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第2章 森を駆ける獣

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 「お願い、助けて!」
 半ば強制的に魔族の男――ヨハネス・ゲオルクに、聖戦の真相を暴く協力をさせられることになり、とにかく爆撃地から離れようとしていた矢先、茂みからクリーチャーが飛び出してきた。
 「お願い! ガルーザを助けて!」
 豹型クリーチャーの雌のようだ。身長は僕よりも頭半分ほど高く、ヨハネスと同じくらいだ。全身が淡黄色の体毛に覆われており、黒色の斑点が帯状に繋がった文様が浮かんでいる。軽鎧を身に着け、腰に剣を下げている。戦士だろうか。
 よく見ると、身体中傷だらけで所々出血している。
 「落ち着いて下さい! どうしたんですか?」 僕は彼女に駆け寄る。
 「爆撃にあってガルーザが怪我を‥‥私はどうなってもいいから、彼を助けてあげて!」
 彼女は切れ長な瞳を僕に向け、懸命に訴える。
 「さっきの爆撃か。そいつはどこにいるんだ?」
 「少し歩いたところに。重傷で動けないから、私が助けを呼びに‥‥」
 「案内してくれ」
 彼女に続いて茂みを200メートル程進むと、身長は2メートル以上あるだろうか、かなり大型の豹型クリーチャーが血だらけで倒れていた。
 ヨハネスが彼の傍にしゃがみ、状態を確認する。
 「これは酷い。右腕が吹き飛ばされて、内臓も潰れている。今生きているのが奇跡だ」
 「そんな‥‥」 彼女はヨハネスの診断を聞くと、深くうなだれた。
 「残念だが、俺に出来ることはひと思いに楽にしてやることだけだ」 ヨハネスが淡々と告げる。
 彼女は暫くの間沈痛な面持ちでガルーザを眺めていたが、やがて口を開いた。
 「ポリスーンなら、ガルーザを助けることができるかもしれない。お願い、ガルーザをポリスーンの元まで運ぶのを手伝って!」
 「ポリスーン‥‥森の精霊か。しかし、精霊は滅多に姿を現さない。それに力を貸してくれるとも限らない」
 精霊は僕達の世界を治める存在と言い伝えられており、かつてはヒューマンの前にも姿を現したらしい。しかし、近年において精霊の姿を見た者はいない。
 「大丈夫。お願い、彼を運ぶのを手伝って!」
 ヨハネスは暫らく逡巡したあと、頷いた。

 
 「俺が奴らを助けるのが、意外か?」
 ガルーザを運ぶことは不可能と判断した僕らは、まずは精霊の元へ向かうことにした。
 ヨハネスと彼女――クインが精霊ポリスーンに会いに行き、その間僕はガルーザの傍で待機することになったが、怪訝そうな表情をしていたのか、ヨハネスが僕に尋ねた。
 「‥‥まあね。躊躇なく6人を殺した者と同一人物には思えない」
 僕がそう言うと、ヨハネスは苦笑する。
 「俺が憎むのはヒューマンだけだ。それに、奴らは役に立つ」
 怪我の状態を考えると、いくらガルーザが強靭な肉体を持っているとしても、そう長くは持たない。それに、いつヒューマンの飛空兵器による爆撃があるとも限らない。
 ヨハネスとクインは、ガルーザの応急処置をすると直ぐに出発した。
 豹型クリーチャーであるクインについては言及するまでもないが、魔族の身体能力もヒューマンを圧倒的に上回っているようだ。2人は目にも留まらぬ速さで木々を駆け抜けていった。
 ガルーザは依然として意識がなく、僕は彼の横に腰を下ろす。
 ――僕って、無力だな‥‥。
 僕は、学術院では常に上位の成績を収めてきた。でも、だから何だ? 真相を知っていても怯えるだけで何もできず、無実の罪を着せられ、その犯人の言いなりになるしかできないじゃないか。今だって、死にそうな人を目の前にして、ただ祈ることしかできない。
 ――いや、そうじゃない。
 僕は自分に言い聞かせる。
 ヨハネスの言うようにヒューマンが侵略戦争を行なっているのなら、それは阻止しなければならない。ヨハネスがどうやって真相を暴こうとしているのかはわからないが、真相を暴くことができるとすれば、侵略戦争を止めることができるはずだ。
 

