第1話 「私、詐欺に遭いました!」
私、円谷(つぶらや)ひなた―25歳独身、彼氏募集中―は、ある人物を探しに池袋へ来ていた。
その人物とは、どんな証拠でも完璧に偽造するという噂を持つ、通称・証拠偽造屋。名前は「晝間 類(ひるまるい)」だ。
ナビを片手に歩き、とあるビルの入り口で立ち止まる。
「ここ‥?」
見上げると、看板には「RDL法律事務所」と書かれている。テレビCMもやっていて、大抵の人が一度は聞いたことのある、業界最大手の事務所だ。
――法律事務所に証拠偽造屋‥?
道を間違えたのではないかと地図を見直す。が、この場所で間違いない。
どうしたものかと看板を見ながら逡巡するが、唾をごくりと飲み込み、意を決して中へ入った。
「こんにちは。ご予約はお済みですか?」
自動ドアを抜けると、受付のお姉さんが笑顔で言った。
「あ‥スミマセン、予約はしていないんですが‥」
おそるおそる告げると、ではこちらにご記入くださいとA4用紙を渡された。
名前、住所、職業、相談内容‥などの必要事項を記入するようだ。
しかし、私は法律相談に来たのではない。証拠を偽造してもらいに来たのだ。
「あ‥あの!!」
「は、はい!?‥‥あの、事務所内では大きな声を出さないようにお願いします。」
注意されてしまった‥。私は地声が大きいのだ。
「晝間さんと話をしたいんですが‥」
私の申し出を聞くと、お姉さんのスマイルが一瞬固まる。
が、すぐに見事な営業スマイルを取り戻し、こちらへどうぞと案内を始めた。
――この人の笑顔を硬直させるなんて、一体どんな人なんだろう‥。
私は再度ごくりと唾を飲み込む。
2階へ上がると、ベテラン受付嬢は呼び鈴を鳴らした。
「晝間先生にご相談です」
――先生‥?
5分程待ち、会議室へ案内された。
「どうぞ、お掛けください」
会議室へ入ると、すらっとした体型で愛嬌のある顔―ひなたの好みのタイプだ―のイケメンが扉と向かい合い、机を挟んで座っていた。
でも、かなり若い。自分とそう変わらない年齢に見える。想像していたイカツイ人物と違って、急に不安になる。
「僕は晝間です。どういったご相談ですか?」
晝間さんは私に名刺を差し出す。
名刺を見ると「認定司法書士 晝間 類」と記載されいる。
「認定司法書士って‥?」
初めて聞く単語に私は首を傾げる。
「ぷち弁護士みたいなものです。請求できる金額などに制限がありますが、弁護士と同じく訴訟代理人になることができます」
――ぷち弁護士‥。初めて聞いた。
「あの‥‥知り合いから、晝間さんはどんな証拠でも偽造してくれるっていう話を聞いたんですが‥‥」
口にして、自分がとんでもなく場違いなことを言っているんじゃないかと感じた。なんてったって相手はぷち弁護士だ。証拠の偽造なんて違法行為をするだろうか‥?やっぱり、道を間違えたのだろうか。‥あ、「道」っていうのは地理的な意味での道だ。もしかしたら人生的な意味での道も今から踏み外そうとしているのかもしれないが、勿論私にはそんなことに考えは及ばない。
「そうですよ」
「そんなわけないですよね。‥すみません、変なこと言って‥‥って、そうなの!?」
晝間さんは私の大声にビクリと身体を震わす。
「あの‥もう少し‥だいぶ、小さな声で」
――まさか、こんなに若い‥ぷち弁護士の先生が証拠偽造屋だなんて‥。
「証拠偽造の依頼ですね。なぜ証拠が必要なんですか?」
「それは‥」
私は慣れない口調で事情を説明する。
「なるほど。お金を貸したけど、借用書を紛失してしまったことをいいことに、相手が返済をしないと。それで僕に借用書を偽造して欲しいっていうことですね。‥‥平凡な依頼だなぁ」
そう言って、晝間さんがほお杖をつく。
「‥‥ん?」
――今、平凡って‥。
「ふぁ‥、それじゃあ、もう少し詳しくお話を聞きましょうか‥」
晝間が欠伸をしながら言った。
「ふざけないでください!」
