eps6. 織田原に昏さはまして
五百蔵の家には代々西洋の魔女の血が混じる。
魔女術は西洋において盛んに研究されており、定期的にその技術を受け入れなければ、独自の発展しか得られない。多様性の欠如が呪術の進化を抑制するのは過去の歴史を鑑みるに明白で、そういった事態を回避するべく、五百蔵の男は海を越え伴侶を捜し求めなければならなかった。
そんな家にあって、金で女を買うのは忌避されていた。金銭的に婚姻を成立させるのを禁じているのだ。「魔女の一人も落とせないのなら血など絶えろ」とは五百蔵の名を神奈河の地に根付かせた初代当主の言だ。
もっとも今や五百蔵の名は、西洋魔術の情報網の中ではそれなりに知名度があり、言語の壁さえ越えれば、むしろその技術を買われ迎合される地位にあった。
菊里の祖母はアイルランドを故郷とする女性だった。灰色が仄かに混じる金髪に、宝石のような緑の瞳は、菊里の幼心に異国の血を色濃く感じさせた。瞳はおろか髪も典型的な日本人の特徴を受け継ぐ菊里は、幼少時に祖母との血縁を感じることが出来なかった。それが変わったのは、祖母の死後数年、菊里が式者になってからしばらくしてからのことになる。つまるところ、菊里は彼女からその才能を色濃く受け継いでいた。
厳しい人で、魔女術の指導にあたり菊里は何度も泣かされたことを覚えている。ただそれ以上に優しい人でもあった。幼い菊里の言動一つ一つに耳を傾け、その全てに誠実に応じた。菊里が早熟した要因は、彼女のことを一人前として扱うことが多かったことに一因があるといえる。
祖母の菊里に対する思い入れは、五百蔵の家に男しか生むことの出来なかった負い目もあった。魔女術はその名の為すとおり、女性の体に特化適合させた呪術である。継承すべき受け手の不在に、祖母と祖父は大いに悩んだ。それが解消されるのは、菊里の父、恭二が鳴神家の四女を妻としてから二年後のことになる。待望された女児の誕生だった。
こうして菊里は祖母から魔女術を、父からは汎用の魔術を、母から鳴神の呪術を受け継いだ。恐るべきは、その全ての期待に応えてしまったことだ。魔女術においては類まれなる才能を開花させ、適正のなかった汎用魔術はその知識を過分に吸収し、鳴神の身体強化の呪術は血の滲むような思いで自身の体に取り込んだ。菊里の体術と魔術の両立は、複雑に入り交じった血縁によるものが土台となっている。
菊里は今、祖母の部屋にいた。落ちつかないことがあると、決まって彼女はここに来た。居住者の死後から、たまに掃除をする以外は手を加えられていない。古書のかびた匂いに、祖母の使っていた香水の匂いがかすかに混じる。
菊里は椅子に腰掛け、テーブルの上のランプの明かりを見つめていた。揺らめく炎を眺めるのは彼女なりの精神統一の方法だ。
明日には織田原に発たなければいけない。この百年、誰一人として成功していない妖鬼征伐が始まる。不安が絶えることはない。けれど同時に自信もあった。結衣のこともあった。逡巡と逸(はや)る気持ちが交互に襲ってくる。その精神の揺らぎを押さえつけるように、菊里は固く目を閉じた。
耳鳴りがしそうな静寂の中で、不意にノックの音が響いた。
「菊里、入っていいかい?」
父、恭二の声だった。
「どうぞ」
中背中肉の男が扉をくぐる。きちりとしたスーツ姿で、精悍な顔立ち。顔のほりはやや濃く、西洋人の面影があった。
「織田原の式者にはほぼ通達できた。大多数は協力してくれるそうだ。ただ妖鬼の戦闘域からは離脱を最優先するとさ」
「分かりました。ありがとうございます」
「……私はあまりにお前にかけられる言葉はない。が、気をつけていけ」
