが、文官達が言うように、腑抜けになっていれば、話は変わってくるだろう。
「私は信じている」
 エルマンは、短くそう言った。それに対して、文官は鼻で笑うだけだった。
 私も信じている。表情には出さず、心の中でそう言った。
 凱旋早々、会議の場に呼ばれた。議題は対メッサーナについてであり、武官と文官で対立が起きていた。
 武官は抗戦を、文官は降伏を主張しているのだ。その中で唯一、レキサスだけは中立を守っている。内心までは読めないが、今回の会議でそれは明らかとなるだろう。
 状況は飲み込んでいるつもりだった。南に居ても、情報の収集はきっちりと行っていたのだ。宰相のウィンセが殺され、メッサーナが降伏勧告を出してきた。そのメッサーナでは軍の再編が行われ、将校達も顔ぶれを変えている。いずれも若く、力がある将校だという。さらには、スズメバチ隊の亜種のような部隊も新設されたらしい。
 そんなメッサーナに恐れをなしているのが、文官達だった。戦いもせずに、何を言っているのか。凱旋の道中、私はずっとそう思っていた。エルマンとは書簡のやり取りをしていて、私が帰ってくるまで、何とか議論は膠着させておく、という事をエルマンは繰り返し言ってきた。私もその真意は、汲み取っているつもりだ。
「ハルトレイン殿にお尋ねしたいが」
 文官のまとめ役が口を開いた。目には侮蔑の色が見える。その理由は、何となく予想がついた。
「何故、これ程までに凱旋が遅れたのです? 南はとうに平定されていたはずでは?」
「南の地には色々と問題がありましてね。異民族の牙を折るのに、苦労していたのですよ」
「これはこれは。陵辱で牙を折られましたか」
 やはり。私はそう思った。どこから漏れた噂かは知らないが、そういう話が出回っているというのは、掴んでいた事だった。
 エルマンが僅かに緊張を浮かべた表情をしている。
「確かに私は南の女を犯しました。それは事実ですから、否定はしませんよ。しかし、それで凱旋が遅れた訳ではありません」
 私がそう言うと、文官の一人が鼻で笑った。
「他にどんな理由があると言うのです?」
「むしろ、どうしたらそんな理由で凱旋が遅れると判断できるのかをお尋ねしたい」
「女の味を知った途端、その欲に溺れるというのは、よくある話ですからね」
「残念ながら、私はそれに当てはまらなかった。私の凱旋が遅れたのは、戦後処理のためです。異民族には、私達の政治を理解して貰わなければならなかった。いや、それよりも前に、戦に負けたのだ、という事を分かって貰う必要があった」
 エルマンが目を閉じ、大きく頷いた。腕を組み、口元は緩んでいる。
「異民族との戦いは、力で抑え付けるだけでは意味を成しません。最初に力で制し、その後で理をもって臨む。この二段構えでなければ、また南は荒れる事になります。力だけでは、反感を生みます。反感は怒りに変わり、怒りは反乱に繋がる。このような事、文官の諸兄ならば、容易に想像がつくはず」
 文官のまとめ役が目を見開いた。焦りの色。それを私は見逃さなかった。
「ハーマンを討つ所までは早かった。幸いな事に、戦の手腕は私の方が上手(うわて)だったからです。しかし、その後は武力による戦ではなく、理での戦だった。異民族の族長、代表者達と毎日のように話し合い、互いに納得できる道を探し続けた。そして、それがようやく成った。だからこそ、私は凱旋したのです」
 それで文官側は、返す言葉を失ったようだった。
「私はこのような幼稚な話をするために、この場に出席したのではありません。メッサーナに対して、どうするのか。これについて、文官の諸兄に伺いたい。何をもって、降伏を主張されているのですか」
 文官達は互いに顔を見合わせ、それぞれの出方を伺っていた。
