第17章 ガイアの記録
「わたしは聖域に帰るわ。無人にしておくわけにも行かないし、シードラゴンにお参りもしたい。」
姉に言われ、ウェンディは頷く。
「‥じゃあ。」
短く挨拶をして姉が回れ右をすると、ウェンディが声をかけた。
「どうして、あの時一緒に逃げなかったの?」
彼女が振り向く。
「‥ばかね。あなたを逃がすためよ。2人とも逃げたら、ヒューマンは全力で追ってくる。それに、聖域を攻撃されることも心配だった。」
彼女はウェンディを見つめる。
「‥って言っても、自分があなたの代わりに犠牲になろうっていうんじゃないわよ。ただ最善の策を合理的に判断しただけ。私には魂がないんだから‥。」
「姉さん、ごめんなさい‥。私はもっと早く助けに行けた。でも、姉さんのことを勘違いしていた‥。」
彼女がクスリと笑う。
「あなたが申し訳なく感じるのは、魂がある証拠ね。それまでは、あなたはわたしで、わたしはあなただったんだから‥。でも、牢獄で手を差し伸べてくれた時には、嬉しかったわ‥。」
「‥姉さんも早く相手を見つけなさい。」
彼女は微笑む。
ウェンディが抱擁をすると、彼女は聖域へ帰って行った。
一瞬、急に夜になったんじゃないかと感じた。
上を見ると、青空を覆い尽くす巨大な鳥が、バサバサと僕らを目掛けて下降して来る。
「‥すごいな。」
皆唖然として怪鳥が着陸するのを見守っている。
「クック‥、これがロック鳥だ。こいつに乗れば、神殿などあっという間だ。」
シルフが得意げに怪鳥の頭を撫ぜる。
「貴様より役に立ちそうだな。」
ヨハネスがニヤリと笑う。
「‥たかが魔族風情が調子に乗るなよ。お前など一瞬でズタズタに出来る。」
「ほう‥。アンリに負けた貴様がか?やってみろ。」
僕たちは聖都西部に広がる砂漠に立っていた。
ようやく宝玉を4つ揃え、ガイアの記録を入手出来るようになった。精霊シルフによれば、ガイアの記録は神々が作った神殿に封印されているとの話であり、早速神殿へ向かうべくこうしてロック鳥に乗るところだ。
「‥‥私あまり高いところダメなんだけど‥。」
エスビットが青ざめて呟く。
「そういえば、昔からそうだったね‥。なら、僕が手を繋いであげるよ。」
「なっ‥。」
僕が何の気なしに言うと、ネスビットが顔を赤らめる。
「オホン‥!あんたと手を繋ぐくらいなら、藁を掴むほうがまだマシだけど‥。万が一落ちた時のクッション用として使ってあげるわ‥!」
彼女がごにょごにょ言って僕の手を握る。
―ビシッ
「うっ‥!!」
ウェンディが全力で僕の脛を蹴った。あまりの痛さに涙が出てうずくまる。
―まずかったか‥。
「モテモテだねアンリ君‥。羨ましいよ。」
イヴ神父がニヤニヤしながら言う。
「‥ほら、早く行きましょう。もたもたしてるとヒューマンに見られるわ。」
既にロック鳥へ乗ったガルーザとシュジェが、剣を抜き放ち対峙しているヨハネス達と僕らを見下ろして言う。
ロック鳥の背中に乗ると、ネスビットじゃなくても震えるくらいの高さだった。
当のネスビットはもはや真っ青になって僕の左手を握り締めている。かなり痛い。右からはウェンディの凍りつくような視線が刺さる。
「‥‥シルフ、全速力で飛ばしてくれ!」
僕が指示を出すとロック鳥は舞い上がり、全速力で飛行して瞬く間に砂漠を超えた。
「ひえぇーーー!!!」
ネスビットの叫び声が峡谷にこだました。
ガイアの記録が封印されている神々の神殿は、山脈に四方を囲まれた絶海の孤島にあった。
神殿は、幅が30m、奥行きが80m程度の大きさであり、不思議なほど綺麗な状態で保存されていた。
神殿内は仄暗く、歩くと周囲に砂塵が舞う。僕は埃っぽくこもった匂いにむせ返った。
目を凝らすと、中央に祭壇のような設備が見える。
「ガイアの聖櫃は神殿の地下だ。地下へ降りる階段は、祭壇の真下にある。」
精霊シルフに続き、ガルーザとシュジェが祭壇に進む。僕も後に続く。
―ヒュッ
突然、短い風切り音が耳に届いた。音につられて前方に視線をやる。
すると、ガルーザとジュジェが膝を折り、前のめりに倒れた。シルフがよろめく。
「気でも狂ったか‥!?」
シルフが声を張りあげ、体勢を整え曲刀を構える。彼の左腕から血が滴る。
僕は突然の事態に唖然とし、曲刀が示す方向を見る。
刃の先には、いつの間にそこに移動したのか、ヨハネスが佇んでいた。
血に濡れたダガーがぬらりと光る。
―‥ヨハネス!?
