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スノースマイル/次郎

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「お前、聡子ちゃんとは、どうなんだ」

ある日の食卓、父親が、口をもごもごさせながら言った。

目線は、僕にではなく、目の前で突っついている、鯖の煮付けに向いたままだった。
どことなくよそよそしい感じだ。
恐らく、随分と前から聞きたくてしょうがなかったが、
聞く事ができなかった質問なのだろう。

団欒としていた食卓の空気は、ぴいんと、張り詰めたものに一変した。
さっきまで聞こえていなかった時計の秒針が、生々しく聞こえ始めた。
妹と母が、もぐもぐと、静かに口を動かしながら、僕の発言に耳をそばだてていた。

僕は「いや」と短く切って、漬け物に箸をつける。
「”いや”、って?」父親は追及する。
「いや、特に無いかな」と、僕はまた、短く返す。

中央に置かれたアボカドのサラダは、いつもはあまり食べないが、
間を埋めるため、今日はまるで待ち望んだ大好物みたいに、何個も口に運んだ。

「”特に無い”ってどういう意味なんだ?何も無いってことはないだろう」
父親は、追求の手を緩めない。更に踏み出してくる。
どうあっても今日は聞き出そうという意志らしい。
僕は「前に会って話したけど、それから特に変わりないよ」
と言って箸を置き、無理やり話を打ち切った。

「ごちそうさま」と、席を立つ。
食卓を後にする時、背中に、明らかな家族の視線を感じたが、
僕はそれを無視し、扉を閉めた。

20歳になって、実家を出て、就職した。
最後まで家族には、聡子との事情は明らかにしなかった。
赴任先は、川端康成の「雪国」の舞台となっている新潟県だった。

列車に乗って、視界を散らす白い影を追いながら、僕は、聡子のことを想起した。

聡子の肌も、真っ白だった。
化粧で塗った、上辺の白さでは無く、地の肌から出る、洗い立ての卵のような白さだった。
「雪」というと、決まって僕は、聡子のことを思い出す。

「ほら見てよ、岸谷君、雪降っとるやん」と言って、
両手を目いっぱいに回して嬉しがっていた、聡子の姿を思い出す。
漏れ出る笑顔からは、八重歯が見え隠れしていた。
マフラーの長い裾が、聡子の腕を叩き、ばたばたと音を立てる。

そんな姿の聡子を見て、僕も嬉しいのは事実だった。
「すごい気分良くなってんね」
「だってそりゃ、雪とか、あんまり見ないからさ」

瀬戸内の気候に生まれた僕らは、雪というものを滅多に見なかった。
地理的に、雨や雪に、恵まれない土地に住んでいたのだ。
聡子が「石鎚山が傘になってるんだよ」と不満そうな顔で語っていたのを
印象深く覚えている。

だから聡子は、僅かに降った雪に、こうして喜び、
全身を使って、感情を表現しているのだろう。

「まぁんだーっ、きぃっれーいなっ、まっまーのぉーっ」
聡子が突然、目を瞑って、素っ頓狂な声を出した。

「何言ってるんだ、おまえ?」
笑いが溢れそうになるのを抑えながら、聞いてみた。
「知らないの?バンプ。”スノースマイル”って曲」
聡子の解答に、笑いを堪えきれなくなり、
僕は腹を抱えて笑った。―全然似てないよ、それ!

聡子にはこういう癖があった。
突然、会話の流れをぶった切る、意味不明の行動に走るのだ。
一部の人は、聡子の癖を「うざい」とか「うっとおしい」と言って敬遠したが、
僕だけは可愛らしいと思って、聡子の癖を、好いていた。
だからこそ付き合っていたともいえる。

聡子の交際は、特に大きな障壁も無く、順調に進んだ。
二人とも、争いごとを嫌う人種だったから、喧嘩も滅多にしなかった。

でも結局、最後に「別れよう」という結論に至ったのは、
一体何故だったんだろう?

確かに、僕が遠い所へ行く、というのも一因ではあったが、
それが決め手ではなかった。
恐らく、世の中には、自分の力ではどうしようもないことが、沢山あるのだろう。
聡子と僕の関係性も、どうしようもなかったことなのだ。
地球に引力が存在するように、
どうこの身であがこうとも、引っ張られる力というものは、
存在するのだ。僕は、そう確信していた。

そして、うとうとと眠りについた、夢の中で、
聡子と初めて逢った時のことを思い出した。

僕は村上春樹の「ねじまき島クロニクル」という本を読んでいた。
聡子は「それ、村上春樹っしょ?」と僕の顔を覗き込んできた。
聡子の丸い顔が、僕の目の前に、ぬっと出現した。

窓からは夕日が差し込んでいて、確か、放課後だった。
図書室に誰も居ないのを見計らって、聡子が話しかけてくれたらしい。

―あれから、世界が変わったのだ。
自分の殻に閉じ篭っていた僕を、聡子が、荒々しく、殻をぶち壊して、
外の世界へ連れ出してくれたのだ。
今となっては、感謝の気持ちしかない。―ありがとう、聡子。

そして僕は、小気味良く揺れる列車の振動を感じながら、
夢の無い、静かな眠りについたのだった。
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