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「ハガミ。貴様、ひょっとして任務をナメているな?」
「なっ、何言ってんすか先輩っ!!」
羽守九門(はがみ くもん)はテーブルにカップ麺の容器を叩きつけ、口からはみ出していたとんこつラーメンの汁を跳ね飛ばしながら麺を啜り上げた。その目はきっと直属の上司でもあり子供の頃からの姉貴分でもある凪原纏目(なぎはら まとめ)を見据えている。
「俺はただ、先輩の話をよく聞こうと思って、腹をくちくしているだけです!!」
「ブリーフィング中だぞ……?」
「そんなこと関係ないっす。科学的にも実証されてるんすよ、モノ喰ってる時はアセチルコリンだかなんかが出て、記憶力が増すって。テレビで言ってました」
「その話は私も知っている。私が言いたいのは、栄えある第六聖餐部隊のメンバーとして、新たな任務に務めようというこの瞬間にメシを喰うことのマナー上の問題だ」
「マナーなんてくそっくらえっすよ! 上の人間は何もわかっちゃ、」
凪原が、ひょうたんのようにくびれた腰に巻かれたガンベルトから一丁のハンドガンを抜き取って羽守の顎の下に据えた。
「で?」
「…………あの」
「いいぞ。続きを言ってみろ。上の人間はなんだって?」
「えっと……ぼ、僕の上司の凪原副隊長はスゲーいい人です……いつも部下のこと考えててくれてて……タイムカードとか押し忘れてるとやっといてくれるし……」
「それで?」
「び、美人です……髪はサイドテールに結んでて、真っ黒で、なんか高級墨汁を思わせます」撃鉄が上がった。「ひっ! あ、あの顔は文句なしで……ちょっと童顔ですけど、AKBとかにいそうな感じっす。坊主になっても可愛いな的な意味で……」
「上司は私だけか? お前はどこに所属している人間だ? 羽守隊士」
「じ、自分は神が定めた法理に背くモノを直接的手段を持って狩る非民間営利組織『ジェノサイドカーテン』の人間であります」
「声が小さいっ!!」
「は、はいっ!! 自分はァ、神が定めたァ、法理をォ、守るゥ、人間であります!! 所属は第六聖餐部隊の五番手でありますゥ!!」
「その通りだ。よく言ったぞ、うじ虫め」
「言いすぎっすよ。『パワハラ、駄目絶対』って標語が廊下に張り出されてるの知らないんすか? 断固として闘うっすよ俺。先輩っ、俺っ、権力には絶対屈服しな、」
ダァン
凪原が撃った。羽守は脳内物質をオーバーブーストさせてギリギリで弾丸を避けたが、天井には大穴が開いた。上の階の食堂が大騒ぎになっているが凪原は気にせず、羽守の胸をブーツで蹴りつけて床に縫い付けると、今度こそかわせない距離で拳銃をつきつけた。羽守はマジマジとその拳銃を、ちょっと泣きを入れながら見つめる機会を得た。
普通の拳銃ではない。
それは、神が定めた法理に背く異端者を狩るための神式兵器。
黒々と輝くその銃身は祝福された聖水によって清められたエーテリオン合金製。グリップは失楽園時代からの遺物である古樹を転用したもの。指によって隠される部分を除いて、すべてにイバラの彫刻が施されたその拳銃は、見るものを魅了し狙われるものを恐怖に落とす。そして、そのマガジンに込められしものは弾丸にあらず。
その銃は、神が零した稲妻を、砕けた大地からかき集めて、弾丸と為している。
つまり、今、天井に大穴を開けたのは鋼鉄の弾丸ではなく本物の稲妻。
神式兵装第十七番機『エレボス』。
絶対に、人には向けちゃいけないブツである。
上の食堂からの野次馬が急増していく中、第六聖餐部隊副隊長(にばんて)、凪原纏目はライオンもチビりだす恐怖の眼差しで部下を見下ろした。
「で、羽守くん。のんびりカップラーメンを食べながら君は私のブリーフィングを聞いていたわけだが、さぞかし一言一句、とんこつラーメンと共に噛み締めてくれたんだろうな? ん? 言ってみろ。一言違わず言ってみろ」
