3059 304D
降格が二階級から一階級になったところで、やることもできることも大きく変わりはしない。
作戦区を移ったことで上司が変わったのだが、今度は無味乾燥というより官僚的で、面白みがないことには変わりはない。
一番の変化は、今回の任務が警邏というよりは現地探査に近いという部分なのだが、それは、この担当地区では人影らしき存在の確認も当初から任務のひとつに含まれているということをも意味する。なので、警邏を終えキャンプに戻り次第、気配や物音、変化などを感じた地域をアウラとともに地図で照会する作業を念入りにしている。そして、それをサーバに保存し、同地区の担当者と指揮官など上位者が閲覧できる形にしてある。
そしてそのデータをプリントアウトし、現地でチェックし、書き込みしてゆく。
アウラのような監視兵器を作り出すほど技術が発展しても、紙は偉大だ。
地図上にはいくつかの丸と、そこで発見された状況が何色かで書かれている。これは、ここ数日、俺とアウラの組、そしてそれ以外の担当者によって記録された何らかの形跡を表している。
前日にはなかった空き缶。
釘で打ち付けられた板が外され、侵入を許した形跡がある扉。
栄えた商業区であったらしいこの地域では、大きめの商店が立ち並び、三階建ての建物も混ざる。
食料さえ確保できるならば、転々としながら身を隠し住むには申し分ないだろう。そして、その食料も商業地区である故にある程度揃っているだろう。
となると、だ。
指示が下った段階での『子供らしき人影』のみならず、流れ者や荒くれ、食い詰めた無法者にも目をつけられ、流入を招きやすい状況にあるということでもあるわけだ。
時間が経てば経つほどに。
そして、逃げだす力すら持たざる者の保護は出来る限り早急に行われなければならない。手遅れになった段階での発見は無力であることの追認作業に等しい。
全てを救えるわけではない。
ないのだが。
確実に、人の気配は、ある。明らかに人為的な変化もある。そして、こちらの動きを探っているような視線を感じることもある。
しかし、未だ、居場所の特定には至っていない。
人間の動線というものは、ある程度のパターンがある。地図上の印が集まれば集まるほどに、その動線がひとつの可能性に収束してゆく、はず。
その可能性によって見えた『何か』、そこに明らかな形跡を、あわよくば足取りをつかみ、積み重ねてゆく。そんな作業だった。
そして、形跡や足取りが増えるごとに検討作業の時間も増し、昨日などは警邏が終わってから四時間、二十一時まで作業に費やしてしまった。
アウラが楽しそうに作業を手伝ってくれるので救われている部分がなければ、ただのつらい作業だな。
アウラがいても面倒であることにかわりはないのだが。
そして、その『可能性』が高いであろう、ひとつの交差点に俺とアウラは到着していた。
僅かな変化も見逃さないように神経を尖らせる。
交差点から南西へ延びる道の左側の三軒目。
ホテルとして使用されていた建物だろうか。三階の一室の窓が開いている。
「アウラ、あの窓だけど、昨日はどうだった?」
紙を見る限り、変化があったとは誰も記入していない。誰かが手柄を独占しようとしているのでなければ、新しい変化だ。
「特に記録されていません」
うん。ということは、前回と前々回、そしてそれ以前には変化がなかった部分ではあるわけか。記入漏れでもない、と。
「この交差点から見える範囲で、他に大きく変化した部分はあるか?」
「見当たりません」
俺は紙のマップにペンで赤い丸を付け、日時に添えて『三階・窓』と書き入れる。
「それじゃ、確認にいこうか」
アウラはにっこりと笑い『はい』と頷き、肩にかけていた自動小銃を取り出し、安全装置を解除した。
「返事がないのでお邪魔しますよー」
そんな間の抜けた言葉を──いや、その言葉の前には定型句的な警告や宣言を大声で言っているのだが、その全てが減衰し、その気恥ずかしさもあって砕けた言葉になってしまう──何回か繰り返し、その部屋に到着した。
その部屋は外観から想像できるとおりにホテルとして使用されていた建物の一室で、比較的上質の客室とされていたようだ。
まず目に付いたのは、ふたつのベッドにタオルケットとシーツがないこと。バスアメニティが揃っていることから、避難後にタオルケットとシーツが持ち出されたのだろう。
この部屋で休んでも問題はないだろうにわざわざ持ち出すということは、ここ以外に拠点が確保されているということなのだろう。もしくは病人・怪我人を抱えて身動きが取りづらいのか。
急ぎたいな。
開け放たれた窓から外の様子を確認する。
「アウラ」
声をかけ手招きする。
交差点には、タオルケットとシーツを抱えて運ぶ子供がいた。逆側の階段を使って入れ違いになったか。
「追うぞ」
俺は一瞬迷ったが、窓は目印がわりに開け放ったままにしておくことにした。
子供がいた場所。
子供の体の大きさと注意力では出来ることに限界がある。必要に駆られて必死にならざるを得ない場合もある。
後をつけるのは容易だった。
シーツを引きずった跡が残されていたから。
俺は苦笑したらいいのか状況を心配したらいいのか決めかねたまま、その跡を辿る。
交差点を北西に向かい、小売の店の八軒目と九軒目の間の細い路地。マンホールの脇で、その跡は途切れていた。
立ち止まって振り向き、アウラの顔を目で確認する。アウラは俺の次の動作を待つように、俺の様子を窺っていた。
うん、そうだね。
「状況を記録する。端末を」
「はい」
奥を調べる前に、位置情報を確定させなければならない。
アウラから端末を受け取り、交差点の座標、この細い路地の周囲の画像、そして、マンホールの蓋の画像を記録する。