私は思わず、相手のやる気のない態度に声を荒げる。晝間が驚いて私を見た。
「‥もういいです。失礼しました」
私は早足に部屋を出る。
「あちゃあ‥‥またやっちゃったか」
晝間は頭を撫でながら呟いた。
時は西暦20XX年。超訴訟社会。
弁護士人口が15万3000人を超え、2013年時点の3万8000人と比べると、4倍以上となっている。
日本人の特徴と言われてきた、紛争を丸く収める事なかれ主義は徐々に衰退し、紛争は訴訟で解決するといった傾向が顕著になった。
それに伴って国民の法的素養も上昇したとの見解を示す社会学者もいるが、詐欺などの犯罪被害の発生件数は一向に減らない。
3月に入り少しづつ暖かくなっては来たが、まだまだコートとマフラーは欠かせない。
私は愛犬の小春と一緒に自宅のマンションを出て、公園に向かって歩く。ぽけーっとしながら歩いていると、小春が通行人に近づき、ブーツの臭いをくんくん嗅いだ。
「あ‥こら!!‥すいません、ちょっと考え事をしていて‥‥あれ?」
顔を上げると、先日の失礼千万なぷち弁護士が立っていた。
「どうも」
晝間は、にこりと笑って挨拶をする。
「あなたは‥この間の失礼千ば‥じゃなくて、晝間さん。こんな所で何をしてるんですか?」
「いや、先日は僕が失礼な対応をして詳しく話を聞けなかったので、ぜひ話をうかがおうと」
晝間が肩をすくめて言う。
「そのためにわざわざこんな所に‥?」
証拠偽造屋と聞いてどんなうさん臭い人物かと思いきや、割とまともな印象を受ける。
こうして見ると、ちょっと背は低いが、ぷち弁護士よりもモデルでもやっていそうな人だ。なんというか、貫禄がない。他人事ながら、外見でなめられることが多いんじゃないかと心配になる。
「ここのケーキすっごく美味しいんですよ。私、よく食べに来るんです」
私達は近くのカフェ「AKIMORI」へ入った。
「ブルーチーズケーキと紅茶で」
「えーと‥、僕も同じのと珈琲をお願いします」
ケーキが運ばれて来ると、私はとぎれとぎれ説明を始めた。
「結婚詐欺って言っていいのかはわかりませんが‥、私は騙されたんです」
紅茶を口に含み、渇いた喉を潤す。
「匂坂甲一(さぎさかこういち)とは、前に務めていた職場で2年前に知り合いました。彼は私の直属の上司で‥、すぐに仲良くなりました」
「やがて交際を始めて、結婚をする約束をしたんです。彼にはすでに奥さんがいましたが、子どもはおらず、離婚してくれると約束をしました」
「‥ある日、彼に50万円貸してくれと頼まれたんです。借用書も書くからと言われ、そこまで大きな金額でもないので‥彼を信用してお金を渡しました」
「ところが、2か月前、急に彼から別れてくれと言われたんです。私はショックで‥会社にも通いづらくなって、結局退職しました」
「暫くして結婚のことは諦めが着いたんですが‥、貸したお金は返して貰おうと思って、先週彼に電話しました。‥そしたら、金を借りた覚えはないって‥」
「弁護士に相談しても、証拠がないから諦めるしかないと言われて‥。でも、このまま泣き寝入りするのは悔しくて‥‥知り合いから晝間さんの噂を聞いて、先日お邪魔したんです」
晝間の質問に答えながら、以上のことをつっかえつっかえ話した。
「相手は借用書を紛失したことを知っているんですよね?」
晝間が珈琲を飲み、私に尋ねる。
「はい‥私がうっかり話してしまって‥」
すると、晝間が私の目をじっと見詰める。
私は思わずどきりとする。
「‥疎明あり、かな」
「‥‥え?」
「いや、こっちの話。オッケー、証拠偽造の依頼受けるよ」
「本当ですか!!」
晝間はビクリとする。
「それじゃあ、明後日の夜、この場所に来てください」
そう言って、晝間はメモを渡した。ケーキを口に運ぶ。
「ブルーチーズケーキ‥‥おにうま!」
私は晝間から受け取ったメモを片手に、府中駅周辺のけやき並木を歩く。細い路地に入る。
