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渋川御法について(La poupée qui demande la saleté )

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  ■渋川御法について



 コインの表と裏。例えば、どちらにも絵がなかったら、どう判断するだろう。
 僕の場合は、見えているところは表。見えないところが裏。人もそうだから、そう判断する。表と裏。見せる割合が多い方が表。少ない方が裏。
 僕の事を出会う前からお友達だと思っていた少女は、激しい裏表を抱えていた。
「修吾は私の理想の友達なの。セトもそう言っている」
 普段、彼女は友達も多いし、異性からの関心も多く惹いていて、愛される事を体現しているような少女だが。だからこそ、彼女は人を愛するという事が不器用だったのかもしれない。僕は、僕という存在が、彼女にとってどういう物なんだろうか?

 僕と渋川御法(しぶかわみのり)の出会いは、劇的でもなんでもない。彼女がちょっと、人とは違う思考回路を持っていただけだ。
「渋川さんって、すごいね」
 ある日の教室。授業と授業の合間にある五分休み。僕は席に座ってぼんやりと周囲を眺めていた。すると、僕の前に、三淵沙苗が立った。
「どうしたの。僕のが欲しくなった?」
「似合わないなあ」クスクスと笑う沙苗。僕もそう思う。
「天現寺くんが見せてきた本にあったんだ。そういう記述が」
「き、記述って。表現が重たいよ」
「参考にしようと思って。沙苗との付き合いに」
「しなくていいよ……。普通にしてくれればいいから。脅されてるつもりとかないし」
「奇遇だね。僕も脅してるつもりはないんだ」
 僕と沙苗は普通に友達だし。
「で、渋川さんがすごいって?」
「ああ、うん。友達が多いっていうか、嫌われてないっていうか。愛される為に生まれてきたって感じ、するよね」
「そうなのかな」
 僕にはわからない。恥ずかしながら、僕はどうしても、人を愛するという感情に納得ができなかった。物語が好きな僕だ。当然、人が人を好きになるプロセスは知っている。けれど、そのプロセスを歩む感情がわからない。目的意識、あるいは目標。どこへ向かって歩けっていうんだ?
 それなら、『恋愛はただ性欲の詩的表現を受けたものである』という芥川の言葉の方がまだ納得がいく。人間が自らの存在を取り繕う為に生まれた恋愛なんて言葉が、ロマンチックな訳がない。
「僕には愛なんてわからないよ」
「まだ私達って、子供だしね」
 彼女はそう言ってクスクスと笑っていた。子供だから、わからないのだろうか?
 誰に聞いても納得できる気がしない。だから僕は、それ以上言及しなかった。だって、納得できる答えなら、きっと僕の身近にある。人間は自らの中にある物と合致しなければ、納得なんて出来ないのだから。
「愛される為に、ねえ」
 僕は、教室の中心で笑顔を振りまく渋川さんをじっと眺めた。
 子供の様にあどけない顔。少しだけくせっ毛の、猫の毛みたいなツーサイド。くりくりとしたつぶらな瞳。全体的に小ぶりな体は、なるほど確かに可愛いというポイントをしっかり抑えている様に見えた。少女らしい、嫌味のない媚び。そこに介在する邪気のなさ。気兼ねなく付き合えるのかもしれない。
 まるで、誰もが思い描く理想の友達然とするその在り方に、捻くれ者の僕は、あまり好感を抱く事はできなかった。人としての汚さ。秘密。真っ白よりも灰色の方が面白い。だから僕に取っては、彼女はあまり、面白みの無い人間に見えた。


  ■


 僕の渋川御法への第一印象は、そういう感じだった。彼女と触れ合ったから思い出しただけで、おそらくそうでなかったらすぐにでも忘れ去ったろう思考の欠片。
 その思考が確固たる存在感を得たのは、彼女との初めての会話が原因だった。
 なんてことはない。その日はたまたま、沙苗が友人と帰り、僕は珍しく一人で帰っていた。本屋にでも寄って、新しい物語に触れようと思っていた。
 下駄箱でローファーに履き替え、ふうと溜息を吐く。
「あのっ、あのっ」
 なぜか二度、あのと呼び止められ、僕は振り返る。そこに居たのは、例の少女。渋川御法だった。
「渋川さん。何か用かい?」
「き、キーホルダー。見ませんでした?」
「……どんなの?」
「その、ペンギンがシルクハットかぶってるやつで……」
 可愛らしい趣味をお持ちだ。だが生憎と、僕はそんなの見ていない。
「悪いけど、知らない。落としたのかい?」
「はい……すいません、どうもありがとうございました……」
 あからさまに落ち込む彼女。期待に応えられなかったのは確かにそうだが、しかしそこまで落ち込まれると少し腑に落ちない。
「大事な物?」
「そうなんです。あれには、セトが……」そこまで言って、彼女は慌てて口を手で押さえた。そして、それ以降何も語ろうとはしない。
 セト? セトってなんだ?
