漫画や小説の世界では、青春の演出に屋上の存在は欠かせないものだけれど
実際の学校で屋上が解放されている確率はどれ程のものなのだろうか。
錆びて脆くなった小さな南京錠を、いつものようにピンを使って器用に開ける。
ペンチなどを使えば一発で壊れてしまいそうなそれに施錠の意味はあるんだろうか、なんて考えながら。
放課後、というには日の沈み過ぎている宵のうち、
こんな風に屋上へやって来てぼんやりするのが近江は好きだった。
学校の警備がゆるいおかげで、幸いまだ一度も咎められた事はない。
学校という極めて日常的な空間の中で、この屋上だけは近江にとっての非日常だった。
頼りない南京錠と薄い扉が、日常の波から彼を隔絶する、一歩踏み出したそこで世界が変わる。
近江以外に何もないここでは、何にもとらわれる事なく、何を思うのも自由だ。
流行のドラマの話や色恋沙汰に耽る派手な級友達と一線を画し、近江は高校生にしては落ち着いた雰囲気で、
その黒髪も、明るく茶けた色の頭ばかりの教室の中でやや浮いていた。
そこそこ勉強をこなし、溶け合う事がないなりにもそこそこ級友達との交流をこなし、
単調な毎日の繰り返しの中で、日々目的とハリを消失していく。
簡単に言うと、マンネリなのだ、今の自分は。
色を濃くしていく空に現われ始める星を数えながら、溜息を吐く。
刺激が欲しい、なんていうのはひどく陳腐でありきたりな願望だけれども、
この若さを持て余している感は勿体無い気がして、その欲求が常に胸の中で燻っている。
子供の頃はよく、自分がヒーローになって世界を翔ける妄想に耽っていたものだ。
あの頃は妄想する事自体がある意味夢の実現で、それだけで満足だった。
人間、年をとればとる程現実的な快楽しか感じなくなって、そのくせ欲深くなる。
ふと携帯を開き時間を確認する。
味気ないデジタルは20時を過ぎたところだと近江に告げた。
共働きで放任主義の親が遅い夕飯の支度を始めた頃だろう、
帰るか、と一言呟いて、日常の扉へと向き直る。
不意にガチャ、と音がした。
続いて金属が床に落ちる音が響き、近江の目線の先にあるドアノブがゆっくり回転した。
声を発したのはほぼ同時で、
「あれ」
「え」
空想の海に揺れていた近江のもとに漕ぎ出して来た現実は、
宵闇に明るい髪を浮かばせる華奢な少年だった。