この情報を共有化しておけば、注意が向けられやすいはずだ。事実、子供は存在したのだから、その状況や意思を確認するためにも、手がかりがひとつでも多いに越したことはない。
さて。行こうか。
俺は端末をアウラに預け直して目配せをし、アウラが頷くのを確認してからマンホールの脇にしゃがみこみ。そして、中指の関節で軽くノックする。そして一応決まりどおりの定型文を宣し、マンホールの蓋を開ける。そして、その開いた入り口に顔を近づけて、再度宣する。
反応はない。
懐中電灯を取り出し、マンホールの入り口から顔を入れて様子を探る。意外と広い。
降りて、更に様子を窺う。
このマンホールは古い地下道を再利用して作られたもののようで、子供が隠れ住む程度には居住性もあるようだ。
アウラが用心しながら降りてくる。
「大体でいいけど、子供がいそうな位置、つかめる?」
一応、質問する。
「すいません、マスター。これだけ反響音が多いと音源位置の特定は困難になります」
「ま、そうだね」
感度が良すぎるが故の難点だ。
「仕方ないね」
俺はアウラにそう言いながら肩を竦める。
「すいません」
とアウラは言うが、別にアウラの不備というわけではない。
「君のせいじゃないよ。行こうか」
そして、そう促す。
奥へ進むと、広めの分岐点に突き当たる。落ち着いて左右を観察すると、右の方に光が揺れながら漏れている箇所があった。
アウラにそこを指で示し、静かに光の方へと足を進める。
扉のようなものがない入り口。その脇へ身を隠しつつ、いつもの宣言を繰り返す。
中からはちょっと驚いたような、でも意外というほどではなさそうな空気が伝わってくる。
刺激しないように中を窺うと、就学前くらいの小児が三人、八歳くらいの子供がその三人の面倒を見ながら一緒に遊んでいた。部屋の奥では、十歳くらいの子供がタオルケットとシーツを畳んでいた。そしてその全員が、こちらの方を見て行動を止めている。
武器の携帯の兆候が見られず、かつ、害意も感じられないので、子供達から姿が見える位置に移動する。手を開き、こちらにも害意がないことを示しながら。
「おなかはすいてないか? 病人や怪我人はいないか? 何か足りないもの」
カチャリ。
「マスター」
右後ろから金属音とアウラの声が。そして。
「そのまま動かずに、ゆっくりと手を上げてもらおうか」
聞き慣れない、体格の良さそうな男の低い声。
「そして、この娘に銃を下ろすよう命じてくれたまえ」
「アウラ、武装を解除」
子供達は俺たちより後に来た奴等のほうに驚いているようだ。
そして俺は、自分でも強がりだとわかっているのだが、一応笑顔になってみせる。
「マスター」
アウラが抗議の声を上げる。
「子供が流れ弾に当たる状況は避けたいんだ」
「……マスター」
アウラは俺の思考を理解したかのように。
そして、俺は──おそらくアウラも──目隠しをされ、背嚢を奪われた。
彼らは銃の金属音を殊更たてることで俺とアウラを脅そうとしているようだ。
そして、低い声の男が言う。
「よろしい。それではこれから少々お付き合いいただこうか」
地上に出ると、俺とアウラはトラックの荷台のような乗り物に乗せられた。
俺とアウラを拘束した連中も一緒に乗り込み、どこへ向かうのだか動き出した。
そして数時間、脅しの金属音とエンジン音、そして幌の風切り音が耳に入るのみで、連中の会話すら殆どなかった。
そうしてトラックは移動をやめる。
降りろ。
言葉ではなく、銃口を押し付けることで指示される。
「君たちは、突然やってきて自分たちの法で我々を裁いた」
低い声の男が口を開く。
「我々にも法がある。それに従ってもらう」
目隠しを外される。五人の男が俺とアウラに小銃の銃口を向け、低い声の男はトラックの荷台に腰掛けたままで話し続けていた。
アウラの扱いは俺へのそれとほぼかわりないようで、暴行を受けた形跡などもなかった。アウラも俺の姿を確認し、わずかばかり俺に微笑みかける。
「我々は常にこの大地に生きてきた。大地は力無き者には容赦しない」
心なしか自嘲が混ざったような気がした。この争いの中で自分達が『力無き者』となる覚悟を既にしているのか。
「これからここに君たちを放置する。自ら自陣に辿り着くか、仲間に必要とされるか、それが生き延びる条件だ」
小銃を構える一人に無線が入る。声が低い男が頷くと、その男は俺が理解できない言語で会話を始めた。
無線での会話が終わり、男は小声で声が低い男に耳打ちする。声が低い男の右の眉が軽く上がり、俺とアウラを見て、軽く微笑みながら溜息をつく。
「武具と通信装置は取り上げさせてもらったが、その他の装備は全てそのままにしてある」
そう言い、俺とアウラの背嚢を返してよこす。
「君たちは、犬を連れた少女に見覚えはあるか」
唐突に話題を変える。
しかし十中八九、あの少年──少女のことで間違いないだろう。
「ああ。以前に担当した地区で何度か会話をした」
俺はアウラと目配せをしてからそう告げる。
「素直な子だったのに、子供の命が失われるのはいつでもつらいな」
俺がそう続けると、声が低い男は俯き長く息を吐いた。
「やはりあの娘だったのか」
そして空を見上げ、大きく息を吸い、再び長く息を吐く。
「あの娘に食料を分け与えてくれていたそうだな」
「それも事実だ」
「あの娘は君を信頼していた。その気持ちに応えよう」
どういった関係だったのかを問うことは、せずにおこう。哀しみを追い撃ちしても、それはお互いのためになることは少ない。
そんな意を汲んだのか、低い声の男も極端に表情を崩すことはしない。
「なので、ひとつだけ約束する。我々は監視はするが、君たちに直接危害を加えることはしない」
