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死ぬ前に聴かせたい一曲 あるいは『カモメ』/橘圭郎

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 思うに子供の頃には誰もがきっと、自分だけのお城を持っていたのではないでしょうか。それは例えば公園の片隅に立っている木の上だったり、星のよく見える河川敷だったり、小さなお人形の集まるミニチュアハウスだったり。とにかく、このクソみたいに汚くて胡散臭い世界から、その人の心を守ってくれる拠り所を、みんなが一つは持っていたのではないでしょうか。
 もちろん僕にもありました。僕のお城は、引っ越しのときに冷蔵庫を入れていた段ボール箱がそれでした。
 一つの子供部屋を兄弟で使っていた僕にとっては、箱で仕切られたその中が僕だけの領域だったのです。鼻水を垂らしていた頃から弱虫だった僕は、いつも、今にしてみればたぶん珍しい元気印いっぱいのガキ大将にいじめられては、その中で体育座りをしながら涙が乾くのを待っていたものでした。悔し涙をぼろぼろこぼしながら夕ご飯を食べるのはとても惨めで嫌だったので、うまく自分の感情があふれるのを止められないときは、どうか時間が止まればいいのにとガキながらに本気で願ったものでした。

 そんな僕は大人になって、一人暮らしをしてから久しい今になって、また懲りずに段ボール箱のお城に逃げ込むようになりました。
 分かっています。僕はもう大人だから、分かっています。本当にクソなのは世界ではなく自分なのです。それなのに、半透明のビニール袋に詰められて醜態さらしっ放しのゴミクズみたいに扱われてきた僕はもうすっかり疲れきってしまって、部屋のカーテンも全部閉めきったのです。
 このままじゃダメだ。このまま閉じこもってちゃダメだなんて考えながら、やっぱり段ボール箱から抜け出せないでいる僕は、まことにバカげた話ではありますが、腐り続けていく自分をどうにか奮い立たせてやろうと思い立ち、ちょっくら目にも爽やかな青と白の絵の具でお城の中を塗りたくってやったのでした。

 さてさて思うさま、気持ちのままに描いてみると、どうしたことでしょうか。自由にどこまでも羽ばたくのはきっと素晴らしいことだろうと、そんな感じで空の絵を描いていたつもりが、出来上がりを見ればどうにもまるで海みたいになっていたので、僕は開き直って下手くそなカモメの絵を付け足しました。

 そうして二羽のカモメが並んで佇んでいるのをじっと眺めていると、僕は何故か、君のことを思い出すようになりました。冗談のような本当の話です。君の優しさと強さを、確かに思い出したのです。
 僕たちが初めて喋ったときのことを覚えているでしょうか。僕は今でもよく覚えています。あれは小学四年生でのことでしたね。勉強も運動も相変わらずのからっきしで、クラスの連中からバカだバカだと言われ続けてきた僕に、体育の時間、君は「しょうがないなあ、一緒に組もうよ」って声をかけてきましたね。すると僕は突然のことに大して返事らしい返事も出来なくて、どもりながら、うんよろしくとだけ言ったのでしたね。
 あの頃の君は独りぼっちでいることが多くて、とっても無愛想でした。そんな君はよく給食の時間に苦手なものを沢山盛られたり、掃除の時間に面倒を押し付けられたりと、意地悪な女子のグループから理不尽に扱われていました。だから後から考えればきっとあれは、障害物競走のペア決めにかこつけたイジメに近い罰ゲームだったのでしょう。それでも当時の僕にしてみれば、ただただ女の子から誘われたのが嬉しくて、まるで君が女神みたいに思えたものでした。
 それから僕たちは、なんとなく一緒にいることが増えましたね。もちろん放課後に仲良く遊ぶとかそんなことはなかったけれど、クラス行事で二人一組を作るときは余り者同士、どちらからともなく歩み寄るようになったものでしたね。周りのバカどもは僕たちをお似合いだなんだと囃し立てていましたが、君はそんなつまらないことにも動じずに受け流し、すっと口数少なくその気高さを失わずにいた姿勢はとても印象強くて、僕にとって君はジャンヌダルクのような存在なのでした。

 小学六年生の遠足では、海へと向かう列の後ろのほうで、僕たちは特に楽しげな会話を弾ませることもなく黙々と歩いていました。すると君は突然に「どうしてあんたは嫌われてるの?」と訊いてきましたね。なんで今さらそんなことを訊いてくるのかとちょっとだけ驚いたものですが、そのとき僕は素直に、自分が泣き虫の弱虫だからと打ち明けました。「だったらもうちょっと強くなればいいのに」なんて無茶ったらしいことを平然と言ってのけた君に、そのときばかりは僕もなんだか一丁前に頭にきてしまって、無理だ無理だとでたらめに言い続けたものでしたね。
 そこで意地悪返しのつもりで僕が、君こそなんで嫌われてるのかって訊ねてみると、君はまるで当然のように「私は嫌われてるんじゃない。私が嫌ってるの。みんなを」とか何とか答えるのでした。そのときの僕は、君が珍しく負け惜しみを言ってやがるなと少なからず思い、自分と目くそ鼻くそを笑うような心の弱さを君も抱えているのだと感じて、卑しくも嫌らしくもある最低の親近感を覚えたのでした。

