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三題短編 手紙 (非SF)

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くじ:ミハエルさんのお題は『汗』です。(03/19 14:00)
くじ:ミハエルさんのお題は『鷲』です。(03/19 14:00)
くじ:ミハエルさんのお題は『帽子』です。(03/19 13:59)


三題短編 その1 『手紙』

「そういえば、あの帽子どうした?」
 父の一周忌を終えた帰りの電車の中で、私の六つ上の従兄弟が思い出したように私にそう聞いてきた。
「どの帽子?」
 私は帽子など全く着けない人間だったので、質問の意図がさっぱり判らずに聞き返した。
「ほら、子供の頃に自慢してた、緑色の確か……鷲のマークの」
「大正製薬ッ!」
「タウリン千ミリグラム配合ッ!」

「「リポビタン・でぇッ!」」

 電車の中なのに大声でハモってしまった。こんな下らない事に乗ってくれる従兄弟が、子供の頃から私は結構気に入っていた。もう二人ともいい歳なのに、三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。電車が空いていて良かった。とはいえ、少なくても他の乗客は居るのだ。もう夜も遅いので静かにしなくては。
 私達は二人で声を抑えてクスクス笑いあった。
「それで大正製薬がどうかしたの?」
「それは横に、置い、とい、て」
 従兄弟がジェスチャーで話題を横にずらす。すかさず私がそれを元に戻す。
「タウリン千ミリグラム配合ッ!!」

「「リポビタン・でぇッ!!」」

 遠くに座っている青年に睨まれてしまった。ごめんなさい、こんな煩いおばさんおじさんで。二人で座ったままお辞儀をすると、向こうも軽く会釈を返してくれた。好青年だ。
「それで大正製薬がどうかしたの?」
「だから、それは横に、おい、とい――」
 すかさず戻す。
「もうえぇわッ!」

「「どうも有難う御座いましたーッ!!」」

 あっと思い、ちらりと好青年を一瞥する。彼は顔を背けてちょっと笑いを堪えていた。
 私達は二人で、よし、とガッツポーズをした。
 一体何がよしなのだろうか。もう迷惑だから、本当にここまでにしよう。
「それで、帽子がどうかしたとか……」
「そうそう――」
 鷲のマークの入った緑色の野球帽、子供の頃によく自慢してくれてたけど、どうしたの? という話だった。従兄弟が言うには子供時代の私は、父からのプレゼントだとしきりに自慢していたそうだ。目の前でひらひらと見せびらかす癖に、一度も触らせてくれなかった。一生の宝物にすると言っていたが、あれ以来一度も見ていない。そういえば、あの帽子はどうしたのだろうか。まだ大切にしているのか。と、聞いてきた。
 私はそんな帽子があった事など全く記憶になかった。
 子供時代の私は専らインドア派で、リカちゃん人形なんかで遊んでいたような女の子だった。野球帽を楽しそうに被りながら無邪気に駆け回る姿はあまり想像できない。
 従兄弟の記憶違いではないだろうか?
「えー、そうかなぁ。確かに覚えて居るんだけどなぁ……」
 その日は従兄弟とはそのまま別れた。



 次の日、従兄弟からメールが届いた。アルバムを探してみたら野球帽の写真があったから、携帯で撮って送るとの事だった。添付されていた写真には、確かに私の子供時代が写っていた。そしてその頭には濃い緑色の野球帽が乗っかっている。子供用の帽子ではない様で、かなりぶかぶかだ。帽子の正面、額の部分には従兄弟が言っていた例の鷲のマークがあった。赤い刺繍で輪郭を描かれた鷲が格好いい。どうみても男の子が好きそうなタイプの帽子だった。それを被った子供時代の私は、とても楽しそうに微笑んでいた。
 
 少し思い出してきた。あれは確か……小学生低学年の頃だった。

 父は単身赴任をしていて、会う機会が殆どなかった。たまに帰ってきても、私が寝ている間に帰ってきて、起きる前にまた赴任先に帰ってしまう様な感じだった。それで子供時代の私は勘違いをしていた。私には父親が居ないのだと。
 父親の“噂”は良く聞いていた。野球好きで、色黒で、快活な人だと。でもそれはあくまでも“噂”であって、私は父親の存在を信じていなかった。実際、会った記憶がなかったのだ。父には申し訳ないが、物心つく前の子供の記憶なんてこんなものなのだろう。
 
 ある日、私が余りにも父親の存在を信じないものだから、母が父を不憫に思ったのだろう。父の赴任先に私を連れて旅行に行ったのだ。
 そこで“初めて”見た父親を、私はどう思ったのだろうか? 全く覚えてない。ただ、その時連れて行ってくれた野球場の喧騒と、あの緑色の野球帽の事は辛うじて覚えていた。この帽子はあの時買って貰ったものだったのだろう。
 私はあの帽子を、もう一度見てみたくなった。



