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梟雄

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 まだ頭がくらくらして、体はぐらぐらしている。遠くでガマガエルが鳴き始め、やがて大合唱が聞こえてきた。
「お侍さん、起きとくれよ。いつまでもそこで大の字になられちゃ、商売の邪魔だよ」
 目を開けると浅黄色の着物の町娘が下之介の肩を揺すっている。
「野次馬たちと清河がいないな。もしかしてありゃ夢か」
「清河さんはお侍さんをたこ殴りにしたら気が晴れて、いそがしそうに帰っていったよ。お侍さん、大丈夫かい。酷くうなされていたけど」
「いてて。それは毎度のことだから心配御無用」
 下之介は倍ほどに腫れ上がったほほをさすりながら答えた。それにしてもひどくやられたものだ。血まみれ、汗まみれ、ほこりまみれ。せっかくの朝風呂が台無しだ。素手の喧嘩ならば勝算があると思ったのだが。
「お侍さん、運が良かったね。刀を抜いていたら命はなかったよ。あの清河って人は玄武館の千葉周作先生が塾頭にしようとしたほどの男だよ」
 玄武館といえば士学館、練兵館と並び江戸の三大道場と称される剣術の道場である。千葉周作はそれまで真剣や木刀で行われた稽古に、竹刀と防具を用いることを考案し剣道の基礎を作った人物である。下之介は今頃になって足が震えてきた。
 下之介は町娘に礼を言って立ち上がり刀を拾い上げると、それを杖にして八丁堀へ向かって歩き出した。心なしか刀が重い。刀だけでなく気も重いのはあんな夢を見たからだろうか。
 廃墟の中にたたずむ人々が巨大なしゃれこうべを見つめている。遠くからは地響きのような断末魔が聞こえる。気味の悪い夢だった。
 下之介は違和感に気付いた。刀が重過ぎる。いや、刀は本来重いものだ。しかし、下之介の佩刀は軽い木刀である。試みに刀を抜いてみる。光りこそしなかったが柳の葉のような形の清河の妖刀がそこにあった。刀を取り違えてしまっただけなのだが、下之介は当てもないのに走り出した。何か胸騒ぎがする。
 一之橋にさしかかると、人だかりができていてなかなか前に進めない。足踏みしていると、前の方から話し声が漏れ聞こえてくる。
「だめだ、もう虫の息だ」
「この人、剣術の達人らしいぜ」
「じゃあ何で刀を抜かなかったんだろうな」
 まさかと思い、人の波を掻き分ける。そこには突っ伏した清河の変わり果てた姿があった。首の刀傷とぱっくりと割られた背中からは未だ血が滴っている。下之介は清河のもとに駆け寄ると、妖刀を清河の手に返して泣いた。
「拙僧はあんなに良くしてくれたあなたに何とひどいことを」
 清河の手はまだ温もりがのこっていたが、それも徐々に失われ始めている。清河はまだかろうじて意識があるのか、下之介の手を弱弱しく握り返した。最期に何か伝えようと声を絞る。
「刀を……」
「肩身として故郷に届ければいいのじゃな。拙僧にはそのぐらいしかできないが必ず……」
 清河は下之介を目で制して、言った。
「……捨ててくれ」
 それが最期の言葉となった。
「どういうことじゃ。刀を捨てろというのか」
 もう清河は何も答えてはくれない。せめてもの償いに下之介は日が暮れるまで清河の傍らで念仏を唱え続けた。
 幕末の|梟雄《きょうゆう》清河八郎は死んだ。単身幕臣の間を説いて回り、将軍上洛の警護の名目で京に勤王の志士たちを集め倒幕の兵に仕立て上げようと策略を巡らした。横浜の外国人居留地を焼き討ちにする計画が露見し、幕府の放った刺客によって暗殺された。享年34歳。
 清河は思惑通り勤王の志士たちを京都に集めたが、清河の意図から離れた壬生浪士組(新撰組の前身)をも同時に生み出した。ここに京都、維新志士、新撰組という幕末を彩る舞台装置がすべて出揃った。反政府テロと白色テロの横行する|血腥《ちなまぐさ》い時代の幕開けである。



 まだ日も落ちていないというのにまっくらな部屋から、密談をする二人の男の声がする。一つしかない小さな窓からは江戸の町並みが一望でき、うっすらと笠を被った富士の姿を遠くに見つける事が出来た。
 細身の男の顔が斜陽に照らされて闇の中に浮かび上がる。切れ長の目には自信が溢れ、小さな口から大きな声が響く。
「御上の御威光に楯突き、横浜の夷人(外国人)居留地を焼き討ちにせんとする計画を企みし清河めを、見事討ち果たしました」
 相手の顔は御簾の内側にあり、その表情はうかがい知ることはできない。
「清河などどうでも良い。それよりも刀だ。刀は無事か、佐々木」
「はっ。これに」
 佐々木と呼ばれた細身の男が刀を鞘ぐるみで捧げる。|御簾《みす》の下から伸びた手が刀を受け取って、鞘の中身を検める。中からは妖しく光る刀身ではなく、整った木目。|御簾《みす》の内から笑い声が聞こえる。その笑い声が喜びからくるものでないことに気付き、佐々木は無礼を承知で|御簾《みす》のそばによる。
「|贋物《にせもの》を|掴《つか》まされおって」
 甲高い声とともに、木刀が佐々木に投げつけられる。月代に当たり佐々木の額が紅潮する。「すぐに探しに参ります」
 佐々木は部下五人を引き連れて、急いで一之橋まで引き返した。



