ノッキング・オン/猫瀬
修平のやつが、音痴のくせにカラオケ通いなんかにハマりやがった。
おかげでおれは毎日のようにカラオケに連れて行かれてる。
「いや、おれ、ヒトカラとかやる勇気ないし」
おれが「一人で行けよ」と言うと、あいつはいつもそういう感じのことばを返してくる。「え、なに、逆におれが一人でカラオケに行けるとでも思ってるんですか?」とでも言いたげな笑顔で。むかつく。
こんなやつだけれど、別にこいつといるのは大してイヤじゃない。
高校からの付き合いだけれど、家は近いし、生活も素行も似たような感じだったので、出会ってから一緒に遊ぶようになるまで大して時間はかからなかった。
修平はずっとここに住んでいるのだという。東京、西池袋。そこがおれたちの住んでいる街で、遊んでいる街だった。
おれは修平と違って、中学の頃にここに来た。
さいしょは俺が関西弁というだけで、なぜかひどい仕打ちやイジメを受けたものだけれど、いまでは怒ったときにだけ出る昔名残の関西弁が、「ミナミの帝王」みたいだと一部では恐れられているらしい(全部修平から聞いたことなので、全部つくり話かもしれない)。
ちなみにケンカは全然強くない。むしろひょろひょろで自分でも困っている。その代わりと言ってもあれだが、足には自信がある。もちろん逃げ足。それは中学時代の名残でもある。
修平は今日も歌った。
毎日何時間も歌うもんだから、さいきんやつの声は少し枯れてきた。修平がいうには「これがかっこいいのよ」らしい。おれはどうせならそのガラガラ声で「ダンシング・オールナイト」でも歌ってほしかったが、修平は知らないらしい。だから代わりにおれが歌った。
おれも世代ではないけれど、なぜか小さい頃からいわゆる“ものまね番組”だけは親父と一緒に欠かさず観てきたので、昔の(親父世代の)そういった曲を覚えていたりする。サザンだとか松山千春だとか松田聖子だとか、演歌だと森進一だとか北島三郎だとか、そこら辺はものまね番組だとわりと定番なので、いつのまにかそういった自分が生まれる前の曲を口ずさめるようになっていた。
いまでも親父とはときどき一緒にものまね番組を観る。関西に住んでいた頃に比べると、ずいぶんとおれも家族と会話をしなくなった。だけど、その習慣だけは変わらなかった。
ちなみに毎日のように修平のカラオケにつきあっているわけだけれど、おれの声は特に変異していない。
それもそのはずで、さいしょは修平と一曲ずつ交互に歌っていたが、いまではおれがカラオケに飽きてしまって、おれと修平の歌う曲数の比率は1:8くらいになってしまっている。そりゃ、こいつの声も枯れるわけだ。少しおれの料金がもったいない気もするけれど、飲み放題で安いアルコールを大量に飲んでいると、わりと気にならなくなってくる。修平の方もたくさん歌えて満足しているのだから、きっとこれでいいのだろう。
修平が具体的にどんな風にカラオケにハマっているかというと、とにかく高得点を狙おうとしている。一度でも100点とか全国一位とかが出たらこの連日のカラオケも終わりを告げるのではないかと思うが、こいつの歌ではとうていありえなさそうだった。
もちろん、カラオケで超絶に歌が上手かったり、ものもねが似てたり、高得点が取れたり……。そのような特技は女の子にモテるのだろうし、カラオケに連れ込みさえすれば毎日のように女の子と一緒に寝れるのだろう。実際そんなことをしている知り合いをひとり知っている。むかし、高校で組んでいたバンドでボーカルをやっていた輝人だ。高校を卒業してから2年ほど、あいつとはろくに顔も合わせていないが、いまも同じ街にいるらしいので、時々噂みたいなのを聞く。
あいつは名前の字の如く輝いているような人間で、女だけじゃなく多くの人々をひきつけるような、不思議な力があった。おれたちのバンドが高校内で組んだわりにそれなりに人気が出たのは、あいつのおかげとしか言いようがない。
そんな輝人を、一度、このカラオケに呼んでやろうかと思ったことがある。おれの電話帳にあるあいつの電話番号がいまも通じるかは甚だ疑問だけれど。
輝人の歌を聞けば、さすがに修平だってこの連日のカラオケをやめてくれるかもしれないと思ったからだ。そもそもおれがこのカラオケに毎日つきあう必要もなかったのだが、修平にとってはおれが一番誘いやすいらしい。修平自身もある程度自分が音痴であることは理解しているらしく、そんな歌でも黙って聞き、その上近くに住んでいて、夜中暇そうにぶらついているやつとなるとおれくらいなのだろう。おれもひとりで過ごしているよりは、下手な歌を聞かされながらだが、酒を飲み続けている方がずっといい。
もちろん、このカラオケに女の子を連れてくるなんてことは、修平にとってはありえないことだった。修平は馬鹿な男がたいていそうであるように、プライドだけは馬鹿みたいに高い。そういう自分の弱点を克服する意味もあってか、この連日のカラオケはおこなわれているのかもしれない。
かれこれそんな生活が今日で6日目。そろそろおれは限界だ。第一、駅前のカラオケに深夜、男2人だけ入店するなんてナンセンスだろ? あのいつも受付にいる女の子が昨日おれたちにどんな目を向けていたか知ってるか?