 僕は少し気になって、「僕も探してあげるよ」と、できるだけ声を優しく彩ったつもりで言った。
「い、いいんですか?」
 二度ほど、素早く顎を引くようにして頷く。「ああ。ちょうど暇なんだ」
「重ね重ね、ありがとうございますっ」
 元気のいい返事だ。返事は全力でしろと教えられたばかりの小学生みたいで、微笑ましい。
「そのキーホルダーっていうのは、何かにつけていたの?」
「いえ……それだけで持ち歩いていました」
「じゃあ、どこで取り出したか覚えてる?」
「え、っと……二階の、その、女子トイレで……」
 ぼそぼそとした声。周囲には届かなかったかもしれないが、僕にはなんとか届いた。なんで女子トイレでキーホルダーなんかを取り出したのか。
「でも、そこでポケットにしまったのは覚えてるんです。だからそこじゃないと思います」
「……結構、そういう思い込みが違ったりするんだ。一応、見に行ってみよう」
 あまり納得はしていなさそうな彼女だったが、僕はそんな彼女を引き連れ、二階の女子トイレへと向かう。さすがに授業が終わると、校舎内に残っている人間はあまり居らず、僕と渋川さんという珍しい組み合わせは目撃されずに済んだ。
「じゃ、渋川さん。探してみてよ」
 木製のドアにピンクのペンキで塗られた女子トイレのドアを指差し、僕は彼女を中へ押し込む。
 二分ほど待った後、彼女はゆっくりと申し訳なさそうに出てくる。
「やっぱり無いです……」
 僕は、顎に手をやり、考える。「あのさ、流し台の下。調べてみてくれないかな」
「え? わ、わかりました……」
 彼女は相変わらずの不満そうな顔で、女子トイレの中に引っ込んでいく。
 すると、今度はすぐに、しかも勢いよく飛び出してきて、「ありました!」と僕にキーホルダーを見せつけてくる。シンプルな顔をしたデフォルメのペンギンが、シルクハットをかぶっている愛嬌のある一品。女の子なら大切にするのもわからなくはないが、しかし、それはどこか古ぼけて見えた。
「よかったあ……。でも、なんで流し台の下にあるって……」
「キミ、ハンカチとそのキーホルダー、同じポケットに入れてない?」
「はい。そうです、けど……」
「キーホルダーみたいに小さいと、落とした時の音は何かの音に紛れて聞こえなかったりするし、ハンカチを出した時に一緒に落ちたのかもしれないって思っただけだよ。トイレなら手も洗うだろ?」
「そっかあ……考えてみるとすぐわかりそうなのに、私ってば……」と、頭を軽く小突く。この動作を嫌味なく、自然に行えるだけで、彼女の得体のしれなさというのはなんとなく察せられると思う。
「ほんっとーにありがとうございました! おかげで大事なものも見つかりました……」
「いいんだよ別に。使わない時間をキミに上げただけだ」
「でも、本当に、セトと話せなくなるところでした……」
「さっきも言ってたね、セトって」
 彼女は、あ、と口を広げた。だが、もう隠そうという心持ちはないらしく。
「……引きません?」
「話を聞いてから決める」
「え、っと。その、セトは――セトって、このキーホルダーなんですけど――友達なんです」
 なるほどね。確かに、一般人なら引きそうだが、僕は生憎と、そういうのは耐性がある。耐性があるというか、あまり重要視できないというだけだが。彼女がキーホルダーを友達と呼ぶ。それが何か僕に影響を与えるのだろうか。ないなら僕にとって、問題なし。
「そっか。なら、友達が見つかってよかったね」
「はい! もう何年も付き合いで――ああ、セト。ごめんね、怒らないで。だって、呼んでくれないセトが悪いんだよ?」
 そう言うと、彼女は、持っていたキーホルダーを目の前に持ち上げ、本気で謝っていた。
 少し、おかしいなとは思った。
「セト――さんとは、どういう関係?」僕は、好奇心から、セトという未開の存在に対して掘り進む事を決意した。
「私って、人付き合いがヘタで……」
 思わず首を傾げてしまった僕。
「見た限り、キミはそんなことないみたいだけど」
「それって、全部セトの力なんです」
「……セトの?」
「小さい頃、いじめられてたんです。私って、空気読めなくて……。だから、いっつも心の中でセトって友達を作って遊んでたんですけど、いつからか自分の意思を持って、本当に友達になってくれたんです」
 昔、何かの本で読んだことがある。たしかこれは、『イマジナリーフレンド』というやつだ。人間関係に不慣れな子供が作り出す、空想の友人。彼女はそれを、この歳になっても引きずっているのだろう。