低い声の男はそう言うと、俺とアウラに銃口を向けてる連中に荷台に乗るよう腕で大きく指示をする。
男たちは順番に乗り込み、そして改めて荷台から俺とアウラに銃口を向ける。
「ああ、そういえば地雷の設置を忘れていた。こいつは失敗した」
低い声で、聞こえるように呟き、掌で自分の額を大袈裟に軽く叩く。
そうして、トラックはゆっくりと去っていった。
作戦区を移ったことで上司が変わったのだが、今度は無味乾燥というより官僚的で、面白みがないことには変わりはない。
一番の変化は、今回の任務が警邏というよりは現地探査に近いという部分なのだが、それは、この担当地区では人影らしき存在の確認も当初から任務のひとつに含まれているということをも意味する。なので、警邏を終えキャンプに戻り次第、気配や物音、変化などを感じた地域をアウラとともに地図で照会する作業を念入りにしている。そして、それをサーバに保存し、同地区の担当者と指揮官など上位者が閲覧できる形にしてある。
そしてそのデータをプリントアウトし、現地でチェックし、書き込みしてゆく。
アウラのような監視兵器を作り出すほど技術が発展しても、紙は偉大だ。
地図上にはいくつかの丸と、そこで発見された状況が何色かで書かれている。これは、ここ数日、俺とアウラの組、そしてそれ以外の担当者によって記録された何らかの形跡を表している。
前日にはなかった空き缶。
釘で打ち付けられた板が外され、侵入を許した形跡がある扉。
栄えた商業区であったらしいこの地域では、大きめの商店が立ち並び、三階建ての建物も混ざる。
食料さえ確保できるならば、転々としながら身を隠し住むには申し分ないだろう。そして、その食料も商業地区である故にある程度揃っているだろう。
となると、だ。
指示が下った段階での『子供らしき人影』のみならず、流れ者や荒くれ、食い詰めた無法者にも目をつけられ、流入を招きやすい状況にあるということでもあるわけだ。
時間が経てば経つほどに。
そして、逃げだす力すら持たざる者の保護は出来る限り早急に行われなければならない。手遅れになった段階での発見は無力であることの追認作業に等しい。
全てを救えるわけではない。
ないのだが。
確実に、人の気配は、ある。明らかに人為的な変化もある。そして、こちらの動きを探っているような視線を感じることもある。
しかし、未だ、居場所の特定には至っていない。
人間の動線というものは、ある程度のパターンがある。地図上の印が集まれば集まるほどに、その動線がひとつの可能性に収束してゆく、はず。
その可能性によって見えた『何か』、そこに明らかな形跡を、あわよくば足取りをつかみ、積み重ねてゆく。そんな作業だった。
そして、形跡や足取りが増えるごとに検討作業の時間も増し、昨日などは警邏が終わってから四時間、二十一時まで作業に費やしてしまった。
アウラが楽しそうに作業を手伝ってくれるので救われている部分がなければ、ただのつらい作業だな。
アウラがいても面倒であることにかわりはないのだが。
そして、その『可能性』が高いであろう、ひとつの交差点に俺とアウラは到着していた。
僅かな変化も見逃さないように神経を尖らせる。
交差点から南西へ延びる道の左側の三軒目。
ホテルとして使用されていた建物だろうか。三階の一室の窓が開いている。
「アウラ、あの窓だけど、昨日はどうだった?」
紙を見る限り、変化があったとは誰も記入していない。誰かが手柄を独占しようとしているのでなければ、新しい変化だ。
「特に記録されていません」
うん。ということは、前回と前々回、そしてそれ以前には変化がなかった部分ではあるわけか。記入漏れでもない、と。
「この交差点から見える範囲で、他に大きく変化した部分はあるか?」
「見当たりません」
俺は紙のマップにペンで赤い丸を付け、日時に添えて『三階・窓』と書き入れる。
「それじゃ、確認にいこうか」
アウラはにっこりと笑い『はい』と頷き、肩にかけていた自動小銃を取り出し、安全装置を解除した。
「返事がないのでお邪魔しますよー」
そんな間の抜けた言葉を──いや、その言葉の前には定型句的な警告や宣言を大声で言っているのだが、その全てが減衰し、その気恥ずかしさもあって砕けた言葉になってしまう──何回か繰り返し、その部屋に到着した。
その部屋は外観から想像できるとおりにホテルとして使用されていた建物の一室で、比較的上質の客室とされていたようだ。
まず目に付いたのは、ふたつのベッドにタオルケットとシーツがないこと。バスアメニティが揃っていることから、避難後にタオルケットとシーツが持ち出されたのだろう。
この部屋で休んでも問題はないだろうにわざわざ持ち出すということは、ここ以外に拠点が確保されているということなのだろう。もしくは病人・怪我人を抱えて身動きが取りづらいのか。
急ぎたいな。
開け放たれた窓から外の様子を確認する。
「アウラ」
声をかけ手招きする。
交差点には、タオルケットとシーツを抱えて運ぶ子供がいた。逆側の階段を使って入れ違いになったか。
「追うぞ」
俺は一瞬迷ったが、窓は目印がわりに開け放ったままにしておくことにした。
子供がいた場所。
子供の体の大きさと注意力では出来ることに限界がある。必要に駆られて必死にならざるを得ない場合もある。
後をつけるのは容易だった。
シーツを引きずった跡が残されていたから。
俺は苦笑したらいいのか状況を心配したらいいのか決めかねたまま、その跡を辿る。
交差点を北西に向かい、小売の店の八軒目と九軒目の間の細い路地。マンホールの脇で、その跡は途切れていた。