「もしかして……ホモカップル……?」
……そんなわけないやろ。
「もうさ、おまえ、音痴なんだからさ」
「うるせー、殺すぞ」
「もうさ、得点狙いにいくよりかは、大声で叫ぶ感じで歌った方がいいじゃねーの」
「ジャイアンみたいに?」
「いや、ジャイアンみたいにじゃなくてもいいけどさ、大声でもある程度はコントロールできるだろ? その方が案外上手い風に聞こえることもあるって。下手なボーカルのバンドってのは、だいたいそうやって誤魔化すんだよ。それっぽく聞こえるから」
「テルのことか」
「あれはちげーよ。叫ぶとむしろ勿体ないくらいだ」
カラオケ帰りの朝の池袋西口公園で、安定感のない腰掛に座りながらそんなことを話した。
おれがそんなことを話したのには、ちゃんと理由がある。
修平がカラオケに飽きるのを待つよりは、やつの喉をぶっ潰すように仕向けた方がずっと早いと思ったのだ。だいたいあいつのいまの歌い方は得点を取りに行くためなのか、一つひとつ音を合わせに行ってるような歌い方で、正直言って気持ち悪い。あれではいつまで経っても女の子とカラオケに行けやしないだろう。
そんな朝の西口公園を、ひとりの女性が通りがかった。別に人が通ること自体はおかしくないのだけれど、少しだけその容姿が目についたのだ。
ちいさな体躯なのに、十字架みたいなギターケースを背負っていて、おれは一瞬その姿を見て、いまからこの公園で歌うのだろうかと思った。
この公園で歌うやつは少なくない。むしろ駅前で歌うやつよりずっと多い気がする。しかし、時間が時間。こんな朝方だ。誰がこんな朝に歌うだろうか。聞くだろうか。叫ぶだろうか。彼女が歌うかもしれないと思ったのは、おれの希望にすぎなかった。
おそらく彼女はそのまま駅の方へ行くのだろう。もう電車は動き出している。しかし、意外なことに、おれたちがぼっーと彼女のことを見つめていると、彼女はおれたちのことに気づいた様子で、ぱっと足を止めた。
おれたちは声を合わせて「おっ」となった。そして本当にそのまま彼女はおれたちの座っている方へ向かってきた。さらにおれたちは「おっ」となった。
「瀬口さん、ですよね。元(?)ノキノン」
「ああ、うん」
結果、彼女はおれにだけ話しかけてきた。
ノキノンとは、おれが昔輝人たちとやっていたバンドのことだ。ノキノンは略称で、正式名称は「ノッキング・オン・ア・ヘブンズ・ドア」という。長すぎるから誰も正式名称で呼ばなかった。後半の「ヘブンズ・ドア」に関しては本当に好きなファンくらいしか知らなかったんじゃないかってくらい、ロキノンみたいにノキノンと呼ばれた。
ちなみにバンド名をつけたのはおれだ。よく「映画から取ったんですか?」と聞かれたが、そうじゃない。あの映画は「ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア」で微妙に違う。おれがその名前を取ってきたのは当時好きだった「IWGP」で、その一巻にあった洒落たラブホテルの名前から適当に取ったら、いつのまにか定着してしまったのだ。輝人のせいか、すぐに人気が出たから、変えるタイミングもなかった。
彼女はおそらく、その頃のファンなのだろう。ファンじゃなくても、見た感じ音楽をやっているから、おれのことを知ってくれてるのかもしれない。でも、輝人ならまだしも、ベースだったおれのことがわかるなんてすごい。もう2年も前のことなのに、なんだかおれはすごくうれしくなった。
「よくわかったね。もう髪の色も変わったのに」
当時はやばいほどに金髪だった。髪だけは目立とうとしていたのだ。ちなみにいまは黒。
