放課後、ファミレスで茂田と横井と駄弁っていたら、窓の外を天ヶ峰がチャリンコで走り去っていった。
それを見て、俺は喰っていたパスタをボタボタと皿の中にこぼした。
なぜなら、天ヶ峰のチャリンコの前カゴの中に、いたいけな子犬が乗せられているのを俺のメガネは捉えてしまっていたからである。
いやメガネなくても見えたけど。茂田がミラノ風ドリアをむせていた。
「ご、後藤、いまの見たか」
「ああ、なんてこった」
俺は手を組んで額に当て、悲嘆に暮れてみせた。
「混沌なるカオスにようこそ……!」
「何を言ってるのかわからねーが気持ちは分かる」
「え、何、何?」
余所見をしていた横井がいまさらになって俺たちの会話に割って入ってきた。つーかどんだけデカイパフェ喰ってんだお前は。
「どしたの。何があった。話してみろ」
「なんで上から目線なんだ……まァいい。よく聞け横井、いま窓の外を天ヶ峰がチャリンコで通り過ぎた」
「お会計ーっ!!!!」
レジに向かって叫んだ横井を俺と茂田は羽交い絞めにした。横井は活きのいいウナギのように逃げ惑う。なんかつるつるしてる。
「逃げなきゃ! みんな殺されちゃう!!」
「落ち着け! もう手遅れだ、お前の住所はあいつと同じ地区にある」
「うわぁーっ!!!!」
頭を抱えて泣き叫ぶ横井。ファミレス側からお悔やみとしてフライドポテトが一皿運ばれてきた。ありがたく喰う。
「有難いことに、天ヶ峰は俺たちに気づかず通り過ぎていった」
「もし俺たちがこんなところで茶ァしばいてるのがバレてたら思い切りタカられてたな……」と茂田が身震いする。
「そうだな……だが、今の問題は、奴が自転車の前カゴに入れていたいたいけな子犬……あの子犬の運命を俺たちはいかにするべきだろうか?」
「マジかよ後藤……」横井が言った。
「天ヶ峰の奴……おやつの誘惑に勝てなかったのか……」
「マジで犬喰ったらさすがに引くわ」と俺。
「こないだツイッターでトイプードルが唐揚げに見える画像をRTしてたぞアイツ」と茂田。
「ああ、それ見た見た」と横井。
茂田と横井がしれっとそんな情報を落としたが、ちょっと待てよ、俺、天ヶ峰がツイッターやってるなんて知らないんだけど。え、何? 俺ってやっぱりちょっとハブられてんの? あまりにも地味に凹んだので咄嗟に聞けなかった。
「夏が過ぎ、揚げ物が美味しい季節になり、心のどこかが壊れちゃったのかな、天ヶ峰の奴……」
「唐揚げはいつだってうめーよ」
ちなみに天ヶ峰が拉致っていたワンコはトイプードルである。うーん、これはナルホド君でも勝訴は難しいかもしれねぇな。
「どうする、このまま見殺しにしたら俺たちはもう唐揚げを美味しく食べることが出来ないかもしれない」
「とりあえず唐揚げから離れてみよーぜ? まずワンコの命が最優先だろ」
さすが横井、彼女持ちは当たり障りのないこと言うのが上手いぜ。
俺の殺意の視線を感じ取ったのか横井が脂汗をかいている。最近、彼女持ちというのを理由に男子から理不尽な暴力やヒザカックンや失神ゲームを受けることが多い横井はいつも警戒アンテナを張り巡らせている。たぶんいまビンビンに感じ取っているのだろう、我が殺意。
「や、やめろよ後藤。俺たちが争ってなんになるっていうんだ!」
「世界が平和になる」
「俺は魔王じゃねーっ!!」
「とりあえず出るか」
「そうだな」
俺たちは割り勘でファミレスを出て表へ出た。
「これからどうする?」
横井がまだパフェを喰っている。俺は噴いた。
「なんでまだパフェ喰ってんだおめーは!!」
「え、え、だってまだ食い切ってなかったし」
「容器持ってきちゃったから店員さん怒ってるぞ絶対……」
茂田が振り返ると、ファミレスからエプロンドレスを着けたメイド服のウェイトレスさんがドアを蹴破って飛び出してきたところだった。やばいやばいめっちゃ怒ってるめっちゃ怒ってる。砂塵とか巻き上がってる。
「あわわわわわわ……」
「バカヤロー横井、スコーンかなんかに移してもらえばよかっただろーが!!」
「だ、だってそんな柔軟な対応してもらえないと思ったし!!」