親子の間では、心配だとか、行って欲しくないとか、変われるものなら自分が行きたいとか、そういう当たり前の言葉は、もうあまり意味を為さなくなっていた。菊里は式者として何度も仕事をしており、失敗もしている。それでも必ず帰ってきた。
恭二ではもはや式者としての差を正確に測ることもできないほど、菊里は熟達していた。当人同士が正確にそれを理解している以上、父としてかけるべき言葉が、失われてしまっているのだった。
「うん。大丈夫だよ、絶対帰ってくるから」
それは娘の菊里としても同じこと。
だから、その言葉だけは力強く言い切らなければいけなかった。
◆◆◆
横濱、ホウキの屋敷の前にて。
妖魔式者がうろつく位相よりも、さらに深く。
一人の妖魔が歩いていた。わらし、とでも形容するのが適当そうなまだ幼い妖魔。深紅の地に唐草と業平菱の装飾の着物、黒灰色に帯は赤の一紐で結ばれている。まだ十三、四の容貌ながら、目鼻立ちは一瞥で分かるほど整っていた。ぷっくりとした桃色の唇、ぱっちりくりくりとした瞳と、少女特有の造形にも関わらず、どこか情欲を掻き立てる艶が見え隠れする。
一言でいえば、それは“異様”だった。 、、、、、、、、、、
少女らしからぬ色気も、身に纏う着物の上質さも、若い妖魔がそんな位相にいることも。
黒絹のような髪が歩行に合わせて揺らめく。彼女はとことこ歩きながら、屋敷の門の前に立った。
瞳には不安と決意が同時に見て取れた。
「もし」
鈴のなるような透き通った声だった。それだけで、幾人の心を奪ってしまえそうなほど、心地の良い声音。
だが彼女の声に応えるものはない。
「もし、誰かおりませんか?」
魔女術は西洋において盛んに研究されており、定期的にその技術を受け入れなければ、独自の発展しか得られない。多様性の欠如が呪術の進化を抑制するのは過去の歴史を鑑みるに明白で、そういった事態を回避するべく、五百蔵の男は海を越え伴侶を捜し求めなければならなかった。
そんな家にあって、金で女を買うのは忌避されていた。金銭的に婚姻を成立させるのを禁じているのだ。「魔女の一人も落とせないのなら血など絶えろ」とは五百蔵の名を神奈河の地に根付かせた初代当主の言だ。
もっとも今や五百蔵の名は、西洋魔術の情報網の中ではそれなりに知名度があり、言語の壁さえ越えれば、むしろその技術を買われ迎合される地位にあった。
菊里の祖母はアイルランドを故郷とする女性だった。灰色が仄かに混じる金髪に、宝石のような緑の瞳は、菊里の幼心に異国の血を色濃く感じさせた。瞳はおろか髪も典型的な日本人の特徴を受け継ぐ菊里は、幼少時に祖母との血縁を感じることが出来なかった。それが変わったのは、祖母の死後数年、菊里が式者になってからしばらくしてからのことになる。つまるところ、菊里は彼女からその才能を色濃く受け継いでいた。
厳しい人で、魔女術の指導にあたり菊里は何度も泣かされたことを覚えている。ただそれ以上に優しい人でもあった。幼い菊里の言動一つ一つに耳を傾け、その全てに誠実に応じた。菊里が早熟した要因は、彼女のことを一人前として扱うことが多かったことに一因があるといえる。
祖母の菊里に対する思い入れは、五百蔵の家に男しか生むことの出来なかった負い目もあった。魔女術はその名の為すとおり、女性の体に特化適合させた呪術である。継承すべき受け手の不在に、祖母と祖父は大いに悩んだ。それが解消されるのは、菊里の父、恭二が鳴神家の四女を妻としてから二年後のことになる。待望された女児の誕生だった。
