夕暮れというものはなんとも寂しいものだ。
すっかり姿を隠した陽は山の間から申し訳程度に灯りを洩らし、藍色の空に溶け込むように橙をうっすらと塗り込んでいる。グレーで上塗りされ、周囲の風景もすっかり変った。
活気づいていた公園もすっかり人気をなくし、ぎしりぎしりと鎖を軋ませて揺らすブランコに、何も言わずにそこに佇むアスレチック。錆の浮いた鉄棒。それらがゆっくりと落ちていく陽によって影を落とし、静寂を生んでいた。
公園のベンチに座ると、すぐ傍の自販機で購入した缶コーヒーのプルを引いて、一気に口に流し込む。先ほどまで掌で転がし続けていたせいか冷めていて、味もすっかり落ちてしまっていた。まあ所詮缶コーヒー。その辺りは我慢するべきだろう。
胸ポケットから取り出した煙草の本数を数え、もう底を尽きかけていることに溜息を吐く。まともな収入が入るようになるまで我慢するしかないようだ。それほど量を吸わない方だが、それでも吸えなくなった時は物足りなさを感じてしまうだろう。
煙草を一本取り出し暫く見つめ、そっと咥えると、百円ライターで火をつけ、煙を吸い込む。肺にじわりと沁みていく感覚に満足感を覚えながら、これもあと数本だと考えると、とても寂しくなった。
「明日から、どうするかな……」
たった一人の公園でそう呟いてみる。勿論返答はない。ブランコはただ小さく揺れ動くだけだし、他の遊具もただじっとこちらを見つめているだけだ。
ああ、答えが返ってくるなんて期待は全くしていないよと独り言を吐き出して、ベンチに寄り掛かった。軋んだ音がやけに強かった為、そのままひっくり返るかもしれないなと思ったが、流石に数年ここに設置され続けているだけあってまだ現役ではあるようだ。それ以上はびくともしない。
――仕事をクビになった。
収入がなくなった理由としては十分だ。
作業も効率が悪い、人づきあいもうまくいっていない僕は、会社にとっては絶好の切りどころだったようだ。多分僕がどこを切るかと問われたら、自分を選ぶ。それくらい常識の範囲での出来事だ。
首に巻きついたネクタイを外して適当に放り投げる。それほど遠くへは飛ばず、すぐ傍で落ちた。首元が少し楽になったとシャツの第二ボタンまでを外して、それからぼんやりと公園を眺める。
――じゃり。
不意に音がした。土を掘る音のように聞こえたが……。
ベンチから腰を上げると、僕は周囲を見渡してみる。じゃり、と土を掘る音は依然として聞こえている。もしかして奥にある砂場からではないだろうかと、放り投げられ土にまみれたネクタイをわざと踏みつけ、アスレチックの先へと向かう。
――じゃり。
――じゃり。
――じゃり。
音はだんだんと大きくなっていく。
「……ないなぁ」
耳を澄まさないと聞き取れない、それくらい小さな少年の声と共に、土を掘る音は続く。
アスレチックの隅からそっと顔を出して砂場を見てみると、やはりそこには少年の後ろ姿があった。必死に何かを掘りだしているようだった。大切なものでも埋められてしまったのだろうか。
「掘らないと……掘らないと……」
僕はそう呟き続ける少年に歩み寄るとしゃがみ込み、彼の肩を叩いた。振り向いた少年は少し顔色が悪く、虚ろな瞳で僕を捉えると首をかしげる。
「探しものかい?」
そう問いかけると、彼は一度小さく頷いた。
「大切なものが、埋められちゃったんだ」
「随分深くに埋められたみたいだね」
僕は袖を捲り、肩を二、三度回すと少年の隣に寄ると土に手を突っ込んだ。なるほど、中々堅い土だ。少年の手では少し辛いものがある。
「そんな、悪いよ」
「いいって、暇してるんだ」
あえてクビになったことは言わなかった。別に言う必要はないし、少年のヒーローになるくらい良いだろう。別に誰かに責められるわけでもない。
――じゃり。
少年と共に土を掻きだす作業は続いた。いつの間にか爪先は血が滲んでちくりと沁みるように痛む。
大分やわらかくなってきた土を掘るごとに土臭さが目立ち始めた。シャツにもいつのまにか土がこびりついてしまっている。クリーニングに出そうにもお金もないし、どうしようかと悩み、それからまあどうにかなるだろと諦めて再び土を掘る作業に集中する。
がりり、明らかに土とは異なる音と感触がした。
「……やっと掘り当てられた」
