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排他的博愛論3

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 いつかは地面に追突して、死ぬ。

 十一日目。十一人目の死者が朝一番のニュースで報じられていたのだろうが、生憎僕にはテレビを見るという習慣が無い。だから推測だ。後から聞いた話ではしっかりと一日一殺は継続していたらしいが、そんなもので僕の食指は動かない。
 例えば殺人鬼が十歳だったとして百歳まで一日一殺し続けたとしよう。九十掛けるの三百六十五でおおよそ三万三千人。人間を絶滅させるには二万人の同じ殺人鬼が少なくとも必要とされる訳で、逆説人類の天敵を名乗るにしてもその存在は二万分の一スケールである。
 二万分の一とは二十メートルの巨大ロボットが一センチの食玩に成り果ててしまう縮尺で、こうなってしまえば威厳も何もあったものではないのだから――ここまで説明すれば僕が殺人鬼に関心を抱かない理由もお察しだろう。
 単純に「小さい」。そこに尽きる。
 僕らの街が無くなっても、それでも世界は廻るし太陽は昇る。ご町内の平和を守るのに戦隊ヒーローを一々駆り出してたらキリが無い。
 燃えないんだよな、なんとも。
 さて昨日、一昨日とかしくに付き合って殺人鬼捜索を行っていた僕だったが、流石に三日連続は精神的に堪えるので今朝こそは起床と同時に逃亡を選択した。冗談ではない。窓の向こうは雨模様であり、朝食の席で天気予報を姉に聞いた所、今日は一日傘マークで降水確率は午前九十パーセント。午後に至っては百パーセントとなっていたそうだ。
 果たして予報というものにどれだけの精度が有るのかは知らないが、しかし一面の空を覆う黒々とした雲を見れば、気象学にどれだけ無知な僕であっても同じようなパーセンテージを経験則より弾き出す次第。
 僕と同じ遺伝子から成り立っているのが疑わしい姉はそんな天気であっても朝から溌剌と大学へ出撃していったが、前述の通り低血圧である僕に彼女の真似は出来そうに無い。
 出来たとしても姉が通っている郊外の大学とは違い、僕の高校は休校である。かと言って家でゆっくりと惰眠を貪っていては十時きっかりに地獄のお迎えが来ることなど分かり切っていた。
 冷たい秋雨の中のデートならば、屋外でやるべきではないと僕は声を大にして言いたい。
 そんなこんなで低気圧に絶不調な体を意思の力で無理矢理引き摺り起こしての逃亡である。
「しーちゃん、どこ行くの?」
「しーちゃん、お外危ないよ?」
 玄関でスニーカーの靴紐を結んでいる僕の背中へと圧し掛かってきたのは小学生の弟と妹だ。この二人も僕と同じで通っている学校が休校だったりする。二人とも僕とは違って学校が無い事を残念がっているのは健康優良児である証拠だろうか。
 不肖の兄に似なくて心底ほっとする。だがしかし姉のようにだけはどうかならないで貰えたらと僕としては切に願う。
 健康過ぎるのはそれはそれで問題有りなんだよな。本人は兎も角として、周りが多大な迷惑を被ってしまう。振り回している自覚すら持ってはいないと来たものだ。
「んーとね……僕の場合は家に居る方が危ないんだよ」
 どこへ行くのかとの問いに対しては、自由への逃走と。そう言った所でこの二人には通じないか。残念。姉ならげらげら笑ってくれそうだが、一頻り笑った後で僕を部屋のベッドにでも括り付けるだろう。あのサディストのことだ。
 かしくは姉のお気に入りだった。まあ、僕みたいな根暗よりは愛でる対象として遥かに適切なのは認めなくも無い。そこに二親等という血縁補正を決して持ち込まないのも姉らしいとしか言いようがないけれど。……いやしかし、今、僕の身体にしがみ付いている二人の弟妹を姉は溺愛しているしな。
 もしかして僕一人が嫌われているだけか?