「セトが言ってくれたんです。『俺がお前の悪いところを指摘していく。治していけば好かれるはずだ』って。だから私、セトがいないと、何も出来ないんです」
 ふぅん。
 僕は大して興味が抱けなかったので、思わずそっけない返しをしてしまった。
「結構、リアクション薄いんですね」彼女は意外そうに言った。
「ああ。これでも充分驚いてるから、気にしないで。リアクションって、得意じゃなくて」
 どうにも。驚くなと言われたり、驚けと言われたり、世の中って複雑で困る。
「引かれると思ったんですけどね……。もしかして、みんなに言っても引かれなかったりするんでしょうか?」
「いや。多分引かれるよ」
 僕は、教室の中心で、彼女が自分の心の中にしか存在していない友達の存在を大声で言いふらす様を想像してみた。とてもユニークで、面白く、教室の端にいたらそれなりに大きな声で笑ってしまいそうだ。
「……ですよね。でも、あなたが引かない人でよかったです。――あと、できれば秘密にしてほしいんです。セトも、そうした方がいいって」
「ああ、いいよ」
 前もこんなことがあったような気がする。
 まあ、どうでもいいか。僕は、「セトによろしく言っといて」と片手を挙げて去っていく
 人間、一見しただけじゃわからない。渋川さんは、割りと面白い人間だった。


 それから、僕は彼女からの視線をよく感じる様になった。
 彼女が教室の中心で笑みを振りまき、笑えるんだか笑えないんだかよくわからない冗談を言い、周りのみんながそれを笑い、一通り笑い終わった後の空白の時間。彼女は僕へと一瞥をくれる。その視線の意味がよくわからなかったが、僕は彼女がどういう形にせよアクションを起こしてくるのを待った。
 そして、一週間後。彼女は僕を呼び出した。
 下駄箱に、簡素なメモ用紙。『屋上に来てください』一瞬告白かと思った。けれど、告白だとしたら、それはそれでとても厄介なことになる。というか、彼女の頭が厄介だ。僕は物語が好きだ。しかし、こういうプロセスで人を好きになるパターンというのはあまりに聞き覚えがない。
 まあ、いい。どちらにしても、行くだけだ。
 僕は踵を返して、屋上へとゆっくり、階段の段差を楽しむみたいに。あるいは、屋上で待つ彼女を焦らすみたいに登った。
 ぎぃ、と。小さな悲鳴みたいな音がして、サビだらけの鉄ドアを押す。夕日、とまでは行かない昼下がり。屋上の端で、フェンスを掴み、彼女は外を見ていた。
「渋川さん」
 彼女は僕を見つけると、まるで犬か何かみたいに駆け寄ってきて、小さな背丈で僕を見上げた。
「来てくれたんですね! よかったぁ」
「そりゃ、呼ばれれば来るさ」
「そ、そうですね! あはは……」
 なんだろう、この。あまり言いたくはないが、甘酸っぱい、青春みたいな空気。
 僕、あんまりこういうの好きじゃないんだ。青春って、なんか全体的に、分不相応みたいな匂いがするんだ。
「え、っと。セトが、言ったんです」
「うん?」
「秋津くんみたいに、鈍感な人で訓練して、どんどん慣らして行こうって」
「慣らす?」
「私って、まだ男の人が苦手で。だから――」
「なるほどね」そこまで言われればわかる。しかし、鈍感と言われるのはさすがに少し納得がいかない。スルーしているだけなのだけれど。
「それに、秋津くん、セトと雰囲気似てるから。きっと、セトが会わせてくれたんだね」
 そう言った瞬間、彼女は地面にセトを置いた。
「これから、どうすればいいの?」
 と、地面で僕らを見上げるセトに訊く。数秒の間。
「うん。わかった」
 セトから何かの指示を受けたのか、彼女は僕に傅くと、ゆっくりズボンに手を伸ばす。
「――何してるの?」
「いいから」
 何がいいのかわからないまま、渋川さんは僕のズボンのチャックを降ろし、その中へ手を入れ、未だ萎縮したままの陰茎を取り出した。それを握って、手で輪を作り、上下させる。
「セト? これでいいの?」
 彼女はまた、地面に置かれたキーホルダーに向かって語りかけた。しかしすぐに「あ、そっか」と僕に向き直り、上目遣いで「どう? 修吾」おそらく、『秋津修吾に感想を聞け』とでも言われたのだろう。しかも、いきなり名前で呼び捨てになっている。これはセトの指示か、それとも彼女本来の距離を詰めるスピードなのか。
 僕が答える前に、僕のそれは熱を帯び、段々と硬くなっていく。それだけで彼女は僕の肉体が感じている快楽がわかったらしく、少し握る力を強め、スピードを高める。すべすべとした手。それに先走りが絡まっていく。
「え、っと……なんでこんなことになってるのかな?」
「セトがね、言ってたの。きっと二人は最高に相性がいいって」
 だから?