少年はそう呟くと目を輝かせる。土で隠れてよく見えないが、確かに白い何かが顔を出していた。随分となめらかな表面だなと思いつつ、もう強引にとることもできるだろうと、土の中に手をおもいきり突っ込む。
「もう手で掴みだせそうだ。安心しろ、今取り出してやるから」
「ありがとう」
「気にしないでくれ、勝手にやってるだけだから」
そう言って照れ笑いを浮かべると、少年もそっと笑みを浮かべた。先ほどより多少は明るさの感じられる笑みのように思え、僕の胸に多少の満足感が生まれる。
地道に、また頑張ってみようかな。
少年の喜ぶ姿を見て、諦め気味だった数分前までの僕が少し恥ずかしくなった。懸命に大切なものを掘り続ける少年の姿は、僕にとっては輝かしいものであるように思えたのだ。
ぐっと力を入れて、僕はその白い物体を思い切り引き抜いた。
白濁色をした頭蓋骨が、にやりと微笑んでいた。空洞となった双眸は、僕をじっと見つめている。
「う、うわぁ!」
突然現れた存在に僕は驚き、咄嗟に思い切り投げてしまった。硬質的な音を響かせながらそれはころころと転がりやがて止まった。
少年は足早に頭蓋骨へと駆け寄るとそれを拾い、大事そうに胸に抱えてから振り向いて僕を見る。
「おじさん、ありがとう」
満面の笑みを浮かべた少年は薄らと透けていくと、やがて景色に溶けるようにして消え去ってしまった。尻もちをついただらしのない姿でその一部始終を見て、ぞっと背筋に冷たい感覚を覚える。
もしかして僕は、とんでもないものを見てしまったのではないだろうか。
ともかくすぐに立ち去ろう。そう思って立ち上がろうとした時。
――衝撃。
後頭部に強い衝撃を受けて視界と意識が揺れる。
後ろに誰かいる。
そいつは確かな殺意をこちらに向けている。この場を離れないと、取り返しがつかなくなる。
心の中でそう何度も自分に言い聞かせるのだが、身体がどうしてもついていかない。這いずるようにして逃げようと試みるのだが、二度目の打撃が再び後頭部を襲った。
死ぬんだ。ここで僕は命を落とす。途切れかけた意識の中でそれだけは確信できた。
三度目、四度目、五度目……。
立て続けに走る衝撃。
ちかちかと点滅する視界の中で、僕は胸ポケットを探る。
――たばこ、全部吸ってしまえばよかった。
―――――
はっと目を覚まして僕は飛ぶようにしてベンチから腰を上げると周囲を見渡す。すっかり陽が落ちてしまっているが、夕暮れ時となんら変わりのないただの公園だ。土を掘る音もしないし、足元には土に塗れたネクタイが転がっている。
「夢か……」
乱れた呼吸を整え、胸に手を当てる。酷い夢を見たものだ。あんなリアルな夢はこの先そう見る機会はないだろう。
一度大きく呼吸をした後、ふと砂場が気になってアスレチックまで駆けると、その隅から首だけを出す。
砂場には誰もいない。
掘った後もない。
それでやっと夢だったという確信を持つことができた。僕はよろよろと砂場に足を運ぶと、どっかりとそこに座りこんだ。
「クビになったこと、意外とこたえてるんだな……」
なんにせよ、早く気持ちを切り替えて仕事を探そうと思い、僕は胸ポケットを探る。だが、そこに煙草の箱はなかった。眠り込んでしまう前に確かに残りがあった筈だったのに、と僕は体中に手をやるが、それでも見つからなかった。
どこまでが夢でどこまでが現実なのか、その境目がいまいちはっきりしなくて、気持ちが悪い。
「帰ろう……」
独りきりの公園でそう呟くと、僕は砂場に背を向けようとする。
だが、できなかった。
僕の眼は砂場を捉えて離さない。
何かが埋まっている。
そしてそれは、僕のとても大切なものである。理由のないその言葉が僕の身体を突き動かし始め、砂場でしゃがみ込むと、僕は両手を土に突っ込んだ。酷く堅い土だ。しっかりと固められている。
「……らなくちゃ」
煙草なんてなくていい。あれはいつでも買える。
「……掘らなくちゃ」
仕事なんていい。働くよりもこちらが先だ。
「……大切なもの、掘らなくちゃ」
”これ”は他に代えられない。
――じゃり。
――じゃり。
――じゃり。
しかしどれだけ掘っても大切なものは出てくる気配がない。
だが、それでも土を掘る手は止めない。
――じゃり。
――じゃり。
ほらなくちゃ。
完