0.プロローグ
*
旅客機の中で少女と出会いお話をしたんだ。
少女の顔立ちは整っていて髪は絹の様に滑らかな白髪。
何を話したかは覚えていないが、少女は旅客機の窓を指差した。
そこに映るはずの僕の姿は映っていなかったのである。
その時、何故だかはわからないが胸をきゅうっと締め付けられる様な
とても、そうとても悲しい気持ちになったのを覚えている。
そして旅客機が墜落する間際に、彼女の放った一言だけが脳内を反芻している。
*
そうそう自己紹介を忘れていた。
僕は夢が好きである。
夢と言ってもプロ野球選手になるだとかの、そっちの夢じゃあない。
夜中にベッドに潜り込んで寝てみる夢のほうだ。
夢の中でなら何だってできる。
スーパーヒーローになって空を飛んだり
悪の組織から世界を守ることだったり
トム・ソーヤーの様な冒険だってお手の物だ。
それともう一つ。
僕は漫画が好きである。
よくwebの投稿サイトに漫画を投稿したりする。
正直、生まれてこの方小説らしい小説なんてほとんど読んだ事がない。
じゃあ何故、こうして小説の様な形をとってここに書き記そうとしたのかって?
それはあまりにも僕の見た夢が衝撃的すぎたからさ。
漫画で表現するのもいいが、アマチュア投稿サイトの締め切りが近く
そっちにまで手が回らないんだ。だからこうして文字という集合体で
誰かにこのお話を伝えたい。文才は全く無いがどうか許しておくれよ。
おっと、脱線してしまった。いけないいけない、話を戻そうか。
この物語は僕の夢の中の冒険譚、いやそんな輝かしいものじゃあない。
一人の少女との出会いを書き綴った手記といったところか。
まぁ、お話を始めようじゃあないか。
*
アメリカのニュージャージー州……
いや、オハイオ州だったか……まぁどこでもいいんだ。
とりあえず僕の住んでいる所は田舎だった。
たしか、齢は17歳。
高校2年生の秋だった気がする。
「ジリリリリリリリリリ!!」
目覚まし時計が狂ったように朝だぞ起きろと暴れだす。
バチンと時計を叩き僕は仲良しな上瞼と下瞼を擦りながら欠伸をした。
「なんだ、まだ7時じゃあないか。にしても寒いな」
もぞもぞと布団を被り今日見た夢を思い出す。
『気をつけて、夢の中では誰も信じちゃいけないわ。』
そこで目が覚めた。
あれは、一体どういう意味だったのだろうか。
いや夢に意味を求めるなんて荒唐無稽もいい所である。
しかし、僕は見た夢をこうやって温かい布団の中で
考察するこの時間が大好きなのである。
そうこうしているうちに、時計の針が7時半を回っているのに気付く。
しまった、と思ったがまだ間に合う時間だ。
僕は少し急ぎ足で身支度を整え、軽めの朝食を摂り家をあとにした。
外に出ると閑古鳥が鳴いていた。
秋の空はとても高く少し寒い。僕は秋が一番好きである。
とても快適で過ごしやすいし、何といっても夜が長いからだ。
僕の名前はキャスパー、キャスパー・クルーエル。
キャスパーと言っても、あのお化けのキャスパーじゃない。
れっきとした2本足で立って歩く人間である。
顔は中の下、男。クラスでも目立たない方の空気みたいな存在である。
そういう意味ではキャスパーという名前は案外合っているのかもしれない。
どこにでもいる平凡な生活を送る普通で何の特徴もない普通の学生である。
自宅から学校までの道のりはそう遠くはない。
時間にして20分ぐらいだろうか、ほらあそこに針葉樹があるだろう?
