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第一章「First Game」

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 その発端が何日前にあったのかは沖田にはわからなかったが、少なくとも今に至るまでに一度このゲームを経験してきている。
 それは気が遠くなるほど長い半日だった。
 その日、目が覚めると沖田はエレベーターの中に居た。最大積載が六名。ゆったりと乗るには三人くらいが限度の狭いそのスペースに彼は一人、丸まって倒れていた。
「ここは……?」
 ハッとして沖田が立ち上がる。立ちくらみがしてフラフラとよろけてしまって、エレベータの壁に寄りかかる。
 状況が把握できない。何故ここにいるのか。
 そんな事を思いながら周囲を見渡してみる。比較的新しい年代のエレベーターだ。壁面ボードは埃焼けたシミは無く、一面に白い。
 エレベーターは四菱電機製の物だった。
 階を示すLED表示機は無い。エレベーターの操作パネルはステンレスの金属板で塞がれていて上下の操作はできないようだった。身体の浮き上がるような感覚からするとこの小さな箱が階下へ向かっている事は理解できる。
 エレベーターの下降が終わり、チーンとベルが到着の合図を告げた。肉厚のドアが開いていくと、その向こうは四角い五十平米ほどの小さな部屋があった。見知らぬ場所だ。
 訳もわからず呆然としていると、沖田に次の行動を示す声があった。
『ドアが閉まります。エレベーターから降りて入室して下さい』
 部屋の中からだった。ノイズ交じりの女の機械音声がして、そう告げる。
『10・9・8・7・6……』メッセージの後にカウントが始まり、それに急かされるようにして部屋の中へ入る。『プレイヤー1 沖田尚志(おきたなおし)。入室確認。全てのプレイヤーが揃うまでウェイティングルームに待機して下さい』
 このアナウンスの意味もわからなかった。沖田はおもむろに部屋の中央へと歩いていき部屋の全貌を見渡した。
 部屋の中はエレベーターの中と雰囲気は変わらなかった。清潔感のあるといえば聞こえは良いかもしれないが、壁も天井も床も、無機質な純白の正方タイルに覆われた部屋だった。そこから受けるのは、温かみのない冷ややかな印象のある病院とでも形容できそうな雰囲気だ。
 およそ横10メートル、縦10メートル、高さ5メートルほどの箱の中に居るように思える部屋の天井、その中央には四方に向いたディスプレイが吊るされていた。その画面には何も映されていない。
 部屋の中には沖田以外に誰もいなかった。
 沖田が降りたエレベーターは既に扉が閉まっていて、駆動音が聞こえる所からすると上の階まで行っているようだった。
「どこだよ、ここ……」
 そう独り言を呟いて、沖田は周囲を念入りに見回してみた。隠れれるスペースは多少はあるにしても子供一人が身を丸めても少し見る角度を変えればすぐにその姿を視認できる程度には開放感のある場所だ。やはり自分以外の人の姿は無いらしい。
「訳がわからないぞ……」
 気が付いたらエレベーターの中に居て、見知らぬ冷ややかな実験室のような部屋に招かれた。そんなシチュエーションに、沖田は困惑していた。
 どうして自分がこの場に居るのか、何故こういう事になっているのかを思い浮かべるがその答は出なかった。
 一つ一つの記憶をじっくりと整理してみる。
 しばらく考え込んでみたものの、やはり沖田にはこの場所に自分が居る理由というのはわからなかった。ここに来るまでの記憶が、銀座で飲んで気が付けば新宿駅の路上で倒れている所で目が覚めるというレベルですっぽりと抜け落ちていた。
 記憶喪失だろうか――
 そんな事を考えて自己分析をしてみるが、さすがに自分が誰であるかの記憶ははっきりとしていた。
 沖田尚志(おきたなおし)、25歳。情報系の大学を卒業してIT関連企業のSEとして就職。三年目の社員として技術と営業の掛け持ちのような事をしている。
 最後の記憶が残っているそのシーンを昨日だと仮定するなら、昨夜はプロジェクトが一段落した打ち上げに新大久保の韓国焼肉で飲んでいたはずだ。酒に酔った先輩社員達に囃し立てられて、十回ほど中ジョッキを一気したのは憶えているがそこからの記憶は曖昧としていた。確か、その店を出た後の二次会にと山の手線に乗って新宿駅に降りた後は東口に出て歌舞伎町に行ったのまではどうにか憶えている。
 そこまで思い出してみるが、やけに頭がクラクラするのに思考を阻害されて沖田は考えるのを辞める。
「……昨日は飲み過ぎたな」
そんな緊張感のない結論をつけて、重い頭を抱えてぼやく。どうにも頭が白む感覚がある。ぼんやりとして思考が巡らない。どっこらしょと部屋の中央に尻餅をついた。
「本当、ここはどこなんだよ」
 しばらく部屋の中を眺めて、今度はそうぼやいてみるが、その問いに答える人物などここにはいない。代わりに、エレベーターのベルがチンと答えてくれた。
 エレベータの白いドアが両開きにスライドする。部屋に誰かがやってきたようだった。