羽守は手を伸ばして、上階からこちらを見下ろしている第二特攻部隊の吉岡と、第七遊撃部隊の跡部に助けを求めたが、二人とも無言で十字を切ってきた。ずいぶん安い祈りもあったものだ。
「羽守?」
ぐりっと。
凪原がブーツのかかとで羽守の肋骨を踏みにじる。
「あうっ! ……す、すんません、覚えてないです……」
「…………」
「新作なんすよこのカップ麺!」羽守は一世一代の切り返しに打って出た。言わねばやられる。
「こ、今月だけの限定のやつで! マジにその道でメシ食ってきた大将がメーカーと手ぇ組んで作ったカップ麺なんすよ! 五百円っすよ五百円!? これ喰わなきゃ独身男の名折れっすよ!! どうしても、俺、どうしてもこの任務を成功させたいから景気づけにと思っ」
「内容も覚えてない任務にか?」
「…………………」
ケツにつららを突っ込まれてもここまで汗はかくまい。窮地であった。
「じゃあもう一度教えてやろう。私は優しいからな? いいか羽守、今回の貴様の殲滅対象(ターゲット)は、アンデッド一体。貴様はそこの家にアルバイトとして潜入し、隙を見てそのアンデッドを撃滅しろ」
「い、一体すか?」ていうか、アルバイト?
「ああ、一体だ。場所は火縁(ひべり)町。魔法汚染レベルは低くないぞ。三年前はEランクだったが、今年に入ってからBランクにまで上昇している」
通常、Eランクの殲滅は新人の担当だが、後手後手に回ると神に背きしものの及ぼした影響――魔法の汚染レベルが上がっていってしまう。Bランクは、各部隊の副隊長クラスが担当するレベルだ。
魔法は、感染する。
たとえ局地範囲であっても、神理崩壊(パンデミック)が起こる前にカタをつける必要がある。
「俺一人で……?」
「ああ。だが、同じ火縁町で私が担当しているCランクの事件がある。常駐しているから、困った時には頼ってこい」
「じゃあ足どけてください」
ぐりっ。
「あだだだだだだだっ!!」
「貴様はまったく反省していないようだな。……だが、ムカつくことに腕だけは立つ。貴様の『プロメテウス』の力は本物だ。そこらの副隊長では歯が立たんだろう」
「先輩のブーツにも歯が立たないっす」
「貴様なら、無事見事、この一件を落着させることができると期待している。明日から潜入任務に入れ。頼んだぞ」
ようやっと凪原は足を上げた。羽守は制服の胸元から中を覗きこんだ。肌が青黒くなっている。六番手の新倉に見せて自慢しよう。
「返事は!!」
「了解であります!! 羽守九門、神に仇なすフトドキ者を完膚なきまでブッ殺してくるであります!!」
「うむ。ちょっと啖呵の切り方がおかしい気もするが……まァいい。これが、ターゲットの写真だ」
ひらり、と凪原がへたり込んだままの羽守のまたぐらに一葉の写真を放り投げた。雪のようにたゆたうそれをパシリと掴んだ羽守は、しげしげとその写真に見入った。
昼下がりの、どこかの庭で撮られた写真らしかった。質素だが豊かな緑に囲まれて、紫色のワンピースを着た少女が、振り返ろうとしているところだった。顔は、浮かない。だが何よりも目立つのはその髪の色。真っ白な髪は、神理に背くもの特有の兆候だ。普通の老化で見られる白髪化よりも、白く、美しい。そして、サファイアのような青い目。白人のそれよりも瑞々しく、そして妖しい。
その少女は、アンデッド化の初期症状をモロに呈していた。
あぐらをかいた羽守は、背後を振り返った。凪原の姿は、もう無い。
立ち上がり、上に向かって声をかける。神妙な、顔で。
「吉岡」
「なんだ」吉岡はまだ穴を覗き込みながらメシを喰っていた。
羽守は、ぴっと写真を指で振って見せた。
「いくらで買う? 超かわいいぞ、このゾンビ」
「お前それ任務で使うやつだろ……」
二千円で売れた。