「おうちの方が危ないの、しーちゃん? なら、どうしよう! どうしよう!」
 一層の力を両手に込めて僕へとしがみ付く妹。ああ、言葉が足りず無闇に怖がらせてしまったようだ。……しかしながらストレートに感情表現が出来る所は本当に角隠家の血なのかと怪しいぞ。
 父母姉僕と、年長組は一様に捻くれ者の我が家においてのオアシスな二人だった。
「いや、家が危ないのは僕だけ。二人は大丈夫だよ」
「ええっ、そうなの! でも、しーちゃんの事はかっしーががっしり守るって」
 「かっしー」とは決してどこかの湖に棲んでいると噂される海竜の子孫などではない。ボーイズラブが三度の飯の代わりになると言い張って聞かないクラスメイトの事と言えばお分かり頂けると思う。
 ……仙人じゃないんだからさ。
「そうそう。言ってたよー。おかーさんもかっしーなら安心だって! おかーさんが安心ならも包実(ツツミ)ちゃんも安心するー」
 かしくはなぜかうちの家族に大人気だよな、ホント。
 靴紐を結び終えた僕は一つ大きなため息を吐くと、後ろを振り返った。首に抱きついていた妹と目が合う。胴体にタッチダウンをしていた弟の頭に手を置きながら僕は言った。
「包実ちゃん、佳継(カツギ)くん。恐らく後一時間もしない内にかしくがウチに来ると思うんだけど」
 言うなり眼に見えてテンションを上げ出す僕の弟妹。この二人も姉と同様、僕よりかしくの方が好きなんだとしたら兄としての立場など有ったものではないが、それでも二人のかしくへの好意はこの時ばかりは僕にとって都合の良いものである。
 まあ、兄の偉大さは帰宅してからゆっくりと聞かせてやればいい話だし。
「え、かっしー今日も来るの?」
「やったー」
「うん。けど折角来たのに僕がいないから、きっとかしくはがっかりすると思う。そこで包実ちゃんと佳継くんの二人にお願いしたい事が有るんだ。聞いてくれるかな?」
 お願いと言われ二人は表情を真面目なものへと一変させる。よしよし、狙い通り。この年頃において、ちょっとしたものであれ仕事を与えられるというのがとても嬉しい事なのは僕にも覚えが有る。普段使われない責任感とやらが刺激されるのだろう。
「ウチのお客様でありながら、失望させて帰したとあっては角隠家の名折れ」
「しつぼう」
「なおれ」
言葉の意味は分からないまでも僕の言葉をしっかりと繰り返す二人は兄バカと謗られようとこれだけは言っておきたい。ああ、なんていい子達なんだろう。とても僕や姉と同じ遺伝子を持っているとは思えない。そのまま捻くれずに真っ直ぐ育っていって頂けたらと不出来な長兄として神仏はおろか悪鬼羅刹にまで願ってしまえそう。
「ここまで言えばもう僕のお願い事は分かるよね。つまりかしくを……」
「かっしーをもてなす!」
「かっしーとあそぶ!」
誘導成功の瞬間である。ここまですんなり行くとは、所詮は小学生か。高校生の敵では無かったようだな。って、弟妹相手に勝ち誇ってどうするんだ、僕は。
「うん。それじゃよろしくね、二人とも」
「らじゃー!」
「よーし、見てろよかっしーめ。めためたにもてなしてやるぜ!」
 弟の口にした「めためたにもてなす」の詳細な内容が若干気にはなったが、それは後日かしくから聞けばいいだろう。さて、僕の方は早々に退散だ。「鬼は外、鬼は外」と呟いて外に出る。
 ざざ降りの冷たい雨が視界に入った瞬間、元より人に比べて少ない僕の中の生気めいたものがほぼ空っぽになってしまい、ああ、心底うんざりだ。
 ……かしくの友達を辞めようかなあ、もう。

 こう冷たい雨の中を一人、傘を差して歩いていると一年前の事を思い出す。あの時と同じ道のりだったのも相まってだろう。一年前に戻ったように性懲りも無く錯覚してしまいそうだ。
 まさか戻りたいんじゃないだろうな、僕は。後悔は無いと思っているあの日選んだ選択肢。それでも僕は心のどこかで後悔しているのか。恥知らずにも。
 戻った所で同じ事を繰り返すに決まっているのに。
 この道を歩くのだって、きっと変わらないんだ。
 如月灯里の住む家は僕の家からはそこそこ遠い。電車を乗り継ぐ必要が有る距離だ。晴れていれば自転車を駆れど、傘差し運転を行えば今のパトカーが走り回っている市内で何度の職務質問を受けるか分かったものじゃない。以上の理由より徒歩行軍以外の選択肢は無かった。
 全く、殺人鬼にも困ったものだ。
 休日は部屋で怠惰を貪っていたいインドア派な僕にとってアウトドアな休日はちっともお呼びでない。割とリアルに進級に単位が足りなくなりそうで自主休校プランまで変更を余儀無くされる、と殺人鬼がこの街に現れてから悪い事尽くめじゃないか。