立ち止まって振り向き、アウラの顔を目で確認する。アウラは俺の次の動作を待つように、俺の様子を窺っていた。
うん、そうだね。
「状況を記録する。端末を」
「はい」
奥を調べる前に、位置情報を確定させなければならない。
アウラから端末を受け取り、交差点の座標、この細い路地の周囲の画像、そして、マンホールの蓋の画像を記録する。
この情報を共有化しておけば、注意が向けられやすいはずだ。事実、子供は存在したのだから、その状況や意思を確認するためにも、手がかりがひとつでも多いに越したことはない。
さて。行こうか。
俺は端末をアウラに預け直して目配せをし、アウラが頷くのを確認してからマンホールの脇にしゃがみこみ。そして、中指の関節で軽くノックする。そして一応決まりどおりの定型文を宣し、マンホールの蓋を開ける。そして、その開いた入り口に顔を近づけて、再度宣する。
反応はない。
懐中電灯を取り出し、マンホールの入り口から顔を入れて様子を探る。意外と広い。
降りて、更に様子を窺う。
このマンホールは古い地下道を再利用して作られたもののようで、子供が隠れ住む程度には居住性もあるようだ。
アウラが用心しながら降りてくる。
「大体でいいけど、子供がいそうな位置、つかめる?」
一応、質問する。
「すいません、マスター。これだけ反響音が多いと音源位置の特定は困難になります」
「ま、そうだね」
感度が良すぎるが故の難点だ。
「仕方ないね」
俺はアウラにそう言いながら肩を竦める。
「すいません」
とアウラは言うが、別にアウラの不備というわけではない。
「君のせいじゃないよ。行こうか」
そして、そう促す。
奥へ進むと、広めの分岐点に突き当たる。落ち着いて左右を観察すると、右の方に光が揺れながら漏れている箇所があった。
アウラにそこを指で示し、静かに光の方へと足を進める。
扉のようなものがない入り口。その脇へ身を隠しつつ、いつもの宣言を繰り返す。
中からはちょっと驚いたような、でも意外というほどではなさそうな空気が伝わってくる。
刺激しないように中を窺うと、就学前くらいの小児が三人、八歳くらいの子供がその三人の面倒を見ながら一緒に遊んでいた。部屋の奥では、十歳くらいの子供がタオルケットとシーツを畳んでいた。そしてその全員が、こちらの方を見て行動を止めている。
武器の携帯の兆候が見られず、かつ、害意も感じられないので、子供達から姿が見える位置に移動する。手を開き、こちらにも害意がないことを示しながら。
「おなかはすいてないか? 病人や怪我人はいないか? 何か足りないもの」
カチャリ。
「マスター」
右後ろから金属音とアウラの声が。そして。
「そのまま動かずに、ゆっくりと手を上げてもらおうか」
聞き慣れない、体格の良さそうな男の低い声。
「そして、この娘に銃を下ろすよう命じてくれたまえ」
「アウラ、武装を解除」
子供達は俺たちより後に来た奴等のほうに驚いているようだ。
そして俺は、自分でも強がりだとわかっているのだが、一応笑顔になってみせる。
「マスター」
アウラが抗議の声を上げる。
「子供が流れ弾に当たる状況は避けたいんだ」
「……マスター」
アウラは俺の思考を理解したかのように。
そして、俺は──おそらくアウラも──目隠しをされ、背嚢を奪われた。
彼らは銃の金属音を殊更たてることで俺とアウラを脅そうとしているようだ。
そして、低い声の男が言う。
「よろしい。それではこれから少々お付き合いいただこうか」
地上に出ると、俺とアウラはトラックの荷台のような乗り物に乗せられた。
俺とアウラを拘束した連中も一緒に乗り込み、どこへ向かうのだか動き出した。
そして数時間、脅しの金属音とエンジン音、そして幌の風切り音が耳に入るのみで、連中の会話すら殆どなかった。
そうしてトラックは移動をやめる。
降りろ。
言葉ではなく、銃口を押し付けることで指示される。
「君たちは、突然やってきて自分たちの法で我々を裁いた」
低い声の男が口を開く。
「我々にも法がある。それに従ってもらう」
目隠しを外される。五人の男が俺とアウラに小銃の銃口を向け、低い声の男はトラックの荷台に腰掛けたままで話し続けていた。
アウラの扱いは俺へのそれとほぼかわりないようで、暴行を受けた形跡などもなかった。アウラも俺の姿を確認し、わずかばかり俺に微笑みかける。
「我々は常にこの大地に生きてきた。大地は力無き者には容赦しない」
心なしか自嘲が混ざったような気がした。この争いの中で自分達が『力無き者』となる覚悟を既にしているのか。
「これからここに君たちを放置する。自ら自陣に辿り着くか、仲間に必要とされるか、それが生き延びる条件だ」
小銃を構える一人に無線が入る。声が低い男が頷くと、その男は俺が理解できない言語で会話を始めた。
無線での会話が終わり、男は小声で声が低い男に耳打ちする。声が低い男の右の眉が軽く上がり、俺とアウラを見て、軽く微笑みながら溜息をつく。
「武具と通信装置は取り上げさせてもらったが、その他の装備は全てそのままにしてある」
そう言い、俺とアウラの背嚢を返してよこす。
「君たちは、犬を連れた少女に見覚えはあるか」
唐突に話題を変える。
しかし十中八九、あの少年──少女のことで間違いないだろう。
「ああ。以前に担当した地区で何度か会話をした」
俺はアウラと目配せをしてからそう告げる。
「素直な子だったのに、子供の命が失われるのはいつでもつらいな」
俺がそう続けると、声が低い男は俯き長く息を吐いた。
「やはりあの娘だったのか」
そして空を見上げ、大きく息を吸い、再び長く息を吐く。
「あの娘に食料を分け与えてくれていたそうだな」
「それも事実だ」
「あの娘は君を信頼していた。その気持ちに応えよう」