こうして菊里は祖母から魔女術を、父からは汎用の魔術を、母から鳴神の呪術を受け継いだ。恐るべきは、その全ての期待に応えてしまったことだ。魔女術においては類まれなる才能を開花させ、適正のなかった汎用魔術はその知識を過分に吸収し、鳴神の身体強化の呪術は血の滲むような思いで自身の体に取り込んだ。菊里の体術と魔術の両立は、複雑に入り交じった血縁によるものが土台となっている。
菊里は今、祖母の部屋にいた。落ちつかないことがあると、決まって彼女はここに来た。居住者の死後から、たまに掃除をする以外は手を加えられていない。古書のかびた匂いに、祖母の使っていた香水の匂いがかすかに混じる。
菊里は椅子に腰掛け、テーブルの上のランプの明かりを見つめていた。揺らめく炎を眺めるのは彼女なりの精神統一の方法だ。
明日には織田原に発たなければいけない。この百年、誰一人として成功していない妖鬼征伐が始まる。不安が絶えることはない。けれど同時に自信もあった。結衣のこともあった。逡巡と逸(はや)る気持ちが交互に襲ってくる。その精神の揺らぎを押さえつけるように、菊里は固く目を閉じた。
耳鳴りがしそうな静寂の中で、不意にノックの音が響いた。
「菊里、入っていいかい?」
父、恭二の声だった。
「どうぞ」
中背中肉の男が扉をくぐる。きちりとしたスーツ姿で、精悍な顔立ち。顔のほりはやや濃く、西洋人の面影があった。
「織田原の式者にはほぼ通達できた。大多数は協力してくれるそうだ。ただ妖鬼の戦闘域からは離脱を最優先するとさ」
「分かりました。ありがとうございます」
「……私はあまりにお前にかけられる言葉はない。が、気をつけていけ」
親子の間では、心配だとか、行って欲しくないとか、変われるものなら自分が行きたいとか、そういう当たり前の言葉は、もうあまり意味を為さなくなっていた。菊里は式者として何度も仕事をしており、失敗もしている。それでも必ず帰ってきた。
恭二ではもはや式者としての差を正確に測ることもできないほど、菊里は熟達していた。当人同士が正確にそれを理解している以上、父としてかけるべき言葉が、失われてしまっているのだった。
「うん。大丈夫だよ、絶対帰ってくるから」
それは娘の菊里としても同じこと。
だから、その言葉だけは力強く言い切らなければいけなかった。
◆◆◆
横濱、ホウキの屋敷の前にて。
妖魔式者がうろつく位相よりも、さらに深く。
一人の妖魔が歩いていた。わらし、とでも形容するのが適当そうなまだ幼い妖魔。深紅の地に唐草と業平菱の装飾の着物、黒灰色に帯は赤の一紐で結ばれている。まだ十三、四の容貌ながら、目鼻立ちは一瞥で分かるほど整っていた。ぷっくりとした桃色の唇、ぱっちりくりくりとした瞳と、少女特有の造形にも関わらず、どこか情欲を掻き立てる艶が見え隠れする。
一言でいえば、それは“異様”だった。 、、、、、、、、、、
少女らしからぬ色気も、身に纏う着物の上質さも、若い妖魔がそんな位相にいることも。
黒絹のような髪が歩行に合わせて揺らめく。彼女はとことこ歩きながら、屋敷の門の前に立った。
瞳には不安と決意が同時に見て取れた。
「もし」
鈴のなるような透き通った声だった。それだけで、幾人の心を奪ってしまえそうなほど、心地の良い声音。
だが彼女の声に応えるものはない。
「もし、誰かおりませんか?」
再度の呼びかけにも、やはり返ってくるのは沈黙だけだった。
「エンにございます。ホウキ様はおられませんか?」
まさに、その瞬間。がぁんと、盛大な音を上げて門が開け放たれた。
入り口に出迎えたのは、漆黒の甲冑の巨人。雄牛を模した太い角の兜を被り、その手には異様に長い剣戟が握られていた。屋敷の主、ホウキ。
