番外「伊藤月子」
【主人公不在のため番外編をお楽しみください】
番外『伊藤月子』
彼女はいつの間にか力を手にしていた。
まだ幼少のころだった。当時、月子は魔法少女が出てくるアニメが大好きだった。いつもテレビの前で魔法少女の動きを真似し、成り切っていた。
「えい、やー、やー!」
その日も、いつものように身振り手振り、ちょこまかと動いていた。
いよいよラストに迫り、月子のテンションも最高潮を迎えていた。テレビの中の魔法少女が、倒壊したビルを魔法で持ち上げようとするシーンだった。
「浮けー!」
月子は、魔法少女と同時に叫んだ。すると、浮いたのだ。月子の目の前にあったテレビが、本当に浮き上がったのだ。
彼女はその光景に驚かなかった。自分は魔法を使うことができる、という子供特有の思い込みから、異質な力の存在をすんなりと受け入れることができた。
まず彼女が感じたことは、この力の存在を知られるてはいけない、ということ。これは自衛のためというわけでなく、憧れの魔法少女が言っていたことの受け売りだった。そしてその次に、自分の力の可能性の確認しなければならない、という使命。これもアニメの影響で、来るべくときの戦い(現実的に考えてありえないのだが、彼女は妄信的に魔法少女を信仰していたため、そして幼いがゆえに考えが至らず何ら疑問に抱かなかった)に備えるためであった。
そのころ使用できたのは、ブラウン管のテレビぐらいなら持ち上げることができること、目を凝らせば壁の向こうが透けて見えること、短距離なら瞬間移動ができること、この3つだけ。ハートの形のビームが出なかったことが唯一の不満だったが、彼女はおおむね満足だった。
彼女は心躍った。自分は魔法少女なのだ、選ばれた人間なのだと、信じて疑わなかった。
その能力の目覚めはあまりに突然だった。
小学生となった月子は、ずっと超能力(どこかのタイミングで魔法でないことがわかったらしい。もしかしたら魔法少女から卒業したとき、自然に気づいたのかもしれない)を研鑽していた。すでに多く能力を身につけ、優越感と同時に危険性もしっかりと理解できていた。なにせ軽く念じるだけで電柱はねじ切れ、時間は前後どちらにでも流れ、手からは火や氷が出るのだ。ほんの些細な気まぐれで周囲はおろか世界そのものが狂ってしまうことを、ちゃんとわかっていた。
いつまで待っても悪の組織は現れない。いや、現れないに越したことはないが、やはりこの力を使って世界を救いたいという夢見がちな妄想はずっと根付いていた。
しかし、彼女に大きな転機が訪れる。
それはある日の授業中だった。何かの小テストで、しぃんとした教室の中で、ひそひそと声が聞こえたのだ。
(……なんだろう?)
最初は空耳と思った。けれどその声は大きく、そして人数が増えていった。気のせいではない、空耳ではない、たしかに、聞こえてくるのだ。
彼女は前に座る教師を見た。これだけ多くの声が聞こえるにもかかわらず、顔色一つ変えていない。気づいていない。そんな様子だった。
徐々に1つ1つの声が鮮明に聞き取れるようになっていった。その内容は、小テストに関係する内容だった。様々な答えが飛び交い、会話するわけでもなく一方通行のままそれは消えていく。
彼女は耳を塞いだ。それでも声は聞こえる。耳からではない、直接脳に響くようだった。
(いたい、あたま、いたい……)
その日、彼女は体調不良を理由に早退した。帰宅途中、様々な罵詈雑言が月子の頭の中に流れ込んだ。強大な力を持っていても、精神はまだ小学生なのだ。ぶつけられる負の感情から身を守る術もなく、来る日も来る日も月子はそれを受け続けた。
しばらくして、彼女はその声の正体を突き止めた。
テレパシー。相手の思考を読み取ることができる能力。
(いやだ、聞きたくない、ききたくない……)
忌まわしき能力との出会いだった。
彼女は超能力を呪い、しかし手放すことができなかった。
テレパシーに目覚めてから、彼女は人という人を信じることができなくなった。仲の良い友人も、心を覗けばその深いところではドブのように濁っていたからだ。そして教師、挙句は両親でさえも、その心内の醜さに眉をしかめ、吐き気を催した。