 ヨハネスとクインは、ガルーザ達の元を出発したのち、東に向かって森の奥深くへと進んで行った。
 2時間ほど疾走っただろうか、次第に周囲の様子が変わってきた。樹木は巨大になり、初めて見る植物や昆虫が増えた。ヒューマンが滅多に足を踏み入れない、未開の地だ。
 時刻はまだ夜明け前で、森は静寂が包んでいる。たまに聞こえる葉擦れ音と獣の気配が耳に残る。
 「怪我は大丈夫か?」
 クインの手当はしたものの、包帯代わりにした布――アンリのローブだ――の上から血が滲んでいる。
 「大丈夫。ガルーザがとっさに庇ってくれたから、わたしの怪我は大したことないわ」
 クインはヨハネスをちらりと見る。 「貴方のその瞳‥‥もしかして魔族?」
 「そうだ」
 「30年前の大戦で滅んだと聞いていたわ」
 「おそらく、生き残ったのは俺だけだ」 ヨハネスは淡々と告げる。
 「今のわたし達と同じね。ヂードゥで生き残ったのは、多分わたしとガルーザだけ。ヒューマンめ、許せない! 必ず復讐してやる‥‥」
 クインは怒りに顔を歪める。 「でも、今はとにかくガルーザを助けないと!」
 「森の精霊の助けを得るあてはあるのか?」
 「ポリスーンは心優しい精霊よ。森と共に生き森へ還る者になら、力を貸してくれる。森を消耗品としか見ていないヒューマンには、分からないでしょうけど」
 「なるほど」
 と、2人は気配を感じ、足を止めた。
 前方のどこかに巨大な生き物がいる。
 「精霊か‥‥?」
 「わからない」
 ―キィン
 2人が武器を抜いた、次の瞬間。
 目の前にそびえ立つ大木の枝々が、奇妙に曲がったかと思うと一箇所に集まり、ヨハネス目掛けて突き出した!
 ―ズシュッ
 ヨハネスは身体を捻りすれすれで躱すと、そのまま回転を利用して枝に斬りつける。
 集まった枝々は巨大な腕となり、ヨハネスが体勢を立て直す頃には、大木の脚と化した根が大地から抜け出たところだった。
 「クリーチャーか!」
 下僕を召喚しようとヨハネスが呪文を唱え始めた瞬間。
 「待って!」
 クインが叫んだ。
 「この方が精霊ポリスーンよ! ポリスーン様、お鎮まり下さい! ヂードゥの巫女クインです。ポリスーン様にお願いがあって参りました!」
 精霊ポリスーンは攻撃を止め、怒りに満ちた双眸でクインを睨む。
 「ヂードゥの巫女よ。先ほどヒューマンの兵器により我が子が焼き尽くされた。何故お主がヒューマンと行動を共にしている?まさか、この神聖な森を焼き払うつもりではあるまいな」
 森全体に響き渡るような皺枯れ声で、精霊ポリスーンが言った。
 「違います! 私はお願いに来ただけです! 先ほどヒューマンの攻撃を受け、ヂードゥの集落が壊滅しました。生き残った私の仲間も、爆撃を受け重傷に‥‥どうか、お力をお貸し下さい! それと、この人はヒューマンではなく、魔族の生き残りです!」
 クインの言葉を聞くと、精霊ポリスーンはヨハネスをじろりと睨む。
 「我々にとってはヒューマンも魔族も同じようなものだ。しかし、ヂードゥが壊滅しただと‥‥?」
 クインは悲しみを堪え、俯いて瞬きをする。
 精霊ポリスーンは暫く何事か考える様子を見せていたが、やがて口を開いた。
 「いいだろう。その者の所へ案内せよ」
 

 ―ズドーン!
 4回目の爆撃音が響き、僕は耳を澄ませた。
 ヒューマンの飛空兵器は北へ向かって進行しているようだ。僕は胸を撫で下ろす。
 「この辺一帯を焼き尽くすつもりなのか‥‥?」
 ヨハネス達が出発してから2時間半が経過した。
 右腕の止血はしたものの、ガルーザは先ほどから喀血を繰り返している。彼の強靭な生命力を以ってしても、長く持ちそうにない。
 ――ヨハネス達は精霊に無事会えたんだろうか。
 爆撃を受ける心配はなさそうだが、凶暴なクリーチャーと出くわしたら一溜まりもなく殺されてしまうだろう。
 ――今なら、ヨハネスから逃げられるかも‥‥。
 僕は頭を振る。僕には死神が取り憑いているんだ。それに、ガルーザを置いては行けない。
 落ち着きなく周囲を歩き回っていると、ズーンという衝撃音が繰り返し聞こえた。
 「何の音だろう?」
 東の空を見ると、50メートルはあろうかという巨大な樹木がこちらに向かって進んでくる。手脚が生え、頭の様なものも見える。
 ――まさか、あれが森の精霊‥‥?
 「ガルーザ!」 クインが精霊ポリスーンの腕から飛び降り、ガルーザに駆け寄る。
 「間に合ったようだな。ポリスーン、治せそうか?」
 精霊ポリスーンはヨハネスが気に入らない様子だ。彼をじろりと一瞥する。
 「森の力を借りれば可能だろう。だが、我々に出来るのは自然治癒力を急激に高めることだ。失われた腕は再生しない」
 次の瞬間、精霊ポリスーンの体がまばゆく輝き、続いて周りの樹々と小型クリーチャーも発光を始める。
 「日頃の行いが良かったようだな。森の生き物達も協力してくれるようだ」
 暫くすると発光が止み、精霊ポリスーンの枝にみるみるうちに果実が実った。
 精霊は果実をもぎ取り、クインに渡す。
 「それを飲みやすいように搾り、ガルーザに与えるがよい」
 「はい」 クインは果実を搾り、溢さないよう注意しながらガルーザに飲ませる。
 「‥‥すごい」
 瞬く間にガルーザの傷が癒え、僕は感嘆の声を漏らした。
 「直に目を覚ますだろう」
 クインは緊張の糸が切れたのか、地面に膝を着く。
 「ところで、ヒューマンの子よ」 精霊ポリスーンが僕に告げる。
 「我々は争いを好まない。しかし、これ以上同胞を殺すようであれば、森の一族全てがヒューマンの敵に回ることになる。それを忘れるな」
 それだけ言うと、精霊ポリスーンは立ち上がり、聖域に戻っていく。
 「ポリスーン様! 御恵みに感謝いたします‥‥!」
 「困ったことがあったらまた我々に言うがよい。ヂードゥの巫女よ」 

 
 精霊ポリスーンが引き返すと、徐々に東の空が白み始めた。
 「クイン。まだガルーザが目を覚まさないが、君等に頼みがある。俺に力を貸して欲しい」
 最初からそのつもりだったのだろう、魔族の男がクインに言った。
 「貴方達には感謝してもしきれないわ。でも、力を貸すって、どんな‥‥?」
 ヨハネスは僕らに背を向けると、勿体ぶって告げた。
 「元十字軍の軍団長でありヒューマン共の現聖帝、エル・シドを暗殺する」
 ヨハネス・ゲオルクは紅い瞳を不気味に輝かせ、ニヤリと笑った。
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