 まったくもって、情けない姿だった。こんな者達が、国の内政を担っていたのだ。ウィンセは何をやっていたのか。いや、文官達も一枚岩ではないのかもしれない。抗戦派が混じっている可能性もあるのだ。むしろ、そうであって欲しい。でなければ、メッサーナには勝てないだろう。ここは、全員が一丸となるべき時だ。
「メッサーナ軍は精強の極み。また、その指揮官も非常に優秀であると聞いています。名を挙げればキリがないですが、古参将軍で言えば、クライヴ、クリス、アクト。新参将軍で言えば、シグナスの息子であるレン。その義弟のシオン。そしてシーザーの息子、ニールが居る」
「確かに人材面での不足は否めません。しかし、古参将軍はともかく、新参将軍の面々は実戦経験が皆無に等しい。それに対し、我が陣営は戦を経験している将軍ばかりだ。エルマン殿、レキサス殿をはじめ、ヤーマスやリブロフ、フォーレと頼りになる者達ばかりです」
「バロンが居ますぞ。あの鷹の目は、一代の英傑だ」
「それは確かに脅威と言えます。しかし、先の戦では私が抑えた。バロンはすでに老齢と呼ばれる域に片足を入れており、あとは衰えていくだけのはず。弓矢には注意をせねばなりませんが、戦局を左右する要因とは言えません」
「問題となるのは、むしろ、新参将軍の方だ。実戦経験が無いとは言え、有能であるのは間違いないからな。その筆頭として、隻眼のレン」
 エルマンだった。会議の雰囲気は、抗戦の方に傾き始めている。文官側では、降伏を支持しているだろう者達が、肩をすくめていた。一方で、エルマンに真剣な眼差しをおくっている者達が居る。
 文官側にも、抗戦派が居た。いや、居て当たり前なのだ。国の事を、王の事を考えれば、抗戦しなければならない。それだけの力を、国はまだ持っている。
「天下最強の騎馬隊、スズメバチ隊を擁している。兵数は僅かに一千だが、その実力は十倍から二十倍と言われているのが現状だ。先の戦では、まだ青さも見えていたが、今ではそれなりの成長を遂げているだろう」
「隻眼のレンは私が抑えます、エルマン殿。いや、そうしなければならない」
 宿命。私と隻眼のレンの間には、間違いなくこれがある。
「ちょっと待ってください。このままでは、軍議になりかねない。まず、抗戦か降伏かを決めましょう」
 レキサスだった。
「抗戦するべきでしょう。無抵抗で降伏など、するべきではない」
 文官の一人が、そう言った。それに同調する者が、頷いている。一方で、降伏派は苦い表情をしていた。
「異論がある者は?」
 レキサスが言うと、降伏派がまごつき始めた。それを制すように、抗戦派が立ち上がる。
「文官の事は、私達が自分で片付けます。ハルトレイン殿のお姿を見た今、我が国は一つにならなければならない。今の国に、降伏するべき理由はありません」
「では、メッサーナには降伏勧告を退ける旨を伝達。我が国は抗戦する事とします」
 レキサスが言い、それぞれの面々は大きく頷いた。
「抗戦が決まった今、軍事の代表者を決めなければならない」
 エルマンが立ち上がり、座を見回すようにして言った。同時に私は心を決めた。そして、父の勇ましい顔が頭に浮かんだ。
「ハルトレイン。武神の血を引く貴殿に、大将軍になってもらいたい。私は切にそう思う」
「エルマン殿に同意します。我らはハルトレイン殿の下に集結し、一丸となるべきでしょう」
 レキサスが言って、一同の視線が私に集まった。
「私は父に比べれば、矮小な男です。軍事能力も、人間性も、全てに劣る。しかし、国の事を想う気持ちだけは負けるつもりはない。それで、本当にそれで良いのなら、私に全てを託して欲しい。此度の戦でメッサーナを倒し、天下に覇を唱える。その為に、みなの力をお借りしたい」
 私がそう言うと、一同は立ち上がり、敬礼した。エルマンが眩しい笑顔を作っている。待っていてくれたのだろう。こうなる時を、エルマンは待ち続けていた。
 此度の戦で、国はメッサーナと雌雄を決する。そして、私達は勝つ。