「横井、茂田、喧嘩してる場合じゃねーぞ!! あのメイドが横断歩道を渡ってきたら俺たちは死ぬ。……うぉぉぉぉぉぉ逃げろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
俺たちは律儀に赤信号を待ちながらなにやら喚いているメイドさんを振り切って、走り出した。それもこれも全部、天ヶ峰って奴のせいなんだ。
○
メイドさんはなんとか振り切ったものの、背後から破壊音が聞こえてくる。
俺たちはひょっとしたらもうすぐ死ぬかもしれないが、それまでになんとか子犬だけはあのクソバケモノから助けたい……そんな思いが通じたのか、明らかに天ヶ峰が通過したであろう地点を見つけることが出来た。
そば屋のせがれのてっちゃんが自転車ごと地面に突き刺さっていたのである。
「てっちゃん……」
俺は面白オブジェと化した友達にかける言葉を失った。
「いったい何があったんだってばよ……」
垂直に地面に前輪を突っ込んだ姿勢のまま、チャリから降りるに降りれなくなっているてっちゃんは、「ふっ……」とクールに微笑を浮かべた。笑ってる場合じゃねーだろ。
「わかるだろ? 天ヶ峰さ……」
「ひでぇ……てっちゃんはそばの配達をしていただけだろうに……!」
茂田が「くそっ!」と両拳を打ちつけた。横井はまだパフェを食っている。
「てっちゃん、詳しく話してくれ。俺たちは天ヶ峰を追っているんだ」
「やめておけ後藤、奴はもはや人間の手でどうにかできる存在ではない」
「わかってる……だがそれでも、俺たちには守らなきゃいけない生命があるんだ……!」
俺たちの脳裏に、唐揚げそっくりのトイプードルがふわんふわんふわんと浮かんだ。スゲェ美味そう。
「教えてくれ、てっちゃん、何があったんだ!」
「後藤んちの親父さんにそばの配達してるって天ヶ峰に言ったら、おかもち取られた」
「親父ィィィィィィィ!!!!!!」
さっき携帯にメールで「はらへった」とか来てたけどそれが原因かよ! ていうかその出前って俺の夕飯でもあるんじゃねーのか!! ちっ、畜生!!
俺が打ちひしがれているそばで、茂田が懐から生徒手帳を取り出し、胸ポケットからジェットストリームのボールペンを取り出して何か書き付け始めた。
「それで? 天ヶ峰は自転車に乗ってたのか?」
なんか刑事気取りが始まった。
てっちゃんは地面と90度の姿勢を保ちつつ、神妙なツラで頷いた。
「ああ。確か前カゴに子犬を入れていたな……たぶん食べる気なんだろう」
「やっぱりてっちゃんも天ヶ峰はあれを唐揚げだと思っていると見てるか?」
「俺からそばを奪っていった後、『レモン汁』と呟いていたよ」
「こりゃアウトだな」
レモン汁ってマジで喰う気じゃねーか。ヨダレ出たわ。
茂田はパタンと生徒手帳を閉じると、それを制服の裏ポケに仕舞った。
「協力感謝するぜてっちゃん。じゃ、あばよ」
「待てよ茂田!! 俺を助けてくれねーのか!!」
「いくぜ後藤、横井! 俺たちの事件はこれからだ!」
「おう!!」
俺たちは明日に向かって駆け出した。背後からてっちゃんの叫びが追いすがってくる。
「はっ、薄情者ぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!」
後日、てっちゃんは業者の手によって無事、回収されたそうである。
いや、なんつーか、普通に降りればよかったのでは……
○
街に破壊の痕跡が刻まれている。
チャリンコロードと呼ばれる川原の土手にポツポツとある自販機、その一台がもくもくと黒煙をあげてショートしていた。俺たちは近寄ってみて、その筐体に開いている穴がどう見ても拳の形をしているのを写メに撮ってネットに晒した。レスがついてる。『安定の地柱』『また天ヶ峰かよ』『治安破壊兵器ミサト』とかいろいろ好き勝手なこと言っている連中が大勢いるが、奴らはそのうちなぜか自分の悪口に敏感な天ヶ峰によって粛清されるであろう。まァ、スーパーハッカーの芥子島が天ヶ峰にこいつらのIPアドレス売ってるからなんだけどね。あいつバイトだけじゃ喰っていけないからって悪魔に魂を安売りしすぎである。