あそこを曲がれば学校さ。僕は空想に耽りながら軽快に歩いていた。
しかし、何やら後ろからヒソヒソ声が聞こえる。奴らだ……。
「おい!ゴーストキャスパー!!今日も夢の事を考えてんのか?!」
「ハッハッハ!きっと寝ながら歩いてんだよ!!」
訂正する。普通の平凡な学生はイジメにあったりはしないだろう。
そう、僕は学校でよく虐められているのだ。この不快な嗤い声を発する二人に。
名前はゴートンとニコラス。左の巨漢がゴートンで右の腰巾着がニコラス。
日本の漫画で例えるなら、ドラえもんのジャイアンとスネオを想像してもらうといい。
まぁどうでもいいか…この先、物語に絡んでくる事もないし
彼等の登場はこれが最初で最後だ、何て可哀想な彼等。
あぁ、先の展開を記述してしまったら面白くなくなるな。失敗した。
*
大抵の小説はここで学校生活を書き記すのだろうが、ぶっちゃけ僕はそうはしない。
漫画ばかり読んでいた僕にとって、小説は未知なるものだった。
初めて読んだ小説は日本のものだった。題名は『新世界より』。
上下巻とあり、分厚く文字を見ただけで睡魔が襲ってくる僕にとっては
冒頭の世界観の説明はただの苦行でしかなかったのである。
だが、その苦行を乗り越えた先はとても奇想天外な冒険譚だったのだ。
冒頭で小説はほとんど読まないと言ったが、あれは嘘だった。すまない。
唯一この『新世界より』は今でも愛読している。
あぁ、また話が脱線してしまった。ダメだなぁほんと。
つまり余計な話は省きたいのである。決して書くのが面倒だからじゃない。
だって詰まらないだろう?僕が虐められているエピソードなんて読んでも。
だから掻い摘んで話そうか、と言っても夢の話なんだけどね。
僕は学校の授業中や昼休みは専ら机に突っ伏して寝ている。
机で寝ても大抵の人は夢まで見るほど熟睡はできないだろう。
だが、僕は出来る。出来てしまうのだ。
ドラえもんの、のび太君も顔負けの特技である。
羨ましいでしょ?え?そうでもない?
まぁ、その時見た夢なんだけどこれが驚き。
夢の続きを次の日の夜見る事は多々あったけれども
同じ登場人物が再び出てくるのは初めての経験だったのだ。
そう、出てきたんだよ。あの旅客機の白髪の少女が……!
夢の内容は曖昧だが、たしか鯨よりも巨躯の怪物のような竜から
逃げまどう内容だった気がする。
一番衝撃的だったのはその恐ろしい怪物竜が喋ったのである。
それも、小鳥が囀る様な美しい少女の声色で。
ガタンッ!!
そこで、現実に引き戻された。
ビクッと震わせた僕の体は机を揺らす。
含み笑いが教室内に反響する、教師も呆れ顔で何も言えないようだ。
そんな事はそっちのけで、僕は机に再び顔を埋め考察に耽る。
『貴方はこっち側へ来てはいけないわ』
―そう、恐らくこれは何かしらの啓示なのだ。
*
学校が終わると僕は一目散に商店街の花屋へ向かった。
「おばちゃん!いつもの2本ね。」
息を切らしている僕を見かねたのか、花屋のおばちゃんは水を1杯くれた。
「はい、お水。それといつもの紫のアネモネね。」
水を飲み干し花代を手渡し、僕は足早に花屋を去った。
えぇと…何だっけ…名前は忘れたけど
この大きな病院に彼女はいる。
僕は病院独特の香りに顔を顰めながら、階段を一段飛ばしで駆け上げる。
501号室、彼女のいる部屋だ。
紫のアネモネを握りしめながら、勢いよくドアを開ける。
病室の窓が半開きになっていて、秋特有の冷たい風が僕の顔を撫でる。
彼女は今日も美しいまま深く眠っている。
ベッドに寝ている彼女の顔を覗き込む。
年齢とは不釣り合いなほどに整った顔立ち。
長い睫毛、病的なまでに色白な肌。
絹の様に滑らかで、雪の様に真っ白な髪。