 全然納得ができないけれど――まあ、いいか。彼女は、セトと世界を作って、それで納得するタイプなのだろう。僕には彼女を拒む理由が特に見つからない。
「あっ――ビクビクってなりました。セトの言う通り……」
 男ってのは単純だ。頭がついていかなくても、体はこうして素直に快楽を受け止める準備をしている。
 彼女はしばらく、手淫を無言で行なっていた。顔が赤らみ、目が虚ろになっていく。しかし、息ばかりは荒くなり、興奮している様子が見て取れた。
 心なし、僕も息遣いが少しずつ荒くなっていくのがわかった。興奮が重なる。段々とこの状況の可笑しさが薄れていく。興奮との反比例。どんどん快楽の階段を登って行き、それがピークへと達しようという瞬間、僕は無意識に「出る……っ」と口走っていた。
 しかし彼女は、それに対する備えをまったくしないまま、顔面で僕の放った白濁とした液体を受けた。
「はあ……」
 そして、彼女はそれを指先で掬い、舐める。
「変な味……」
 もにょもにょと口を動かしながら、味わっているようだった。しかし、そうは言いながら、彼女はうっとりと、汚れた手を眺めている。
 そして、何が面白いのか、静かに微笑んでいた。
「えっと、大丈夫?」
「あ……」
 今まで僕の存在を忘れていたかの様に、口を開いて僕を見上げる。
「ごめんなさい……ちょっと、ぼーっとしちゃって」
「いや、いいんだけどさ……」
 ……なんか、沙苗が血を飲んだ時に似ている。
 そう口走りそうになったが、やめた。こういう時に他の女性の話をするのは、あまりマナーがいいとは言えない。もしかしたら今、彼女の欲望が満たされたのかもしれない。
「どうも……その、汚れるのとか、好きみたいで……あはは……」
 乾いた笑みを浮かべる彼女に、僕も微笑み返した。とくに感情は込めていなかったが、こういう時は微笑み返すのが筋――だと思ったから、そうした。
「つ、続きを……」
 僕の袖を引いて、彼女はそう懇願した。頷いて、しゃがみ込み、彼女を押し倒した。
「全部、脱がせてください……」
 そう言うと、彼女は手を広げ、目を閉じ、すべてを僕に任せると言わんばかりにした。
 女子の制服の脱がせ方なら、もう知っている。僕は彼女のリボンのフックを外し、ブラウスのボタンを一つ一つ丁寧に取っていく。そうすると、彼女の小さな胸を包む、白いブラジャーが現れた。
「あ、えっと……外し方……」
「大丈夫、わかるよ」
 見ればフロントホック式らしい。ホックに手をかけ、つながっていたカップ同士を外すと、小ぶりな胸が現れる。推定、Bカップってところだろうか。ツンと尖った乳首が小さいながらもその存在感を主張している。
 冷静にいる僕は心の中だけで、僕の肉体は、とにかく彼女をどうにかしたいという衝動に駆られていた。僕も男だったって事だ。沙苗を前にした時も、こうだった。男は女にしか押せないスイッチでも持っているのだろうか。
 僕は彼女に多い被さると、首筋を舐めた。そういえば、沙苗もこうして僕から血を吸ってたっけ――って。あんまり沙苗の事は考えないようにしよう。一応、僕と沙苗は(形だけとはいえ)付き合ってるという体裁なんだから。
「んんっ……! ああ……っ」
 吐息混じりに耳元で、彼女は悲鳴に近い声をあげる。
 どうも沙苗より声が大きいらしい。あるいは感じやすい――って、だから、沙苗と比較するのは――。
「し、下も……」
「え?」下――って、性器か。彼女はどうも、沙苗より――いや。だからいいんだって。今は沙苗のことは。
 僕はスカートを捲り上げ、彼女の白いショーツを脱がせ、足首にかけたまま、性器を露出させる。そこには、陰毛のない、テラテラと陰液で光る淡い色の性器だけが存在していた。僕はそこに顔を近づけ、まるでアイスクリームでも舐めるみたいに、舌を這わせた。
「あっ……!」
 驚いたように、体を跳ねさせる彼女。なんだろう、不思議な味だ。海水のようなしょっぱさがある。
 そういえば、まじまじとここを見たことってなかったな。僕の中の好奇心が暴れだす。花びらを指先でつまみ、そっと指を入れてみる。
「んんっ……ダメ……指ぃ……」
 言葉になっていないが、しかし、それでも、ダメと言っていようが、彼女が本気で拒絶していない事がわかる。腰がビクビクと動いていて、手で顔を抑えていても、指の隙間から見える表情はどう見ても笑顔に近い。どうにも、構造を把握するのは難しい。捉えどころがない。観察は諦めて、僕は彼女が到達するまでの準備を手伝った。
「あっ、ダメ……そんなの……」
 彼女はどうも、快楽を受けると、「ダメ」というクセがあるようだった。元より、ダメと言われてやめるつもりなんてないのだが。
 どうも、彼女はあまり気を使われるのが好きじゃないようなので、僕は激しく責めてたててみた。
「あ、あ、ああっ!」
 すると、彼女の体が、先程よりも激しく痙攣しはじめた。どうにも、絶頂に達したらしうかった。
 立てていた膝が地面につき、彼女は焦点の合わない目で、明後日の方向を見つめていた。かなり敏感だな……。
