行方不明
わたくしが生まれたのは、明治の終わりの頃でございました。時代は形すら整っていない民主主義が呪文の様に囁かれ、機械も現代に比べると単純な物ばかり、インチキな広告がその儘その時代の象徴だったのではないかと思い返す事が良くあります。少年時代に町を歩いていると、途切れ途切れに聞こえてくる不快な声があり、何事かと人だかりを覗いてみると、どうやら蓄音機の様でしたが、人々はラヂオだラヂオだと言っておりました。彼らの後ろを当時屁こき車と揶揄された自動車が走って行くのを見る方が、幼少だったわたくしは楽しく感じたものです。
思春期を過ぎ、わたくしは何とか仕事口を見つけて、忙しさに身を任せておりました。わたくしは高等小学校を卒業してすぐに、商社の雑用につけたので、運が良かったのだろうと思います。そこで、雑用をしながら少しずつ事務仕事等を教えて頂いていたのです。
今でも解決されない事件が少なくありませんが、当時は発覚すらしない事件が相当数あったと思います。今よりも治安に対する意識が低いために、それが事件だと人々は認識する事が出来なかったのです。人が物や事を認識する、理解すると言う事は案外高度な脳神経の作用で、理解を超えた物があると、目に見えていても人々は無反応を気取るのです。とすれば、幽霊と呼ばれる者があなたの隣にいて、それをあなたが認識できていないだけの話かもしれません。それが概念となれば尚更に認識が難しくなるのです。女性に対する性的なアプローチが当然な時代に、セクハラや痴漢が犯罪として取りざたされたでしょうか、生活が大変な時代に子供の教育をきちんとしていないからと言って、児童虐待とされたでしょうか、行方不明になった人が殺されたと、誰が確証を持って言えるのでしょうか。
行方不明について言及すれば、当時戸籍は曖昧で人付き合いも今よりあるように見えるかもしれませんが、ふと居なくなる様な人も多かったため、人一人が居なくなって騒ぎに為ると言うことは滅多にありませんでした。新天地を求めて、旅に出る人も多かったのです。騒がれるとすれば、その人は騒いでくれる人のいる幸運な人だったのでしょう。親族だったりとか、土地に根差した権力者と言ったところでしょうか。
今の時代、探偵小説の流行りか何かで、完全犯罪に関する議論がなされる事があります。しかし、何れも創作物に於ける人情劇と申しましょうか、犯罪美学と申しましょうか、そういった現実の犯罪には関わりのないお話に傾きがちで、娯楽として空論を机で弄んでいる以上の内容に為る事は滅多にございません。美学だなんだと言っても、所詮は犯罪ですから、完全な犯罪はお話に出来るような先進性、伝統、面白さを全く持ち合わせていない、実に地味なものなのだとわたくしは考えております。つまり、人間の認識の間隙にこそ、完全犯罪は潜んでいるのでございます。
簡単なんです。死体を出さなければ、非難されることはない。
わたくしが勤めていたとある商社の、とある従業員が蒸発しました。その従業員はわたくしの上役で、雑用のわたくしに仕事を教え、ちゃんと出来るまで見てくれた人物でしたが、彼自身の仕事ぶりはと言えば失敗ばかりの繰り返し、情も血も涙もない言い方の様ではありますが、愚鈍な生物でした。木っ端社員とはいっても商社の歯車の一つである以上、会社は蒸発した彼を探さない訳には行きません。彼は身よりのない人でしたし、警察が毎日のように訪ねてくる期間もありました。しかし、彼は見つかりませんでした。結局、仕事に疲れた彼が逃げ出して、田舎にでも引っ込んだのではないかという、推測の域を出ない結論を以てその話はたち消えました。
行方不明というのなら、心当たりはありました。その頃の彼の失敗は目に余り、厚顔無恥な彼も流石に意気消沈して居る様であったのです。かといって、殺人だとしても心当たりが無い訳ではありませんでした。彼の失敗の責任を肩代わりして辞めざるを得なくなった社員も少なからず居た為です。それでなくても、それほど治安が良かった訳ではないので、強盗ついでに殺された可能性も否定できません。仮に殺されたのだとすれば死体は出ていないと言うことになりますから、山でイノシシの餌になっているか、海で魚の餌になっていることでしょう。そして、彼を食したイノシシか魚が、我々の食卓に並ぶこともあるかもしれません。
