トップに戻る

まとめて読む

単ページ   最大化   

 ●序章
 
 目を覚ますと同時、身体のあちこちに軋むような痛みが走った。まるで骨と骨がこすれるような感触のある痛みだ。それは手足や指先だけでなく腰や首などにも走り、まるで全身を長いこと動かしていなかったようにも思えてしまう。
 休日をまるまる睡眠に消費してしまった時と同じだと思いつつ、上半身を起こす。
「あいたたた」
 背骨がパキパキと音を立てた。カルシウム不足なのだろうかと昨日の献立を思い出しながら、まだ眠気の残るまぶたをこすった。
「あれ…………?」
 そういえば、昨日の献立どころかいつ眠ったのかという記憶すら曖昧だ。20代にすら到達していないのに、老化現象の片鱗とは思いたくない。
 いや、この視界に映る景色を見ればむしろ、老化現象だと思いたくなる。
「なんなんだってば、これ……」
 今まで自分が眠っていた場所は自分の部屋のベッドの上だと思っていたが、そうではない。見渡す限り、真っ白の地平線。傾斜はなく、ただひたすら平行な地面が続く。草木は無く、他に見えるものは左右の、これもまた真っ白な壁だ。壁には規則正しい長さごとに凹みが見える。恐らく、横道だ。
「これ、まるで京都の碁盤の町並みのようなアレみたいだね……」
 実際にそれと違う点があるとすれば、景色の華やかさだろうか。
 この真っ白な碁盤の風景に、ただ一人ぽつんと佇んでいるという事態が、徐々に不安を募らせていく。
「ゆ、夢!これは夢だよね!」
 そうだそうに違いないと自分を言い聞かせるように叫んだ。しかし、その声はあちこちに反射して、不気味な残響を跳ね返らせた。
(現実味のある反響だなおい……)
 口に出すとまた、気味の悪い反射が返って来そうなので心に留める。しかし、悪い夢はなかなか覚めないものだ。
 明晰夢、という言葉を思い出す。自分の夢の中で、これは夢だと認識していられる夢だとかテレビ番組でタレントが言っていた。明晰夢を見た経験はなかったが、取り敢えず今は明晰夢だと思いたい。
 そうでなければ、とんでもない夢遊病だと思っておこう。
(夢遊病だとしても、こんなトコ日本のどこにあるんだよ)
 痛む膝を気にしつつ、辺りを見回してみる。
(いや、見覚えはあるような気がするんだ。京都以外に。何だったろう)
 明晰夢について意気揚々と語るタレントの出っ歯の形まで明確に思い出せるのに、肝心な情報だけはなかなか思い出せない。
 硬い地面に寝ていた割には、背中は痛くない。寝返りでも上手にうっていたのだろうか。
寝相の悪さには我ながら天才的であると思う。足下に枕がくる日もあれば、コのじになって頭だけベッドの下に潜り込んでいたことさえある。身体の痛みはその時の目覚めと同じような気もする。
(悪夢なら、この壁が迫ってきてぺしゃんこにされる展開だなぁ)
 ぱんぱん、と壁を叩くが、動き出す気配はない。コンクリートの壁を叩いたような感触がやたら現実味を増しただけだ。
「うっ」
 思わず口を開いてしまったのは、叩いた音が予想外に大きく響いたせいもあるが、壁に浮かび上がる影が自分のものだけではないことに気付いたからだ。
 とたん、心臓の鼓動が早くなる。確かにこれは悪い夢なのだろう。しかしそれにしてはやたら現実味がある。音の反響であったり、壁の感触であったり。
(いや、夢だとしても怖いものは怖いなぁ)
 後ろに立つのがファンタジー感あふれるドラゴンだろうが子犬だろうが、人影であろうが怖いことに変わりはない。
(そう言っている間に額の脂汗がリアル過ぎる!)
 目覚めたあとに夢を覚え続けるような事があった試しはないが、ここまで細かな夢を見れるものなのだろうか。
 救いなのは、それが人の形をしているであろうという事。そしてこれは夢。
「ならば先手必勝だぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 振り向くと同時、拳を振りかぶった。



 ○一章

 バキ!ともの凄い音がした。音の発生源は僕の腰からだ。準備運動を怠らずに殴りかかるべきだったと今更ながら後悔した。殴りかかるのに必要な準備運動ってなんだろう。ヒンズースクワットでもしたらいいのかな。
 腰の痛みにうずくまっていると、声が降りかかってきた。女の子の声だ。けっこう可愛い声。恵みの雨のように耳朶に心地よく響いていく。実際にそのお顔を見てみるまでは酸性雨かもしれない怖さもあるけど。
「あの、大丈夫……ですか?」
 首だけは上を向ける。やっぱり首もボキボキ音を立ててくれやがる。昨日は牛乳1リットルは飲んだと思うのに。
「うん、大丈夫大丈夫!」
 良かった、恵みの雨を降らせたのはやはり女神だね。結構可愛らしいほうだ。歳は高校生くらいだろうか。若干今時のギャルっぽいメイクもしているが、学校で咎められない程度に抑えているのか苦にはならない。
 どうやら僕が襲いかかりそうになってしまったのは女の子で、それも可愛い――これは重要なファクターだ――、出会いとしては感動的ではないものの、マイナスではないはずだ。多分。
 心配している様子を見せながらも、うずくまった僕に手を差し出そうとしないのはこの異質な状況下で警戒しているためだろう。単に僕が気持ち悪いとかではない。
 仕方ない、やはり腰や首と同じく関節をバキボキ言わせながら立ち上がる。食生活を見直そうかと思いつつ、指の骨を鳴らすあれをしてみたい欲求に駆られる。あれ出来たことないんだよなぁ。
 しかし彼女の警戒を増すだけなので自重しよう。
「えーっと、君は誰かな?」
 この、ひたすらに真っ白な空間に人っ子一人でいたのだ。いつもならすれ違うだけの他人であっても、今だけは現代人らしさにそっぽを向くべきだ。
「私は、都築(つづき)………薫です」
 可愛らしい名前だ。実に似合っている、とまで言う勇気は流石に振り絞れなかった。
「僕は新島香介。それで、この状況について何か知ってるかな?」
 薫ちゃんはふるふると首を振った。さらさらと長い髪がその動きに連れて揺れる。答えは残念だったが、可愛いので許そう。