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 軍の動きが慌しかった。出陣前である。国はこちら側の降伏勧告を退け、徹底抗戦する旨を伝えてきたのだ。
 これは分かりきっていた事だった。バロンも、本当に国が降伏すると思って、勧告した訳ではないだろう。むしろ、休戦協定の破棄が目的という面が強い。
 宰相であるウィンセは葬ったが、軍部の人間は誰一人として欠けていない。だから、抗戦を選択するのは当たり前とも言える。ただ、国も一枚岩では無いはずだ。そのため、ウィンセの死を切っ掛けに、内部での混乱が期待できた。事実、内政面では綻びが見え始めているという。しかし、これが戦に関わってくるかどうかは読めない。
 ウィンセはダウドが葬っていた。黒豹の一員として、仕事を成したのだ。しかし、それが世に知られる事はない。黒豹は、あくまで暗部なのだ。歴史に名を刻むことなど、有り得ない。
 ただ、弟が一人死んだ。その事だけは、心に刻み込んだ。強く慕われていた訳ではなかったが、それでも義弟の一人だったのだ。
 シオンは一度だけ、泣いていた。ダウドとは深い繋がりがあったからだ。傍目から見ても、仲の良い兄弟だったと言えるだろう。その日の夜は、二人だけで酒を飲んだ。特に何かを喋るわけでもなく、静かに飲むだけだったが、それ以降、ダウドの事はもう話題にしなかった。お互いに無言でありながら、何かを心で語り合ったという感じだったのだ。
「全軍でコモン関所を抜け、アビス原野で決戦を臨む」
 出陣前の軍議で、バロンが言った。これは降伏勧告前から決まっていた事である。進軍ルートの候補は全部で三つあり、一つはミュルス陥落から都攻めを狙うルート、一つはミュルス地方の水路を使い、中央に出るルート、一つはアビス原野を抜いての都攻めルートである。
 一つ目のルートは、いかにも時間がかかりすぎる。全軍での出陣となると、軍費や兵糧の問題が出てくるし、都からの敵軍に対する備えが薄くなりがちである。二つ目のルートは、メッサーナ軍は水戦の経験がなく、全軍でも精強揃いな騎馬隊が使えない事から論外だった。
 残るは三つ目のルートで、これが最も理にかなったルートである。得意な野戦に持ち込めるし、バロンの弓騎兵隊、ニールの獅子軍、シオンの熊殺し隊、俺のスズメバチ隊と、とにかく騎馬隊が縦横無尽に動き回れるのだ。
 そして、これは個人的な事情に過ぎないが、アビス原野には因縁があった。父であるロアーヌが戦死した場所であり、俺が初陣を飾った場所。また、俺とハルトレインが再会した場所でもあるのだ。
「留守はクライヴとシルベンに任せる」
 バロンがそう言うと、クライヴは無表情で頷いた。シルベンはどことなく不服そうな顔である。留守が嫌な訳ではなく、バロンと行動を共に出来ないのが嫌なのだろう。シルベンはバロンの幼馴染だった。まだ官軍に居た頃も、将軍と副官という間柄で、バロンをよく支えていたのだという。
 しかし、だからこそ留守を任されたのだ。バロンとしては、シルベンは最も信頼できる将軍だろう。援軍や兵糧輸送などの後方支援も、シルベンが担う事になっている。
 一方のクライヴは、老いを理由に自ら留守を志願していた。本当は退役したがっている、という話も聞いた事があるが、真偽は定かではない。
「これより、出陣する将軍と兵力を述べていく」
 そう言ってバロンが立ち上がり、次々に名を挙げていく。
 クリスの戟兵隊、アクトの槍兵隊、ニールの獅子軍。それぞれ、兵力は一万ずつである。
「さらにレンのスズメバチ隊、シオンの熊殺し隊。兵力は一千ずつだ」
 俺とシオンの隊は、互いに調練を重ね合い、かつてのスズメバチ隊と比肩する力を備えた。いや、兵力の事を考えれば、凌駕したと言えるのかもしれない。
