あとがき
どうも、せみつです。いつもは違うペンネームで活動しているのですが、少し思う所があっていつもの名前を伏せました。でもペンネームと文体から分かってしまうかもしれません。もし分かった人がいたらできれば心の中にしまっといて下さい。
いつも軽い文書を書き散らかしてるのでたまには重いことを書こうかなと思ってエッセイを書きました。本来は「あぁ自分疲れてると思った瞬間アンソロジー」に投稿しようとしたんですが、特に面白くない話なので他の方の作品に並べるのもどうかと考え別に登録しました。本文に書いたことはわりと本当の話です。書いたのはいいんですが、書いて推敲するうちに辛いことを沢山思い出したのでもう二度と読みたくないです。
さて、「今まで生きた分しか小説を書けない」というのが僕の持論です。言い換えると、僕は当たり前かもしれないんですが、よっぽどの天才的な想像力を持って創造することのできる人を除けば、インプットした物事しか小説としてアウトプットできないと思っています。書き終わって推敲しながら考えてみると、いつも書いてる小説もこのエッセイで書いたような経験が生きていることに気づきました。こうやって新都で物書きごっこが出来るのも、僕と一緒に歩いたりすれ違ったりした人々のお陰なんですね。エッセイを読んでお分かりになられたかと思いますが、自分は昔勉強ができて彼女がいたとか書いちゃうような嫌な奴です。だからこそ、僕と少しでも一緒に歩いてくれた人には最高の感謝の気持ちを捧げたいです。
また、これを書くに当たって直接のモチベーションを与えてくれた、坂先生の「尻を拭いたトイレットペーパーをいつも僕は」と泥辺五郎先生の「小説を書きたかった猿」にはとても感謝しております。両作品とも素敵な作品なのでぜひ皆様も時間があれば読んでみてください。
短いですが、このエッセイはこれで完結です。最後に、こんなネットの隅に書かれた僕の愚痴以上エッセイ未満の拙い文章を読んで下さった皆様に深く感謝を述べたいと思います。ありがとうございました。
せみつ