トップに戻る

<< 前 次 >>

月並殺しの俊風少女

単ページ   最大化   

 将来の役に立ちそうにない、というのは建前で、生理的に拒絶対象の授業を看過し藤さんと弁当(大)を分かち合い嫌いではないが好きでもない授業を看破するとようやくホームルームの順番が廻ってきました。
 つまり帰宅です。ひゃっほー、なんて胸中で叫ぶ気力も残っていません。
 まさか数学が二時間もあるなんて。
 担当教師を下痢にしてやろうかと――試しに、ですよ? 私は私が異能者であるなんて信じ切ってはいませんから――企みかけましたが、それは学校生活において苦手科目の習得なんぞ比ではない拷問のような苦痛を与える生理現象でありますので、ギリギリで踏み止まりました。
 己の欲せざる所は人に施すなかれ、と故人も仰いましたし。全人類に慈悲を与えようと、我が身は無頓着に無慈悲に無拍子に力づくの要求を始めちゃうのでしょうけれど。
 まあそれも終わったことです。朝のものよりは若干気持ちの籠った礼をして、ホームルームは終了しました。
 太陽も随分と傾いて――いるんですかね。把握しかねます。
 元々真っ暗だった空には変わらず暗雲が立ち込めていて、チンダル現象の起きる隙すら一部たりとも与えない、とでも思っていそうな重厚な気概を内包しています。雷こそ滅多になくなりましたが、記録的な大雨は全力で記録更新中のようです。そんなに頑張らなくてもいいのに。
 まさかとは思いますけれど、これが私の影響だとしたらすごいですね。我ながら危険人物です。ハナダの洞窟とかに籠って現世と距離を置くべきでしょうか。
 藤さんは背伸びをして「じゃっ、また明日」と軽快なテンポで教室を出て行きました。
 私の手がひらひらと反応した時には残像すら残っていません。
 一緒には帰りません。私は(たまに)残る用事ができるし、そもそも帰宅路が校門から早々に別れてしまうので、暗黙の了解というか、本能的に効率を求めた結果、このような仕組みに落ち着きました。つい先日から。友達になったのも先日なので、二人はわりかし効率厨であるといえそうです。
 私は再び薄暗い教室から薄暗い景色を眺めて頭を真っ白に染めながら、ふと気づきます。
 あ、傘がない。
 うかつでした。家を出てしばらくまでは曇ってはいたものの、お天気キャスターが降水確率二十%なんて安心させるものだから、置いてきてしまったのでした。私的には三十%からが悩みつつ直感で決めるラインであり、それ以下だとかさばるのが嫌いで持参しないようにしています。
 置き傘なんてものはしません。物には愛着を持つほうなので、持っている傘は一本ですし、運が悪ければ天下の回り物にされてしまいそうなので。折り畳みタイプは可愛げがないし壊れやすいので苦手です。
 両親は少し前から徹底的な放任主義を貫き始めましたので、迎えは期待できません。甲斐甲斐しい兄弟姉妹も存在しません。
 困りました。こういう時に頼れるお姉さんが欲しくなりますよね。もしくは弟が迎えに来てくれて、あらあら傘を持ってきてくれたのごめんなさいありがとう一緒に帰りましょうね傘はお姉ちゃんが持ちますからねよしよしうふふ、なーんて。むなしい無い物ねだりですね。
 念じたら晴れませんかね。雨よやめー、なんちゃって。
 ふふふ。
 ざーざー。
 ですよねー。
 こういうのは神とか龍とか別次元っぽい方々の領分なんでしょう。ちょっとでも期待した自分が悪うございましたよ。ああ恥ずかしい。
 書類が濡れるのは頂けませんし、走って帰るのは却下。となれば、時間を潰す必要があります。というわけで、久しぶりに部室に足を運ぶことにしました。
 こう見えても私、神秘研究部のエースなんです。
 校舎から渡り廊下を伝った先にある部室棟の一角で、私は一人安息します。
 暗くて、狭くて、誰もいない。落ち着くには最適の環境です。
 きっと学校敷地内にてここより小康三条件を満たす場所は倉庫を除いて他にないでしょう。いいえ、道具としての二軍や切り札が控える場所が倉庫であるならば、もはやゴミだまりと一見区別がつかないようなこの場所のほうが、存在意義としては低ランクに属すると思われます。
 それを証明するように、基本的には私を除いてこの部屋への来訪者はありません。過去も、おそらく未来においても。部員がいないわけではないんですよ。ちゃんとリストには載っているんです。リストには。
 照明を点ける気力も湧きません。本を読むべきか、どうすべきか。
 なんでしたっけ、雨の日には読書に励むべし、みたいな言葉がありましたよね。なんだっけなあ。
 なんて夏休みの宿題をやる気もないのに帰ってからやると母親に口約束して遊びに向かう小学生のように思考を先延ばしに特化しつつ、気だるげに長机にへばりつきます。ひんやりします。埃っぽさが鼻に付きますが歯牙にもかけません。放っておきます。
 片付けられない女、なんてレッテルを張られてしまいそうな惨状ですが、私にだって言い分はあります。
 そもそもここは神秘研究部。部室にあるものはボールやモップのような単純な品ではなく、どうにも怪しげな由来を持っていそうなものばかり。そんなものを下手に扱い、あまつさえ可燃ゴミとして処理しようものならひょっとしなくても呪われかねません。呪いというオカルト的な現象に興味はありますが、自らを被検体として差し出すことには躊躇があります。どうするんですか、一日中下痢に襲われる呪いなんかに掛かっちゃったら。不登校になって自宅のトイレで青春を謳歌どころか消化するのがオチですよ。呪いや超能力はあるなどと断言できるほど盲信ぶってはいませんが、可能性は信じているのです。少ない可能性でも、多大なリスクを乗算すれば憂慮に値するんです。
 QED、言い訳終了。
「はぁ……こふっ、こほっ」
 ああ、埃アレルギーになりそう。
 片付けないから人が来ないのか、人が来ないから片付かないのか。誰も来ないならこのままでいいですよね。体には悪そうですが、私の趣味にはピッタリですし。汚れ具合ではなく過疎っぷりがですよ。
「雨、やまないなあ」
 積もった埃にいじいじと猫っぽい輪郭を落書きしながら、刻々と不安が積もります。
 もしかして、このままずっと降り続けるんじゃないか。
 雨は嫌いではありません。雨の降り続ける街、というのもロマンチックで素敵だと思います。しかし現実としては洗濯物が生乾きになりますし、その集中降雨の代償は、水不足という形でダム元を違える周辺地域が被るかもしれないのです。軽々しく容認すべきことではありません。
 超能力でしょうか。超能力なのでしょうか。思い付きで使うものではありませんね、超能力。
 これは人として、オカルト好きとして調査するべき案件です。我が身に異能が宿ったなどという眉唾ものを、当然に信じ切ってはいません。しかし可能性は信じています。それに試すことを恐れていては、知性は進歩しないのです。
 善は急げの精神で私は「やれやれよいせ」と立ち上がり、急がば回れ、急いては事をし損ずるという故事にならい近場を漁るとビニール地の切れ端のようなものが見えたので拝借させて頂きました。
 ではではいざ、戦場ヶ原へ。
5, 4