だが慣れというのは恐ろしいもので、月子の精神は異常なまでに鍛えられ、そして負の感情から身を守る術を覚えた。
月子は達観した。「ああ、人ってこんなものなのね」と諦めにも似た達観だった。
多少の人間不信はあれど、拒絶することなく、そこそこに愛想を振りまいて人間関係を構築した。超能力者とはいえ、それが社会で使えるかどうかと考えたとき、すぐにノーという答えに行き着いた。自立できるようになるまでは、自分は親なり友人なりに頼って生きるしかない、と理解していた。
中学、高校に上がるにつれ、諦めはどんどんと加速する。周囲の人間も年齢と共に精神が発達し、多種多様な暴言と欲求を保持するようになっていたのだ。ある程度超能力を制御できるとはいえ、好奇心には逆らうことができず、ふっとテレパシーを使用してしまう。
少し考えてほしい。
強靭とはいえ、まだまだ大人に成りきれていない精神なのだ。そんな彼女に、自分が数人の同級生から強姦されるという妄想を受信してしまったり、歩道橋を子供を手を繋いで歩く親が「ここから落としたら楽になれるだろうか」という思考を受信してしまったら。
興味本位でテレパシーを使う彼女だけを、責めることができるだろうか。
もう一度言うと、『彼女は超能力を呪い、しかし手放すことができなかった。』
もはや超能力は彼女の一部であり、生理現象の一つだった。それ以上に、彼女がどれだけ忌み嫌おうと、初対面の相手にはテレパシーを、迷ったときには予知を、緊急事態にはテレポートや念力を。要所要所で、確実に頼って生きているのだ。
伊藤月子は気がついた。
自分は超能力を保持する、人間を遥かに超越した存在なのだと。そして、他の人たちの中身はまっくろなのだということ。しかし、超能力がなければ自分もそんなまっくろな人間になるのだろう、ということ。
伊藤月子は、そんな優越感や劣等感を抱き、人間不信になることなく元気に健やかに、けれど誰も信じることなく育っていった。
さて、話しは物語の少し前に戻る。彼女が大学に進学し、間もないころだ。
彼女はそこで、自分の人生を大きく左右する、ある男と出会うことになる。
(つづく)
家から近い、という理由だけで、彼女はその大学を選んでいた。かなりレベルの高い大学だったが超能力を使える彼女からすればどこも同じようなもので、高校のころから使用していた『そこそこに間違える自動記述』でそこそこの点数で入学し、そこそこの生徒としてそこに在学することにした。
なんとなく理学部をに入り、なんとなく講義を選択する。そこに彼女の意思はなく、とっくに自分の意思、挙句は未来さえ捨てていた。
超能力さえあればどうにでもある。彼女はずっとそう考えていた。良くも悪くも人間ではなくなっていたのだ。
ある必修の講義で、二人一組のペアになって実験をすることになった。彼女はどんなことだって一人でできるのだ、面倒でしかたがなかった。
組み分けは教授の気まぐれで決定し、半年間勉学を共にする相手と対面することになった。
「はじまして。僕、神道です」
「……はじめまして。伊藤です」
挨拶もそこそこに、彼女はテレパシーを使用した。初対面の相手にはまずテレパシーを使い、その心内を覗いて観察する。それが彼女の習慣だった。
(どうせチビッコだとか、ペタンコだとか思ってるんでしょ)
自分のコンプレックスをえぐる“声”は慣れる気がしない。しかしここで悪印象を抱くことで人と距離を空けてきた彼女。身体の中に大きな耳をイメージし、相手の心に意識を寄せる。
“……い……なぁ”
聞き取りづらい声だった。さらに寄せると――
“かわいい人だなぁ”
「――――!」
顔が熱くなっていくのが自分でもわかった。たしかに、そう言われることも何度かあった。しかしそれらはコンプレックスをえぐったあとの、フォローじみた声ばかりだった。
それなのに、この男は、真っ先にそう言ってきたのだ。
(な、なによ何よ! ど、どうせ二言目にはチビッコって……!)
