4.人間競馬
休日になると百合子は「どこかへ行こう」と連呼して藤吉を連れ回そうとする。もはや恒例の行事ではあったが、いつまで経っても藤吉はいい気持ちにはなれなかった。
今回は、ある日のそんなお話し。
この日も藤吉は百合子に引っ張りだされ、休日の人の多い繁華街を歩かされていた。何をするわけでもない、いわゆる「ウィンドウショッピング」に付き合わされるのは藤吉には苦痛で仕方がない。
「百合子さん……僕もう疲れた帰りたい」
「おや? あそこにおもちゃ屋があるなぁ」
「行ってくる!」
もちろん百合子も藤吉の性格をわかっていたし、連れ回すだけでは申し訳ないとも思っている。なので飽き始めたタイミングでおもちゃ屋の前に移動する、一種の『飴』をくれてやるのだ。
小さなおもちゃ屋には見たことも聞いたこともないボードゲームがあったり、大量のトランプや花札などのカード類が投げ売りされている。藤吉は使う使わないは別にして、それらを買い込むことが大好きなのだ。
ところが百合子には理解できない藤吉の趣味なので、少しもしないうちに彼女は飽きてしまう。
「藤吉くん……もうそろそろ出ないかい?」
「んー、あともうちょっと」
「私の記憶が確かなら、その言葉はもう3回は聞いているのだが……しょうがないな、待つことにしよう」
そんなやり取りが交わされつつ、お互いがそれなりに満足したところで二人は喫茶店に入った。そこはスクランブル交差点の角にある喫茶店で、窓からは交差点の様子がよく見える。
やはり休日ということもあり、店内はカップルだらけ。百合子は気にしていないようだが藤吉には少し居心地が悪い。
「ささ、藤吉くん、何でも注文したまえ。私は給料が入ったばかりでサイフは潤っているぞ。まるで砂漠のオアシスのようだ」
「それが蜃気楼じゃなかったらいいね。自分のは自分で払うから……じゃ、コーヒーで」
「なら私はホットココアと、チョコレートパフェにしよう」
百合子は手を上げてウェイトレスを呼んだ。おそらく大学生のアルバイトだろう、気だるげな様子でのっそりと2人のテーブルにやって来る。
(この子、胸大きいなー)
「どこを見ているんだ藤吉くん。コーヒーとホットココア、あとはチョコレートパフェ」
「はい、かしこまりました―」
「ああ、ちょっと待ってくれ」
ウェイトレスが厨房に戻ろうとしたとき、百合子は呼び止めた。
「ホットココアは食後に持ってきてくれ」
「はい、かしこまりました―」
ウェイトレスが厨房の中へ消えたあと、百合子はギロリと藤吉を睨んだ。
「破廉恥なヤツめ。注文のときは胸、戻っていくときは尻を凝視するだなんて最低だな」
「いやこれはぎゃんぶらー的な観察眼と言いますか」
「私のことは少しも見てくれないのに。いくらでも見ていいんだぞ?」
「百合子さんは恥じらいがないからなぁ」
しばらくするとコーヒーがやってきた。藤吉はブラックのままで口をつける。そこからまもなくチョコレートパフェも届いた。
「休みの日、君の前で食べるチョコレートパフェはなんと至福なことか」
「じゃあ僕の写真があれば常に至福なのかな」
「意地悪なことを言うんじゃない」
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「そう言えば藤吉くん、水族館がオープンする話を知っているかい?」
チョコレートパフェがほとんどなくなり、ホットココアも届いてそれを啜りながら、百合子は思い出したように言った。
「水族館……知らないなぁ」
「私もそれほど詳しいわけでもないが、ここから電車で一時間ほどかかるところにとても大きな水族館ができるらしい。イルカやアシカのショーもあるし、触れ合いコーナーもあるんだ。なんと釣り堀もあるらしいぞ。それにクラゲのコーナーも充実しているそうだ。私は小さなクラゲが大好きでね。忘れてはいけないのはマンボウ。ぜひ正面から見てみたいものだな。行ってみたいと思わないかい?」
「だいぶ詳しいじゃん……うーん、一時間かぁ」
「否、私が行きたいのだ」
あ、これはダメな感じだ。藤吉は悟った。このままでは無理矢理にでも連行されてしまう、いつもの流れだ。
だが、ここで百合子は思いもよらないことを言った。
「しかし、だ。いつもいつも私が連れ回すというのは申し訳ない。そう思いながらも、私は水族館へ行きたい」
「困ったもんだ……」
「なのでここは一つ、いつものようにぎゃんぶるで決めよう」
「……ほう?」
藤吉の眼の色が変わる。藤吉は自分から勝負を持ちかけるよりも、勝負を申し込まれるほうが好きなのだ。
「そりゃあちょうどいい、さっきトランプとか買ったばかりだ」
「バカ言うんじゃない。喫茶店の中でトランプするヤツがどこにいる、恥ずかしいじゃないか。今日は、アレだ」
百合子は窓の外、スクランブル交差点を指さした。対角線の横断歩道で、赤信号になっている。
「ここの横断歩道は、信号の横にカウントダウンがあるだろう? あれがゼロになると青信号になるようだ。そこでこれだ」
