出勤すると同時に俺の視界に入ったのは、血塗れた剣を持って仁王立ちする男と、その剣で斬りつけられたと思わしきクルーのインプさんが力なく横たわっている姿だった。インプさんを庇う様に古浪さんが立ち、毅然とした態度でその男に向きあっている。お客様はおらず、他のクルーは心配そうに遠巻きに見つめるのみで、男の怒号だけが響いていた。
「魔物を斬って何が悪い!?」
男はそう叫び、「女、そこをどけ!」と古浪さん切っ先を向けた。
その時の俺には考えなどなかった。男の背中に向けてタックルをかました原動力は、勇気というよりも発作に近く、ローソンのオーナーとしての職務よりも、人間としての使命感が優先した。
大きく身体を翻し、俺の両腕から脱出しようとするその男に必死にしがみついた。聞き取れない程の罵声が鼓膜を揺さぶっていたが、俺はそれに負けないようにと大きく「誰か! 誰か!」と連呼した。すると途端に男は大人しくなり、一段階声の音量を下げて言った。
「いいから離れろ! 人間に危害を加えるつもりはない!」
俺は顔をあげ、男の表情を確認した。怒ってはいるものの、かろうじて狂ってはいない。少しずつ腕の力を抜き、やがて突き放すように距離をとる。
改めて男を見れば背中には盾を背負って、その下にはマントを着ている。少しだぶついた民族衣装のような物を着ていて、靴の先は妙に尖っていた。珍妙な格好ではあるが顔は日本人であり、言語も流暢な日本語だった。
男は腰から下げた鞘に剣を仕舞い、私に向き直って姿勢を正すと、こう自己紹介した。
「俺は勇者マサト。ここに魔物に協力して、魔物向けの店屋を営んでいる人間がいると聞いて説得しにきた。このローソンとやらの店主をしているのは貴様だな?」
やや単語選びに突っ込みどころがあるものの、概ねは間違っていない。しかし今はそんな事よりも、血を流して倒れるインプさんに駆け寄り、声をかけた。どうにか意識はあり、呼吸もしているようで、虚ろな目で俺の顔を見る。横から古浪さんが「既に魔界救急を呼びました。もうすぐ到着するはずです」と言った。
「おい、貴様、答えろ」
勇者だか愚者だか良く分からない男が詰め寄ってきたので、私はインプさんを気にかけながらも答える。
「そうだ、俺がローソン魔界九丁目店の店長春日だ。これはお前がやったんだな?」
「そんな事、今はどうでもいい」
「どうでも良い訳あるか! こっちはクルーが1人死にかけてるんだ!」
「クルー? やはり貴様、魔物に協力する裏切り者か!?」
「何だと!? お前の味方になった覚えは無い!」
「勇者の味方でなければ人類の敵だ!」
「2人共、落ち着いてください!」
古浪さんが俺と自称勇者の間に割りこむ。
「話はバックルームでしましょう」
やがて魔界救急(魔界の医療機関のような物で、魔物専門で治療を行っている)が到着し、インプさんは運ばれていった。
「勇者として、当然の事をしたまでだ」
バックルームには、俺と古浪さん。それとこの自称勇者。先ほどよりはいくらか落ち着いてはいるものの、未だに男は剣を抜きかねないし、俺も拳を出しかねない程度には緊張している。
「しかしですね、マサトさん」と、古浪さん。
「勇者マサトと呼べ」と、勇者マサト。
「……勇者マサトさん。先ほどあなたが斬られたインプは、我々と契約を結んだアルバイト店員です。我々には彼の安全を保障し、一定の雇用環境を守る義務があり……」
「それは地上での話だ。魔界はあくまで弱肉強食。強者が弱者を殺害する事には何ら法的規制はない」
その言葉を聞いて、面接の際にスライムのスベス君がデーモンに食われた思い出が蘇る。
「ですが、ローソンの従業員及び経営者の身の安全は、出店の際に魔界の統治者である魔王様より保障されいます。よって、あなたのした行為は魔王様への反逆であり……」
古浪さんの言葉を遮って、勇者マサトは堂々と言い放つ。
「俺はその魔王を倒す為に旅している。反逆なんて今更当たり前の事だ」
どうにか怒りを咀嚼した俺は、この何だか良く分からない勇者に尋ねてみる。