 僕は、ポケットを探る。沙苗といつこういう事になってもいいように、いつでもコンドームを入れているのだ。それを一つ取り出し、封を破り、装着する。
「入れるよ」
 一応、宣言したのだが、彼女が聴いている様子はない。息荒く、空を眺めているだけだ。
 許可は取ろうとしたし、っていうか、ここまで来て挿入しないっていうのもないだろうから、僕はそのまま、彼女の秘部へと先っぽをあて、そのまま、腰を埋めた。
「ん、っぐうぅぅ……はっあぁぁ……!!」
 吐息に乗せた悲鳴。
 秘部から垂れる血液。やはり、血液となると、沙苗を思い出さずにはいられない。しかし、沙苗よりもキツい気がする。体が小さいからかな。
「動いて……痛くても、大丈夫……」
 か細い声が僕の耳に届く。
 痛くても大丈夫というより、痛い方がいいという風に聞こえるのは、僕の気のせいなんだろうか。まあ、いいか。思う存分、動いてやる。
 僕は、彼女の体が壊れるかもしれないと思うくらい激しいスピードで、腰を打ち付ける。皮膚と皮膚がぶつかる乾いた音と、秘部の蜜が鳴らす潤いの音。その二つが重なり、屋上に響き渡る。
「んっ……ああ……修吾……セトに……見せるみたいに……」
「見せるみたいに、って……」少し考えて、僕は、渋川さんの頭の先にいるセトへと視線を向ける。動かず、僕達をじっと見ている。当たり前だ。彼女にとって大切な友達でも、実際ただのキーホルダーなんだから。
 しかし、それを彼女がお好みだというのなら、僕はそれに従うだけだ。
 彼女から僕の陰茎を引き抜き、抱っこするように持ち上げ、いわゆる駅弁の体位で、再び彼女へと挿入した。重たいし、動きにくいが、まあしょうがない。
 彼女の大っぴらになった秘部を、キーホルダーのセトが眺めている。彼女が見られていると自覚した瞬間、彼女の膣内が急激に締まった。
「うっ!?」
 その勢いに、僕は驚いてしまった。地震でも起きたかと思った。
「あっ、すごい……! これ、ああ!」
 まるで世界を変える閃きでもしたように、彼女は頭を抱え、暴れだす。膝裏を持って抱えている僕からすれば、なんだか生きのいいでかい魚でも抱えているような揺れ方に感じるが、僕は構わず彼女の中で動いた。
「っく……! あはっ……い、ん……!」
 悲鳴に似た声。しかし、その声音は確かに黄色い。
 見られると――それも、空想の友達に見られると、彼女の欲望は満足するようだった。なんとも難儀な性癖だ。血を飲まないと満足できない沙苗と、見られないと満足できない渋川さん。欲望の形って、たくさんある。僕はなんだか、荒波の中にいるような気分になってしまった。しかしその中で、僕の欲望の形だけわからない。――僕って、どういう形をしているんだろう?
 答えまで届かない好奇心の糸。僕はその糸を、断ち切った。僕のことなんてどうでもいい。とにかく、目の前に居る渋川さんに集中しないと。
 僕は必死だった。彼女の快楽へついていくために。とにかく、二人が重ならなくてはならないという焦燥感があった。まるで鬼ごっこみたいに追いかけた。
「あっんん……!」
 彼女の髪の香り。柑橘系のシャンプーの匂い。
 小さな体躯。しかし、肉付きのいい太ももの感触。
 ぽたぽたと結合部から垂れる蜜液。僕はそれらをすべて感じ取っていた。感覚が鋭敏になる。しかし、筋力だけは如何ともし難い。
 彼女を降ろし、後ろから腰を打ち付ける。
「ん、はぁ……んっ、んっ、んん……!」
 上り詰めていく。高い山を。
 僕の腰に体中の熱が集まっていくような感覚がやってくる。僕が絶頂に到達したことを告げると、彼女は「顔に出して……」とだけ短く言った。まさか、また顔に出せってことか。そういうのが好きってことか。
 達しそうだった肉棒を引き抜き、コンドームも外して、素早く彼女の前に周り、顔面に欲望をぶちまけた。
 彼女の顔が汚れて、ぽたぽたと顎から地面に僕の精液が垂れていく。出そうだったところで我慢してしまった為、なんだか少し、精神的に疲れた。
「あー……」
 彼女は顔が精液まみれになっても、うっとりとした表情を崩さなかった。
 しょうがない。ハンカチを取り出し、彼女の顔を拭いて上げた。目を閉じながら、気持ちよさそうに溜息を吐いた彼女は、「やっぱり修吾って、私の理想だな……セトが現実に出てきたみたい……」と呟いた。
 もしかしたら、僕は本当に、彼女が生み出した存在なんじゃないかとさえ思ってしまった。
 アホらしいなあ。苦笑しながら、僕は精液の着いたハンカチをどうしようか考えていた。
 大槻さんの『存在は観測によって確立する』という言葉を聞いて、僕はぼんやりと考えていた事がある。
 渋川さんの『空想の友達』であるセト。確かに僕からは観測することはできないけれど、渋川さんだけは観測することができる。――それはつまり、渋川さんにとっては『居る』ということではないのだろうか。しかし、それは逆を言えば、僕にとってはキーホルダーしか観測できないので、ただのキーホルダーでしかないことになる。


