02.再会、ラリアット
すでに体の傷はほとんどが治っていたが、エーヴィヒは念のためにともう1日休みを取ることにした。
その間、エーヴィヒはラーネイレに貰った魔術書を読みふけった。繰り返し、何度も読み、暗記し終わった頃にはすでに外は宵闇であった。
翌朝、エーヴィヒは早速出かける準備をした。荒海に落とされ、船に乗せていた荷物たちはどこかへ行ってしまったが、この洞窟の家にあったいくつかの身を守るのに役立ちそうなものと、わずかなお金、食料を鞄につめた。
「忍刀か、俺にはちょうどいいな」
ブロンズ製であるそれは特に腐っているわけでも錆びているわけでもなかった。魔術学校を出た彼とはいえ、ある程度の剣術は習得していた。まだまだ知識も魔力も低いエーヴィヒにとっては、魔法に大きく頼ることはできないのだった。その他にも黒い外套などを見つけたエーヴィヒは、旅に出る装備を整えた。
家を出たエーヴィヒは、整備された通りの上を歩き、天候が良かったこともあってか、昼過ぎには目的地、ヴェルニースにたどり着いた。
「ここがヴェルニースか」
想像していたものよりも大きく、パルミア一番という鉱山の街は活気に溢れていそうであった。
しかし、ヴェルニースの入り口にて、街に入ろうとエーヴィヒをザナンの紋章をつけた兵士が呼び止めた。
「なんですか?」
「うむ、見ない顔だな。いくつか質問をさせてもらうぞ」
理由も詳しく聞かされず、入念な尋問を受けたエーヴィヒは怪訝な目をその兵士に送った。それに気づいた兵士は、ザナンの皇子がこの街に遊説に来ているんだと渋々答えた。
「ザナンの皇子か……たしか前の皇子が死んで、新しい皇子になったんだっけ」
街の広場には人だかりができており、供の腕に弱々しくもたれた白子(アルビノ)の皇子の言葉に、皆が耳を傾けていた。その姿はあまりに病気的であった。
「ずいぶんな人気だな……」
エーヴィヒもその聴衆に混ざることにした。つま先を精一杯に伸ばしたところで、なんとか人だかりの中心に立つ人物を目にすることができた。ザナンの皇子、サイモアである。
「……そして深い悲しみが、私を襲う。ザナンが新王国との戦に敗れ、指導者を失った大陸が二大国間の戦火の舞台となり、幾多の歳月が過ぎよう。今は亡きクレイン皇子のあとを継ぎ和平を模索しても、二国の対立の溝はうまらず、未だ緊張の糸は張り詰めたままだ。戦争……シエラ・テールを襲うかつてない危機に、血と炎に身を染めた国々は気づかないのだろうか? 災いの風が我らの森をむしばみ、今この時にも多くの同胞が命を落とし、その土地を奪われているというのに。異形の森と、異端の民エレアが、レム・イドの悪夢の残骸“メシューラ”を呼び覚まそうとしているのに」
ザナンの皇子が何故にヴィンデールの森とエレアの民を嫌い、抹殺を訴えるのか、エーヴィヒは詳しく知らない。しかし、エレアの民である者に命を救われたエーヴィヒにとって、その演説はあまり聞いていて気分のよいものではなかった。
「イルヴァに遭わされた大いなる試練は、同時に結束の機会である。もし我々が互いに争うことをやめ、他者を理解することを学び、共に手をとり立ち向かうならば、腐った森と異端児をこの地から一掃し、災厄に打ち勝つことも可能なのだ。今日のザナンに大国を動かすかつての影響力はない。然るに、私が成せる事は、諸君に知ってもらうだけだ。二大国に迎合せず、確固たる地位を築いたパルミア、そしてその忠実な民の真意こそが、シエラ・テールの希望であるということを!」
そして、一際大きな喝采が広場に響いた。
演説はもはや喧騒にのまれ、遠く離れたエーヴィヒの元までは届きそうにもなかった。この国もまた、戦火に巻き込まれる日が来るというのか。白子(アルビノ)の皇子に対する妙な不安と興味を覚えながら、エーヴィヒはゆっくりと広場を後にした。
「さて、どうするか」
街は多くの鉱夫らしき男たちの姿が多く見られ、さきほどの広場から伸びるようにいくつもの店が並んでいた。中には魔法店もあり、エーヴィヒの興味を惹いたが、財布の中を再度確認し諦めた。
「まあ、どこの国でも大事なのは金だよな……」