どういった関係だったのかを問うことは、せずにおこう。哀しみを追い撃ちしても、それはお互いのためになることは少ない。
そんな意を汲んだのか、低い声の男も極端に表情を崩すことはしない。
「なので、ひとつだけ約束する。我々は監視はするが、君たちに直接危害を加えることはしない」
低い声の男はそう言うと、俺とアウラに銃口を向けてる連中に荷台に乗るよう腕で大きく指示をする。
男たちは順番に乗り込み、そして改めて荷台から俺とアウラに銃口を向ける。
「ああ、そういえば地雷の設置を忘れていた。こいつは失敗した」
低い声で、聞こえるように呟き、掌で自分の額を大袈裟に軽く叩く。
そうして、トラックはゆっくりと去っていった。
*
「マスター、あちらに潅木があります。気温が下がるのを待つ間、そちらで体を休めてはいかがでしょうか」
アウラが示す方向には確かに潅木らしきものが見える。
なるほど。あの位置まで地雷に怯えながら移動するのも彼らのいう『裁き』の範疇なのだな。どのくらいの頻度で執り行われるのかはわからないが、砂地を地雷に怯えながら歩くのは確かに罰と呼ぶのに値する。風景のせいで距離感がつかめないというのも、その不安感を増す効果があるのだろう。しかし、日陰を求めようとするならば、あの潅木しか見当たらない。
「ありがとう。そうしようか」
『地雷を忘れた』という言葉自体がブラフの可能性も捨てきれないが、何故か彼に関しては信頼してもいいような気がしていた。というよりは、実際に地雷を用いることが皆無なのではないのか、と思われる。地雷原ならば、実際に既に設置されている場所に放置すればいい。それだけのことだ。見えない脅威は存在を仄めかすことがもっとも有効な使い方だから。
俺とアウラは返された背嚢を背負い、潅木まで進む一歩を踏み出す。
直射日光の熱さもさることながら、足場が砂地というのも確実に色々と削ってゆく。体力的には全く問題はないのだが、なんというか、滅入る。
「マスター、足下が不安定な状況が続きます。よろしければ私が手を引きサポートした方が消耗が抑制できると推察します」
アウラが意外な提案をしてくる。
こういう機能もあるのか。今まで都市型の警邏しかしていなかったせいもあってか、俺が知らない機能がまだまだあるのだろう。
……いや、利用するような状況に陥ること自体が失敗なのだが。
「そうだね。お願いしようかな」
「ではマスター、失礼いたします」
と言い、定位置から数歩前進し、俺の右前に移動する。そして、
「お手をどうぞ」
と、左手を差し出し、穏やかに笑う。
俺は照れくさくてこそばゆくて苦笑しながら、右の手でアウラの手を握る。
「では、まいりましょう」
アウラはそう言い、俺が頷くのを待って、ゆっくりと移動を再開する。
傍から見たら──見ているとしても俺とアウラをここに連れてきた連中くらいのものだが──手を繋いで歩いているように見えるんだろうな、などと間の抜けたことを考えつつ、状況はどうあれ『手を繋いで歩いている』という事実は動かないことに重ねて苦笑する。
様子を確認するために度々振り返るアウラの頭上に『?』マークが浮かんでいたような気がするが、当然、そんな機能はない。しかしながら、アウラが笑顔であることに救われているような気がした。
そうしているうちに目標としてきた潅木の程近くまで到達する。
「ああ、もう大丈夫だ、ありがとう」
アウラにそう言い、俺は手を離そうとする。アウラの薬指が名残惜しそうに最後に離れた。
間近で見る潅木は三メートルほどの高さで五本が寄り添うように立っており、少しばかりの時間の木陰の涼を求めるには充分だった。
「アウラ、備品のチェックを」
自分の背嚢を降ろしながら言う。
「はい」
アウラはそう言い、手際よくチェックを進めてゆく。
俺はチェックを進めながら、状況の分析を試みる。
現在位置は、あの交差点から、おそらく時速三十キロで四時間程度。直線移動で百二十キロ。かなり多めに見積もっても百五十としておけば充分すぎるか。
一晩に八時間歩いたとして、五日。方角は、そうだな。前線とキャンプの位置関係からすると、南東へ向かうのが確率が高そうだ。
武器類が全て無くなっていたことに比べ、水と食料は全て残されていた。俺とアウラが持つ分を合わせると、五日では少々きついか。これは温情なのか、食料など些細なことに過ぎない過酷さなのか、そこを悩ませることすら計算のうちなのか。
「マスター、チェック終了しました」
アウラが背嚢の蓋を閉じながら報告する。
「結果を」
「装備品の小銃及び、ナイフ、そして情報用端末が無くなっています」
「うん」
「背嚢の収納物では、拳銃と予備マガジン、小銃の予備弾薬がなくなっています」
「はい」
「他に失われたものはありません」
「その他に、なにか気付いたことはある?」
「それ以外では、盗聴器など加えられたものなどは発見されませんでした」
「なるほど。わかった」
一番わからないのは、アウラ──監視兵器が残されていることなのだけれど。
武具類を内蔵していないこと、俺に対する監視を目的としたものであること、破壊者の安全を確保しにくいことあたりが理由かもしれない。
「はい」
アウラは静かに微笑んでいる。
「一応の確認のための質問だけど、GPS機能とか、アウラ本体にはついてないよね」
悪足掻きに近い質問だとはわかりつつ。
「はい。それは情報用端末に付属の機能ですので、私には付加されていません」
アウラはそう言い、申し訳なさそうな表情をする。
自分でも自分が意地悪く感じられ、少々バツが悪い。
「アウラが悪いんじゃないよ」
右手を上げ、自分の頭を掻きながら、言う。
