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 淀んだ曇り空の下、いつ降りだすかわからない湿った空気の中、駅前の広場に私はいた。
 雑踏と喧騒がけたたましく響いている。耳を塞いでも同じ顔が重なり離れてまた重なるばかり。目を塞いでも鼻から湿ったアスファルトの匂いが鼻を通る。

 そのしじまに入り込むように花キャベツカントリー党の葉山代表が街頭演説で必死にメガフォンで農家の経済的救済を訴えかけている。TPPに参加した今の日本における農家の経済状況を危惧して新しく作られたその政党は、ここ最近ニュースで話題になっている。医療、保険、金融という観点において丸投げである以上、私は花キャベツカントリー党に投票する気は無い。

 諸行無常、という言葉を言うべきか光陰矢の如しというべきか日本は変わった。狂った政治の操作されたイメージに流される余り、日本が日本ではなくなってしまったのだ。いや、日本が最悪の形で日本らしくなってしまったとでも言うべきなのだろうか。12年前の日本と大きく変わった事は、全国の犯罪率が10%を切ったことだろう。
 12年前のあなたには俄に信じ難いことであろうが、事実だ。5年前にアメリカで海馬のシナプス入力の操作の実験が執り行われ、僅か7年後にそれは成功を収めた。つまり、特定の条件に当てはまる記憶を脳から消去することが可能になったのだ。

 それに伴い、アメリカはCA3領域抑制装置、通称“デリーター”の装着を国民に義務付けることにした。当時はヘルメットのようなものにコードが何本も生えた不格好なものであったが、すぐにそれは日本に渡りイヤホン型のデリーターが開発され、耳から送られる音の信号で特定の条件に当てはまる記憶を削除する装置が完成した。

 特定の条件とは、「犯罪に関する記憶」のことである。

 無論そのような強引なやり方で完全に犯罪が消えるわけではない。人間に欲望がある以上は窃盗等の事件は起こるし、そういった人間は特別なデリーターを装着させた上で刑務所に収監される。しかし国民は犯罪に関わる記憶をデリーターによって削除されるため、その犯罪者のことを覚えている人間はいなくなる。親族さえ、その犯罪者を忘れてしまうのだ。
 デリーターを装着しない人間は犯罪者と同様に扱われる。犯罪は良くないことだ、などといった道徳的なことを学校で学んだ上で犯罪に関する記憶、犯罪を巻き起こすであろう切っ掛けになりうる記憶が全てデリーターによって削除され、犯罪など完全に無いことが当たり前な平和な国が出来上がったのだ。

 果たしてそれは、本当に平和なのだろうか。今でも私は疑問に思う。その疑問がデリーターで消えない以上は私は犯罪者にならないのであろう。耳にはめたイヤホン型デリーターを人差し指で触り、思う。


 ふと駅前の時計に目をやると、約束の時間から1時間経っていた。駅の中から現れた関口がゆっくりとこちらに向かって歩いていた。走れよ。
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