半ば意地になって、さらに奥底の声に集中する。すると――
“どうしよう、家の鍵、ちゃんとかけたか覚えてない……”
「ぶっ」
「ど、どうしたの?」
「……なんでもない」
思わず吹き出してしまった。第一声に「かわいい」と言ってくれた相手は次に、今日家を出るときに鍵をかけたかかけてないのか、それを心配していたのだ。
(変な人……)
心を覗き終わり、ひとまず安心する彼女。しかし神道の声は止まらない。
“鍵かけたかなぁ……心配だなぁ……”
(そんなに心配しなくても……たいてい、そういうときはちゃんとかけてるもんなんだから)
“そういやポケットに鍵入ってないけど、どこにしまったっけ……?”
(……おいおい)
いよいよ心配だった。旋錠だけならさして心配ではなかったが、鍵の紛失となると話しは変わる。彼女はテレパシーの精度を上げ、神道の記憶の中を覗き込んだ。
神道が住んでいると思われるマンションが脳裏に映る。更に記憶を探ると部屋の番号がわかった。場所、部屋がわかったところで遠隔視に切り替え、じぃっと神道の部屋を観察する。
(わ、鍵かけ忘れてる……)
月子の視界にはしっかりと鍵の開いている扉があった。しかも鍵は部屋の中のテーブルの上に置かれている。
(案の定、鍵も置きっぱなし!)
彼女が抑えていた超能力を解放するまで、時間を要さなかった。
まず、遠隔視を保ったまま念力で旋錠。これは簡単だったが、問題は机の上の鍵だった。これを(ポケットの中だと変に思われるかもしれないので)神道の鞄の中へ転送。これが難題だった。間接的で対象は小物、しかも遠距離で精密なテレポート。初めての挑戦だった。
(できるかな……うう、うううう!)
念じた。身体中に力が張り詰める。鍵が消えた。
ここからが正念場。ここで失敗すると鍵はどこか別次元に消えてしまう。
鍵を、鞄に、鞄の中に!
「んっ……はぁ、あっ……」
成功。鍵は無事に神道の鞄の中に入った。
「はぁ……はぁ……」
「伊藤さん。ど、どうしたの?」
「な、なんでもない!」
結局その日は、気力を使い切った彼女は神道の足を引っ張るだけだった。
「ドンマイ」なんて言われても、彼女はイライラとするばかり。
これがまさに運命の出会いだった。
その次の週。
「おはよう、伊藤さん」
「おはよ」
彼女はまず、神道宅の旋錠と鍵を確認した。
(うんうん、ちゃんとかけてる。それに鍵もポケットの中)
ようやく安心できた。これで今日の講義はしっかり集中できる。
と思っていた矢先。
じゃがいもが出現した。
「え、じゃが、え!?」
「どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない!」
原因はわかっていた。これはテレパシーだ。テレパシーは、相手の思考だけでなくイメージしているものを受信することがある。このじゃがいもがまさにそうだった。テレパシー独特の、宙に浮いて向こうが透けて見えていた。
“今日の晩御飯はコロッケにしようかな”
(またこいつか……)
思わずうんざり。しかしじゃがいも出現だけでは終わらない。
“いーざすーすーめーやーキッチンー”
(しかもお料理行進曲!)
じゃがいもは鍋に入り、ぐつぐつと煮詰められる。そしてすりこぎでぐにぐにと潰された。
(まさか、このまま最後まで歌われるの……?)
月子の予想はまさに的中で、包丁はたまねぎを刻み、ミンチは塩と胡椒で炒められた。
それらは混ぜられ、丸く握られる。
(実際そううまくいかないけど……まあ、コロッケにはなるよね……)
ところが、神道は彼女の想像を悪い方向に、斜め上に行く男だった。
“小麦粉、パン粉にー”
(!?)
“玉子をまーぶーしてー”
(ちょちょちょちょちょっと待って!)