 僕と渋川さん――ああ、御法って呼べと言われたんだった――その関係性は、とても妙なことになってしまった。
 ある日の事、登校してクラスの扉を開くと、腹に何かが飛びついてきた。目から送られてくる情報では、その飛びついてきた――というより、抱きついてきた物体は、御法さんだった。
「おはよう、御法さん。あのさ、なにしてるの?」
「おはよう修吾! 修吾に会うの楽しみにしてたんだ!」
「昨日も会ったよね?」
 朝からテンション高いな……。僕低血圧なんだよな。
 だから朝は、ちょっとテンション高い番組でも遠慮したいというのに。
 ふわぁ、と欠伸一つで抗議してみるが、しかし御法さんは「あれ? 修吾眠いの? 昨日夜更かしでもした? 私は昨日ちょっと本を読み過ぎちゃって。眠るの三時になったの」
 その割には元気だな……。ちょっと呆れてしまう。僕は「目立つから離れてくれない?」と言って、彼女を引き剥がし、自分の席へ向かう。窓際の真ん中。
 座って、小説でも読もうかなと思った矢先、僕の目の前にセミくんが立った。
「よう秋津」
「やあ、セミくん」
「お前、御法さんともなんかあったんか……? お前が付き合ってんのって三淵さんだったよな……」
 恐る恐るという調子で、窺うような視線の言葉。僕は「いや。その認識であってるよ。御法さんとは、なんていうか。キーホルダー拾ってあげたのがキッカケで、少し仲良くなって」と、正直に言った。嘘は言ってない。全部言わなかっただけ。
「そんだけで朝から熱烈に抱きつかれるか? ――ま、浮気だけはすんなよ」
「もちろん」
 なんかどこからどこまでが浮気なのか、よくわからなくなってきたけれど。
 それだけ言うと、セミくんは同じクラスの妹の元へ。多分、逃げたのだろう。僕は、セミくんと入れ替わりで目の前に立った沙苗を見て、そう思った。しかし怒気のようなモノは感じない。普通――だと思う。というより、怒っていいのか戸惑っているように感じる。
「おはよう修吾くん」
「やあ」
「渋川さんと何かあったの?」
「キーホルダーを拾ってあげただけだってば。聴いてたんだろ? セミくんとの話」
 頷く沙苗。僕は溜息を吐いた。
 なんだか気疲れしてしまう。やましいことがある時に女性と話すのは、腹の中に毒を抱えているのと同じ事なのかもしれない。
「まあ、どうでもいいよ。私はそういうの、気にしない女だから」
 沙苗はまだ主が来ていない僕の前にある席へと腰を下ろした。
「私達はそもそも、正確には付き合ってるわけじゃ、ないしね」
 周りに聞こえないように音量を絞ったその言葉に、少しだけ申し訳なくなった。僕が一番親しみを持っている女性が、沙苗だからなのだろうか。
 僕と沙苗の関係って、結構ケジメがついてないな。そう思わざるを得ない空気。
「沙苗。正確には付き合ってるわけじゃないけど、でも、僕は結構、キミの事好きだったりするんだ」
「……なにそれ?」
 ふふっ、と小さく笑う沙苗。僕は割りと真剣だ。好きというのがよくはわからないが、沙苗にマイナスの感情を抱いてはいない。だから、きっと好きってことなんだろう。
「まっ、いいんだけど……。私が言いたいのは、あんまり渋川さんに入れ込みすぎちゃダメってこと」
「入れ込む?」
「あの子、やばいよ。女の勘」
 便利な言葉だよな、女の勘って。
 男には無いものだ。当たり前ではあるけれど。しかし――その話もわからないではないから、きっと実在する物なのだろう。
 内にもう一人――セトという友達を抱える彼女。それを『やばい』と称するのは、的を射ているはずだ。


  ■


 放課後になって。沙苗は友達と遊びに行くと言っていた。ちなみに僕は用事がない。家で小説とか映画とか見ようかなって思ったのだが、帰る間際に御法さんに引き止められた。
「ど、どうしたの?」
 教室を出ようとしたところ服の袖を掴まれ、ちょっとだけ心臓が跳ねた。振り向いた先にいた御法さんは、満面の笑みだった。子供がプレゼントの箱を前にしたら、こんな感じだろう。
「帰ろ!」
「一緒に?」
「そう!」
 断る理由はない。どうせ家に帰っても暇するだけ。この間セトを探した時と一緒だ。
 御法は僕の腕を引っ張り、少し早歩きするくらいのスピードで、そそくさと下駄箱まで案内してくれた。靴を履き替える僕は、「今日はセト落としてないよね」と訊いてみた。彼女は照れた様に「そこまでドジじゃないよ」と笑った。


 学生が遊ぶとなったら、駅にまで行かなければならない。小高い丘の上にあるこの学校。立地はそう悪くない。遊ぶスポットは近いからね。――だからこそ、彼女が駅に向かった時は、何か目的があるんだろうと思ったけれど。駅前の、噴水を中心に周囲をベンチが囲むような円形広場についた時、彼女から「修吾って、普段なにしてるの?」と言われて、一体どうしたのかわからなくなった。
「普段は、小説読んだり映画見たりだよ。それくらいしかしていない」