「エン姫様……?」
ホウキの声には驚愕が滲んでいた。
エン姫は他ならぬケンキの妖姫である。ケンキを伴わずに来訪したことへの驚き、ついでいくら妖姫とはいえ、その若さでこのような深い位相に潜っていることへの驚きが、相次いで横濱の妖鬼を襲った。
「ああ、良かった。いらっしゃって」
ホウキの様子など気にとめることなく、エン姫は安心したように笑みを零した。思わず頬を緩めたくなるような、奥ゆかしい微笑みだった。
「御身一つで……どうされました?」
「ケンキ様の命に従い、ある方の治療に参りました」
それでますます、ホウキの驚愕大きなものになる。
心当たりはたしかにある。
だが、まさかケンキをしてそこまで重用される人物だとは思いもよらなかったのだった。
「円角寺のカイ様は、まだご存命でしょうか?」
「……かろうじて。しかし、まさしく虫の息でして。床に伏せること数日、いまや呻くことすらできぬ有様で」
「そうですか、やはり。……いえ、むしろ五百蔵の創を受けてその程度ならば、まだ望みがありましょうか。とにかく私が命を繋ぎ止めます。彼のもとにご案内していただけますか?」
「むろん。こちらへ」
妖姫を招き入れ、屋敷の門がぎぃぃと不愉快な金属音をだして閉じた。
エン姫をカイの許へと送り届ける中、ホウキの胸中は複雑に揺れ動いていた。
直接的ではないにしろ、神奈河の最高戦力であるケンキが動いたのだ。その事実をどう捉えるべきか、熟考しなければならなかった。
◆◆◆
織田原。妖鬼、ゴウキが統べるこの地域は、神奈河にあって唯一妖魔が優位にたっている。その事実が広告塔の役目を果たし、釜倉などを中心に神奈河の各所から妖魔が集まるために、よりその情勢が顕著になってきている。
――それがある時から、少しずつ少しずつ、けれど確実に狂い始めていた。
勘の良い織田原の式者妖魔は、知らず知らずの内にその違和感を感じ取っていたのかもしれない。言葉にしえない、けれどはっきりと不吉な違和感。神奈河を覆う鶴陵の結界よりも、より淡く濁った異質な空気。皮膚がざわつく。脳のどこかが、警鐘をうち鳴らしているのに、本能以外の何も警告を与えてはくれない。
妖力でも、魔力でも、巫力でも、その他一切の呪術でもない。不吉ななにか。痕跡を感じず、そして使い手の気配もない。何かがおかしかった。風に融けた障気に慣れた本能は麻痺がしていく。夕闇の昏(くら)さに眼が順応するように、気付かぬ内に鈍感になっていた。
そこは閉鎖された工場の中だった。錆びた金属と古くなった油の臭気が立ちこめている。そして、その中に異様な生臭さと腐肉の臭いが混濁していた。
妖魔ミンはたまらず眉をひそめた。手に持つ一降りの刀を硬く握りしめる。足音を忍ばせ、気配を殺し、微かな物音が響く一室へと足音を進めていく。
壁を背に、何かの気配がする空間の覗き込んだ。
暗がりを見渡す。
若い妖魔の雌が惨殺されていた。
何人も何人も、式者さえ目を覆いたくなるような凄惨な、醜悪な光景。いずれも裸に剥かれ、犯された形跡があり、そして頭部や四肢がぐちゃぐちゃに破壊されている。
そこで初めて、ミンは蠢くモノを視界に捕らえた。
始め、雌の妖魔の上に肉塊が蠢いているのかと思った。
とても人間とは認識できぬ醜悪さだった。
でっぷりと脂肪を蓄えた腹で、拘束された少女の妖魔を下敷きにし、腰を打ち付けている。口からは唾液を垂れ流し、妖魔の少女の顔にべっとりと付着していた。光を失った瞳は焦点を結ばす、虚空だけを見つめている。
――その男を殺せ。
ミンの理性が訴えかける。
――殺せっ!