「‥‥ここ?」
メモの記す場所は、薄汚い雑居ビルだった。看板はない。
地下へ降り、扉を開ける。ぎぃいと蝶番の擦れる音が響く。
中は雑然としていて、カウンターの奥には何やら色々な機械がある。
「こんばんわー‥!」
私が声を出すと、ひょこりと晝間が顔を見せた。
「いらっしゃい。そこのソファにどうぞ」
年季の入った革張りのソファに腰かけると、晝間が珈琲とケーキを運んで来た。
「ごめんなさい、紅茶を買うのを忘れてしまって。珈琲しかないんです」
そう言って、応接机にブルーチーズケーキを並べる。
「あ‥ありがとうございます。これって‥?」
「この間食べたときにはまってしまって。事務所から戻るときに買ってきたんです」
晝間はそう言ってケーキを口に運ぶ。
「‥‥おにうま」
「あの、言われた通り、匂坂の筆跡がわかるもの持って来ました。これでいいでしょうか?」
私は封筒を机の上に置く。
「ばっちりです」
晝間はおもむろにファイルから書類を取り出した。
「それは‥?」
「偽造借用書です。あとはこれに相手方の筆跡で署名をすれば完成です」
書類を見ると、金銭借用書という表題のあとに宛名(私の住所と名前)、借入金額及び利息、借り受けた旨、返済期日、日付‥と記載されている。末尾に空白の署名欄があり、その横に朱色の印影が押してあった。
「その印影は‥?」
「相手の実印と全く同じ印影です。印鑑証明書を添付すれば、裁判所は必ずこの借用書が本物だと判断します」
「そんなもの、どうやって‥?」
「企業秘密です」
晝間はにこりと笑う。
「それじゃあ仕上げといきましょう」
すると、万年筆のキャップを外し、借用書にすらすらとサインをした。そのあとで、書類の左下に小さく○を書く。
封筒の筆跡と見比べると、瓜二つの署名がされている。
「すごい‥!全く見分けがつかない!」
「僕の模倣筆跡は、裁判所の筆跡鑑定だって見抜けません」
晝間は万年筆をくるくると回す。
「さて、証拠の偽造は完了しました。あとは、相手との交渉です」
そう言って、ケーキをぱくりと口に入れた。
「はくしょんっ!」
晝間が身体をのけ反らせ、くしゃみをした。
「うう‥さぶい」
呟いて両腕をこする。
「晝間さん、風邪引いたんですか?」
――この大事な日に、ほんとに大丈夫かなぁ‥。
私は猛烈に不安だ。
「違うよ。自慢じゃないけど、僕はここ10年は風邪を引いてないよ」
「‥じゃあそのマスクはなんですか」
私は晝間の口元を覆う立体型マスクを見る。
「これは、別件だよ」
「‥なんですか、別件って‥」
晝間が意味不明なことを言い、私はため息をつく。
私達は匂坂と交渉をするべく、匂坂家の前で張り込みをしていた。私はあんぱんを頬張る。
――張り込みであんぱんとか、ベタか!‥って感じで突っ込みが欲しいんだけど、晝間さん笑いのセンスないなぁ。この人とは結婚できないわ‥。
私は食べたくもないあんぱんを胃袋に押し込む。
「おっ、来たぞ」
匂坂家の玄関に視線をやると、匂坂甲一が出て来た。バケツとホースを手に持っている。洗車でもするつもりだろうか。
「匂坂甲一さん」
晝間が声をかける。
匂坂が振り向いて晝間を見る。続いて私に視線を送り、驚きで目を見開く。
「‥何の用だ」
「お話があります。ここじゃ何なんで、場所を変えましょうか」
「話って‥何の話だ?」
「車をきれいにする前に、アンタの債務をきれいにするのよ!」
私は匂坂を指さし、高らかに言う。
早朝の閑静な住宅街に、私の台詞がよく響いた。
「ブルーチーズケーキとかないですよね?‥ですよね。じゃあ珈琲で」
私達と匂坂は近くのファミレスに入った。
「‥さてと、用件はお分かりだと思いますが、僕たちは円谷さんがあなたに貸した金銭の返還を請求しに来ました。あ、僕は認定司法書士の晝間です」
晝間が匂坂に名刺を渡す。
――晝間さん、交渉するときくらいマスク取らないと‥!