「髪型は、変わってないので」
「そういえば、そうだな」
「いまも音楽、やってるんですか?」
「いや、いまは特に。たまに家で弾くくらいだよ」
「もったいないです。すごく、好きでした、瀬口さんの重音感のあるベース。こう、子宮の奥に響いてはね返ってくるくらいの」
「え、そんなに?」
彼女はおれのことを知っているようだったが、おれは彼女のことをなにも知らなかった。ファンの子といろいろしたこともあったけれど、覚えているのはよっぽど熱心だった子か、曲を聞いて最前列で泣いてくれた子の顔くらい。
だけど、彼女がファンだったとすると、どうしておれは彼女の顔を覚えていないんだろうと思った。それくらいに彼女は美人で、言ってしまえばおれの直球ど真ん中ストライクだった。清純そうな黒髪ロングで、精一杯背伸びをしてくれないとキスができない身長。もちろん音楽をやっているという点もプラス評価だ。そんな彼女が「子宮」だとかを口にしたので、正直おれは興奮した。
そのあと彼女と特別何かあったわけではない。少しだけ話をしたあと、「じゃあ」と言って彼女はすぐに駅の方へ消えていった。
名前を教えてくれた。江崎凛子。
連絡先は教えてくれなかった。
あとはぜんぶ音楽の話。
それと、これは本当に不思議なことだけれど、となりにいた修平はずっと黙っていた。
「だって、おれ、音楽はわかんねーし」
なんでこいつはおれのダチなのに、“ノキノンのおれ”を知らないんだろうか。高校時代もずっと一緒にいたというのに、わけがわからない。今後百年生きたとしても言える。あれはおれの黄金時代だった、と。
江崎凛子がいま、輝人と一緒に音楽をやっていると知ったのは、それから一ヶ月ほど経った頃のことだ。それからすぐ、江崎凛子と輝人は恋人同士なのだと知った。それを聞いてあの時、西口公園で気づかれたことにもなんとなく納得がいった。
だからと言って、輝人たちを見に行こうとは思わなかった。彼女のギタープレイも、輝人の歌う姿も見てみたかったけれど、見に行かなかった。あいつらはもう池袋を出ていったんだ。いまはここよりもっと騒がしいところにいるのかもしれない。
ただひとつ疑問なのは、どうして江崎凛子はあのときそのことをおれに話してくれなかったのだろうかということだ。もしかしておれは輝人に嫌われているのだろうか。そりゃ、あんまりいい別れ方しなかったけどさ。
おれはよく輝人のことをよく知ろうとしなかったのかもしれない。あいつの歌だけは最高だった。でも、それ以上のことを、おれは知らなかった。当時は知る必要もなかったのかもしれない。ほら、ザゼンの向井秀徳が一郎の加入時にああ言ったようにさ、それくらい音楽のことしか考えてなかったんだ。ただ今回のことで輝人のことが少しわかった。あいつの女の趣味はおれと似ている。打者としては同じ球団にいちゃいけないくらいに。本当に羨ましいよ。
修平はというと、いまもカラオケが好きだ。あの頃よりは落ち着いて、いまは週2くらいのペースだけれど、ずいぶんと歌もうまくなった。というか声が変わってきた気がする。おれはどこかで音楽は才能だと決めつけていたところがあったけれど、案外努力ってのは大事なんだと、まさかこいつに教えられるとはな。
「ミュージシャンとは、1パーセントの才能と200パーセントの努力で構成されています!」
修平の決めゼリフだ。ださい。なんていうか、めちゃくちゃださい。そんなんだから、いまだにカラオケで女の子を連れ帰れないんだよ。ばーか。
――それから、部屋の隅に置いてあるシエナサンバーストのほこりがふき取られるまでは、大した時間がかからなかった。