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* 人間競馬 *
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* 横断歩道をより早く渡り切る歩行者を当てる *
* 信号の横のカウントダウンが残り5秒になるまで予想する歩行者の変更が可能 *
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* 百合子が当てた場合、来週の休日は水族館へ行く *
* 藤吉が当てた場合、百合子の家でさっき買ったばかりのボードゲームで遊ぶ *
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「最近カイジ読んだでしょ?」
「うるさい、私はEカードが見たかったんだ。……どれ藤吉くん、キミが先に決めていいぞ」
ネーミングはともかく、今回のぎゃんぶるはなかなか趣向が凝らされている。自分たちではなく第三者を使うルールとは新鮮だ。さすがの藤吉も、持ち前のイカサマ技術を駆使することができない。
ただ、知識はいくらでも使うことができる。横断歩道の向かいをじっくり眺め、藤吉は決めた。
「なら、クロネコヤマトの配達員。あの二人組ね」
「む、いかにも荷物が入っているような、大きな台車を持った彼らか。それなら、二人が共に渡り切らないと認めないが……そんな賭け方で大丈夫か?」
「大丈夫だ、問題ない」
百合子が言うように、デメリットが多いように感じられる。が、藤吉は勝算があってそれに賭けたのだ。
(横断歩道の最前列にいる配達員は、他の歩行者の邪魔にならないように真っ先に飛び出すんだ。だから人数やウェイトなんて関係ない。これ以上ない、勝ち馬なんだ)
「そんな百合子さんは、誰にするのさ」
「私は……その隣りの、あの子だ」
藤吉は目を疑った。百合子が賭けた人物……それは女性、と言うよりは女の子だった。それだけではない、いわゆるゴシックロリィタな服装を着ていた。しかもツインテールでまるで絵に描いたようなゴスロリ少女。
性別や服装はともかく、ブーツを履いている。どう見たって早く歩けるようには思えない。
「だめだ百合子さん……あんなフリフリの服着た人が軽快に歩く姿、見たことないよ」
「なら今日初めて見ることになるかもしれないぞ? きっとクラッチングスタート、大股で走りをするに違いない」
「ありえない……」
「そうかな? ありえるさ、ぜったい」
そうこうしているうちに、カウントダウンは10秒を切っていた。
「百合子さん、時間がない、早く変えるんだ」
「私は変えない。なんだったら藤吉くん、君の賭けた相手と交換しようか?」
「結構です」
「本当に? 勝てるぞ?」
「……結構です」
――残り5秒。
(……妙だな。このぎゃんぶる、どうにも真っ直ぐすぎる。どう考えても、百合子さんの賭け方は正攻法じゃない)
「さあ、見届けようじゃないか」
(何だ? 僕は何か、見落としていたのか?)
――残り4秒。
藤吉は目を疑った
百合子が賭けたゴスロリ少女がうずくまったのだ。
――残り3秒。
「なんだそれは!」
ゴスロリ少女はうずくまったわけではなかった。手を地面につけて、お尻を高く上げる。そう、それはまさにクラッチングスタート。
――残り2秒。
(しまった……その可能性があったか……!)
――残り1秒。
「ふふ、『里緒菜』は早いぞぉ」
――ゼロ。
信号は青になった。
ゴスロリ少女はクラッチングスタートから絶好のスタートを切り、百合子が言っていた通り大股で走り、あっという間に渡り切ってしまった。まさにぶっちぎり。藤吉が賭けた配達員は、まだ半分にも到達していない。
開いた口が塞がらない藤吉。ドヤ顔を浮かべる百合子。そんな中、先ほどのゴスロリ少女が喫茶店に入ってきた。
百合子はゴスロリ少女に手を振った。するとゴスロリ少女は手を振り返した。
「お姉ちゃん、言われた通りにぶっちぎったよ!」
「おー、里緒菜。良い走りだったぞ」
「ほんと!? 嬉しい!」
藤吉が思った通り、この2人はグルだった。相手が提案したぎゃんぶるなのだ、相手に有利な条件があるはずだった。自分がコインやカードに細工を仕掛けるように、知り合いをサクラにするぐらいのことは考えなければいけなかった。
それに『きっとクラッチングスタート、大股で走りをするに違いない』『君の賭けた相手と交換しようか?』は百合子なりにヒントを出していたのだろう。それにしては難解だが。
「はは……やるじゃあないか……」
百合子とゴスロリ少女がハイタッチを決める姿を見ながら、藤吉はすっかり冷めてしまったコーヒーを飲み干した。
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* 人間競馬 *