 清河を斬った後の高揚感で刀身を確認しなかったことを棚に上げ、佐々木の憎しみは清河にむけられた。切り落とした清河の首級を部下の方へ蹴ってよこす。
「窪田、橋にさらしておけ。人相書きを作るから、絵描きだけ付いて来い」
 佐々木は先ほど確保した野次馬の一人を裏道に引き出すと、ドスのきいた声で脅し始めた。
「お前さんが見た刀を持っていった男の顔を、包み隠さず吐けば今日中にでも帰してやる。だが、嘘を付いたら為にならねえからな」
野次馬は青くなって、刀を持っていったのが中肉中背の眼光の鋭い三十代の総髪の男だったこと、下がり藤の紋の入った着物を着ていたこと、南無阿弥陀仏と唱えていたことなどをしゃべった。佐々木は満足して約束通り野次馬を開放して、絵描きに人相書きを書かせた。
 下がり藤の紋は本来藤原氏の家紋だったが、人気が高く藤原氏と血縁がないものまであやかってつけているので、下がり藤の紋では刀を持っていった男を特定できない。しかし、髪型は特徴的である。総髪は月代をそり|髷《まげ》を結っていない髪型全般の名称である。通常オールバックのように後に流していた。髷を結うのが主流の江戸時代において、総髪にしているのは剣術の師範か、風変わりな学者くらいのものだ。この人相書きを張り出せば、必ず尻尾を掴むことができるだろう。佐々木はそう確信している。



 日暮れから降り始めた雨はより一層強さを増し、着物を濡らしていく。重く張り付いた着物が気分をさらにめいらせる。一体どこをどう歩いたのか一向に憶えていないが、下之介は長屋まで帰ってこれたようだ。おりからの雨のせいで、朝は見事に咲いていた椿の花が地面にごろごろと花弁を落としていた。
 下之介が長屋の木戸をくぐると、木戸番がいそいそと木戸を閉めた。何とか間に合って、締め出されずに済んだ。
 長屋には門限がある。表通りから裏道に入るところに木戸が設置してあり、町木戸と同じく夜四つ(22時)を過ぎると閉じて出入りできなかった。連座制といって長屋から犯罪者を出した場合、大家まで連帯責任をとらされたから、防犯のためにはやむをえないのである。夜中に出歩くような不審者は犯罪予備軍とみなされていたわけだ。では夜遊びをする若者がみな朝帰りをしていたかというと、そういうわけではなく抜け道があった。文字通り木戸を通らないで地元のものしか知りえない抜け道を使う方法と、木戸番にまいない(ワイロ)を渡して木戸を開けてもらう方法があった。
 下之介が長屋の一番奥の自分の家の戸に手をかけると、待ち構えていたようなタイミングで隣の家の戸が開いた。
「朝風呂に行って、なんでずぶ濡れになって帰って来るんだよ。傘ぐらい差せよ」
 今は福郎の悪態にいつもの様にやり返す余裕も無く、生返事をするのが精一杯だった。
「すまぬ、心配かけた」
「なんでい、気色の悪い。俺は別に心配してねえ。あんまり大家の奥さんに迷惑かけんなっつってんだよ。奥さんはにはな、生き別れになった息子がいるんだ。なんで奥さんが手前なんかに親切にするか、ちっとは考えな」
 初めて聞く話だったが、鬱々とした下之介は聞き流してしまった。福郎をほっといて、戸を開けて土間に入る。
 一枚しか持っていない手ぬぐいを懐から出して体を拭く。白地に鎌の絵と○と「ぬ」という字がガラになっている手ぬぐいだ。このガラは歌舞伎の七代目市川団十郎が十八番の演目「|暫《しばらく》」で着物のガラとして使われて以来江戸中で流行っていた。|判《はん》じ物と言って絵と記号を組み合わせて当て字にする遊びである。こういう遊び心はネットスラングにも通じるところがあるかもしれない。ちなみに「鎌○ぬ」は「かまわぬ」と読む。
 軒下に干された着物と手ぬぐいから、極限まで大きくなった水滴が一度に三滴落ちる。それにつられるように雨漏りがたらいと桶に落ちて奇妙なリズムをとっている。下之介はすっぽんぽんのまま布団に潜り込み、耳をふさぐようにせんべい布団を頭まで引っ被る。
 遺体を見るのには慣れているはずだった。比叡山にいた頃に先輩といっしょに葬式に立ち会ったことがしょっちゅうあったのだ。しかし人の死に目を目の当たりにしたのは今回が初めてであった。きっと今夜もあの夢にうなされる。覚悟をして下之介は眠りについた。
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