「へえ。じゃあじゃあ、修吾のおすすめの映画とか、小説とか、教えてよ」
「いいけど……キミって小説読むのかい?」
 首を振る御法さん。「授業以外で読んだこと無い。でもね、セトが、『友達の事を知るのは大事だ』って言ったから。私ね、修吾の事が知りたいの」
 どうでもいいけど、セトって男なのかな。妙に男らしい口調だけど。
 まあ、本当にどうでもいい事だったので、聞かずに、僕は行きつけの本屋へと向かう。駅から大通りへと出て、その後路地をいくつか抜けた先――街の端っこ辺りにある、大きな樹の根本にある古ぼけた古本屋。『桜書房』
 その引き戸を開くと、すえたカビみたいな匂いがまず鼻孔を突いた。そして、壁一面を埋めるような本棚と、人が歩くスペースより本を置くスペースが優先だと言わんばかりに床へ並べられた本。
 この、本の為にあるような、人間よりも本が上だと言わんばかりの空間が気に入って、贔屓にしている。
 勝手知ったる我が家、という調子で、小説のコーナーへと向かった。実際の所、僕はすでにかなりの常連だ。他にこの書店を利用している人間を見たことがないので比較対象がないけれど、週三で通っていればそれはもう立派な常連。
 僕はこの間見つけ、買おうと思っていた本を取り、立ち読み。買うけど、一回こうして読んでおく。立ち読みは読書家の嗜みだ。立ち読みができない本屋というのは、コーヒーが飲めない喫茶店のような物だ。
 自分のルールとして、十ページまでは立ち読みすることにしている。なぜ十ページなのかは特に理由はないけれど、それくらいでおおよそ話の流れが掴めるからだろう。もちろん古本なので冒険のハードルも低く、適当に買ってもいいのだけれど。そしてそれが醍醐味でもあるのだけど、まあそこは気分で使い分けている。納豆にネギを入れるか卵を入れるかっていう選択みたいに。
 その話は、一人の少年が死を考え、生きるという事を考える少女と出会い、生きる事を考えるという話。しかし最終的に少年は死ぬとの事だ。生きる事を考える少女は、つまり答えにたどり着けなかったという事なのだろうか。その過程を見たいと思う。十ページ、主人公が二回の自殺未遂に失敗した辺りで、僕は本を閉じた。
「……あ、読み終わった?」
 御法さんは、ドラマの原作になった小説を読んでいたらしく、それを本棚に戻した。
「あれ、御法は買わないの?」
「えっと、修吾のおすすめとかある?」
 読書家にはわかると思うけれど、小説を全く読まない人間に小説を勧めるという事は酷く難しい。文章力の有無に関わらず、文章を重ねるタイプは読まない人間には辛いだろう。っていうか、人からおすすめされたものって、なんだかんだ読まない。僕は人のおすすめって嫌いだ。
 何か適当な物を見繕おうと思ったら、意外にもその適当な物があった。
「これは? 『不思議の国のアリス』」
「え、ノベライズされてたの?」
 ああ、そのレベルなんだ……。
 僕は久しぶりに『呆れ』という物を抱いた。
「小説が原作だから……。っていうか、映画は観たの?」
 僕は観てない。そして御法も見ていないらしく、首を降った。ちなみに僕は、基本的に原作以外は見ない。ポリシーというより、原作だけで事足りる。演出が見たいわけでも、役者が見たいわけでも、声が聞きたいわけでもない。
 ただ過程が見たい。それだけ。僕は人が結果に至るまでの心のプロセスが見たいんだ。それには小説がちょうどいい。小説だけというのもバランスが悪いので、ドラマや映画なども見ている。
「じゃ、これ買おうかな」
 そう言って、御法はおばあさんの所へ。本を差し出し、会計を済ませる。
 僕も同じ様にしてお金を払い、おばあさんと二、三言葉を交わして、桜書房を後にした。


 そして僕は何故か、御法さんの家に連れて来られる事になった。
 電車に乗って、二駅ほど電車に乗った先の山手。高級住宅街として名高いそこの中心地。三階建てのガレージつき。
 子供の頃、テレビで芸能人の自宅訪問という、品のない番組を観たことがある。金持ち自慢にしか思えないそれだったが、でも確かにいい家だなあと思わせられるその番組。御法さんの家は、まさにそれだった。
 無駄に広い玄関(床は大理石)を抜け、ピカピカの白いタイルの床をスリッパで歩き、二階にある彼女の部屋へ。
 その部屋を見て、僕が最初に抱いた感想は「女の子っぽい部屋だね」だった。それを聞いた彼女は、「よく言われるよ」と言い、澄まし顔。
 ピンクのカーペットに、ぬいぐるみが大量に並べられた棚。ファンシーというか、逆にそれっぽすぎてファニーというか。案外アリスを薦めたのは当たりだったかもしれない。
 広い部屋の中心にクッションを敷いて、僕達は向い合って、他愛の話をした。
「御法さんの両親って、仕事何してるの? ――いないみたいだけど」
「お父さんが弁護士。お母さんがデザイナー?」
「そりゃまた、絵に描いたような……」もしかして架空の友達とか作ってしまったのは、そこに関係あったりするのだろうか?
