1話【三人視点の勘違い】
明かりという明かりが消えてしまった寂れた夜の頃。
ぶ厚い雲が空を覆えば輝く星はなく、世界は静寂に満ちきっていた。
束咲高校(たばさきこうこう)に建つ、第一体育館にて。
凛子と名付けられたアンドロイドがいた。ショートカットの黒髪、黒ぶちの伊達眼鏡は、雪のように白い顔に映えてよく目立っている。
ときおり夜風が吹き込んでくる。それに伴って凜子の艶やかな髪がなびき、ときおり眼にはらりと掛かる。しかし、まばたきひとつなく、視線は一定方向に向けられていた。
小柄で、大人しそうな少女が夜の闇に溶け込み、確かな威圧感を放っている。向けられた威圧感の先にいるのは一人の少女。彼女も人造人間である。
その少女は彼女の圧倒的な強さに畏れをいだき、空間そのものから圧迫されているように息苦しさを感じていた。生存本能が「逃げるべき」だと告げている。凜子が怖い。深い闇から死が迫ってくる錯覚を覚える。
「助けて」
追い詰められたアンドロイドが弱い電波を発信する。とても弱々しい同情を誘うような哀しみが込められた声が凛子に届く。だが、凜子は躊躇する事なく腕を戦闘モードへと切り替えたのである。戦闘モード。それは鉄を握り潰し、岩を砕くほどの破壊力を有した機能。
恐怖に怯える少女は一歩後ずさる。逃げたい。だけど、逃げたあとの未来を想像すると逃げられないのだ。彼女は逃げられない事情がある。
そして。
無情にも、凜子は持てる限りの力を振るい、もう一体のアンドロイドを破壊し始めた。破壊されつつあるアンドロイドは黒髪の少女の姿をしていたのだが、たった一撃で見る影も無く、眉目秀麗(びもくしゅうれい)な顔はいびつな形に変わってしまった。
後ろに吹き飛ぶ黒髪少女は、消えかけた視界の中で、追撃してくる凛子をとらえる。もう抵抗する気力すらおこらない。
まるで物理法則を無視したような動きを見せる人形。その様相は映画さながらの派手さである。だが、音は一つもない。アクション映画をミュートで見ているような印象。なぜなら凛子の力によって体育館全体を真空にしているから。
凛子の拳が、黒髪少女にめり込むたびに、攻撃された彼女の様々な機能が停止していく。聴覚、視覚、嗅覚などの人間の五感に属する機能を失いつつある彼女は、最後の力を振り絞り腕から電磁砲を放つのだが凛子の前では無と同然。その攻撃は消滅させられたのである。
黒髪少女から放たれた一万ボルトの電磁砲は凜子にダメージを与えられず、ただ髪を数本焦がしただけであった。あまりの自身の無力さに黒髪の少女は呆然として、そして腕を下ろした。
凛子は空中で攻撃しながら、彼女の最大威力の攻撃を無力化した。
―勝てない。
当然のように最大の攻撃を打ち消されたのだからそう思うのも無理はない。
凛子はふわりと音もなく床に降り立った。時間差で床に落ちてくるのは黒髪少女である。どちらも音はない。
それは子供と大人の喧嘩。一方的な暴力。良心のある人間にならば心が痛む状況なのであろうが、凛子にとってはどうでもよかった。
勝てれば良い、死ななければ良い。生き残れば良い。
そんな思考を脳内回路にめぐらせた彼女は残虐非道なのかもしれない。
凜子がゆっくりとした足取りで黒髪少女に近寄る。
「ちょっと待って」
黒髪少女が懇願する。唯一残された意思疎通の機能が不協和音を作りながらも凛子にメッセージを伝える。
「いや待てない」
「私と協力しましょう」
「どうやって? 何を? 私の目的を知ってるの?」
「そ、それは今から考えるわ。だから待って」
黒髪少女の目からは涙が溢れ出していた。アンドロイドには泣く機能があった。
「なんで泣いてるのかしら? 機能停止が怖いから?」
「破壊されたくない。私は守らなければならないものがあるから」
「ごめんなさい。それはできない」
そう一言だけ述べると、凛子は天井方向に向かって跳んだ。無重力にも見える動きで天井付近まで到達すると、そのまま落下。恐ろしいほどの威力。その加速度は異常なまでに大きく、猛烈な勢いのまま黒髪少女の顔に飛び蹴りがきまった。
しばらく時間が停止したかと思われた。
黒髪少女の頭は超合金で覆われており、攻撃にしばらく耐えたからだ。しかし、それはほんの儚い時間。
凛子の威力が増したとび蹴りにあっさり崩壊したのである。落ちる首。その首は床に転がった。黒髪少女は全機能を停止したのちに関節から力を失ったのである。
頭部を失くした黒髪少女に凛子は近寄り、抱きかかえた。それを肩に乗せ一言つぶやく。
「残念」
その独り言は静かに体育館に響いた。
片手には長髪が揺れる頭部がある。
凛子はそのまま、閉め切ったドアを開け放ち、夜の闇に消えていった。
○
女同士の殺し合い。
薄暗い体育館に存在する首のない死体は不気味でしかない。そんな異様な光景に溶け込むように無表情の女がたたずんでいる。第三者から見ればそのように見えるだろう。
実際、村崎楽雄(むらさき・らくお)にはそう見えた。楽雄は忘れ物をしたという理由を言い訳にして、好奇心を満たすために夜の学校に忍び込んだのである。友人の大葉にメールで誘ったのだが、『危ないから止めとこうよ』といい子ぶった回答が返ってきたため、一人で乗り込んできたのだ。それはほんの出来心。強い決心など無い。そして様々なスポットを巡り、いざ帰ろうとした時に、物音に気がつき体育館の裏口から侵入してきたのだ。