再度、強く。
けれど、動かなかった。
動けなかった。
本能が躊躇っていた。人間が妖魔を犯しているという異様な状況が、冷静な判断を許してくれなかった。そしてそれ以上に、行ってならないという直感があった。
ペニスが差し込まれている股からは、血が混じった精液が大量に溢れだしている。肉塊が一瞬びくりと震えると、さらに射精したのか、膣からごぽごぽと白濁液が零れた。
少女の妖魔の上に乗っているのは、ダルマのような中年のオヤジだった。腕や脚こそ隆々とした筋肉に覆われているが、だらしなく脂の乗った腹が歪に体型を歪めている。
妖魔の雌を蹂躙し終え、太く長い陰茎を抜き出した。瞬間、子宮に溜っていた精液がどくどく溢れ出した。
「ぐふぅぅぅ……なかなか使える肉便器だったぜぇ。ほめてやろう」
しゃがれた声。立ち上がったその傍らに、漆黒の狩衣。中年陰陽師の式者、矢部彦麻呂だった。
哀れな妖魔の腹に、彼は思い切り拳を打ち込んだ。
「ぐぇっ……! ぅ、げえええぇ……」
さらに膣から精液が溢れ、口からは吐瀉物を撒き散らす羽目になった。
同族が凄惨極まる目に遭っているというのに、指一つ動かすことができなかった。男が式者として大した存在ではないことが分かりきっているのに、なぜか気取れれてはまずいような気がしていた。気付かれずに逃げる算段を――、
「さァて……」
目が、あった。
ぎょろりとした、黒目の少ない目。
視線が交錯するはずがない。
気配は全て殺していたはずで、相手は性行為に夢中になっていたはずだ。
だから気のせいに違いないのに。
脂ぎった肌、歯茎を剥き出しにして嗤うその顔は、人間という枠から完全に外れた狂気を持っていた。
「新しい便器、みぃぃぃつけたあああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
絶叫がこだまする。
夕暮れが宵闇を連れだって、織田原の空を塗り替えていく刻の頃だった。
【残り21日】
【織田原会戦まで、残り1日】
「エンにございます。ホウキ様はおられませんか?」
まさに、その瞬間。がぁんと、盛大な音を上げて門が開け放たれた。
入り口に出迎えたのは、漆黒の甲冑の巨人。雄牛を模した太い角の兜を被り、その手には異様に長い剣戟が握られていた。屋敷の主、ホウキ。
「エン姫様……?」
ホウキの声には驚愕が滲んでいた。
エン姫は他ならぬケンキの妖姫である。ケンキを伴わずに来訪したことへの驚き、ついでいくら妖姫とはいえ、その若さでこのような深い位相に潜っていることへの驚きが、相次いで横濱の妖鬼を襲った。
「ああ、良かった。いらっしゃって」
ホウキの様子など気にとめることなく、エン姫は安心したように笑みを零した。思わず頬を緩めたくなるような、奥ゆかしい微笑みだった。
「御身一つで……どうされました?」
「ケンキ様の命に従い、ある方の治療に参りました」
それでますます、ホウキの驚愕大きなものになる。
心当たりはたしかにある。
だが、まさかケンキをしてそこまで重用される人物だとは思いもよらなかったのだった。
「円角寺のカイ様は、まだご存命でしょうか?」
「……かろうじて。しかし、まさしく虫の息でして。床に伏せること数日、いまや呻くことすらできぬ有様で」
「そうですか、やはり。……いえ、むしろ五百蔵の創を受けてその程度ならば、まだ望みがありましょうか。とにかく私が命を繋ぎ止めます。彼のもとにご案内していただけますか?」
「むろん。こちらへ」
妖姫を招き入れ、屋敷の門がぎぃぃと不愉快な金属音をだして閉じた。
エン姫をカイの許へと送り届ける中、ホウキの胸中は複雑に揺れ動いていた。
直接的ではないにしろ、神奈河の最高戦力であるケンキが動いたのだ。その事実をどう捉えるべきか、熟考しなければならなかった。
◆◆◆
織田原。妖鬼、ゴウキが統べるこの地域は、神奈河にあって唯一妖魔が優位にたっている。その事実が広告塔の役目を果たし、釜倉などを中心に神奈河の各所から妖魔が集まるために、よりその情勢が顕著になってきている。