 その後、色々と情報交換をしてみた。とは言っても目覚めたばかりで解ったことなんていくつもないけれど。
 ひとつめ。これはどうやら悪い夢ではないらしい。試しに薫ちゃんに手を抓ってもらったが痛いばかりでこれ以上目覚めはしない。別の世界に目覚めそうにはなったけれど。
 ふたつめ。身につけているのは互いに寝巻き、というより最後に記憶が途切れる前の自分の格好であること。季節が夏だったら僕は変質者になっていたところだ。寝巻きの他にはケータイや財布もない。
 みっつめ。僕たちは互いに知らない者同士であること。

「僕は愛媛のほうだけど、都築さんは三重のほうなんだよね……?」
「はい。引っ越したこともないです」
 仮にこれが誰かのドッキリ、或いは悪意の形なのだとしても僕たちに共通点はない。そもそもドッキリを仕掛けてきそうな友達がいない。親兄弟もそんな事に労力は掛けたりしないだろうし。
「それにしてもこの空間についてはホント謎だね……そう、まるでボンバァマンみたいな壁もあるし」
「あぁそれ!私も思ってました」
 吐き捨てるような呟きだったが、意外と同意してくれて嬉しい。調子に乗って言葉を続ける。
「……よくあるバトルロワイヤルものだったらさ、僕たちこれから爆弾持って殺し合いさせられる展開じゃないかな」
 言ってからしまったとは思った。殺し合い、だなんて女の子の前で言うべき言葉ではないんじゃないか。ただでさえ洒落になっていない。これだから僕は魔法使いだなんて言われるんだ。ちくしょう。
2, 1

  

 案の定、薫ちゃんは身体を強ばらせ、僕へ向ける視線を一層強めた。それでも睨みつけたりしてこないのは単純に僕が怖いか、僕を刺激して逆上させないためなのか。
 どちらにせよ、空気がよろしくない。
 そうだ、名乗ったりしたからって出会って数分の年上の男をそう簡単に安全と考えられるわけがない。それがこんな異常自体であっても、普段の生活であってもだ。
 仮によくあるそういった『バトルロワイヤルもの』のような状況であったとして、僕の持ち物に武器はない。着の身着のまま、深夜コンビニにふらふらっと行くような格好なのだ。
「えぇぇ…………っと」
「あ、はい…………」
 薫ちゃんは目は僕から逸らさず、けれど爪先はじりじりとあさっての方向を向きかけている。
 僕としてはまず、この女の子はこの状況を作った『犯人』ではないと思っている。だから逃げられては困る。めちゃくちゃ寂しくなるじゃないか。
 どうすれば僕は怪しいもの、危害を加えそうではないかを証明する事が出来るだろうか。いや、無理だろ。あぁ今にも薫ちゃん逃げ出しそうだ。
 む?逃げる?
「か、……都築さん。僕、しばらく目をつぶってるよ」
「は、はい……」
「耳も塞いで、うつ伏せになってる。僕が信用できないのなら、その間に走って逃げて欲しい」
 かなり不格好であるが、言葉通り、うつ伏せになって耳を塞いで目を閉じた。僕が彼女の立場であればこの隙に走って逃げられる。足音も聞こえないから、方向も、どこで角を曲がったとかも僕には解らない。誰かを襲う事は出来なくなる。
 これが僕の精一杯の、犯人ではないという証明。くっそダサい。
 

 5分くらいたっただろうか。あまりにも無音だ。これが手の込んだドッキリならば、今頃仕掛け人の想像以上の間抜けな絵が取れているだろう。
 目を開くと、やはり白い景色はそのままで、その眩しさに目がくらむ。ずっと瞼を閉じていたためだ。
 起き上がって、振り向く。
「こんにちは」
「こんにちは、新島さん」
 薫ちゃんは、十歩ほど先に進んだところにいた。ひょっとしたら、僕が騙そうとしてうつ伏せからすぐに起き上がる、なんて事をしようとしたら、すかさず飛び蹴りをお見舞いしよう!とでも考えてクラウチングスタートの姿勢を取っているのだろうか。
 もしこの光景を第三者が見ていたら、シュールなものだったろう。ある意味この空間よりカオスだ。
「新島さん、とりあえず私たち二人は『遭難』仲間として行動しましょう」
「そうだね。それに他にも同じような人がいるかもしれないし」
  そもそもなぜこんなところで目覚めたのか。誰かの手によるものでなければ、まさか僕に秘められた超能力が開花したわけでもまさかあるまい。
 と、考えていた思考をかき混ぜるかのように、
「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
 かん高い悲鳴が聞こえてきた。
3

かの 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

トップに戻る