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いちごミルク

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「……んぁ、あれっ」
 キーボードを打つ軽やかな音が耳に残って、僕は夢から覚めた。部屋は真っ暗、そういえば、ネットカフェにいたんだっけ。
「あっ、起きました?」
「いつの間に……寝たんだろう、僕は」
 目をこすって体を起こす。リリーはお座敷の席に足を伸ばしきった状態で、不健康な光を放っているディスプレイをのぞき込んでいた。どうやら、彼女に調べるのを任せっきりになってしまったらしい。なんとも不甲斐ない。
「ごめん、外出るの慣れてないからかな」
「そうみたいですね。結構疲れてるように見えましたよ?」
 だから、と彼女は得意気な表情を浮かべた。やっぱり、鼻筋が通ってるのっていいな、と思う。
「スガさんがおねんねしている間に、調べときましたよっ、列車事故の女の子のこと」
「あーうん、なんか申し訳ない」
 リリーの特に気にしてなさそうな素振りが、逆に僕を咎める。昨日あったこととか、夢でさっき見て思い出して少し嬉しい気持ちがどこかにある。なんだろう、なんかちょっとやりにくくて、僕は飲み物を取りに外に出ることにした。
「いちごミルクお願いします」
 リリーの声が、個室の中から聞こえた。

 ○

 薄暗い通路をつかつかと歩く。この、敷居で分けられた空間には人間がいて、それぞれ思い思いのことをやったり、時間を使って過ごしているのだろう。ちょっと、のぞき込んで「何をしてるんですか?」と言ってみたい気もする。恐らく、僕ならそれをやっても許されるのだろう。きっと、その人が見ていた漫画とか映画とかを勝手に勧められて、なぜか一緒に見ていたり、とか。
「ええっと、いちごミルク、いちごミルク……」
 つめたい、のいちごミルクのボタンを押して僕は自販機の前で待っていた。

「……あれ?」
 おかしい。いつまでたってもいちごミルクが出てこない。僕は下の飲み物取り出し口に何も無いことを確認してから、もう一度いちごミルクのボタンを押した。
「……」
 うんともすんともいわない。壊れてるのだろうか? そりゃまぁ、かなり安っぽい店ではあるけれど。しかも悪い事に自販機は一台しかない。うーむ、これは困った。きっと、この自販機を殴っても出てくるのは店員さんだろう。それはそれで困る。
「戻って、謝るしか、ないか」
 僕はくるりと自販機に背を向けた。あぁ、リリーになんて言えばいいんだろう。そればかり考えながら、再び個室に戻った。
「ごめんリリー、自販機が壊れてて……」
 引き戸を開けながら僕が言った言葉に、リリーの言葉が重なった。
「あっ、ありがとうございます!」
「えっ?」
 僕は足を上げようとしたマットの上を見た。そこには二杯の紙コップ。中にはいちごミルクが入っていた。
「じゃ、お先に~」
 リリーはひょいと紙コップを手に取ると、そのままゴクゴクと一気飲みしてしまった。止める暇も無かった。
「…………」
「? どうしたんですかスガさん。なんか顔色悪いですよ」
 言えない。このいちごミルク、僕じゃなくて『誰か』が勝手に持ってきたであろうモノだなんて、言えない。
「あっ、うん……」
「ささ、ちょっとイイ感じの手がかり見つけたんで、早速向かいましょうよ。それも飲んじゃってください」
 僕は紙コップを手に取った。無言でそれを三秒ほど見つめた。僕は寝ぼけていたのか? 自分で持ってきた飲み物を忘れてしまう程に、モーロクしてしまっているのか?
「……っ!」
 思い切り、ゴクリと飲み干した。変な事を全部、文字通り飲み干してしまいたかった。甘い。
「ぷはぁ、うん、行こう、リリー……?」
 目の前に倒れているリリー。あぁ、やっぱり、という思いが僕の頭の中を駆け巡った。衝動的にそばに寄って、抱き起こそうとしたけれど。
「うぅ……」
 強い眠気が僕を襲い始めた。さっきまで寝ていたのに、こんなの……耐えようとしたが、意味なんて無かった。
「……ごめん、リリー」
 僕は小さくつぶやいて、彼女の柔らかい背中に倒れ込んだ。

 真っ暗になった。全部。
5

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