ステージ裏からそっとのぞいてみる。暗闇に目が慣れていて、暗黒のなかでも見通せる自信はあった。
様々な推測を立ててみる。
不良たちの喧嘩、はたまた男女の修羅場、もしくわ男と女のラブゲーム。
そんな陳腐(ちんぷ)な想像はすぐに裏切られる事になった。
入り口付近で、首の無い女を、同級生の戸宮凛子が抱えていたのである。始めは首の無い人形を抱えているのかと思ったが、暗闇に目が慣れてくるにつれて、人形ではありえない質感を伴っていることに気がついたのである。
常識では考えられない光景。
同級生が死体を抱えている状況。
死体を抱えているにも関わらず、冷静な女。
―すなわち、これは非日常。
彼女が体育館から出て行く後ろ姿を見送ったあと、しばらく動けなかった。怖いからじゃない。足がすくむからじゃない。
なぜなら彼はとっても嬉しかったからだ。
脳内アドレナリンが爆発しているとでも言うべきか、手が震え、足が震え全身が喜びに充ちていた。もちろん恐怖はあった。だが純粋な恐怖に支配されることはなく、非日常に巻き込まれる素晴らしさを感じているのである。
知らない事がある。同級生がその渦中の人物。
彼にとってそれだけで十分に興奮させたのである。
楽雄は、いくぶんかすると冷静さを取り戻し、現場である体育館中央に歩み寄った。月明かりも無く、床がほとんど見えない状況。入り口付近が非常口ライトで照らされているだけでほぼ暗闇である。
彼は目立つのは嫌だったが、懐中電灯をつけた。学校を探索していた時に使ったライトである。
目立つの嫌だなー。
そんなことを考えながら床の上にライトを当てていると反射光を確認した。すぐさま反射物に光を向けると、そこにあったのは髪留め。
拾い上げるとチューリップのマークがついた髪留めであった。楽雄はライトをあて、しばらく観察してみるが血などの非日常を確認できず、少々落胆した。
しかし、この髪留め。見たことあるな。
彼は頭の片隅に、ひっかかる記憶を探ってみる。
そして、彼はこのオブジェクトから一人の女を連想した。思い出したのだ。
「ああ、夏川怜奈か」
―夏川怜奈。楽雄の同級生でもあり、凛子の親友でもある。だれとでも仲良くなれる性格で学級委員をやっていた人物である。いつも無駄に明るく、周りをなごませていた。しかし、最近凛子が一方的に避けていた。
ここから楽雄は一つのストーリーを導いた。
凛子はなんらかの理由で怜奈を憎み、殺害に至った。女同士のいがみあい。女は追い込まれると何をするか予測できない。ゆえに殺害。
「にしても、首を切断するのはやりすぎだと思うけど。馬鹿だよねー」
そんな独り言は体育館にこだまし、吸収されていく。そして音が消えようとした頃、張り詰めた空気を割くように、何かの振動音を伴って最近流行の音楽が鳴り響いた。楽雄は反射的に視線をなげかける。そこには煌々と輝く携帯電話があった。
怜奈の携帯電話である。
すぐにそう察した楽雄はその携帯を拾い上げ画面を確認し、親からの連絡であると確認したうえで、その電話を切った。
着信拒否。
もちろん考えなしで行動するような間抜けでなく、すでに楽雄はその携帯をどう使うか―いや、悪用するか決めていたのである
○
大葉智樹(おおば・ともき)は正義感が強く、不正は許せないタイプであった。ゆえに友人である楽雄に悩むこともあるのだが、だからといって悪を成敗する為に自分を捧げるタイプではない。
不良集団につっこめばケガをする。それが分かりながら、体当たりなどしない。
そんな彼に、数少ない友人から悪事をしようとお誘いのメールが来た。
「また、楽雄はまったく」
彼は『危ないから止めとこうよ』という文を作り返信。すぐに返信が来る。
『じゃあ俺は校内徘徊を楽しんでくるからな。イライラするときにはこういうの楽しいんだぜ』
『先生に言うよ? 先生怖いよ。退学なるよ? 人生なめちゃいけないよ』
『かってにしろ。べつに死なないしな。楽しく生きない奴は頭が爆発すれば良いと思う』
幾分か文章が乱暴になっていくのを感じ、智樹はケータイをベッドに置いた。いつもならここまでの流れ。
しかし、彼は今日、正義に燃えていた。なぜなら意識している女の子に「そういう真っ直ぐなところかっこいいと思いますよ」と言われたから。智樹とは対照的に活発な学級委員長である夏川怜奈。彼女の言葉が脳に響きわたる。
「楽雄くんは、すねてるだけなんですよ。だから智樹君が必要なんですよ」
彼はすぐさま、懐中電灯を持ち、夜に登校することになった。
そして。
彼は体育館入口で佇む、楽雄を見ていた。息を潜ませて、存在感を消して。智樹は凛子を見ていない。今しがた、ここに着いたばかりであるのだ。
彼は純粋に不思議がっていた。
楽雄が怜奈ちゃんの髪留めを持っている? なぜ? 落とし物を拾ったのだろうか?
彼は疑念を膨らませながら、楽雄が出てくるまで観察していた。
彼が『夏川怜奈が行方不明になった』と知るのは次の日のことである。