「母さん、あの帽子知ってる?」
 実家の母に電話をしてみた。
「帽子?」
「そう、私が子供の頃にお父さんから貰った帽子。緑色で鷲のマークの」
「大正製薬ッ!」
 母がすかさず挟んできた。
 しかし、この家系は……。
「あれ、ノリが悪いわね」
「もう昨日、何度もやったから」
「あらそう、残念ね」
 何が残念なのだろうか。
「その帽子だったら、アンタん所にあるわよ。お父さんがアンタに見てもらいたいって言ってたから」
 父がそんなことを言っていたのか。
「アタシ聞いてないよ、そんなこと」
 母は鷹揚に笑う。
「あったりまえよぉ! 言ってないんだから!」
 全く、この親は……。
「それで何処にあるの、帽子ッ!?」
「あぁゴメンなさいね。確か――」



 それは上京する時に持ってきたダンボール箱の中に入っていた。上京して以来、このダンボールを一度も開けていなかったのかと思うと、我ながら物臭な性格だなと恥ずかしくなった。
 私はしばらく、雑貨の中にポツンと入った緑の野球帽を眺めていた。
 う~ん、判らない。
 いざ実物を見てみても、思ったほどピンと来ない。父には悪いが、やはり私がこれを宝物にしていたという記憶は蘇ってこない。
 被ってみれば判るかな? と思い、手にとってみると裏側からフワリと紙が落ちた。手に取るとそれは父が私に宛てた手紙だった。



 洋子、元気にしているかい?
 お父さんは元気だ。



 何だこの書き出しは。郵送じゃなく、いつ開封されるか判らないのに、元気だも何もあったもんじゃない。相変わらず父の手紙は何処か抜けている。
 そんな父の手紙。
 もう新しい内容が届くことはない父の手紙。



 洋子、楽しくやっているかい?
 お父さんは、まぁいつも通りだ。
 何て言うか、お父さんは洋子に謝らないといけない事があります。ごめんなさい。
 単刀直入に言って、汗臭くてごめんなさい。



 単刀直入過ぎて全く判らない。
 汗臭くてごめんなさい? 確かに思春期は父独特の、加齢臭みたいなのを嫌がってはいたけれど、今では私からもちょっとするので、それはもうどうしようも……。
「――あ、思い出した」
 目の前の景色が変わる。母と行った二度目の旅行。父が私にくれた帽子を被って、野球を観戦している。凄く盛り上がっていて、でも私は野球が判らなくて、お父さんと遊びに来ているのに、独り取り残されてしまった気がして、凄い寂しかったんだ。

 そうだ、色々と思い出してきた。
 居ないと思っていた父に会えた時、とても嬉しかった。
 貰ったプレゼントはその証拠だった。私にも父親が居るという証拠。その証拠が子供の私にとって宝物だったのは当然の事だろう。
 誰にも渡さない、私の宝物。誰にも触らせない、私だけの宝物。それが例え父であったとしても。

 きっと父は野球に夢中になっていたのだろう。夢中になると周りが見えなくなってしまう人だったから。それで、つい私の帽子を被って観戦に熱中してしまったんだ。
「いやー、しかしこんな昔から無神経だったなんてなぁ。あははは」
 そう、それで私は拗ねてしまったのだ。
 そして言葉足らずな子供の私が父に放った言葉が――。

――帽子要らない! 汗臭いから要らない! 汗臭いお父さん嫌い!



 お父さんは、確かに汗臭い男です。野球が好きだから汗臭いのだと思います。
 


 ちょっと違うと思うぞ。



 それは良いとして、帽子洗いました。
 だいぶ洗ったので、色が落ちてしまいましたが、臭いは取れたと思います。
 そういう事なので、受け取って欲しい。
 
 以上、父より。



 始まりも唐突だったが、終わり方も唐突だ。
 帽子を見てみる。確かに色が落ちている。従兄弟が見せてくれた写真では深緑色をしていたが、今私の手の中にある現物は薄い黄緑色をしている。
「どんだけ洗ったんだか……」
 可笑しい半分、呆れ半分に笑う。鷲のマークの赤い刺繍は着色料の性質が違うのか、あまり色落ちしてなかった。深緑の中に浮かぶ赤い刺繍は格好良かったのだが、今の黄緑色の布地に張り付いた様な真っ赤な刺繍は安っぽく見えた。
「洗いすぎだっつーのッ!」
 母の言葉を思い出す。

「その帽子だったら、アンタん所にあるわよ。お父さんがアンタに見てもらいたいって言ってたから」
 
 アタシこそゴメンね。生きている間に気付いてあげられなくって。
 目頭がじんわり暖かくなって、少し目が潤んだ。
 そういえばそうだったよなぁ。
 父さん、死んじゃったんだよなぁ。

 私は本格的に悲しくなってしまう前にスックと立ち上がって、帽子を被って決め台詞を吐いた。
「ファイトーッ!! イッパーツッ!!」
 後でこの帽子を飾る場所を考えなくちゃ。

――了。
4

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