一瞬、アウラの表情が明るくなり、そして残念そうになったあとで、
「申し訳ありません」
微笑みながら、そう言う。
そうして、チェックを終えた背嚢を木の根元に置き、周囲の様子を軽く窺ってからアウラが言葉を続ける。
「マスター、気温が下がるまで今暫く時間があります。仮眠を取ってはいかがでしょう?」
確かに。体力の消耗を抑えるには優先度の高い選択肢ではある。
問題となるのは安全性だ。
あの声の低い男は一応の信用はおけるとは思うが、やんちゃな手下や仕組まれた罠までをそれに含むことが出来るかと問われたならば、否と言わざるを得ない。
「一応、周囲を警戒していてくれ」
背嚢をアウラが置いた背嚢の隣に置き、腰を下ろす。
「あの、マスター、提案があるのですが」
「なにかな?」
とりあえず、聞く。
アウラは先程から、なにやら俺の知らない機能が動作しているらしい挙動をしている。
提案すること自体はそれほど珍しいことではないのだが。
「もしよろしければ、膝枕という方法があります」
──意外な提案だった。
「私は足は痺れませんし、弾力もそれなりに設計されています」
否定したわけではなく、その内容の意外さに呆気に取られただけなのだが、アウラは何故か自分の太ももを軽く叩いて示しながら食い下がる。
「そ……そうか。そこまでいうならお願い、しよう、か、な」
一応の安全が確保されている上に、これだけ視界が開けているのなら、大丈夫だろう。
その『だろう』の部分のせいで言葉の歯切れが悪くなる。
「っはい」
アウラは元気よく背嚢の傍に正座し、再び自分の太ももをぺしぺしと叩き、示す。
「日没辺りの時間に起こしてくれ」
俺は苦笑しながらもアウラの太ももに頭を乗せ、アウラの顔を見上げてみた。
「はい、マスター」
木陰で、しかも太陽を背にしているせいで暗かったからかもしれないが、その笑顔はどこかしら寂しそうに見えた。
*
「マスター、もうじき太陽が沈み始めそうです」
思っていたよりも柔らかい声で、アウラが俺を起こす。
その柔らかさに『あと五分だけ』が許される夏休みのような懐かしさを覚え、俺は寝返りをうった。
パンツだった。
ああ、なるほど。正座したことでミニスカートがたくし上げられているのか。
「マ、マスター、あの」
「アウラ、おはよう。起こしてくれてありがとう」
そのままの体勢で返事をする。
「いえ、あの、そうではなく、パンツじゃないならいいのですが、パンツなので恥ずかしいのです」
……ああ。そういう感想もアリか。
そう思いながら、真上を向き、アウラの表情を視界に入れる。
「足は痺れてない……んだったな」
「はい。兵器なのでへい──大丈夫です、マスター」
と、応える。
「兵器なので平気、じゃないんだな」
からかう口調で返してやると、アウラはちょっと拗ねた表情で答える。
「その用法は『オヤジギャグ』と呼ばれるとデータにありました」
確かに。
「私は『女の子型』なので、オヤジギャグと呼ばれるものは控えた方が良いかと思いまして」
小首を傾げ、にこやかに。
「かわいいな」
プログラム上の動作に過ぎないのだろうけれども、それでもそう思ってしまう。オヤジギャグは避けたいのか。着実に『女の子』してるな。俺の偏見や狭量のせいかもしれないが、そう思える。
「──ありがとうございます」
小首を傾げた上に、その逆に小首を傾げながら礼を言うなんて、反則だろ。
そして、そのままの表情で、
「そのままの体勢で結構ですので、ちょっとお話を聞いていただけませんか、マスター」
アウラが、言う。
*
「マスターが友達であるように振舞おうとしていた『少年』ですが」
「……ああ、バレてたのか」
「あの少年に友達ができた時、マスターはすごく嬉しそうでした」
「──そうだったか」
「でも私は、あの犬が羨ましかったんです」
「──へえ」
アウラもそう感じることがあるんだな。
「少年と仲が良くて本当に嬉しそうだったのもそうですが、なによりその表現豊かな『しっぽ』が興味深かったんです」
そうなのか。
「監視兵器としての私は演算結果としての『言葉』を使用しますが、言葉を用いなくても理解されているという──」
アウラがちょっと肩の力を抜いたのが膝枕を通して伝わってくる。
「非常に魅かれるものがありました」
アウラは心持ち上を見上げる。
「マスターは『親愛表現』という言葉を用いていました」
うん。
「路上の埃を撒き上げるほど強い親愛表現」
犬だしな。
「感情とは、そしてそれを理解しあえるというのが羨ましいと思ったんです」
アウラも結構わかりやすい方だと思うけどな。
「でもマスター、あの『頬を両手で挟んで捏ね繰り回す』行為は私は理解に及ぶことが適いませんでした」
「──犬の目を覗くのに固定しただけだ」
それ以外に言いようもないよな、たぶん。
「羨ましいと思っちゃって、損しちゃいました」
脱力気味に微笑む表情が目に入る。
「でも、よかったです」
アウラは俺の顔を覗き込むように見て、
「なんとなく、ですけど」
と、笑った。
「そして、TVプログラムの中の女の子に耳としっぽが生えて」
あの雨の日の。
「それから、髪でしっぽを作ってマスターを呆れさせちゃったり」
うん。
「『任務中は禁止ね』なんて怒られちゃったり」
怒ってはいないのだけれども。
体勢を変えて、横を向く。アウラの体とは逆の方向に。
「そうしたら、今度は犬のしっぽが何も言えなくなってしまって」
……うん。
「あんなに親愛表現をしていたしっぽも何も言えなくなってしまって」
うん。
「しっぽは動かなきゃ何も言えないんですよ、マスター」
ああ。
「私が髪でしっぽを作っても、それはマスターに自分の気持ちすら伝えられなくて。でも」
うん?