 中学生になると、君は見違えたようにきれいになって、別人みたいに社交的になって、友達も沢山できて、まぶしいくらいに輝いていましたね。やっぱり君は僕とは違うんだなと思い知らされました。
 今にして思えば、あれで君は証明していたのでしょうね。君自身が周りを好きになってみせて、そうして努力とか何とかそういう感じのもの次第で簡単にクソみたいな世の中は変わるんだって。そして無言で「あんたも同じでしょ」と訴えていたのでしょうね。
 クラスや学年でそれなりの人気者になっても、君はまだ僕と一緒にいてくれましたね。もちろん周りの連中は不思議がって、よく追及していたものですね。付き合ってるのかと訊かれれば君は「ただの友達」と答え、恋愛感情が無いのかと問い詰められれば「そういうのじゃない」と返していましたね。照れるでもなく、慌てるでもなく、ただ淡々と、そんな会話の調子に、背中を向けて寝たふりしながらしっかり聞き耳を立てていた僕は、ああ本当に僕と君とはそういうんじゃないんだなと、ちっぽけな期待を諦めに変えて、そのまま僕も何の興味も無いようなふりをして生きていくことを小さく決めたのでした。

 別々の高校へ行くことになって僕たちは離れてしまい、ろくに顔を合わせることもなくなってしまいましたね。君がいなくなって独りぼっちに戻ってしまった僕は、それはそれはろくでもない鈍色の青春を送ったものです。
 だけど君が完全すっかり消えていなくなったわけではなくて、あるとき君は急に僕の家に電話をかけてきましたね。君はいつもの上がり下がりの少ない声で「携帯電話を買ったの。番号を教えるね」と言ってきたのでしたね。でも当時の僕は周りの皆が必需品のように持ち上げているそんなお洒落な物なんかまだ持っていなかったので、なんだか妙に置いてきぼりをくらったような気分になったものでした。
 せっかく君に繋がる番号を教えてもらったのに、余計な照れくささや劣等感で自分をぐるぐる巻きにしていた僕は、自分から君にかけることは出来ませんでした。そんな僕にさえ君はときたま、大抵は十時過ぎくらいの時間に電話をかけてくるのでしたね。そのときには君は必ずたった一言「いま何してる?」とだけ訊ねるのでしたね。特にお互いの高校生活を伝え合うわけでもなく、どこか遊びに行こうとか誘うわけでもなく、本当にそれだけなのでしたね。
 一度、なんでそんなことばかり訊いてくるのかって疑問をぶつけたときに、君が「ん、訊いてみたかっただけ」と返してそれからじゃあねと言ってすぐに電話を切ったのが、不思議とむずがゆく僕の心に粘ついて残ったものでした。

 最後に君と会ったのは、高校を卒業した年の三月の終わり頃でしたね。あの駅の改札前で、地元の大学へ進むことが決まっていた君は、逃げるように窮屈なあの町と自分の家から離れようとしている僕を、たった一人で見送りに来てくれましたね。そこで穏やかに「あんたも向こうで何かを好きになれるといいね」って言ってくれたことは、今でも僕の大切な思い出です。
 だけど東京に行けば何でも出来る、そこへ行きさえすれば必ず成功が掴めると、何の根拠も無く信じていたどうしようもないアホたれだった僕は、中学生の君が身体を張って世界は変えられると証明してくれたことを間近に見ていながらも実践することが出来ず、結局は世界の誰も何も、自分さえも好きになれずに、ガキの頃からちっとも変われない弱虫のまま、こうして段ボール箱の中でキャラメルコーンみたいに背中を丸めているのです。

 僕はもう疲れきってしまいました。立って胸を張ることもままなりません。いえいえ元から満足に生きることすら出来ない僕でしたから、せめて最期は明日のジョーのラストシーンみたいになりたいと夢見ていてもどだい無理だったのです。
 でもこんな僕が今日まで、一丁前の人間の端くれとして生きてこられたのは、やっぱり君のおかげです。ガキの頃に君が声をかけてくれたからです。君がいつも僕の斜め前にいてくれたからです。僕の携帯のメモリーの一番最初に君の名前があったからです。

 ありがとう。
 ありがとう。
 本当にありがとう。

 次に生まれ変われたときは、どうか君に好きだと言える僕になりたい。
 失敗を恐れずに、恥ずかしげもなく、たとえ振られたってめげずにいくらでも、弱虫も泣き虫も卒業して、段ボール箱のお城を捨てて、君を惚れさせるくらいの男に変わって何度でも、堂々と背筋を伸ばして君に、好きだと言いたい。

 それでもし君が「しょうがないなあ」なんてことをはにかみながら言ってくれるのならば、そのときにはきっと二人並んで海を見よう。
 遠足のときに見た、あの青と白のきれいな海をもう一度。


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 君との思い出を書いて
 君への感謝の気持ちを書いて
 一息ついてから
 最後に僕の本当の気持ちを書いた
 遺書を書いていたつもりが
 ラブレターみたいになってしまって
 丁寧に折りたたんで 君に渡した

 http://www.youtube.com/watch?v=UFckPCUTVdQ
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