 俺一人では、父が率いていたスズメバチ隊を超える事はおろか、並ぶことすら出来なかった。それほど、父のスズメバチ隊は強力だったのだ。しかし、今はシオンが居る。俺一人では無理でも、シオンと二人ならば、父に並べる、超えられる。そして、この力は天下へと続く架け橋となるはずだ。
「そして私の弓騎兵隊が一万。他に弓兵隊が一万。全軍で五万二千の兵力をもって、アビス原野を抜く。官軍を叩き潰す」
 その言葉を聞いて、俺は目を閉じた。数十年前、父も今回のような軍議に出たのか。その時、何を想っていたのか。当時、バロンの役はランスだったはずだ。ニールの父であるシーザーも生きていた。今では、その二人はもう居ない。
「軍師はルイスだ。ヨハンには内政を見ていてもらう。また、コモン関所に予備兵力として、五万を待機」
 それから、敵軍の情報整理が行われた。やはり、総大将はハルトレインであり、大将軍として出陣するのだという。他にもエルマンやレキサス、ヤーマス、リブロフ、フォーレといった者達が名を連ねた。兵力は六万である。
 そして、官軍の軍師はノエルだった。やはり。そう思うしかなかった。国に残ると決めたと聞いた時点で、こうなる事は分かっていた。元々、才気の色を見せていた男である。シーザーを討ったのも、ノエルの策略だったという。
「乱世だからな」
 隣に座るニールの呟きだった。聞こえたのは、俺だけらしい。あえて、ニールの方には目をやらなかった。並々ならぬ殺気を発していたからだ。呟きは静かだったが、心の奥底は燃えている。
 それからしばらくして、軍議は散会となった。出陣は三日後で、早急に準備に取り掛からなくてはならない。すでに官軍も出陣準備をしているだろう。
「シオン、馬体の点検を怠るなよ」
「分かっています、兄上。しかし、ニールのあの様子」
「ノエルだ。親の仇だからな、仕方あるまい。俺もハルトレインを目の前にすれば、嫌でも心は滾(たぎ)る」
「兄上、ハルトレインとのぶつかり合いには、俺も参加させてください」
「総指揮はバロン王だ。参加うんぬんは俺が決める事じゃない。しかし、ハルトレインにぶつかるのは、やはり俺とお前だろう」
「この戦、どうなるのでしょうか。何年も続く戦の予感もしますし、三日としない内に終わる予感もあります」
 シオンは逸っていた。将軍としては、初陣になる。平静を装っているふうではあるが、どこか様子がおかしい。このまま戦に出れば、早死にする。そんな予感が、俺の頭を過ぎった。
「シオン、余計な事を考えるな。今のお前は気負いすぎているぞ」
 俺がそう言うと、シオンは緊張した面持ちとなった。目の光が、どこか弱い。怯えているのか。それとも、何かの迷いがあるのか。
「今日は、ホークと共に過ごします。ホークと語り合えば、この妙な昂ぶりも収まると思いますから」
「あぁ。俺もタイクーンと過ごす」
 ホークとタイクーン。互いの愛馬だった。初代ホークはバロンの愛馬だったが、二代目は性格が負けず嫌いで荒々しく、バロンには合わなかった為に、シオンに譲ったという経緯がある。
 そして、初代タイクーンは父の馬だった。二代目は俺の馬となり、おそらくは天下一の馬だ。少なくとも、メッサーナの中には速さ、力強さ共に並ぶものは居ない。二代目ホークに跨るシオンとも競ったが、負けなかったのだ。
 何より、俺の気持ちをよく読み取った。腿で馬体を絞り上げると、思った通りの動きをしてくれる。こんな馬は、他には居なかった。
 シオンと別れ、俺は厩(うまや)に向かった。
「タイクーン、お前の父もアビス原野で命を散らせたのだったな」
 厩の中は、俺とタイクーンしか居なかった。タイクーンが耳をちょっとだけ動かす。
「雄雄しく戦おう。父の名に恥じぬ戦をしよう」
 お互いに背負うものは大きい。しかし、お前となら。俺は、タイクーンの眼を見ながら、そんな事を思っていた。
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