茂田は足元に転がっているレモンスカッシュを拾い上げた。
「あいつレモン汁のことなんにもわかってねーな」
「ああ、果汁100%しかありえねえ。それを曲げた時点であいつは唐揚げマンとして二流だ」と俺。
「唐揚げマンってなんだよ……」横井はまだパフェを喰っている。
「しかし、いよいよあいつは犬をもぐもぐする気満々マンだな……」
「おい、卑猥なことを言うのはよせよ!」
「卑猥か? これ」
俺たちはとりあえず自販機から吐き出された哀れなジュースたちを供養するために飲み干しながら(美味い!)、あたりを散策した。天ヶ峰に襲われた犠牲者がいるかもしれない。
「おい、見ろよ!」
「どーした茂田」
「土手の下に何か潰されてるものが……」
見ると、どうやら屋台らしきものが、木っ端微塵に粉砕されている。木片の下でモゾモゾと何か動いていた。
「大丈夫かーっ!!」
俺たちは土手を駆け下りて、屋台の残骸に近寄った。
「うう……後藤か」
「江戸川じゃねーか。お前何してんだこんなところで」
サッカー部の江戸川は、コック服とコック帽を身に着けたサンジのやる気ないコスプレみたいな格好をしていた。ぶっ壊された屋台を片手で示して、
「金稼ごうとしたらコレだよ。世知辛ぇ」
「天ヶ峰か?」
「それ以外に何があったらこんなことになるんだよ。畜生、俺のおでんが……」
江戸川は潰えた己の夢の前にしゃがみこんだ。つかサッカー部ってバイト禁止だったじゃん。
「やっぱりダシとか取り方も分からずにとりあえず煮て天ヶ峰に出したのが悪かったのかな……」
「お前味付けしねーでおでん出したのかよ」俺は呆れた。
「そりゃ店ぶっ壊されるわ」と茂田。
「このジャガイモ貰っていい?」横井はジャガイモをかっぱらっている。
「いいよ、もってけドロボーめ! どうせ小林さんちの畑からパクってきたやつだ」
「お前そろそろ小林さんにブッ殺されるぞ」
小林さんは地柱北東の農業地帯に住んでいる農家の娘さんだ。俺たちより一個上で、俺たちが足しげく収穫物をパクっていくので時々男子高校生のモノ言わぬむくろがカカシ代わりに畑に吊るされているが、俺たちはジャガイモをパクるのをやめない。
「江戸川、俺たち天ヶ峰を追ってるんだが、行方を知らないか?」
「お前ら命が惜しくねーのか」江戸川はコック服についたホコリを払いながら言った。
「奴はこの世界に顕現した悪夢。もう誰にも止められない」
「それでも、救いたい命があるんだ」
「そうか……ああ、そういや、なんか『女の子のにおいがする!』とか言って、公園の方にチャリで走ってったぞ」
「マジかよ……」
「女体盛りかな……」
俺たちはふざけたことをぬかした横井のことを完全無視して、江戸川の屋台からオサラバした。最後に振り返ると、江戸川は屋台の残骸を放置して逃走しようとして近所のオバサンにとっ捕まっていた。片付けはちゃんとやらねーとな。これ、ギャルの鉄則。
○
「この公園、ガキの頃よく遊びに来たなー」
「そういやそうだったな」
「ああ、そうだったよね」
「いや横井、おめーはまだ転校して来てなかったろ」
地元衆ぶって話に割り込もうというセコイ手を使ってきた横井を俺は睨みつつ、公園の車止めを颯爽と乗り越えた。
「誰もいねーな」
「最近の子供は家でオンラインゲームしてるらしいぞ」
「俺たちがガキの頃は滑り台の上でニャースとストライクを交換したもんだけどな……」
「第一世代懐かしいな……」
そんなノスタルジーに浸りつつ、俺たちは周囲を見渡した。クソバケモノとそのチャリは見当たらない。だが地面を抉っている深い轍の跡を見る限り、どうやら天ヶ峰はちょっと前にここでドリフトをしたようである。なんで一人でハッスルしてんだアイツは。
「誰かいないかな……」
「目撃者はいても消された可能性があるな」
「恐ろしい……」
と、横井が何か見つけようだった。
「おい、ゴトシゲ」
「略さないでくれる?」
「悪かった」
横井は俺と茂田によってギロチンにかけられる前の海賊王みたいな姿勢を取らされ、あっけなく降参した。
「見てくれよあれ。紫電ちゃんじゃない?」