―ギィィン
ヨハネスがシルフに斬りかかり、紅い瞳が薄闇に残像を残す。
「ネスビット‥!包帯だ、急げ‥!」
イヴ神父がシュジェの横に屈んでいる。僕も急いでガルーザに駆け寄る。
「これは‥ひどい‥。」
ガルーザの首から血が溢れ出している。頸動脈を切断されたようだ。
急いで包帯を巻き、止血をする。
―ギギィィン
シルフとヨハネスは目にも止まらぬ速さで斬撃の応酬をする。剣がぶつかり合う度、暗闇に火花が飛ぶ。
束の間の交錯の後、ヨハネスが咄嗟に飛び退きシルフと距離を取った。続けて呪文を唱える。
―まさか‥。
「悪魔を召喚する気だ‥!シルフ!!」
―ビュオ!!
僕が叫ぶと、精霊シルフが即座に突風を起こす。ヨハネスは後方に吹き飛ばされ、壁に激突した。
ヨハネスの前方の空間がいびつに歪む。
―間に合わなかった‥!
ヨハネスは2体の悪魔を召喚した。
漆黒の魔獣は出現するや否や黒い旋風と化してウェンディに襲いかかった。ウェンディが瞬時に構えた水の盾を空気の如く撃ち破り、彼女に喰らいつく。
「ウェンディ‥!!」
僕は剣を抜き、魔獣の背に刃を突き立てる。
イヴは懐から拳銃を出すと、半人半蛇の悪魔に引き金を引く。イヴの放った銃弾が螺旋状に回転しながら空中で停止すると、半蛇の悪魔は毒霧を噴き出した。
シルフは薄闇に同化するように姿を隠した。
―グォォォオ!!!
魔獣は腹わたを突き破るような咆哮を上げると、口からウェンディを放り投げ、僕に向き合う。聖都で死神と対峙した時以来の恐怖が、僕を貫く。
―まずい‥剣が‥。
僕は魔獣の背に刺さった剣を見上げる。
「ネスビット!!」
叫ぶや否や、イヴは躊躇なく毒霧の中に突進した。致死性の猛毒が瞬く間にイヴを侵食する。
イヴに呼ばれると、ネスビットは銃を抜き放ち、悪魔目掛けて凄まじい勢いで乱射する。が、一発足りとも悪魔に命中することなく、空中で停止して地面に落ちる。
イヴは毒霧を抜けると同時に悪魔の顎に銃を突きつけ、引き金を引いた。悪魔の頭が吹き飛ぶ。
―ビュォォォオ
突如神殿内に小型の竜巻が発生し、ヨハネスを巻き込んだ。ヨハネスの身体に無数の切り傷がはしる。
シルフはヨハネスの背後に姿を現し、彼の背中に曲刀を食い込ませた。
「この男が死んでもいいなら、斬ってみろ。」
そう言って、ヨハネスの顔に冷たい笑みが浮かんだ。
「お前、何者だ‥?」
「ククク‥。」
―ピシィ!
魔獣が僕を襲撃しようと身体を縮めた直後、魔獣の足が凍った。ウェンディが倒れながら右手を掲げている。
僕は勢いよく跳び上がり、魔獣の背に手を伸ばす。が、氷の砕ける音が響き、魔獣の巨大な爪が下方から僕に襲いかかった。
半蛇の悪魔は頭を吹き飛ばされたにもかかわらず、ぐるりとイヴに絡みつき、物凄い力で締め上げた。イヴが呻き声を上げる。
猛毒はすでに全身に回り、イヴの身体は紫色に変色している。
―ズドドドドドド!!
ネスビットは素早くマガジンを交換し、歯を食いしばって銃を乱射する。
すると、悪魔が後方に吹き飛んだ。銃弾の一発一発が悪魔の身体を削り取る。悪魔が粉微塵になると、ネスビットは銃を放り投げ、イヴに駆け寄った。
―ガギィン!
僕は咄嗟に半分に折れた剣を抜き、魔獣の爪撃を受ける。身体に物凄い衝撃がはしり、上空に吹き飛ぶが、魔獣の背中に刺さった剣を必死に掴んだ。
どうにか魔獣の背中に降り立つと、剣を抜き、頭目掛けて全力で突き刺した。魔獣の断末魔が神殿中に響く。
「俺がこいつを殺せないと思ってるのか‥?」
「さあな‥。」
―ギィィン
ヨハネスは瞬時に身体を反転させ、ダガーでシルフの曲刀を弾き飛ばした。頸動脈を切断すべく、ダガーがシルフの首元に奔る。
―ビュォオ!