これまで僕の生活には特に関係が無いと思っていたし、大分どうでもいいと思っていたけれど、こうまで完全無欠に実害を被ってくるとは。それもピンポイントに僕ばかりが。
「さっさと殺人鬼を捕まえてくれないかな、かしく。……無理か。アイツにそんな器用な真似が出来るとは思えない」
 独り言を溜息で締め括るのにも慣れたものだった。
 基本的に上刎かしくは力技以外の解決方法を持たない。その桁外れのパワーで大概の事件はなんとかなるけれども、捜査なんかにはまるで役立たず。その種の頭脳労働は絶望的な配役ミスと言わざるを得ない。ま、捕り物専門にそれ以外求めるのが酷なのかも知れないが。
 それにしたって、僕もホームズって柄じゃない。精々で読者への解説を促すワトソンがいい所なのだから、きっと探偵役は僕の知らない所に知らない内に配役されているんだろう。現実なんてそんなものさ。
 高校生が事件解決に奔走するなんてのは出来て近所の商店街の活性化運動くらいのもので、警察が介入する騒ぎに対して未成年っていう生き物はそりゃもう無力なものなんだ。小説や映画じゃないんだし、アマチュアがプロに勝てるかよ。
 出来るのは邪魔くらいだろ。
 ……って人が理路整然と殺人鬼捜索レクリエーションに異議申し立てを行っているのにも関わらず、かしくの根性論はそれを一蹴する。少女曰く「努力は必ず結果に繋がる」のだそうだ。なら一人でやってくれと言い出せない僕は決して彼女の鉄拳制裁が怖いのではない。本当だ。ブルってなんかないから。
 暴力反対。インド独立の祖、ガンジーは偉大だ。
非暴力、不服従。
今の僕にこそ必要な言葉だった。
「って訳で現在、鬼から逃走中なんだよ、僕」
「ふーん。大変だな、お前も」
「その言い方、凄い投げやりだし」
「いや、だって他人事じゃん」
乗り換え駅の待合室の椅子に一人ポツンと見知った顔が座っていて、なんとなく声を掛けてしまった。ソイツ――久人は背後からの挨拶にわざとらしいほど先ず驚き、次いで怪訝な顔をしながらの第一声が「お前馬鹿だろ」であったのだから僕としては大いに遺憾。
僕が馬鹿なんじゃない。僕の友達が馬鹿なんだ。
「殺人鬼が徘徊してるってのに、何どこ吹く風で外に出てるんだよ。なんだ、自殺志願か?」
「僕だって雨の日に外出なんて出来ればしたくないさ。靴が汚れる。でも、仕方ないだろ。かしくに付き合わされるのはもう嫌だ」
「おいおい、友人をそんな風に邪険に扱っていいのか? ……友達、なんだよな?」
「どうだか。縁切り寺がこの辺に有ったら今から駆け込んでも不思議は無いさ」
「そう言うなよ。類は友を呼ぶんだろ?」
「呼びませんでした」
うーん、どうにも今ばっかりは同じカテゴリで括られたくない僕が居る。かしく、ごめん。殺人鬼の件が落着するまでの間、僕は君の事を忘れる事にする。
「その手の平返しは新しいな」
「新技を開発したんだ。名付けて、前言全否定。ルビは『アンチアンサーソング』とかそんな感じで振っといてよ。今時っぽいだろ?」
「前から思ってたんだけど確信した。お前、ネーミングセンスが絶望的に無えわ」
「『秘技、そっぽ向いてシュート』よりもセンスで劣るって言うのか!?」
 どうしてコイツにだけは言われたくないって事ばかりを久人は口にするのだろう。新手の嫌がらせか? それとも自分の残念なキャラを熟知した上でのそういう話術なのか?
 ――嫌だ。後者の計算高いキャラは割と本気で嫌だ。
「話は戻るが。鬼から逃げるってんでゲーセンを選択するのはオススメしないぜ、俺は」
「へえ、なんで? かしくはゲームセンタ大嫌いなんだけど」
 学生の時間潰し場所なんて限られている。ゲームセンタかカラオケか古本屋か、とりあえずそんな所だ。ちなみに耳も鼻も良過ぎるかしくにはこの三つともが鬼門だった。逃げ込むには悪くない選択肢であるはずなのだが。
「上刎がどうとかじゃなくてな。今のこの街の状況を思い出せって。角隠だって自分の経歴に箔なんざ付けたくないだろ?」
 箔――ああ、補導歴の事か。それは確かに付けたくないし、街中に警察が多数動員されている現状、ゲームセンタはゴキブリホイホイと大差無いのは容易に想像が付く。捕まってしまえば教師よりも数段厄介な相手ではあるだろう。
「それは……確かにゴメンだな」
「そうでなくとも出歩くのは止めておいた方が賢明だと思うねえ。ま、言ってもお前は上刎から逃げ回ってるんだっけ? ご苦労なこった。くひひひ」
 他人事だと思って。嫌な笑い方だ、癇に障る笑い方だ。
 これが友達相手だったら矯正してるな、きっと。
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