「なんだと!」
俺たちは咄嗟に茂みの中に飛び込み、迂回しながら現場へ向かった。
夕暮れの公園で、その金髪を陽光に淡く輝かせながら、紫電ちゃんがブランコに座っている。いつもの学ラン鉢巻姿、ボタンが開かれた前からは『るーるむよう』と書かれたTシャツが見える。最近ちょっとおっぱいが膨らんできているという情報があるが、なるほど、ダブルAだ。
「なにやってんだろ?」
「しっ、黙ってろ横井」
俺たちは息を潜めて紫電ちゃんの様子を窺った。
キィキィとブランコを揺らしながら、紫電ちゃんは何かアンニュイな面持ちで地面を見つめている。
「おっぱいのこと考えてるのかな」
「もしそうだとしたらおっぱいってスゲェ神聖なものに違いないな」
しかし、よく見ると、どうも何かを考えているようではなかった。最初、指でもしゃぶっているのかと思ったが、何か舐めているらしい。
ペロペロキャンディだった。
俺たちはゴクリと生唾を飲み込んだ。
放課後、一人で、ペロペロキャンディを舐める女子高生……
紫電ちゃん……
友達いないのかな……
「うっ」
思わず俺たちの目から涙が流れ落ちた。
「っ!? 誰だ!!」
紫電ちゃんがブランコから立ち上がり、俺たちの茂みの方を見た。ヤバイ! こんなところで一人寂しく駄菓子舐めてたのが俺たちに見られていたと知ったら、紫電ちゃんは明日学校を休んでしまうかもしれない。
「逃げろーっ!!」
「逃がすかっ!!」
げしっ
俺たちはあっけなく茂みの中から引っ張り出されて、二、三発ショートアッパーを喰らって空中に浮かせられた後、舐めプされて地面に這いつくばった。
「ぐええ……」
「お、お前ら……見てたのか!? いつから!!」
「紫電ちゃんが自分のおっぱいの大きさを確かめた後、ペロペロキャンディ舐め始めるとこから」
「最初からじゃないかーっ!!!!」
真っ赤な顔で叫ぶ紫電ちゃん。つーかマジでおっぱいサイズ確かめタイムしてたのかよ!! くそっ、録画班を張らせておくんだった……!!
「ううっ……盗み見なんて、ひどいじゃないか!!」
紫電ちゃん割とぷんぷんである。
「こころぴょんぴょん?」
俺はウサギの真似をしてみせたが紫電ちゃんに血走った目で胸倉を掴まれてしまった。マジゴメン。
「くっ……かくなる上は、お前ら全員、記憶を失ってもらうしか……」
「よすんだ紫電ちゃん。君に本気でブン殴られたら俺たちが失うのは命のほうだ」
「でもっ、見てたんだろ!? 私が……私が……」
涙目になって俯いちゃう紫電ちゃん。ごめん、いまさら見てなかったとは言えねーわ。
「ひどいよぅ……」
「気にするなよ。ちっぱいにはちっぱいのいいところがあるさ」
「うるさいっ、気休めを言うな!」
「それより紫電ちゃん」
「それより!?」
「いや、あの、俺たち天ヶ峰を追っているんだけれども、行方とか知らない? たぶんこの公園に来てたと思うんだけど」
紫電ちゃんは俺の胸倉から手を離した。
「……美里か? 確かに来てたぞ。かわいいトイプードルを連れて……」
「あれ唐揚げに見えなかった?」
「見えた」
だよなあ。
俺たちは考え込んでしまった。
「紫電ちゃん、アイツ、あれ喰う気だと思う?」
「お前ら馬鹿か」
やべえ、紫電ちゃんが軽蔑のまなざしで俺たちのこと見てる。感じる。
「いくら美里でも、あんな可愛い子犬を食べたりするわけないだろ!」
「でも紫電ちゃん、あいつは自分の欲望には決して逆らえない奴だよ」
「それは……そうかもしれないが」
紫電ちゃんもちょっと不安そうになってきたようだ。
「だが、この公園で楽しそうに『いってこい』したりして遊んでいたし、食べ物とは見ていなかったはずだ」
「なるほど、この公園には遊びに来たのか」
「ああ。ここじゃ狭いから川原にいくと言っていたぞ」
「んで紫電ちゃんは一人残ってここでおっぱい揉んでたの?」
泣かれました。
○
俺たち三人は泣き喚く紫電ちゃんにビンタされて顔に紅葉をいただいた後、川原へ戻ってきた。紫電ちゃんたぶん明日学校来ねーなー。プリント持って行くフリしてセクハラしに行こぉーっと。