まず、エーヴィヒは街の依頼掲示板をのぞいてみた。ここには日々、住人たちの依頼が書きこまれ、その依頼をこなせば報酬が与えられる。要は日雇い労働のようなものであった。旅をするもの、冒険者たちのような街から街へと移動を繰り返すものたちにとっては、大事な安定した収入源となる。
「……これはムリだろ……これもムリ……いや、これも厳しいな……これもダメ……」
エーヴィヒは掲示板の依頼を上から順に見ていったが、ろくにこなせそうなものはなかった。地下道が通るこの街では度々スライムなどのモンスターが現れるらしく、その退治の依頼などが多くあったが、いくら雑魚モンスターが相手とは、いまのエーヴィヒにとっては複数も相手できない。
「あーーーー、ダメだ。俺はここで餓死する運命なんだ……もしかしてこの数日で運を使い果たしたのか……?」
ああ、こんな時にあの暴力女でも居てくれたら、モンスター退治の依頼などすべてあいつひとりに任せれるというのに……。そのための連れだったんじゃないのか……。
エーヴィヒは共にこの地へ来るはずだったイーリスのことを思い出していた。最後に見た彼女の横顔は、その光り輝く金の髪を外套の下から飛び出せ、あたかも朧月を思わせた。その美貌に関わらず、彼女は凄腕の剣士であった。軽々と身の丈はあるであろう大剣を振るい、目に止まらぬ速さで相手の懐に飛び込む。彼女の異名である“カナリアの剣”とは、まさしくそのことであった。
「だからっ! 足りない分はいずれ払う。その大剣をもらえないかと言っているんだ」
「お嬢ちゃん、何度も言っているようにうちではそういうのはお断りだよ。買うならちゃんと、お金を持ってきてくれ」
「金ならあとで……」
「そんな保証ないだろ。こっちは商売なんだよ」
エーヴィヒがひとり、絶望を感じ始めていると、近くの武具屋から何やら喧騒が聴こえてきた。
「ん? ……あの声はもしかして」
見てみると店の前では小さな人集りが形成されていた。その時、ちょうどエーヴィヒの横を通り過ぎた若者が「なんか金髪の美人さんがゴルリックさんに喧嘩ふきかけてるみたいだぜ」と口にした。それを聞いてさらに確信に近づいたエーヴィヒは、人集りを無理やり掻き分け、その姿を目にする。
「どうしても欲しいって言うなら、その高級そうなメイル(鎧)と腰あてを置いていくなら、考えてやるぞ」
「馬鹿を言え。これは譲れん」
「なら諦めるんだな」
「わからぬやつだな。その剣を寄越せばすぐにスライムでも盗賊でもぶった斬って来て言い値を払ってやる」
「お嬢ちゃんみたいな強情な人、はじめてだよ。あまりしつこいようだと、ガードを呼ぶよ」
やはり、あいつだ。イーリスだ。
とても信じられないがエーヴィヒと同じように、イーリスも無事生きていたらしい。
……というか元気すぎるだろ、こんな騒ぎまで起こすなんていったい何をそんなに揉めているんだ。
「イーリス!!」
エーヴィヒはその背中に向けて叫んだ。
彼女の髪が螺旋を描き、振り返る。一瞬にして殺気立っていた彼女の表情がほころぶ。
「イーヴィヒ!!」
「エーヴィヒだよ!! イーリス!!」
「エーヴァッヒ!!」
「イーリス!!」
感動の再会。こんなことがあるであろうか。まるで切っても切れない運命の糸で結ばれているようだ。
エーヴィヒは感動のあまり、両腕を広げ彼女の元へ駆け寄った。その光景を見ていた聴衆の誰もが抱擁するのだろうと、予想していた。
が、しかし。
「エーヴィヒ!!」
「い……イーリス?」
その瞬間、突然として、エーヴィヒの頭部に強い衝撃が走った。
イーリスに駆け寄ったエーヴィヒは、厚篭手が装備されたままの彼女の右腕でラリアットを喰らわされたのだ。
「い……いーりす…………いったいなにを」
「金を少しもらうぞ、エーヴィヒ。私もあの嵐の海のせいで何も持ち合わせていないんだ」
それは、俺もだよ、イーリス……。
朦朧とした意識の中、エーヴィヒはそれ以上の言葉を発することができなかった。
また、イーリスは少しと言いつつも、エーヴィヒの懐から財布まるごとを奪い去った。
「なんだ、はした金だな。まあ、よい。大剣へは届かないが、とりあえず武器がなくては始まらん。店主、さきほどは無理を言ってすまなかったな。今度はちゃんと金を払おう。そこの鉄製の大槌をくれ」
「は、はあ……」
こうして、幸運の持ち主であるエーヴィヒは、またひとつ幸運を使い果たしたのであった。