「そもそもあんたがさっきから言ってる勇者ってのは何なんだ? 仕事なのか? 趣味なのか?」
「勇者とは世界を救う使命を持った者の事だ」
「世界を救うってのはローソンのアルバイトをぶった斬る事なのか?」
俺の挑発に応じてか、勇者も声をやや荒げる。
「あの恐ろしい魔者達を見て貴様は何とも思わないのか!?」
「人間にだって恐ろしい奴はいるさ、魔物にだって良い奴はいる」
「そういう事を言ってるんじゃない。魔物達は日々力をつけ、人間界の征服を狙っているんだぞ!」
征服? と、俺はここに来て初めての発想に首を傾げる。
「魔王はこの魔界で魔物達を増やし、侵略の準備をしている。俺はその野望を打ち砕く為に立ち上がったのだ」
いや、確かに、もしもこの男の言っている事に嘘がないとするならば、これは少しばかり困った状況になる。魔物に仕事を提供し、給料を与え、生活の利便性を我々が向上させている事は紛れも無い事実であり、今まで俺はそれを当たり前のように感じていたが、人間界の侵略となれば雲行きは怪しくなってくる。
黙っている俺に畳み掛けるように勇者は言う。
「悪い事は言わん。今すぐに撤退して地上に帰れ。俺は人間には危害を加えるつもりはない。ただ、貴様らがこれからも魔物の味方をし続けるというのなら、話は別だ」
自信たっぷり、高圧的に迫る勇者に、俺のローソンオーナーとしての経営理念も揺らいで来た。そもそも魔界で人間が商売をする事自体、荒唐無稽な試みであるような気までしてくる。
「あなたの要求には応じられません」
そんな俺とは対照的に、古浪さんは毅然と言い放つ。
「我々はこの土地の所有者である魔王様に許可を頂き、ローソンの社長である古浪社長にライセンスを取ってここでローソンを経営しています。部外者であるあなたに店の経営についてとやかく言われる筋合いはありません」
こんなにも古浪さんを頼もしいと思った事は無い。俺もそれに便乗しようかと思ったが、勇者マサトはなおも噛み付く。
「貴様ら、魔物に殺されてもいいのか? 例え今は平和にやっていようと、相手は魔物だぞ。いつ喰われるか分かった物ではない」
「私もオーナーも、それは覚悟の上です」
えっ。
「……貴様ら、あくまでも魔物の味方をするというんだな?」
「魔物が人類の敵であるというのはあなたの勝手な解釈です。まず証拠もありません。我々ローソングループは、人間と魔物の共存の可能性を見つける事を目標にこの店をオープンしました。あなたに勇者としての使命があるように、我々には商人としての使命があります」
「ちっ、もういい、話にならん」
勇者は勢い良く立ち上がると、「どうなっても知らんからな!」と捨て台詞を吐いて去っていった。俺はローソンのオーナーとして「またのお越しをお待ちしております」と声をかけたが、まあ本心であるはずがない。
嵐が去った後のバックルームにて、俺は勇者が言っていた事を思い出していた。常識的に考えてみると、確かに魔物というのは大抵は人間の敵だ。今まではあまりにもそれが普通で、というより初めてのローソン経営に目が行き過ぎていて「襲われたらどうするのか」といった根本的な事について真剣に悩む暇などなかった。
俺にはやはり、まだ覚悟が足らないのだろうか。
「……もしあの勇者の言う通り、魔者達の地上侵略が始まった時はどうしますか?」
尋ねてみると、古浪さんはあっさりと答えた。
「その時は人として戦うしか無いでしょうね。しかし今はまだその時ではありません」
その表情は俺よりも少しは何かを知ってそうでもある。しかし改めて問い詰める勇気は俺にはない。
とりあえず、斬られたインプさんの無事は搬送された魔界病院にて確認された。インプさん自身とも魔界通信で話したが、俺や古浪さんは悪くないと言ってくれたし、クルーをやめるつもりもないとの事だ。魔物として、勇者から斬られる事は名誉の負傷であり、完治次第シフトに復活し、お金を貯めて対勇者用の新しい武器を買うと息巻いていた。
近頃の勇者はクレーマーと見分けがつかない、とぽつり呟いた言葉が印象的だった。