――それがある時から、少しずつ少しずつ、けれど確実に狂い始めていた。
勘の良い織田原の式者妖魔は、知らず知らずの内にその違和感を感じ取っていたのかもしれない。言葉にしえない、けれどはっきりと不吉な違和感。神奈河を覆う鶴陵の結界よりも、より淡く濁った異質な空気。皮膚がざわつく。脳のどこかが、警鐘をうち鳴らしているのに、本能以外の何も警告を与えてはくれない。
妖力でも、魔力でも、巫力でも、その他一切の呪術でもない。不吉ななにか。痕跡を感じず、そして使い手の気配もない。何かがおかしかった。風に融けた障気に慣れた本能は麻痺がしていく。夕闇の昏(くら)さに眼が順応するように、気付かぬ内に鈍感になっていた。
そこは閉鎖された工場の中だった。錆びた金属と古くなった油の臭気が立ちこめている。そして、その中に異様な生臭さと腐肉の臭いが混濁していた。
妖魔ミンはたまらず眉をひそめた。手に持つ一降りの刀を硬く握りしめる。足音を忍ばせ、気配を殺し、微かな物音が響く一室へと足音を進めていく。
壁を背に、何かの気配がする空間の覗き込んだ。
暗がりを見渡す。
若い妖魔の雌が惨殺されていた。
何人も何人も、式者さえ目を覆いたくなるような凄惨な、醜悪な光景。いずれも裸に剥かれ、犯された形跡があり、そして頭部や四肢がぐちゃぐちゃに破壊されている。
そこで初めて、ミンは蠢くモノを視界に捕らえた。
始め、雌の妖魔の上に肉塊が蠢いているのかと思った。
とても人間とは認識できぬ醜悪さだった。
でっぷりと脂肪を蓄えた腹で、拘束された少女の妖魔を下敷きにし、腰を打ち付けている。口からは唾液を垂れ流し、妖魔の少女の顔にべっとりと付着していた。光を失った瞳は焦点を結ばす、虚空だけを見つめている。
――その男を殺せ。
ミンの理性が訴えかける。
――殺せっ!
再度、強く。
けれど、動かなかった。
動けなかった。
本能が躊躇っていた。人間が妖魔を犯しているという異様な状況が、冷静な判断を許してくれなかった。そしてそれ以上に、行ってならないという直感があった。
ペニスが差し込まれている股からは、血が混じった精液が大量に溢れだしている。肉塊が一瞬びくりと震えると、さらに射精したのか、膣からごぽごぽと白濁液が零れた。
少女の妖魔の上に乗っているのは、ダルマのような中年のオヤジだった。腕や脚こそ隆々とした筋肉に覆われているが、だらしなく脂の乗った腹が歪に体型を歪めている。
妖魔の雌を蹂躙し終え、太く長い陰茎を抜き出した。瞬間、子宮に溜っていた精液がどくどく溢れ出した。
「ぐふぅぅぅ……なかなか使える肉便器だったぜぇ。ほめてやろう」
しゃがれた声。立ち上がったその傍らに、漆黒の狩衣。中年陰陽師の式者、矢部彦麻呂だった。
哀れな妖魔の腹に、彼は思い切り拳を打ち込んだ。
「ぐぇっ……! ぅ、げえええぇ……」
さらに膣から精液が溢れ、口からは吐瀉物を撒き散らす羽目になった。
同族が凄惨極まる目に遭っているというのに、指一つ動かすことができなかった。男が式者として大した存在ではないことが分かりきっているのに、なぜか気取れれてはまずいような気がしていた。気付かれずに逃げる算段を――、
「さァて……」
目が、あった。
ぎょろりとした、黒目の少ない目。
視線が交錯するはずがない。
気配は全て殺していたはずで、相手は性行為に夢中になっていたはずだ。
だから気のせいに違いないのに。
脂ぎった肌、歯茎を剥き出しにして嗤うその顔は、人間という枠から完全に外れた狂気を持っていた。
「新しい便器、みぃぃぃつけたあああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
絶叫がこだまする。
夕暮れが宵闇を連れだって、織田原の空を塗り替えていく刻の頃だった。
【残り21日】
【織田原会戦まで、残り1日】