「何を伝えたかったのかは秘密です」
「──そうか」
「マスター、見てください。月が昇ってきていますよ」
アウラと俺の正面から、ほぼ円形の月が昇ってきている。
「──そうだな」
「今日の月も綺麗だといいですね」
「──そうだな」
うふふ、と。
アウラがどこか安心したような笑みを漏らす。
「マスターは本当に優しいから。どうしようもないくらいに」
「──そうかな」
「そうですよ。加えてどうしようもないくらいに鈍感です」
「──そうか」
「そうですよ」
そうなのかな。
「マスターの生まれた国──私が作られた国でもありますけど──には、こういう言葉があるそうです」
アウラが話題を変える。
ここまで饒舌なアウラは珍しい。
「狂った人の真似をすれば、それは狂った人と同じこと。賢者の真似をすれば、それは賢者を目指すことになるのではないか、と」
説教くさいといえばいいのか、居酒屋の飲んだくれっぽいといえばいいのか。
「──初耳だが」
「元々はかなり古い文献に書かれた言葉だったそうですよ」
『最近の若い者は』の落書きみたいなもんか? あれは実物は見つかってたんだっけ?
「私は、マスターの善き相棒で在れたのでしょうか」
うん。
「私は、マスターの良き随伴で在れたのでしょうか」
うん。
「私は、マスターの佳き愛人で在れたのでしょうか」
……──
「そして、それはあと数分で終わります」
こともなげに、言う。
気温と湿度を昼のものから夜のものに変える風が吹き抜ける。
「──アウラって、嘘が言えるんだな」
「嘘じゃありません。冗談でもありません」
「──理由は?」
「前回の有線によるデータ記録から二十四時間が経過するにも拘らず、有線でのデータ記録が行われる見込みがないからです」
「──それは公開された情報なのかな」
「違います。それに」
そこまで言って、少し間をおいた。
「マスターは誤解しているようですけど、私たち『監視兵器』が嘘をつくことが出来ないのは『マスターに対して』でも『人間に対して』でもありません」
優しげな声色になる。
「『自分の内部のプログラムに対して』です」
俺はなんとなく居心地を悪く感じ、アウラの膝から離れ、体を起こした。そしてアウラの隣に、アウラと同じ方向を見て胡坐をかいて座る。
「そこに『嘘をつけ』と書かれていたら、嘘が演算結果として出力されます」
夕日はもうその大部分を地平線の向こうに隠し、辺りは薄暗くなってきていた。
「そういう理由で、事前に核心を突いた質問をされていたとしても、公開することを許可されていません」
アウラは自分の膝のあたりに目線を落とし、しかし瞼は閉じられていて。
「そして、兵器の私にも気持ちがあるのなら、自分の気持ちにも嘘はつけません」
アウラが自分の胸に、両掌でいとおしそうに柔らかく触れる。
「ここに私のフラッシュメモリがあります。所詮0と1のデータの集合体です」
閉じられていた目を、ゆっくりと開いて。
「それでも、マスターの行動ひとつひとつであたたかくなるんです」
どうしてこの子は、この状況で微笑むことが出来るのだろう。
「摂氏でも華氏でも計測できない、温度ですけど」
こんなに柔らかく。
「──いつ覚悟を決めた?」
聞きたいのはこんなことではないのだけれども。
「そういう風に作られているという点を除けば、マスターに名前を頂いた瞬間が最初です」
「──最初?」
「はい。最初です。その次は、秘密です」
当たり前のことであるかのように答える。
「──秘密なのか」
アウラの悪戯な少女染みた物言いに、軽く笑いながら答える。
「はい、秘密です。そして、最終的にこうなるであろうと演算結果が出たのは、敵さんが立ち去った時です」
『敵さん』の発音すら可愛らしく聞こえるほどの明るさで。
「──データ記録の時間を、警邏前ではなく警邏後にしていたのは何故だ?」
十時間はタイミングが後になっていたと思われるのだが。
「マスター、知っていたんですか」
驚いてはいない様子で。
「──ああ」
「マスターが『少年』に優しくしていた件とで、おあいこですね」
嬉しそうに言う。
おあいこ、か。
視線を軽く上に向け、小さく溜息をつく。そのまま無意識な行動の流れで、胸ポケットを探る。悪癖だとは自覚しているが、喫煙者の性でもある。
勿論、警邏中に連れ去られたので、持っているはずがない。
「どうぞ」
アウラが俺に煙草とライターを差し出す。
「──何故?」
エリと同様にわざわざ買ってきたわけでもあるまい。明らかに俺の癖で封が切ってある。
「少佐とお会いした時にお預かりしたものです」
ああ。
「──そんなこともあったな」
すっかり忘れていた。
「それに、私」
うん?