“揚げればー、コロッケだーよー”
(ならないよ!)
“キャベツも食べよう”
(そうだね、たしかに大事だけどさ……)
彼女は頭を抱えてしまった。どうして最後の最後で間違えて覚えているのか。その本人は、もうコロッケを食べるところまで想像している。
もちろんこのままでは、到底コロッケとは言いがたいものができてしまう。強いて言えばポテトの玉子揚げ。味はきっとおいしくない。
しかし、彼女はどうすることもできなかった。
恋の始まりは勘違いと思い込み、と言われることがある。それは勘違いから相手のことが気になり始め、それを恋だと思い込み、気づいたときには好きになっている、ということである。
もちろん彼女は勘違いも思い込みもしていない。非現実な超能力と現実的な考えで、神道には呆れ、同情し、やや心配しているぐらいのものである。
そんな彼女のお話しに、大きな転機が訪れる。
ある日のいつもの講義。その日、神道は来なかった。
(つづく)
結局大学の講義なんてものは遊び半分で受けられることがほとんどである。特に実験なんていう講義はまさにその半分のうちで、周囲がざわざわ、しっちゃかめっちゃかに騒ぎ立てて進める中、彼女はたった一人、黙々と“自動操縦”を行なっていた。
ちなみに今日でこの講義は三回目。過去二回は神道が隣にいたため超能力を使用することができず、ごく普通の学生という体で取り掛かった。それは彼女にとって明らかに非効率だったが、一般人にカモフラージュするにはちょうどいいよね、ぐらいの恩恵を感じていた。
(ほら、やっぱりこのほうがいいじゃない。失敗もしないし、早く終わるし)
この講義は実験が終わり次第解放される。勝手に動く手にすべてを任せながら、彼女はこのあと図書館にでも行こうかな、と考えていた。
「まあ、でも」と、つい呟きかけた口を慌てて塞いだ。そして言いかけた内容をすっぱりと記憶から消した。
ちなみに彼女の呟きは「神道くん、真面目なんだよね」。周囲の遊びムードに引きずられることなく、神道は真面目に取り組み、けれど失敗したり、さらには鍵の心配やコロッケのことを考える。
彼女の評価は、決して悪いほうではなかった。
(ふーんだ、別にあいつのことなんてどうだっていいもん。変なこと考えて邪魔ばっかりして。せいせいするよ。別に心配とかしてないしっ)
なんてことを考えるも彼女はいちおう人の子。現れそうにない神道のことをほんのわずかに心配していた。
(でも知らない仲ではないんだし、これから半年はいっしょに講義受けるんだし、もし万が一のことがあったら私に迷惑がかかっちゃうし、授業料も高いことだし、だから様子ぐらい探ってみてもいいよね)
訂正。だいぶ心配している様子だった。
ずいぶん自分に言い訳をしたところで彼女は悩んでしまう。さすがの彼女も何の手がかりもない状態で人一人を探すのは不可能だった。“自分の超能力を貸し与えてそれを目印にして追跡する”ことは可能ではあったが、神道には何も施していない。
なのでとりあえず、神道が住むマンションを遠視で覗くことになった。
(えっちぃことしてませんように……)
内心どきどきしながらスコープを当てる。
神道の部屋。そこは荒らしの後のように散らかっていた。
(え、え……!?)
少なくとも、最初に覗いたとき(鍵を確認したとき)は綺麗に片付いていた。まさか空き巣!? と思い慌てて周囲を探るがそういうわけでもなさそうで、ただ物や衣服がフローリングに置かれているように感じられた。
どうしてこうなってしまっているのか。それはすぐにわかってしまった。神道はベッドで眠っていた。赤い顔でふうふうと、大量の汗をかきながら苦しそうな様子だった。
(そんな)
同じく一人暮らしをしている彼女には、一人暮らしにおいて体調不良となることが、いかに致命的なことかわかっていた。
即座に体調不良の原因を“解析”する。すると、風邪。単なる風邪。疲労から来る風邪のようだった。
(風邪かー。寝てたら治るから、今日はぐっすり寝てたらいいよー)
遠視を終わらせ、使ってはいけないレベルの“自動操縦”であっという間に実験を終わらせる。驚く教授を無視し、彼女は実験室からさっさと出て行った。
足早に大学から出て遠視を再開する。鍵はちゃんとかかっている。問題なし。
(どーして風邪なんかなるのよ。講義どうするのさ)
大学からそのまま近くのスーパーに向かう。
(しかも冷蔵庫の中はからっぽ! どうやって生活してるの? 光合成?)