「‥金など借りてない。証拠はあるのか」
――んだと、このスダレはげ。
「後ろめたいことがある人ほど証拠証拠って言うんですよね。はい、これ証拠。」
晝間が偽造借用書をテーブルに出した。
――そんなあっさり出すんだ‥。
匂坂が借用書を手に取り、目玉が飛び出さんばかりに凝視する。
――ぷ‥なんだその顔まじうける。
「そんな‥」
「何がそんな、なんですか。あなたの筆跡に間違いないですよね?」
匂坂は沈黙する。
「とにかく、返済期限は過ぎてますから、一週間以内にお支払いください。お支払いただけない場合は、訴訟を起こすことになります」
――おおお‥!
「一週間以内に50万円なんて、むりに決まってる‥!」
――‥ア○ム行きゃいいだろ!
「匂坂さんは勘違いしてらっしゃる。あなたが支払う義務があるのは、50万円ではなく100万円です」
――‥え?
晝間の予想外の言葉に、私と匂坂は暫し沈黙する。
「ふ、ふざけるな!これは脅迫だ‥!警察へ言うぞ‥!」
匂坂が伝家の宝刀とばかりに、勢い込んで言った。
――警察はまずいんじゃないの‥貸したのは50万円だよ、晝間さん!
「落ち着いてください。あなたに貸した50万円はもちろん、それとは別に慰謝料を払っていただかなくてはならないんですよ」
「‥慰謝料?」
――‥慰謝料?
「そうです。あなたは円谷さんとその気もないのに婚約をし、故意に円谷さんを錯誤に陥れたうえで金銭を交付させた。これはれっきとした詐欺罪です。それによって円谷さんに生じた精神的苦痛に対する慰謝料、プラス、婚約の一方的破棄による損害賠償金として金50万円を支払っていただきます」
「そ、そんなの支払う義務はない!俺は100万なんて絶対に払わんぞ!」
――‥‥。
「そうですか。それじゃあ不本意ですが、訴訟を起こすしかないですね‥‥正々堂々、裁判所で話をしましょう。‥ちなみに、訴訟を起こした場合、あなたの自宅に裁判所から通知が行くことになります。ご家族に知られてしまいますが、仕方ないですね‥」
「そんな‥‥。これは脅迫だ‥!」
――がんばれ、晝間さん!
「脅迫だなんて、心外ですね‥。これでも、僕達はなるべく匂坂さんにダメージの少ないように手続きを進めてるんですよ?例えば、認定司法書士が交渉代理を受任した場合、受任通知というものを発送するんですが、今回は匂坂さんの家庭環境を考慮して、発送していません。それで、はるばるこうして僕達が足を運んでるんです」
「受任通知‥?」
――そうだそうだ!電車代も払え!
