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女子高生は《ツンデレ》の夢を見るか

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 女子高生・猪立山萩乃(いたちやま はぎの)は、極真ツンデレ道場の門下生である。

 彼女は艶のある黒髪で左右に束ねたおさげを肩に乗せ、空手道着に身を包んで独り、しんと静まった板敷の稽古場で深く目を閉じ息を整えていた。長くながく腹に溜めたものを吐き出してから一拍、瞬時の吸気とともに開眼し、正拳を一気に突き下ろす。
 拳は足元の瓦に衝撃を伝えて、十枚重ねを残らず易々と割り砕いた。そのきれいな割り口は、すなわち技能の高さを物語っている。
「ふぅ……また失敗だ」
 しかし彼女はこの成果に不満げな様子であった。
「ひょっとしたらまだ余計な力が入っているのかもしれないね、萩乃ちゃん」
「あ、雨柳先輩……」
 肩を落としている萩乃に、後ろから穏やかな声がかけられた。振り向くと詰襟の服を来た優男が革の鞄を片手に歩み寄ってきている。
「先輩に教わった通りにやってはいるつもりなのですが、どうにも普通の突きになってしまうのです」
 一体どうしたらよいのでしょうか、と萩乃はうな垂れる。すると男は唇に手をあてて物思い、足元の破片を一瞥してから口を開いた。
「多分だけど、瓦だからじゃないかな?」
「どういうことですか?」
「長く空手をやってきた萩乃ちゃんにとって、瓦は演武で割るものだ。だから無意識のうちにそれを壊そうとしてしまう」
「そういうものでしょうか」
「それに、その恰好。空手道着を着ているうちはどうしてもそれに釣られちゃうよ」
「だけどこれを着たままで出来るようになりたいのです」
「段階を踏んでいったほうがいいよ。まあ、試しに僕が実演してみせよう」
 やおら男が胸ポケットから取り出したのは、コンビニの駄菓子コーナーでよく見かけるおまけ付きの菓子だった。
「例えば僕はこのシックリマンチョコが好きなんだけど」
「いつも持ち歩いているんですか?」
「大好きだからね」
「はあ……」
 驚きとも呆れとも言い得るものがごちゃ混ぜになって固まる萩乃の前で、男は慣れた手つきで袋を裂き、真っ先におまけシールを抜いた。
「やった。スーパーレアが出たぞ!」
 キラキラしたものに目を輝かせる様子は妙に子供っぽくて、実に嬉しそうだ。
「先輩?」
「ん、こほん。まあこれはこれとして、ちょっとこっちを上に向けて持ってて」
 すぐさま我に返った男はシールと袋を胸にしまい戻して、ウェハースチョコ菓子を萩乃に渡す。そして眼光を鋭くし、拳を引いて構えた。
「萩乃ちゃん、じっとしててね」
「まさか先輩、これでやる気ですか? む、無茶です。こんなもの、赤子の手でも簡単に砕けてしまいますよ」
「大丈夫だ」
 大丈夫だよ、の「よ」を言い終える前に彼の腕は伸びきった。狙いあやまたず、その突きは確かに萩乃の指の直上を抜いた。パシンという乾いた音に続いてウェハースが彼女の手を離れ、耳をかすめて過ぎ行く。
 遅れてじわりと汗をかいた萩乃は、慌てて後ろを振り返った。そして走り、遥か先の壁際にまで跳ね落ちたチョコ菓子を拾い上げた。男が打ったときの衝撃は強く、それを持っていた彼女の指に若干の痺れが残っているほどだにも関わらず、壊れやすさ満点なはずの菓子は欠片も割れていないのであった。
「お見事です、先輩」
「《先輩》として、まだまだ萩乃ちゃんに遅れをとるわけにはいかないからね」
 当然だとでも言わんばかりに、男はにこりと笑った。

 先輩と呼ばれる男が見せた打撃技の名は柔拳突き(じゅうけんづき)――これは極真ツンデレ道場に伝わる奥義であり、端的に言えば相手を傷つけずに殴る技である。
 極真ツンデレは溢れんばかりの好意を抱きながらもそれを素直に伝えることが出来ずにうっかり粗野な言動やそっけない態度をとってしまい、あまつさえ殴る蹴るなどの荒ぶるコミュニケーションにすら及んでしまうことを完全なデレ状態に至るまでの前段階・ツン期の正道として説いてはいるが、それで実際に歯を折ったり内臓を破裂させたりするほど痛めつけては洒落にならない。
 そこで柔拳突きが利く。これを用いれば自らを強く印象付けつつも決定的な人間関係崩壊を防ぐことが可能となるのだ。何を言っているのか分からないかもしれないが、要は、相手を傷つけずに殴る技である。
 そしてこの柔拳突きは、萩乃がツンデレを志す一番の理由でもあった。