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* 勝者 百合子(サクラを起用するという大人気のない勝利) *
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「はじめまして! 潮田里緒菜(しおたりおな)です、よろしくお願いします!」
ひとまずゴスロリ少女――里緒菜は席に座り、自己紹介。ちなみに席順は藤吉の百合子が向かい合うように座って、里緒菜は百合子の隣りに位置している。
「私の実家のご近所さんでね。高校生なんだが、今年は大学受験でこっちの大学を希望しているらしい。なので今日は物件探し兼観光で来ているそうだ」
「へぇ~、高校生かぁ」
「それにしても里緒菜、ちょっと見ないうちに随分変わったなぁ」
「そう? えへへ」
そりゃあご近所さんがゴスロリ少女になっていたら驚きもするだろう。それを『随分』で済ませるあたり、やっぱり百合子はズレてる――なんて、藤吉は考える。
そのとき、百合子のスマートフォンが震えた。
「む、職場の人間からだ。ちょっと出てくる。里緒菜、好きなものを頼んでいいぞ」
「わーい、ありがとう~」
百合子は店の外へ出て行ってしまった。藤吉と里緒菜、二人きり。
初対面の相手だ、何か簡単な手品ぐらい見せたほうがいいかもしれない。あれこれと思う藤吉を、里緒菜はにこにこ笑いながら見つめていた。
「ど、どうしたの?」
「いえ、私、藤吉さんとお話ししたかったんです。電話でいろいろ聞いているうちに、気になっちゃいまして」
どんな内容を話されているのか見当もつかなかったが、藤吉も悪い気はしない。なにせ里緒菜は、百合子とは違う魅力があるからだ。
背は小さい、童顔、ぺたんこ、そしてゴスロリ。まるで人形のような可愛さ。百合子を美人とするなら里緒菜は美少女と言えるだろう。
(これはメアドぐらい聞けるかもしれない)
「そうなんだ。何か気になることでもあるの?」
「そりゃあありますよぉ。お姉ちゃんとの関係とか」
「あ、やっぱりそういう話し? 恥ずかしいなぁ……百合子さんからは聞いてないの?」
「藤吉さんの口から聞きたいんですよぉ。あ、そうそう、言い忘れてました!」
「お姉ちゃん、あと30分は戻って来ませんから」
藤吉は、里緒菜の異変に言葉を失った。
口調は変わっていない。だが、劇的な変化が起きている。
「それは……どういう」
「二人っきりで話しをしたかったからだ……藤吉、お前とだ」
(何が『ちょっと見ないうちに随分変わったなぁ』だ、随分ってレベルじゃないぞ!)
藤吉は、百合子の言葉を思い出していた。
「お前、お姉ちゃんと付き合ってるらしいな?
電話をしてもお前の話しばっかり、もううんざりなんだ。
俺がどれだけ、昔からお姉ちゃんのことを愛していたか知っているか?
わざわざ大学をこっちに選んだのも、お姉ちゃんと同じところで暮らすためなんだ。
何年、お姉ちゃんのことを想い続けたと思う? それをぽっと出のお前に横から取られるのは、我慢ならねぇんだよ。
今日はお姉ちゃんに会いに来た、というのもあるが、お前に会って勝負がしたかったんだ」
(服装の変化なんて本当に些細なことだったんだ。『随分』が示すものはもっと別にあった)
里緒菜の声のトーンが。少女らしい甲高い声から低い声になっていた。
単に低いだけの声ではない。このトーンは間違いなく――
(こいつ……男だ!)
「お前、ぎゃんぶるが好きなんだってな? なら俺とも勝負してくれよ」
里緒菜は藤吉のコーヒーにつけられていたスプーンを手に取り、先端を両手で掴んだ。
――べりべりべりべりべりっ
スプーンは里緒菜によって縦に裂かれた。
「俺が勝ったら、お前はすぐにお姉ちゃんと別れろ。お前が勝ったら、何だって言うこと聞いてやるよ」
◆登場人物紹介
◇潮田里緒菜(ショタ リョナ) ←new!!
・高校三年生 男子校に在籍(制服は学ラン)
・男の娘 男の娘 男の娘
・ツインテールはウィッグ
・股間についてーる
・百合子のことを溺愛している
・人類を遥かに超越する身体能力の持ち主
◇沖田 藤吉(おきた ふじょし)
・ぎゃんぶる好きの大学生
・男
・見た目も中身の草食系な、ライトノベルの主人公にいそうなタイプ
・大学卒業後の進路に悩んでいる
・何の躊躇もなくイカサマをする邪悪な存在だが、罪悪感が深い
・普段から小道具を持ち歩いている
・意外と遊び人?
・性格が悪い
・乳や尻より脚派 ←new!!
◇壱兎 百合子(いちと ユリこ))
・週休2日の社会人
・女
・典型的素直クールな容姿と性格と理系脳
・騙されやすい。賢いけれど、どこか抜けてる
・大事なことなのでもう一度言うと、素直クール
・やたら食う
・胸が大きい(Eカップ)
・黒髪(長め?)
・普段は垂らしている髪を、仕事中は一つにまとめている
・甘党 ←new!!
・久しぶりにあった近所の知り合いが女装していても動じない ←new!!