「‥とにかく、そんなこと言われても100万円は払えない!大体、婚約をした証拠なんてどこにある。婚約指輪でもあるのか?あるわけない!」
――‥しぶとい。
「証拠ならありますよ。円谷さんがあなたとの会話を録音していたんです。‥これです」
そう言って、晝間が懐からICレコーダーを取り出した。ボタンを押す。
「―結婚しよう。妻とは別れる。‥法律上婚姻している手前、指輪は渡せないけど、約束する。婚約を破ったら、賠償金だって払うさ!マイスウィートベイビー‥!」
「そんな‥いつの間に‥」
――‥こんなの録音したっけ‥?
「た、たしかに婚約はした!でも、その後で子供が生まれたんだ‥!ひなたには悪いと思ったけど‥でも‥、一週間で100万なんて払えない‥」
「そうですか、まあこちらも借金して払えなんてことは言いません。月々可能な額で払っていただければいいですよ。今月中に50万円、残りの50万円は月々5万円の分割弁済でどうですか?」
――うっ‥、一括の方がいいんだけど。
「5万円なら、なんとか‥」
以下省略。
――いや~、晝間さん恰好よかったな‥。惚れたかも‥。
結局、匂坂は晝間の提案した条件をのみ、その場で和解契約書を作成した。
ファミレスを出て、晝間はできれば公正証書を作成するなり、裁判所で提訴前和解をするなりした方が確実だという話をしていたが、私にはよくわからない。
ただ、匂坂のあの様子なら、ちゃんと返済するだろうとのことだ。
「‥でも、あんな録音取った覚えないんだけどなぁ。晝間さんそれどこにあったの?」
晝間は得意顔で言う。
「あれは僕の発声模倣だよ。ICレコーダーから再生しているふりをして、僕が喋ってたのさ。それに釣られて、思惑通り決定的な証言を録れた」
「きゃー素敵!」
私はこれはチャンスと晝間の腕にしがみつく。
「でも、あのまま押していれば、一括で払わせることもできた気がするけど。ちょっともったいなかったかも‥」
「いや‥流石に借金をさせて返済させるのは、僕の主義に反するからね。それに、今回は相手から決定的な証言を取れたからいいけど、そうでなければ50万円とその利息・遅延損害金が請求できる限度だった」
「きゃー素敵!」
私はここぞとばかりに晝間の胸に飛び込む。
すると、むにゅっという心地よい感触が私の顔を包んだ。
――あれ‥?
むにゅ、むにゅ、むにゅ、むにゅ‥。
「おっぱいついてる!!」
私は叫んだ。
「そ、そりゃついてるよ。女なんだから‥」
「えええぇええええぇぇぇぇぇー!!!!?」
私のデスボイスが街中にこだました。
そう言われて見てみれば、確かに男にしては身体の線が丸い。
今までスーツ姿とコートを着ているところしか見ていなかったから、気付かなかったのだ。
「な、なんで男に変装してるんですか‥!?」
「‥別に変装はしてないよ」
「変装してるとしか思えないですよ‥!男物のスーツを着てるし、私服もパンツだし。カフェでもコートを脱がなかったし。一人称が僕だし」
「いいだろ、その方が好きなんだから‥。それに、男だと思われてた方が色々都合がいいんだよ」
「‥もしかしてレズなんですか?」
「ち、違うよ」
「‥胸は小さいですね、何カップですか?」
「うっ‥人が気にしてることを‥」
「‥気にしてるんだ。ちょっとコート脱いでください!」
私は嫌がる晝間のトレンチコートをむりやり脱がせる。コートも男物だ。
「さむい‥」
今日も男物のスーツを着ているが、よく見るとシャツの胸元に膨らみがある。
「な、何だよ。僕が女だろうが、円谷さんには関係ないだろ‥!」
「大ありです!私のこれからの人生を左右することです!」
「‥何だそれ。‥コート返せ!」
晝間が私の手からコートを奪い取り、急いで着る。
