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第四話「ジャンプを練習する挙動不審な妖精」

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 そいつに気がついたのは、ある年の元旦の事だった。
 マンションの高層階。畳敷きの一室。僕はそこで布団にくるまって寝ていたわけだ。
 最初は完全に夢だと思ったね。なにせそいつの姿はどうみたって、絵本に出てくる妖精(♀)そのものだったから。
 お、今年の初夢は妖精か。これは縁起がいいのかな、それとも悪いのかな。布団の中で目だけ開けて、そんなことを考えたのを覚えている。
 ティンカーベルも顔負けの格好をしたそいつは、身長20センチくらいだった。顔を見ればなかなかのべっぴんである。
 夜の明ける少し前の時間で、薄明かりに輝く妖精の姿はとても綺麗だった。
 そんなべっぴん妖精が、僕の部屋の窓際で一生懸命にジャンプしているのだ。可愛らしい顔に汗をいっぱいに浮かべて、一心不乱にジャンプしているのだ。
 外見で一つだけ気になったのは、背中の羽根がボロボロだったところくらいだ。トンボの羽を100倍綺麗にしたようなその羽根は穴だらけで、片方は千切れかかっていた。
 僕は多分一時間くらいの間、飽きずに彼女を見つめていた。その間彼女はずっとそうしていた。
 ふとした瞬間に、彼女は飛び跳ねることに疲れたように腰を下ろした。
 マッチ棒くらいの太さの腕で、可愛らしく汗を拭っている。休憩だろうか。手のひらで頬をぺたぺた触っているのがあどけなく思えた。
 彼女は僕に背を向けていたが、ふと思い出したように僕の方を振り返った。
 完全に目が合う。
 見つめ合う僕と彼女。
 僕はどうしていいかわからず、固まってしまう。彼女もそれは同じようだった。
 やがて少しの間をおいて、僕の口から出たのはとても幼稚な言葉だった。
「よ、妖精ですか」
 こんなことを言ったところで、妖精に通じるとは思えなかった。しかし意外なことに彼女は口を開いて次のように喋ったのだ。
「よ、ようせいです」
 通じてしまった。事実は小説よりファンタジックだ。
「何をしているんですか」
 言葉が通じるのか、まだ半信半疑だった僕は質問を重ねてみる。彼女は少し迷ったような様子になるが、たどたどしく言葉を発してくれた。
「あのまどから、そとへでたいのです」
「はねがやぶれてしまって、とべないのです。かえりたいのです」
 少しカタコトではあるが、立派に意思の疎通はできるようだ。そして彼女の概ねの事情も理解できた。
「どうして羽が破れてしまったんですか」
「このへやにはいってきたときに、あのいきものにおそわれたのです」
 彼女は天井のすみを指差す。そこには蜘蛛の巣が張っていて、足の長い蜘蛛が眠ったようにくっついていた。どうやら彼女はあの蜘蛛に襲われたらしい。
「もうなんにちもこうしているので、おなかがすいたのです。かえりたいのです」
 なんと僕が気がついていなかっただけで、ずいぶん前から彼女はこの部屋にいたようだ。
 僕は年末から元旦にかけて、妖精と同棲していたことになる。
「そうなんですか……」
 頭がついていっていない僕はそんなことを言う。彼女も黙って、うつむいてしまった。
 しょぼくれた彼女に面食らった僕は、慌てて次のようなことを言った。
「な、何か手伝えることはありませんか」
 彼女はきょとんとした様子でこちらを見た。
「い、いいのですか」
「もちろんです」
「にんげんはおそろしいいきものだときいていたのです」
「そんなことは無いと思いますよ。それで、どうすればいいですか」
「わたしをあのまどのところまで、もちあげてもらえますか」
 彼女は背筋を伸ばして窓を指さした。
「もちろんいいですよ」
 僕はそう言って彼女に手を伸ばした。そうして彼女の腰を掴んだ。
 妖精の体はとてもフワフワしていて、少し間違えたら握りつぶしてしまいそうだ。
 僕はそのまま立ち上がって、窓ワクのところで手をそえて、手のひらを上に向けて開いた。妖精はおっかなびっくり窓ワクに足を伸ばして、やがて降り立った。
「ありがとうございます」
「どういたしまして。窓も開けましょうか」
「おねがいします」
 彼女は笑顔でそう言った。
 この窓を開けたら彼女は帰ってしまうのだろう。そう考えると惜しい気もしたが、彼女の笑顔を見ていると、不思議と捕まえたいとか、そういう気持ちはなくなった。
 僕が窓を開けると、冬の冷たい空気が部屋に入ってくる。僕は思わず身震いする。
 妖精は寒さをあまり感じないらしい。彼女はとても嬉しそうな顔で、窓ワクにちょこんと立っていた。
「ありがとうございました。これでかえれます」
 彼女はそう言って深々と頭を下げた。
「どういたしまして。気をつけて帰ってくださいね」
 僕はそこまで言って、ふと疑問が湧いた。
 彼女はどうやって帰るのだろう。羽が破れてしまっていては、飛んで帰ることはできないはずだ。誰かが迎えに来たりするのだろうか。
 そもそも彼女は2本の足でちゃんと立っている。いつでも僕の部屋のドアから外へと出られたはずだ。なのにどうして窓から帰ることにこだわったのだろうか。
 彼女はくるりと身をひるがえして、僕に背を向けた。
「ありがとうございました。これで、つちへかえれます。さようなら」
「えっ」
 彼女はそのまま前と足を踏み出した。
 いや踏み出したというのはおかしい。そこに踏みしめられるものは何も無かったのだから。
 彼女の姿が完全に消える。僕は慌てて窓から下をのぞき込んだ。
 地面のアスファルトに彼女の遺骸があった。
 妖精にも血はあることを僕は知った。それは人間と同じように赤かった。
 僕は呆然としたままそれを見つめ続けた。不思議な事に、地面に吸い込まれるように血は消えてしまった。そして、彼女の遺骸も。
 初日の出が僕の体を照らし始めていた。

 どういうことだったんだろう。

 羽が無くたって生きていける、と思うのは僕が人間だからなのだろうか。
4

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