「マスターが喫煙しながら思考している時の表情をみると、何故か安心するんです」
そう言うと、アウラは俺が煙草に火を点けるのを確認して微笑み、自分の背嚢から乾パン缶をひとつ取り出した。
「火を点けるのを忘れている時はいいのですが、火を点けているときは灰が落ちるのが難点です」
そう言って、アウラは缶を開ける。そのまま中身を耐水ポリ袋に移し、缶を俺の目の前に置く。
「──気が利くな」
からかい半分な口調に聞こえたに違いない。
「だって、今日はデートみたいなものですから。尽くしたいんです」
デート? それは意外な感想だ。
「手を繋いで歩いて、木の下でとりとめのないおしゃべりをしながら膝枕して、寝顔を見て」
指折り数えながら。
「女の子のデートとしては大成功です」
そして、こちらを向いて笑う。
痛々しいふうでもない、悲愴なふうでもない。ただ、微笑む。
「──随分とあっさりしてるけど、心残りとかはないのか?」
俺の方はといえば、まだ現実味を感じることが出来ずにいる。
全てが嘘だ、訓練のための仕掛けだと告げられても──いや、むしろその方が自然に信じることが出来るような感覚。
「正直に言うならばありますが、お願いして叶えてもらったならば、それは既に私が願ったものではないんです」
力なく言う。
こうしていると、本当にただの女の子なんだけどな。
ふと、そう感じてしまう。
「──鈍感でごめんな」
右手を伸ばし、アウラの頭を痛くないように加減して数回叩く。そして、左右に数回撫でる。
「本当に鈍感なんだから。しょうがない人ですね、マスターは」
アウラは軽く下を向き、そして涙が出ていないのが不思議なくらいの笑顔で、
「ああもう。叶っちゃいました」
俺を見て、言う。
「今日のデートも、今の『あたまぽんぽん』と『なでなで』もマスターと私だけの記憶です」
そして、何故か胸を張るような姿勢になり、
「次の私、ザマアミロです」
と、言う。
いつのまにかフィルターに火が点きそうなくらいに短くなっていた煙草を、缶の中に投げ込む。
吸殻は、乾いた音でカランカランと主張する。
「これが、警邏後に記録していた理由です。私の我侭です」
アウラが声のトーンを落として続ける。
「マスターと私だけの記憶を可能な限り長く保持したかったんです」
「──どういうこと?」
「割合としては何時に記録しても同一になるんですが、秘め事などの記憶は可能な限り『次の私』にも渡したくなかったんです」
そう、か。
「嫉妬、かもしれません。独占欲、かもしれません」
アウラはそう言うと、俺の胸に自分の額を押し付ける。
「月が綺麗ですね」
「──見えてないよね」
「マスターと見る月は綺麗なんです」
「──うん」
アウラを抱える格好で肩の上に腕を乗せ、背中の辺り、右手で自分の左手を掴む。
「あの、あたまぽんぽんを名称登録した夜も、月の光が優しかったんです」
アウラが俺の腰に手を回し、ぎゅっと力を入れる。
そして、そのまま、月が地平線と別離するまで。動かずに。
動けずに。
「アウラ、月が綺麗だよ」
「はい、マスター」
アウラは俺の胸に額を押し付けたまま、顔を左右に振る。
そして、
「よいしょっと」
と、俺から離れる。そして振り向いて、月を見て、
「月が綺麗ですね、本当に」
そう呟く。
「これから、私の機能停止処理を行います」
アウラは俺と月の間にスクッと立ち上がり、そう宣言する。
「処理と同時に停止確認信号が発信され、位置情報がキャンプに検知されます。なお、電圧で基盤・メモリを焼き切るため、安全距離を保ってください」
意識のそこかしこに、それこそ表層から核に至るまで幾重にも薄皮をむりやり挿まれたかのような。
「そして、私の……アウラと名付けていただいた個体自身の願いなんですが」
……うん。
「最後を見届けてくださっても、あえて見ないようにしてくださっても構わないのですが」
うん。
「想い出は、一番可愛いと思った時の笑顔で留めてください。お願いします」
俺の方を振り返って、そう言う。
表情は、意外に明るい月の逆光で読み取れない。
そして、再び月の側を向いて。
「次の私も、可愛がってあげてください」
そう言って、数歩進む。
足を止めて、その場で横になって。
音もなく。
しかし、電圧は基盤やメモリを食い尽くすだけではあきたらず、関節アクチュエータに予期せぬ挙動を強要し、それは、あたかも、想いが燃え尽きるかのような。
そんな痙攣をして。
停まって。
兵器なのに。
道具なのに。
それなのに。
*
ヘリが到着した時、既に視界から月は消えていた。
いつのまにかヘリに収容され、エリが俺の頭を自分の胸に押し付け、号泣していた。
アウラを喪ったのは、俺なのに。
*
その後、検査やら入院やらで予定は詰まっているが退屈な日々が過ぎてゆき、そんな中で少佐が見舞いに来て言うことには、あの子供たち五人は、俺が戻らないことを不審に思って投入した部隊が無事にキャンプへ連れ帰ったそうで、その件と連れ去られて戻った件をあわせて、更に降格を一階級減じて、結局のところ元の通りの階級に戻るそうなのだが『君の見解を借りて言うなら「兵器ひとつで子供五人の未来を拾えたのだから儲けもん」ということになるのかな』などとしれっと言うのだけれど、実はそれですら俺はウワノソラでしか受け取る気にはなれなくて。
俺が喪ったのは、アウラなのに。
*
そして俺は除隊した。
正確にいうならば、除隊させられた。
誰に? エリに。
本当はそれは言い訳で、除隊後の行き先の選択肢を増やす以上の影響力はなく。
次の『アウラ』を『アウラ』と呼べる自信が無かった。
あの二十四時間以外を『アウラ』と共有する違う個体を別の名前で呼ぶ自信も無かった。
理由は? と訊くと、俺が作るフィッシュアンドチップスが子供の頃食べていたものより美味しいからだそうで、淑女であると自己主張すれば真意なんて伝えなくてもいいと思っているらしいことは理解できた。
たぶん、本音を言うことに照れが残るだけだろうけど。
*
私室の荷物をまとめ、少佐に挨拶に向かった。
少佐はなにやら騒動に巻き込まれているようで、記録装置のない執務室で小一時間状況を小出しに俺に伝える作業をしながら指示対応をしていた。
要するに俺は愚痴られていたわけだが。
理由を察するに、記録兵器用のデータ保存サーバが情緒不安定としか言いようのない不安定さでエラーを繰り返し、それに伴い記録作業の遅延が起こっているらしい。
そんなこと俺に『原因は思い当たるか?』なんて問われても困るわけで。
俺としては半ば投げやりに、
「記録兵器の福利厚生に力を入れたらどうですか」
と冗談を言い残して退出してくるだけで既に疲れ果てていた。