そういえば、さっきから晝間の声が普段より高くなっている。ちょっとハスキーな女性の声だ。
「もしかして、今までずっと声変えてたんですか‥?」
「‥‥‥」
無視された。
私はショックのあまり、へたれこむ。
「‥大げさだな」
――せっかく運命の相手を見つけたと思ったのに‥女だなんて‥。
「‥私は今日はこれで帰ります」
私は意気消沈して帰路についた。
とぼとぼと自宅のマンションへ戻り、寝室へ入ると、ベッドにうつ伏せに倒れる。小春が尻尾ふりふり近寄ってくる。
「小春、ただいまぁ‥。私、また失恋しちゃったよ‥」
枕に顔をうずめて呟く。
小春がベッドに跳び乗り、くんくんと顔を近付ける。
――私って、男見る目ないなぁ‥。女に惚れちゃうとか重症だよ‥。
うとうとと眠りにつき、目が覚めると窓の外は暗くなっていた。
「‥‥外出るのめんどい」
小春にごはんをやり、冷蔵庫を開ける。
ベーコンとほうれん草を使ってキッシュを作ることにする。
作り置きのパイ生地に炒めた具とクリームソースを入れ、オーブンで30分程焼く。その間にシャワーを浴び、白ワインをグラスに注ぐ。
――今回のお礼に、晝間さんにケーキでも作ってこうかな‥。
「そろそろ仕事みつけないとなぁ。イケメンのいるやりがいのある仕事とかないかなぁ」
ため息混じりに呟きながら、キッシュを口に運ぶ。
「‥‥うま‥おに」
翌日、報酬を支払おうと晝間のケータイに電話したところ、池袋のRDL法律事務所ではなく、夜に府中の事務所に来てくれとのことだった。
――そういえば、なんで事務所が2つあるんだろ。RDLは晝間さんが証拠偽造屋やってること知ってるのかな‥?
日が沈むと、新宿から京王線に乗り継ぎ、府中駅へ向かう。平日のこの時間は帰宅中のサラリーマンで混み合っている。
けやき並木を通り、雑居ビル地下の扉を開く。
「こんばんわー!」
声を掛ける。
「いらっしゃい」
奥から晝間の声が聞こえた。カウンター越しに覗くと、大型の複合機やら初めて見る大小とりどりな機械、分厚い書籍で埋め尽くされた本棚やらが置かれている。
すると、書類の山の頂から晝間が顔を出した。
「おまたせ。座って待ってて‥、今紅茶とケーキを出すから」
「あ、ケーキ作ってきました。自信作です!‥っていうか、晝間さん眼鏡似合いますね!今日は私服だし!素敵です!!」
私は勢いよく言う。
晝間はスラックスに薄手のニット、ジャケットを羽織っている。男物のようだが、細身のシルエットが好みなのか身体のラインは判り、この格好なら男と間違えることはない。
「あ、ありがとう‥。それじゃあ飲み物だけ入れるから」
借りてきた猫のようにソファに座っていると、晝間がカップを2つ運んできた。
「どうかした?縮こまっちゃって‥」
晝間が珈琲と紅茶を並べる。
「いや、そんな趣味はなくても、やっぱり前にすると緊張するといいますか‥。なんで女なんだよこのヤロウといいますか‥‥」
私がぶつぶつと自分の恋愛運のなさを呪っていると、晝間が突然私の頬に手を伸ばした。
「美人なんだから、笑ってるほうが可愛いよ」
‥‥‥と、私の人生を狂わせる言葉を発した。
「なんちゃってね。でも、円谷さんは黙ってれば美人だよね」
晝間がふふと笑いながら珈琲を手に取る。
「‥晝間さん」
普段とは違う調子の声に、晝間が驚いて視線を上げる。
「私と結婚してください。‥‥‥じゃなかった。‥ここで働かせてください」
という出来事があって、私は晝間さんの元で補助者として働くことになった。
勘違いして貰っては困るのだが、私は何かに目覚めたわけではない。晝間類の卑劣な欺罔(ぎもう)行為によって、錯誤に陥れられ、廉価な給与でこき使われることになってしまったのだ。匂坂などの比ではない、ぷち弁護士の風上にも置けない大悪党である。