『ドアが閉まります。エレベーターから降りて入室して下さい。10・9・8・7・6……』
 機械音声が淡々と告げるカウントに急かされて出てきたのは、若い女だった。沖田は彼女に見覚えがあった。
『プレイヤー2 前原朱里(まえばらあかり)。入室確認。全てのプレイヤーが揃うまでウェイティングルームに待機して下さい』
 機械女の必要最低限の説明しかしないアナウンスが部屋に響く。沖田は彼女を見上げると立ち上がり、駆け寄った。
「朱里!」
「尚志」
 沖田が彼女の名を叫ぶと、驚いた様子で名前を呼び返して近寄ってきた。
「どうして朱里もここに? 一体ここは何処なんだ」
「そんなの……、私にもわからないよ……」
 朱里が力無くかぶりを振る。
 前原朱里は付き合って二年になる沖田の恋人だ。入社二年目の夏に、同期の後輩のツテで開かれた合コンで知り合った当時は二十歳になったばかりの大学二年生だった。
 都内のカトリック系の女子大の英語英文学科に通い、将来は通訳になると言っているような彼女もこの部屋にきた理由は自分と同じくわからないようだった。おおかた、自分と同じ様にここに来るまでの過程という記憶がすっぽり抜け落ちているのだろう。
「お前も昨日は、サークルの飲み会だったのか?」
 素直な疑問を投げかけてみると、朱里は沖田の脇腹を思い切り殴ってきた。
「痛いじゃないか」
「尚志と一緒にしないでよ」
 大きく丸い目が不機嫌な表情を向けてくる。朱里をなだめてその話に耳を傾けてみると、昨夜はアパートの自室で普通にベッドで眠りについたらしかった。
 気が付くと同じ様にエレベーターの中に倒れていてこの白い部屋に沖田が居たと、そういう事らしい。
「そうか、朱里は飲み会じゃなかったのか」
「そういう尚志は昨日会社帰りに飲んでたんだ。どういう経路にしても、私達はこの謎の密室に誘拐されてきたような感じなのね」
「そうらしいな。それで、気になる事がひとつあるんだけど」そう言い、沖田が朱里の服装に視線を落とす。「何で寝巻きじゃないんだ?」
 朱里の言い分が真実なら、今着ている服は著しくラフな部屋着になっていなければならない。だが、彼女はキャミソールに薄手なチェックのネルシャツ、フレアスカートにミュールという明らかに外出時を思わせる服装だった。
「おかしいだろ。お前の言った事が本当だったら今頃お前、羊の着ぐるみのパジャマじゃないか。いつも部屋ではそうだろ?」
 沖田の指摘に朱里が目を丸くする。
「本当だ。どうしてだろう」自分の身体を見下ろして、その小さな手で至る所を触って確かめると、今度は朱里が沖田の服を指さした。「だったら、尚志もおかしいよね」
 言われ、沖田も自分を見下ろしてみる。彼はネイビーのポロシャツに、デニム、コンパーツのスニーカーという服装だった。
「会社帰りに飲んだんだよね。その格好で出勤したの? 尚志の会社ってそんな自由な社風だったっけ」
 問いかけてくる朱里に沖田が首を横に振る。
「いや」
「それなら、スーツじゃないとおかしいよね」
「そうだな。確かに」
「誘拐されて、記憶まで操作されてるのかな。何だか怖いんだけど」
 身を震わせる朱里。沖田はそれを鼻で笑う。
「SFじゃあるまいし、ありえないだろ」
「そうかな」
「そうだよ。人の記憶が自由に変えられるなら、俺も朱里の記憶から俺が浮気した時の記憶を消したいしな」
 そう口走った沖田の鳩尾に朱里の拳骨が放たれた。
「痛いじゃないか」
 そう言いたかったが、直撃した一撃は沖田の呼吸を乱してくれ、口からはその言葉が発せられなかった。
 そうしている内に、またエレベーターのベルが鳴った。そうして、開いたドアから三人目が部屋に入ってくる。今度も女だった。
『プレイヤー3 長嶺南(ながみねみなみ)。入室確認。全てのプレイヤーが揃うまでーー』
 機械女が淡々とその名を告げる。
 長嶺という女は機械女がするアナウンスの与えてくれる印象と同じ雰囲気があった。
 背の低い朱里と比べると、長嶺の背丈は頭一つ程高い。その高いヒールからある程度差し引いたとしても165センチはあるだろう。シャープな造形の肢体と切れ長の目は凛とした印象を受ける。だが、それ以上に彼女が機械音声と同じく冷ややかな印象たらしめたのは部屋に来た時の態度だった。
 つかつかと部屋に入ってきたかと思うと、中に居た沖田と朱里を見やりその切れ長の目を怪訝に細くした。そうして彼らに声をかけるでもなく鼻を鳴らすと、不機嫌な様子のまま二人から離れた壁際で壁の花をし始めた。
「感じの悪い人だね。美人だけど」
 それは、長嶺という女の心象を悪くしない為の配慮だったのだろう。朱里が小声で囁いてきた。
「そうだな」
 長嶺が入室してからも続々とプレイヤーとされる人間がウェイティングルームに入ってきた。ホスト風の男、いかにも水商売という風体のギャル系の女、頭の禿げ上がった冴えないサラリーマン、朱里より少し若いくらいの大学生くらいの女。
 最後に細身で目付きの悪い男が入室してきた所でアナウンスが告げた。
『全てのプレイヤーが入室しました。これよりルール説明を開始します』
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