   *

 猪立山萩乃は、昔から暴力が大嫌いだった。理不尽な暴力を振りかざして何もかもを自分の思い通りにしようとしている人間を見ると吐き気がする。だからそんな理不尽を打ち倒し、そのせいで涙する人を守れるようにと、幼い頃に空手道場の門を叩いた。
 だが彼女は必死に研鑽するあまりに強くなり過ぎた。中学生の全国大会にて、決勝戦で相手の肋骨を折ってしまったのだ。体重の乗るカウンターで突きが入ったことを加味しても、拳サポーターとボディプロテクター越しに人体を壊す威力は異常だと恐れられた。
 いつしか自分自身が最も嫌悪していた、暴力を振るう側になっているのではないだろうか。そう思い悩んだ萩乃は道着をたたんで拳を収めた。
 やがて高校生になった彼女に訪れた転機は、祖母の訃報だった。ずっと昔はよく遊んでもらっていたのだが、ここ数年は何故か疎遠になっていた。そんなものだから、祖母が道場を経営していたことには気付かなかったし、ましてやそれがツンデレ道場だなどと知るはずもなかった。
 かつてのツンデレブーム全盛も今は昔――猫も杓子もツンツンデレツンデレツンツン、テレビにツンデレ系アイドルを出せば数字が稼げて、ツンデレの有段者だと履歴書に書けば就職活動で一目置かれるとまでもてはやされた頃の栄光は鳴りを潜めている。初めて萩乃が父親に連れられてきたこの道場では、壁に門下生の名札は一つしか掛かっていなかった。
 その人物こそ今の萩乃が先輩と慕う男・小野傘雨柳(おのがさ うりゅう)である。
 その場で例の柔拳突きを披露され、ツンデレの理念を聞いた萩乃は目から鱗を落とし、このツンデレ道こそ自分の新たな道標になると信じた。そして元々は祖母の遺産を売却するつもりだった父親に頼み込んで存続させてもらい、師範不在ながらもこうして稽古を重ねているのであった。 

   *

 突きの練習を一段終えて厳かに正座する萩乃の前で、雨柳はあぐらをかいてウェハースを口に入れる。
「うん。やっぱりシックリマンチョコは、いつどこで食べてもしっくり来るね。美味い」
 床に落ちたものであっても彼は頓着しないようだ。いやむしろ、それだけ好きなものであるからこそ、あれだけ精度の高い柔拳突きを放てるのだろう。
「お疲れさま、飲むかい?」
 雨柳は鞄から取り出した二本の缶ジュースのうち一本を萩乃に差し出した。
「あ、ありがとうございます」
「いや、勘違いしないでね。自販機で買ったら当たりが出ちゃって、僕一人じゃ飲みきれないし邪魔だから萩乃ちゃんにあげるだけだよ」
「そ、そうでしたか……」
 予想外のとげとげしい返しにしゅんとした萩乃だったが、ジュースを二口ほどズズコーッとすすったところで真意に気付き、はっとする。
「今のはツンデレ四十八手のうちの一つ“勘違いしないで”ですね! 自然な流れでの発揮、お見それしました」
 萩乃は深々と頭を下げた。
「実は私も実践を試みることもあるのですが、なかなか上手に出来ませんで」
「何か不安というか、話したいことがあるみたいだね。僕でよければ聴くよ」
 優しく促されて、吐き出すように語る。
「はい。先日、理科の授業中に同じ班の男子が、実験で使う試験管を落として割ってしまったのです。そこで私はチャンスだと思い、ツンデレ四十八手の一つ“バカじゃないのアンタ、死ねばいいのに”を使ってみました」
「それでどうなったの?」
「ひどく怖がられました」
「まあ、そうだろうねえ」
「何故ですか!?」
「だってあれは、四十八手のうちにあるもう一つ“でも私だけはそんなアンタのいいとこ知ってるんだからね”と合わせてこそ真価を発揮するものだからだよ」
「そ、そうだったのですか……自分は浅学でした」
 当然の結果を何故と問う。小学校に上がる前から年上に交じって強くなることばかりに専心していた彼女は、同年代での友達付き合いが少なく、それ故に家族以外の人間との距離感を掴むことが不得手なのかもしれない。
「ねえ萩乃ちゃん。この道場の掲げる理念は知ってるよね?」
「もちろんです」
 はっきりとした萩乃の即答を受け、雨柳は首をひねって神座を見やり、そこに書かれた格言を読み上げた。