突風が生じ、ヨハネスの身体が後方へ吹き飛んだ。シルフは間髪入れず鎌鼬を放ち、宙を舞うヨハネスの右腕を斬り飛ばした。
ヨハネスが地面へ崩れ落ちると、神殿内を静寂が包んだ。
「イヴ神父が悪魔対策をしてくれたおかげで、何とか助かった‥。」
僕は銀の剣をあらためて眺める。
「ふふ、悪魔が妨害をしてくることは分かっていたからな‥。」
悪魔は銀に弱く、聖都で調達した銀の剣と弾丸が2体の悪魔に致命傷を与えた。
イヴ神父の毒についても、ネスビットが予め用意して置いた聖水で急いで清め、解毒した。
「もう一度悪魔に身体を乗っ取られないうちに、ヨハネスを縛っておいた方がいいな。」
そう言って、イヴ神父が彼を縛る。
「ヨハネスの右腕はどう‥?」
僕はガルーザに聞く。
「この場所は精霊の力が強まるようだ‥。すぐに繋げたのが良かったんだろう、目が覚めないとはっきりとは分からないが、多分大丈夫だ。」
僕は安堵し、ため息をつく。
ヨハネスとシュジェが意識を取り戻すまでは時間がかかるが、生命に別状はない。
「ネスビット、ここで皆を見ててくれるかい‥?」
「‥俺も残ろう。」
皆の応急処置が済み、僕とウェンディ、イヴ神父、シルフが地下へ降りる。
すると、細長い回廊が続き、突き当たりに扉があった。
扉には4つの窪みがある。僕はガルーザから預かった森の宝玉を取り出し、窪みにはめる。ウェンディ、イヴ神父、シルフがそれに続く。
4つの宝玉を埋め込むと、ゆっくりと扉が開いた。
「‥いよいよだ。」
イヴ神父が呟いた。
部屋は5m四方程度の、狭い部屋だった。どういう仕組になっているのか、壁がぼんやりと光っている。
部屋の中央には祭壇があり、他には何もない。
シルフが祭壇に近づき、呪文を唱える。すると、祭壇が発光し、部屋中に声が響いた。
「よく来た、ガイアの精霊よ。用件は何だ‥?」
「ガイアよ、この世界の記録を見せて欲しい。」
「お安い御用だ。何を知りたい?」
イヴが前に出る。
「‥幾つか聞きたいことがある。まずは、何故俺の母が殺されたのかだ。母を殺したのは誰だ‥?」
一呼吸置き、ガイアが答えた。
「お主の母マリオンを殺害したのは、お主の父リオネルだ。」
僕は驚く。
「‥そうか。それは間違いないんだな‥?」
「間違いない。」
「どういうこと‥?だって、リオネル・オーギュスト・レオンが十字軍を作り、魔族を虐殺したのは、妻を魔族に殺されたからじゃあ‥?」
僕は思わず口を出す。
「‥おそらく、マリオンは召使いと不倫関係にあったんじゃないか‥?」
「そうだ。お主の母はリオネルの目を盗み、召使いの魔族と情事を繰り返していた。それを知り、嫉妬に狂ったリオネルがマリオンの首をはねたのだ。」
ガイアが淡々と告げた。
「やはりそうか‥。しかし、マリオンの復讐でないのなら、リオネルは何故魔族を虐殺した‥?そんなことをする理由がどこにある‥?」
「お主の父は、召使いを殺すだけでは満足できず、嫉妬に狂う余り魔族を虐殺したのだ。」
それを聞き、イヴが失笑する。
「馬鹿な‥。いくら母を奪われたからといって、リオネルはそんなことをする男じゃない。」
「‥リオネルは精神的に病んでいた。彼が凶行に走るよう、そそのかした者がいる。」
「そそのかした者‥?」
「悪魔だ。悪魔がリオネルを教唆し、マリオンの首を切断させ魔族を虐殺させたのだ。」
―悪魔だって‥!?
「‥‥そうか。それなら監視カメラに召使いしか映っていなかったのも説明がつく。‥ギデオン副隊長が殺害されたのと同じ状況だ。」
僕の脳裏に、守護隊舎内の一室での出来事が浮かぶ。
―あの死神を使ったのか。
「その悪魔が、不倫に気付き嫉妬に燃えるリオネルをそそのかし、マリオンと召使い、そして魔族を虐殺させたんだな‥?」
「そうだ。」
「‥リオネルは、その後どうなったんだ?」
「魔族を虐殺して間もなく、悪魔に魂を喰われた。」
「‥その悪魔の名前は?」
「ソロモン72柱の序列第9番、魔神パイモンだ。」