「僕見た目よりも強いんですよ」
今にも泣き出しそうな顔で吉木は言った。
確かに彼は弱そうだ。虫一匹殺せそうにない。丈の合ってない学ランからのぞく手足はひょろひょろとして、180センチを優に超える身長ながら全く威圧感を感じさせない。女の私よりも腕力がないのではないかと思うこともある。彼の言葉は私を安心させようと言ったのだろうか。どう考えても冗談にしか聞こえない。
私たちに因縁をつけてきた不良たちは最初1人だったのが、取り巻きどもがわらわらと増えて10人以上になっている。今は放課後で、私たちと、彼ら不良と、仕事をさぼってばかりいる用務員さんと、宿直の教師しかいない。宿直の村上先生は宿直登板の時はいつも、ヘッドホンを付けて女子高生モノのAVを見ているから全く頼りにならないし頼りにしたくない。
不良は10人以上集まっている。お前らの相手は、一人は成長しすぎたうどのような男の子で、もう一人はか弱い女の子だぞ。用意周到なことだ。
石橋を叩いて渡る。
獅子は子兎を狩るのにもうんたらかんたら。
思うに彼らも怖いのだ。
進学校で不良面してるけど、何かを壊してまで訴えなければいけないだけの不満も特にない。彼らの大半はなんやかんや言って幸福に生きているし幸福を感じている。周りとはちょっと違う自分っていう奴に酔っているだけなんだ。そんなことを冷静に考えてたらいつの間にか余裕がなくなっていた。吉木が冗談言うから。
先頭の坊主が叫ぶ。
なんじゃあああおりゃあああああえあ!
うるさい。近い。邪魔。不愉快。男子高校生特有の制汗スプレーの臭いがまた癪に障る。
吉木は見た目よりも強いらしいし、(ソースはさっきの発言)一人か二人、運良ければ4、5人くらい足止めしてくれるだろう。その間にダッシュで逃げて警察呼ぶか。いや高校にもなれば明らかに男の方が足早いだろ。
無理無理無理。
チェックメイト。
打つ手なし。
顔はれるの嫌だなー。
処女も奪われたくないなー。
「こいつらくらいなら余裕ですよ先輩」
また吉木が余計なことを言う。もうこいつはハリウッド映画の俳優のように極限状態でジョークや強がりを言わなきゃ死んじゃう病気なんじゃないか。
緊張が高まる。高まりに耐えきれず、坊主頭の一番先に因縁をつけてきたやつが吉木の学ランに手をかける。
私は処女を諦めて、暴行されてもせめて子供をつくれる体を残しておいてくれればいいと神に祈る。
襟を掴むか掴まないかぐらいのところで坊主の顔が陥没する。
吉木の拳が坊主の顔面にめり込む。そのまま吉木は拳を振りぬいて、うぶおあえ、という声にならない声をあげて坊主がぶっ倒れる。私は飛び散る血を見て意識が遠のく。そう言えば私って血が苦手だったんだ。毎月見てるのにおかしいな。他人の血だからかな。なんてどうでもいいことを断片的に考えながら後ろ向きに倒れる。私の体をなにか木の棒みたいな腕が抱きかかえたような気がしたけど、そこからしばらく私の意識は途切れる。
気がつくと私のからだに大きな学ランがかけられていて、臭いから吉木のものだとわかる。汗をかいても全く汗臭くなくて、ふんわりと柔軟剤の香る学ラン。これは吉木のものだ。
「大丈夫ですか」
お前の方が大丈夫かと問い詰めたい。吉木が学ランの下にきていた白シャツには血がべったり付いていた。背中にユーラシア大陸のようなシミがある。
その場に数人が伸びている。囲んでいた人数よりも少ないのは、逃げた奴が何人もいたからなのだろう。最初にぶん殴られた坊主頭はぴくぴくしている。他にも何人か鼻や耳、頭から血を流してぶっ倒れている。やばいんじゃない、これ。
およそ神聖な学び舎たる教室の光景ではない。
とおいむかし、80sでは、学校をバイクが爆走して、ボンタンとかいう不思議な加工がほどこされた学ランをみんなが着て、縄張りを広げる為に他校と喧嘩、戦国時代か、とても同じ日本とは思えない。連続性を感じない。
でも今はそんな時代から遠く離れて、少なくとも私の学校では、みんな健全だ。みんな部活に入って、最後の夏とか春まで毎日頑張って、最後の一年は国公立大学目指して、学校の進学実績を上げる為に必死で勉強する。良い子でなければ生きていけない。健全さの強制。それは健全さとは対極に位置する思想だ。不良たちは健全さに対しての違和感を上手く吐きだすことができずに楽な方に逃げていった人たちだ。基本的には私たちと一緒。私と吉木と。
「先輩逃げましょう」
吉木は私を見て言った。なんでというような顔をしていると、遠くから、いつもは働かない用務員が来ているのを指さす。これを見てことなかれ主義の用務員はどうするんだろう。少し見てみたい気持ちがあったが、私たちはまだ「良い子」として通っている。まだ「良い子」でい続けなければいけない。
私たちは手を取り合って一階の窓から逃げ出した。