「忙しい中でも時間作ってくれて、いいお父さんとお母さんなんだあ」
 関係なかった。
 ――まあ、そんなもんだけど。単純に人付き合いが苦手なだけなんだろう。
「でも、お父さんお母さんがいない時もセトがいるし、寂しいってことはないかな」
 セト、ねえ。
 それが酷く寂しいことだというのに、彼女は気づいているのだろうか。なんとなしに御法さんを眺めていたら、彼女はポケットからセトを取り出し、床に置く。
 そして、じりじりと距離を詰め、僕の肩にもたれかかってきた。
「お父さんとお母さん、今日は帰ってこないから……」
 耳に吐息をかけながら、彼女の呟き。きっとこの部屋の内装みたいにピンクで、甘ったるい物だったのだろう。耳に味覚の器官はないから、わからないけれど。
 もたれかかってきた彼女を押し倒すみたいにして、唇に唇を押し付けた。
 無理に舌を押し込んで、彼女の口内を侵略する。唾液、舌、頬の温かさが僕に伝わってくる。彼女は目を閉じ、されるがままだ。足りない何かを僕で補おうとしているかのように、僕の自由を許している。
「んっ……ふ……ひゃ、……ちゅ……」
 漏れる吐息が鼻に当たる。温かい。
 人は何をするにも熱を振りまかずにはいられないのだろうか? 彼女のこぶりな胸を、舌から持ち上げるように揉みしだくと、衣服の上からでも彼女の速い鼓動が伝わってきた。血流が僕の掌に伝わる。彼女の血が、手を介して僕の中へ流れてくるようだ。温かい。何かの充足感。
 無理に体を一つにしようと足掻くみたいに、僕らは絡みあった。首筋を舐めたり、耳元で何でもない言葉をささやいたりして、互いの存在を身近だと言い聞かせた。彼女はそれを望んでいた。僕の体が上なので、きっと重いだろうに、それを彼女は嫌がらなかった。
 リアリティ。重み。熱。人としての存在感を、彼女は欲していたのかもしれない。
 指を絡ませて、足を股の間に入れて、僕は彼女が求めている通りにした。
「んん……修吾ぉ……」
 名前を呼ぶ。
 彼女は僕を求めている。なら、僕はそれに応えるだけだ。
 ゴムをつけて、ショーツをずらし、彼女の中へと挿入した。
「あ……っ、前より、痛くない……」
 その言葉を聞いて、大丈夫なのだろうと安心し、僕は腰を動かした。
「はっ、あああ、んっ、んっ……!」
 僕の動きと同じ様にリズムを刻んで、彼女の声が漏れる。
 ふと、視線を彼女から逸らすと、床に立って僕達をじっと見ているセトと目が合った。無機質な瞳。瞳。瞳。瞳。飲まれそうになる。混濁したコールタールみたいに底が見えない。はっきりとしない。わからないからこそ生じる存在感。僕は今、セトという存在を認識した。
 存在した。
 観測、した。
 それは気のせいだったのかもしれない。一瞬だけの観測。よくわからない幻想。
 御法に視線を戻し、「セトが、見ているんだ」と呟いた。
 上気した肌。虚ろな瞳。その癖冷たい手を僕の頬に添えて、彼女は僕の頭を引いて、キスをした。触れるだけの軽いキス。唇が離れると、彼女は言った。
「見てるよ……私の事。友達だから、ずっと……」
 何かの儀式みたいだ。
 こうして、僕達はセトという存在をリアルにしていくのか? 僕というサンプルで、彼女はセトを形作っていくのか。
 そう思った所で、僕たちは共に絶頂へと上り詰めた。
 セトという存在が、僕の中に確固たる輪郭を持ち始めている。
6, 5

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