「やあ、ミザリー……今日も元気そうで何よりだ。」
彼女から返事はない、構わず僕は続ける。
「ほら、今日も君の好きなアネモネの花を持ってきたんだ。」
そう言って僕は花瓶にアネモネの花を移し替える。
「聞いてよミザリー、今日見た夢は凄いんだよ。
君に似た女の子が出てきたんだ、しかも二回続けて。」
そこからは僕とミザリーの夢談義が始まる、一方的ではあるが。
二人だけの空間で僕だけの楽しげな声が反響する。
まるで昔を懐かしむかの様に。
ミザリー・ポートマン
彼女の名前だ。
ミザリーとは幼馴染で僕の唯一の親友でもあり、初恋の相手でもある。
ミザリーは完璧な容姿とは反比例する様に、性格は一言で表せば変だった。
同い年ぐらいの子が、おままごとや花を摘んだりしてる中
彼女はしょっちゅう空想に耽っていたのである。
友達に夢の話をする事は幼少の頃なら少なからずあるだろう。
しかし彼女は違った。夢に対する思想が異常なのだ。
大人顔負けの夢の考察をレポートとして先生に提出した事もある。
なので彼女は必然的に友達と疎遠になり、僕と出会ったって訳だ。
そう考えるとミザリーの精神年齢は
僕達とは比べ物にならない位高かったのかもしれない。
そして、あれは忘れもしない高校一年の夏。
いつもの様にミザリーと一緒に登校するために彼女の自宅に向かった。
しかしその日はいつもと違った、五分前には玄関に
出ているはずの彼女がいないのだ。彼女の母は
「少し体調が悪いみたい、先に行っててくれる?」
とそっけない顔でそう漏らしていたのを覚えている。
だが、次の日になっても次の次の日になっても一向にミザリーが
家から出てくる様子はない。僕はいてもたってもいられなくなり
一度ミザリーの部屋に忍び込んだ事がある。
彼女は寝ていた。しかし、何かおかしい。
そう、何をしても起きないのである。
肩を揺すっても声をかけても頬を引っ叩いても。
後に僕は彼女の病名を知らされる事になる。
ナルコレプシー虚夢症症候群。
通称、虚夢症。
過眠症が更に悪化した症状である。
寝たきりの植物人間状態といったところか。
要するに一度眠ってしまうと目が覚める事がないのだ。
僕も医者に過眠症の疑いをかけられていたが
彼女がこうなってしまうとは予想だにしなかった。
いつもの様に僕と夢談義をしていた彼女が
次の日に目が覚めずそのまま夢の中だなんて。
―僕は彼女が夢の中に堕ちる前日に聞いた言葉を今でも覚えている。
*
一通り話し終わると僕は満足げな顔をしてどこか虚無感を感じていた。
彼女からの返事は一向に返ってこないままだ。くるはずもない。
「じゃあ、今日はここらへんでやめにしようかな。
日もくれてきたし、そろそろ帰る事にするよ。
ミザリー、また来週ね。」
そう言い放つと僕は病院をあとにした。
家につくなり、遅めの夕食をとりシャワーを浴びてベッドに潜り込む。
僕は眠るときはいつもペンダントをして眠る。ミザリーから貰ったものだ。
円形のペンダントで裏には尖った文字で『Misery』と掘られている。
何でも彼女曰く悪夢から守ってくれるらしい。
目覚まし時計をいつもの時間にセットすると僕は瞼を閉じた。
あの時の彼女との夢談義での情景が瞼の裏に思い描かれる。
―『こっちが仮想世界で夢が現実世界だったら素敵だと思わない?』―
皮肉にも彼女の残した最後の言葉は現実のものとなり
それ以降ミザリーが目を覚ます事はなかったのである。
僕は瞼の裏に涙を溜めながら、長い欠伸をかいた。
「今日もいい夢が見れますように。おやすみ、ミザリー。」
そう言うと次第に意識が遠のき始める。
僕はまだこの時しる由もなかった。
これから見る夢は悪夢なんかよりもずっと恐ろしいものだという事を。