  

 私が靴箱から外靴を携えて渡り廊下に引き返したとたん、雨脚は冗談のように加速しました。
 やまない雨はない、とか聞きますが、やまない可能性を憂いて行動しているわけですし、このまま波トタンの下に宿って多少弱まるのを待ち構えたところで濡れるものは濡れるのだと思い切って駆け出します。
 目指すは運動場の手前側。曖昧なれど、今朝に体育教師らの訓示を聞いていたであろうその地点。
 超能力が発動する条件を私なりに考察してみました。
 一つは思念の強さ。多く念動力には精神の消耗が付き物だと言われています。真面目にやれということですね。
 二つ目は地点。すなはち、風水でいうところの竜穴さながらに発動しやすいポイントがあるのではないか、という根拠のない適当な予想。私が思い付きで選んだ場所が偶然にもそれであった、というのは眉唾物でありますが、文字を書いた場所をなぞらなければ消しゴムが用を成さないように、もしかすると発動は地点を問わずとも、取り消しは同地点に限るとかいう法則があるのかもしれません。
 最後は時間。ありきたりですね。怪異が蔓延る丑三つ時とか、鏡を対面させて深夜零時を待つと悪魔がやってくるとか。
 一つ目は靴を取りに行く途中に試しましたがご覧の通り。三つ目は時が一方通行である以上、明日を待つ他に手の打ちようがないので、現在可能な二番目を実践しようというワケです。
「確か、このあたりだったような……」
 とおおよその検討をつけて立ち止まります。
 はい到着。靴下が濡れて気持ちが悪く、替えがないことを思い憂鬱感が加速し始めたので意識から追い出します。雨を防ぐ膜とか作れないかなー、なんて逃避ついでにイメージしてみましたが、当然ながら濡れっぷりに変化はありません。
 湿原というよりもはや出来合いのミニチュア河川を形成できるような水量に、鞄よりは表面積が大きい程度のビニール片では役者不足だったようです。ちなみにビニールを広げると紫のマジックによって中央部分に手の平より一回りほど大きな目が描いてありました。盗撮用の機器の代わりでしょうか。どちらにせよ、趣味がよろしくない事には違いないようです。
 呪われませんように。あと、誰かに目撃されませんように。
 こんな雨の中グラウンドに出向く物好きなんて私くらいだとは思いますけれどね。下校時間もとうに過ぎ、人っ子一人も見当たりません。
 集中できる環境であることを確認したところで、念のため、今朝と同じような状況を作るために座り込みます。お尻を付けてまで再現する勇気はないので膝を曲げるのみで妥協。姿勢を整えようと重心を揺らすたび、足の裏からぐしゃりぐちょりという感触が伝わってきます。うう。
 後悔するだけ損なので、瞳を閉じて内面に意識を集中させます。
 脳より発し眼窩に現像される妄想は感覚の全てである。朝のそれとは逆。散々暴れまわった雲が鬱憤を発散しきり、潔く引き上げていくイメージ。
 耳を澄ませば、ゆっくりと雨音は遠ざかってゆき……ません。ですよねー。
 しかし、一つの事象が起きました。
 両の瞼から熱意を抜こうとした直後、私の横髪を突風が薙ぎ、被っていた目ニールがさらわれます。それとほぼ同時にガラスの風船が破裂するような音が――そんな音を聴いた経験はありませんけれど、ほら、生野菜からウサギ小屋の味がすることってあるじゃないですか――雨音を跳ねのけて耳に届きました。
 風に吹かれてか驚いてか、おそらくは両方だったのでしょう。
 脊髄は理性と無関係に四肢に距離をとれと命令し、泥水と化した地面に尻もちをつく羽目になった私は、状況確認のために音の方向を見遣ります。
 何もありません。風の悪戯だったのでしょうか。
 なんて安堵しかけた私の背筋に、怪しげな第六感が――
6

家禽下の泥 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

<< 前 次 >>

トップに戻る