『ツン無くしてツンデレたるべからじ されど人はツンのみにて生きるにもあらず』

 半分まで言葉にしたところで彼は間を置いた。すると萩乃が深く目を閉じ、その続きを暗唱する。

『デレ無きツンは暴威なり 忘るるなかれ これ礎(いしずえ)にして極意なり』

「そういうこと。何を置いてもまず愛が無くちゃいけない」
「はい。頭では理解しているつもりなのですが、どうにも難しくて……」
「うん。でもあまり根を詰めないようにね。無理に何かを愛せと言っても無茶なんだから。そもそも無理やりするのは愛じゃない」
 ツンデレはファッション感覚で覚える技巧じゃなく、また流行で求められる消耗品でもない。愛の尊さは永遠で、その愛を形として体現するための道がツンデレなんだよ――初対面のときに雨柳は、恥ずかしげもなく萩乃にそう説いたものだ。
 よっこらせと彼は立ち上がる。
「もうお帰りですか?」
「ちょっとね。今日は用事があるんだ」
「そうなのですか。ならば――」
「幼なじみと会う約束があってね。そいつも《ツンデレ》に理解のある奴だからこの道場と萩乃ちゃんを紹介しようと思ってるんだけど、まだ来ないんだ。道にでも迷ってるのかな」
 途中までご一緒しましょう、という誘いの文句を萩乃はギョクンと呑み込んだ。呑まざるを得なかった。
「電話にも出ないみたいだし、とりあえず今から駅に行ってみるよ。だからわるいんだけど、もし萩乃ちゃんがいる間にすれ違いでそいつが来たら、ここで待たせといてよ。萩乃ちゃんが先に帰るときは鍵を閉めちゃっていいからさ」
「あ、あの、先輩、その人は……」
 携帯をしまいながら去ろうとする雨柳を萩乃は急いで引き止めたが、このときの彼女はきっと大いに混乱していたのだろう。「幼なじみ」という彼と親しげな者の存在をほのめかされたかと思えば、今度はそれと自分とを関わらせるつもりだと言い出すのだから、おのずと内心は穏やかではなくなる。
「えっと、あの、その人は男ですか? 女ですか?」
「ん? うーん……限りなく女に近いけど、肉体的には男だよ」
 彼女の疑問は一つ解消されたが、疑念は残った。結局その人を男とみるべきなのか女とみるべきなのか。全くすっきりしない。そもそもどうして自分はあんな質問をしてしまったのか。幼なじみの性別なんかよりも、もっと他に例えば名前を訊ねるべきだったのではなかろうか。
 しかし萩乃がそのように後悔するのは、彼の背中が消えて久しく経ってのことである。


 悶々としたままの萩乃が床板を雑巾がけしていると、外でジリジリ震えるセミの声を切るように、不意に稽古場の呼び鈴が凛と鳴った。さてはと思い、萩乃が来客を迎えに下駄箱のところまで駆けると、そこには確かに男か女かすぐには判じかねる外見の者が肩をせばめて佇んでいた。
 それは萩乃よりもやや背が低く、丸みを帯びてあどけない中性的な面立ち。くせっ毛の髪は耳を隠す程度の長さである。
 今は軽快そうなパンツルックだから辛うじて男性のように映るが、もしスカートを穿いていたら間違いなく女性と信じられる。雨柳先輩の幼なじみにしてはやや若いなと萩乃は考えもしたが、高校生以上ともなれば実年齢の分からない人間はよくいるもので、実際に彼女もクラスメイトのとある男子生徒を見たときには教師が学生服を着ているのかと目を疑ったものだ。それを考慮すれば、逆パターンもまたあり得るだろう。
「あのぅ、すみません。ここに小野傘雨柳って人は、今いますか?」
 先に問いかけたのは来訪者だった。このタイミングと、口に出された名前とをもって、萩乃は目の前の相手こそが約束の人物だと確信した。
「ああ、雨柳先輩の幼なじみの人ですよね? 話は聞いていますよ」
 そう萩乃が答えたとき、相手の眉がぴくりと動いたことに彼女は気付いていない。
「どうぞ上がってください。先輩は今はいないので、すぐに呼び戻します」
 言われた通りに客を待たせようと、萩乃は踵を返す。
「ちょっと待って。マジで? 話は聞いてたって? ボクが《幼なじみ》だって気付いてたとでも?」
 すると急に強い力で肩を掴まれ振り向かされた。見ると相手の口元は歪んでおり、何か焦りのようなものが感じられた。その雰囲気に萩乃は、疑問よりもむしろ恐怖に近いものを覚える。
「は、はい。すぐに、ピンときました」
 引き気味ながらも正直に萩乃は答えた。
「そっか。ボクは鹿子木紅葉(かのこぎ もみじ)っていうんだけど、きみは?」
「私の名前は、猪立山萩乃、です」
「なるほど。きみが……ね。ねぇ、はーちゃん」
 初対面にも関わらず、何故かいきなり愛称で呼ばれ距離を詰められた。互いの胸が付くほどに近い。戸惑う萩乃の肩にはずっと手が置かれたままだ。
「え? あ、うん……はい?」
「バレちゃってるんなら仕方がないや。ちょっと手荒な真似をさせてもらうからね」
 男とも女ともつかない声が耳元で揺れる。

 まとう空気が一変した。
 奇しくもこれは萩乃が幾度となく体験したことのある、試合で対戦相手とぶつかり合った瞬間の気迫によく似ていたのだった。
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