レンジでチンするご飯を数パックと長ネギ、アクエリアスとバニラアイスをカゴに入れ、レジを通る。
(バカ、バカバカバカ!)
ずん、ずんっ。地鳴りしそうな足取り。
彼女は苛立っていた。暴言を吐き続けた。
(私のバカ!)
彼女は自分に苛立っていた。自分に対して暴言を吐き続けた。
周囲に誰もいないことを確認し、テレポートでマンションに跳んだ。
(どうして、こんなこと、してるのよ!)
ピンポン、ピンポン、ピンポンピンポンピンポン、ピンポンピンポンピンポン!
ベルを連打。しかし返事がない。念のため透視をするとしっかりベッドにいる。
彼女は速やかに鍵を念力で開けた。
「あ、あれ……?」
扉が開く音に、神道はよろよろと身体を起こした。その表情は「なぜ鍵が開いていたのか」ではなく、「なぜ伊藤さんがいるのか」だった。
「伊藤さん、どうして」
「寝てなさい」
「……え?」
「いいから、さっさと、暖かくして、ぐっすりと、寝ていなさい」
それでも疑問顔だった神道を、これまた念力でベッドに潜らせる。ふがふがとベッドの中で何かを言っている神道を無視し、彼女は抑えていた超能力を解き放った。
念力は部屋を隅々まで掃除し、散らかった衣服を洗濯機に叩き込みぐるぐると混ぜる。
時間加速で余計な手間をかけず、もはや秒速の域に達する速度でおかゆを作り上げた。
空気中を漂うウィルス的な生物を駆逐し、クリアな空気に洗浄していく。
「ふがふが……あれ?」
ベッドに潜っていたのは一分も経っていない。それなのに部屋の変わり様、それとおかゆを持つ彼女が不思議すぎた。
「ほら、おかゆ。さっさと食べなさいよ」
「え、ああうん、ありがとう……」
「熱いから気をつけなさいよね!」
アクエリアスを隣に置き、ふいっと顔を背ける。
そうして、神道がおかゆを食べる様子を見ることなく、ずっと背けたままだった。
「そういえば、どうして僕の住んでるところ知っていたの?」
バニラアイスを食べながら神道は尋ねた。まだ本調子というわけでもなさそうだったが、その顔は少し元気そうだった。
「…………」
「伊藤さん?」
「勘。女の勘ってヤツ」
彼女は自分でもこんな思い切った行動に驚いていた。今までこれほど大胆なことをしたことがなかった。
「そっかー、勘かー。でも良かった、助かったよ。ありがとう、伊藤さん」
特に疑う様子もなく、にこりと彼女に微笑みかける。
彼女はどこか気恥ずかしくなり、またも目を逸らしてしまう。
悪い気はしなかった。もちろん恋心なんてありえない。しかし、彼女が神道に対して特別な感情を抱いていることは確かだった。それが、彼女に自覚があるかないかは別にして。
「でもごめんね、今日の講義休んじゃって。伊藤さん、大変だったでしょ?」
「月子」
「ん……?」
「私、ありきたりな苗字が嫌いなの。だから、名前で呼んで」
「え、ええー……」
女の子にそう言われると逆に困るのが男の子。もちろん神道も困ってしまう。
「じゃあ、じゃんけんで私が勝ったら、名前で呼んで」
「ん、まあそれなら……何回勝負?」
ここで彼女はニヤリと笑う。
「千でも万でも、何回でもいいよ。気が済むまで負かしてあげるから」
(ひとまずここで一区切り)