「治りません。」
いきなり出された人生の答えは思っていた程甘くなくて――
真っ暗に私の世界は閉じられた。
「…ちゃん。…ずくちゃん。しずくちゃん!」
大きく叫ばれた"音"で私の脳が覚める。
もう何年か前に私から光という文字、物体は削除されていた。
「朝だよ、学校いこう。」
「…うん。」
当時中学生の私にその出来事はとても重く、そこから楽への感情は消えた。
最初は着れなかった制服も今では手馴れた動きの一部だった。
制服を着れば、長い棒を持ち歩く。
家の間取りや学校への道 それらはもう頭に刻まれていて。
負を背負う私だが学校はその出来事が起こる前に推薦で合格した普通科に通った。
だがその負は勉強面ではとても不利で 普通の教室には入れず、
普通科にいながらも普通ではない負をもつ同士が集まる教室に入った。
光が削除された私から見た教室は、もちろん誰も映らなくて。
他人に喋ることがない私の周りに人が来ることなんて今後も無いと思う
「おはよう。 "永原"さん。」
という今日までの考えは、この低い音で壊された。
「誰…?」
この低さからすると男だろうか。
この高校で過ごした一年間で私に話しかけてきた人なんていなかった。
なぜこんな時期に話しかけてくるんだろうか、と思いながら私はそう問いかけた。
「目が見えないんだよね。」
そう音が発すれば、パッと手を握られて。
「な、なに?!なんなの?」
いきなりな出来事に私は大きな音を出してしまった。
ザワめいていた教室は音を消した、だがすぐに音は戻ってきて――。
「驚かせちゃった?ごめん。僕は笹草 雫。君と同じ名前なんだ。」
笹草 雫という人物は、そう発して私の手を離す。
少し驚いたけれど、それと同時に私の心はドキドキという鼓動が鳴っていた。
「笹草 雫?そんな名前教室にいたっけ…。」
明らかにその名前は私の脳内には記憶されていなかった。
私には光がない、その為に人より何倍も音と感覚を必要とする。
先生が毎日点呼をとるのだが、その点呼という重大な音を私が聞き逃しているわけがない。
「今日、この教室にくるのが初めてなんだ。普通の教室にいたんだけどね。」
普通の教室から負の教室へと来る人は少なくはなかった。
色々と事故を起こしてくる人や、精神的事情で来る人だっていた。
だけど、どんな人でも私には寄り付いてこなかった。
不思議だった。どうして、私なんかに、
「腕を負傷したんだ。もう治らないんだ、利き手だよ。」
"治らない"同じ音を何回聞いた事だろう。
この教室から普通の教室へいく人はいない。"治らない"からだ。
「それで、この教室にきたんだけど…。皆グループ作っちゃってて喋りかけ辛くてさ。
たまたま一人でいる君を見つけたから。しかも同じ名前らしいしね、しずくちゃん。」
彼はそう一人でベラベラと音を発す。うるさいな、と思いつつも
家族、医療関係以外の人に喋りかけられた事はあの出来事からなかったモンだから高揚していた。
ちょうどその時、鐘の音が鳴った。彼はじゃ、というと自分の席へと戻った様子だった。
先生からは彼の自己紹介を行い、彼の名前が加わった点呼をとった。
それからと言うものの、彼"雫"は私に毎日話しかけてきた。
雫は自分の事を色々話した。元硬式テニス部だった事、教室の席は私の左斜め前な事―…。
私も自分の事を彼に話した。この教室にくる事になった原因、昨日の晩御飯、朝御飯―…。
次第に雫に惹かれていた。
私は雫の事をたくさん知っていった。彼が話す分だけ彼の事を知った。
私は雫に愛という感情を抱いていた。顔も姿も…見た事のない雫に。
「しずくー?今日…よかったら一緒に川原にいこうよ」
昼休みに会話をしていた時に川の音を聞きたいと言った事があった。
その事を覚えていてくれたのだろか。
私はすぐにいいよと返事を出した。いつも迎えに来てくれる母親に事情を二人で言った。
母親は嬉しそうな声でお願いします、と一言だけそう言った。
「さぁ、じゃ行こうか」
そう言って雫は私の手を握る。初めて会った時のように暖かい手だった。
私達は無言のまま歩き続けた。
小一時間くらい経っただろうか、微かな音が聞こえた。懐かしい音…そう感じた。
その音を聞くだけで私にはその風景が頭の中に映り込む。
キラキラと輝く川。水面に浮かぶアメンボ。楽しそうに泳ぐ小魚達。
幼稚園の頃にいった遠足で見た川を私は想像していた。
「ついたよ、しずく。夕日が沈んで綺麗だ…」
私達は立ち止まり、その場に座る。少し座り心地が悪かった。
きっとその原因は川の周りにある砂利だろう。
「綺麗な音。あっ…今魚が跳ねた」
雫は一言も喋らなかった。でも、私は気にもしなかった。
二人でいる時間が、ゆっくり流れていく時間が幸せだった。
数十分経っただろうか、ようやく雫が声を出した。
「そろそろいこうか。」
雫が私の手を握り、たつ。そしてゆっくりと歩きはじめた。
ふと雫の手が汗ばんでいるのに気づく。
「暑い?」
そう質問を問いかけた瞬間、足にひんやりとしたモノがあたる。
…水?
「えっ、待って。雫?」
状況がわからない私は戸惑った。靴の微かな隙間から水が入ってくる。
どんどん、入ってくる。
入ってくるんではない、入っていく感覚だった。
雫は何も言わずに私の手を引っ張り歩き続ける。
足首、膝…と水が浸食してくる。
必死に声を出す。雫は何も言わずに私の手を引っ張り続ける。
バシャバシャと言う音が大きくなる。
周りには車が通る音も人が歩いてる気配もない。
フッと手の力が緩まる。そして嫌な音がした。まるで金魚鉢で泡を吹く機械みたいな音を。
私の嫌な予感が当たった気がした。私は急いでその場を離れようとする。
が、真っ暗な所を一人で歩くのにはとても辛い上に体を水に取られて、動きにくい。
必死に声をあげる――…。