山賊のように土手をよじ登って、見晴らしのいい道路に出ると、そこから川原が見える。そこに天ヶ峰がいた。
「それいけタマ! とってこぉーい!」
わんわん、とタマと呼ばれたトイプードルが天ヶ峰の投げた野球ボールを追いかけていく。ちなみに豪速球もいいところで、途中に生えていた茂みとか立ち木とかを薙ぎ払って飛んでいった。あのボールを恐れないとはあの子犬、ツワモノか。
「それにしても犬にタマか」
「今年の夏は暑かったから少しおかしくなっちゃったんだろう」
「ありうるなーそれ」
俺たちは好き勝手なことを言いながら腹這いになって天ヶ峰を観察した。あいつ自転車の止め方わかってねーな。川原の砂利にまたもや前輪をブッ刺して固定している。スタンド使えよ。
「それにしても、こうやってコソコソ盗み見してると、まるで天ヶ峰のストーカーみたいだな俺ら」
「よせよ茂田、寒気がする」
「毛布いる?」
「なんでもってんの?」
横井がかけてきた毛布を跳ね除けて、俺たちは少し匍匐前進、天ヶ峰に近寄った。あまり近づきすぎると闘気で火傷とかするかもしんない。
「おぉーよしよし! よしよし!」
天ヶ峰がボールをくわえて戻ってきたワンコの首をわしゃわしゃと撫でてやっていた。こう書くと女子高生の無邪気な一面に思えるかもしれないが、実際はムツゴロウさんのモノマネをするアホの子にしか見えない。
「タマは賢いなぁ~」
はっふはっふ、とワンコは「お前の言ってることはよくわかんねーけど、お前といるのは楽しいぞ」みたいな爛々と輝く目で天ヶ峰を見つめている。可哀想に。お前喰われるんやで。
「そーれ、今度はスライダーだ~!」
ぎゅおおおおお―――――ん……
天ヶ峰の投球は、スライダーどころか速過ぎるストレートでぎゅんぎゅん伸びて大空へと飲み込まれて消えた。飛行機とかぶつかってねーだろーな。撃墜されるぞ。
「あー。やってしまった……」
手を庇にして、消えたボールの行方を見上げる天ヶ峰。ワンコははっふはっふしながら「気にすんなよ! べつので遊ぼうぜ!」みたいに息巻いている。可哀想に。お前喰われるんやで。
「ごめんね、タマ。今日はもうボール遊びは無理なんだ」
「わふぅん?」
「んー、でも、楽しかったからいいよね!」
「わんわん!」
「それじゃ、また遊ぼーねー」
天ヶ峰は砂利にブッ刺さっていた自転車を引き抜くと、ガシャアンとそれを地面に打ちつけ、サドルにまたがった。
「ばいばーい!」
手を振って、ギコギコ走り去っていく。
タマはしばらく天ヶ峰を追っかけていたが、やがて「わんわん!」と二声鳴くと、元いた場所へとぼとぼ戻っていった。よく見ると、天ヶ峰と遊んでいたすぐそばに、ダンボール箱があり、タマはそこに潜り込んでしまった。
茂田があんぐりと口を開けた。
「す、捨て犬だったのか……」
「女ってたまにわけわかんないことするな……」
あー、と俺は言った。
「そういや、天ヶ峰のお袋さんは動物アレルギーなんだよな」
「そうなん?」
「ああ、だから拾ってやれねーんだよ」
俺はちょっと考えてから、言ってみた。
「飼おうかな……」
「マジか後藤」
「英雄現る」
「お前らな……少しは『俺がやる』『じゃあ俺が』みたいな空気にならねーのか」
「すでにワンコを抱きかかえているお前にどう抵抗しろと?」
ハッ。な、何が起こったんだ……いつ間にか俺の腕の中に唐揚げそっくりのトイプードルが……つぶらな目で俺を見て……俺を……
「ふふ、ふふふ」
「やべぇ、コイツ目が怖い」
「犬が逃げようとしてるぞ」
俺は二人に今にも通報されそうな気配を感じつつ、帰り際にドッグフード買って家に帰った。
トイレ用のペットシーツこそ買うべきものだったと、びっしょびしょになったラノベの山を見て思う羽目になるのは、わずか三十分後のことだった。
○
後日、俺はいきなり教室で天ヶ峰に飛びかかられて後頭部を強打した。だらだらと血を流してへたり込む俺の首に抱き着いた天ヶ峰は「よぉ~~~~しよしよしよし」と俺の髪をわしゃわしゃ撫でまくって言った。
「ぐっじょぶ!!!!! よくやった!!!!!!」
そー思うなら殺しにかかるのはやめてくれ……
おわり