ある日の晩、彼がわたくしの夢枕に立ちました。彼はわたくしが入社した当時からの先輩だったので、少なからず世話にはなったのですが、彼の仕事ぶりを追い越すのはそう難しいことではありませんでした。しかし、それでも先輩風を吹かせ続けていたので、わたくしのことが心配で出てきたのかもしれません。わたくしは、幽霊というのを信じる性質でしたので、彼はもう既に死んでしまったのだと確信しました。何かの事件に巻き込まれたのか、山か海に隠されたか、彼の死体が出ることがないとも予想できました。わたくしは俄かに悲しくなり、僅かな焼き魚をつついて、晩酌の残りを一口含むと、もう一度床に就きました。
一体の人間があって、その人間がどこの誰なのかを知るためには、名前を知り、身分や職業を知り、住所を知る必要があります。何れか一つでも知る事が出来れば、芋蔓式に知る事が出来るかもしれません。できることなら、親族か知人による身元の確認も必要です。勿論、その人間が喋ることが出来れば何の問題もありませんが、例えばそれが死体で、何も身に着けておらず、身よりもなく、有名人でもない場合、どこの誰かわからない者を捜査することは難しく、死体は発見の一週間後に火葬されます。
人一人が身分を証明すると言うことは、それ程に難しいことなのです。どこの誰かわからないまま死にたくないのであれば、歯科医で歯形をとり、前科を犯して指紋を採取され、広く人脈を作り、身分証明書を体内に埋め込むことをお勧めします。
その晩も、彼はわたくしの枕元にたち、何かをわたくしに訴えかけるようでございました。会社は失踪した彼に関する全てを直接の部下であったわたくしに押しつけていました。わたくしが身元不明者の照会に協力すれば、あるいは彼が見つかるのかもしれません。しかし、わたくしにも日々の仕事があり、うまい具合に時間が作ることが出来ずにいました。彼の恨めしげな表情はそれに起因するものと思い、わたくしは何とか時間を捻出し、警察で彼に関する何かが発見されていないか、確かめました。
彼は仕事はできないくせにいつもスーツ姿でいて、他の種類の洋服を身につけているのを見たことがなかったため、それを頼りに探しました。あるいは、悪趣味な黄金の腕時計。しかし、それらしい物は見あたりません。多くの遺留品は、僅かの小銭や、作業着や服とはいえないようなぼろばかりで、彼に繋がりそうな物はまるでございませんでした。わたくしは仕方なく諦め、家路に就きました。明日もまた仕事があります。
それから十年が経ち、わたくしもそれなりに責任のある立場になり、妻を娶り、娘を二人授かりました。
その日も彼は私の枕元でうなだれていました。彼は生きていた頃と同じく、何をするわけでもなく唯わたくしの枕元にたち続けているのです。引っ越しても妻や娘と一緒に眠っても同じでした。幸いわたくし以外の人間には彼が見えないようなので、放って置きました。一体彼は何が目的でわたくしの前に現れ続けているのか、わたくしには理解ができませんでした。
先日、孫が曾孫の顔を見せにやってきました。わたくしは将来の希望に満ちた赤子の顔を見ると、とても幸せな気持ちになります。子宝に恵まれ、今回までは大きな病気もせずに生きてこれたことを、真っ白な病室でお天道様に感謝し続けています。
昨夜も、彼はわたくしを見つめて阿呆のように突っ立っておりました。彼がわたくしに何を期待しているのか、未だにわかってやることができず、そればかりが気がかりでなりません。
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先日検査入院した折りに、ガンの治療のためにいるという年老いた男性から聞き取った話を書き起こした。十分な準備をせずに話を聞いたため、記憶便りになっていること、文字に起こす上で整合性が著しく欠如すると思われる点を改変したこと、実在の個人や企業名は伏せたことを断っておく。