店を出た僕達はセツナに連れられて街外れにある一軒屋へと連れられた。そこにセツナの兄がいるのだという。ジャッカル兄妹の兄。一体どんな人物だろうか。ジャッカルっぽいのだろうか。髪型とか。怖い人だったらどうしよう。いちゃもんつけられたら。晩御飯どうしよう。宿は。何だか色々考えた。
道中、セツナが事態を詳しく説明してくれた。どうやら今港町レーベとその近辺の村々は深刻な状況に陥っているらしい。
三日前、突如として森の奥に氷の塔が出来た。怪しげな空気をまといそびえ立つそれは街に不安と混乱をもたらす。森から多くの動物が姿を消し、魔物が外をうろつき、そして雪は穢れを孕んでしまった。
レム大陸の住民は基本的に白く清潔で新鮮な雪を自宅の水道として利用している。その雪に穢れが混ざるということはまさしく死活問題だ。水にして飲むと体を壊すし、水道水にすれば手傷が悪化する事もある。
元凶が塔にあることは明らか。塔から放たれる魔力で雪の性質が一時的に変化してしまっているのだと思われる。このままで済ませるものかと立ち上がったセツナの兄ヒエデは街の自警団と共に氷の塔へと向かった。狩りの名手で有名なジャッカル兄は森の案内人として適任だった。
すぐに戻ると出て行った兄だったが一向に帰ってくる様子がない。心配しているセツナに、街から知らせが入った。
「それで、ヒエデさんはどうしたんですか?」
キトの質問にセツナは目を伏せた。一見無表情に見えるが微妙な頬の動きからその感情を読み取る事が出来る。あまりよろしくない事態へと発展しているらしい。
「お兄ちゃんも、自警団のみんなも……氷になってた」
「氷になる? 氷像ってこと?」
セツナは静かに頷く。なるほど。
氷の塔を作ったのはもしかしなくても魔王四天王の一人、雪のロースだろう。人を氷像にするなんて呪いを掛けられるのは強い魔力がなければ出来ることではない。呪いを解くには普通、呪いをかけた張本人を倒さないといけない。
「みんなを、元に戻せない?」
そう、普通なら無理だ。普通の人間なら。
「運の良いことに僕に解けない呪いはないんだな。セツナ、さっそく氷になった人のところへ案内してくれ。そんな呪いあっという間にペッだ」
「さすが師匠!」
「もっと褒めて良いよ」
「勇者、ありがとう」
「お礼は全部終わってから体で。それで、ヒエデはどこに?」
「こっち」
セツナは歩くスピードを上げる。彼女の背中を眺めながら、僕はさりげなく挟んだ下ネタがスルーされた事が悲しくてならなかった。
しばらく歩くと、ひっそりとした場所に赤い屋根をしたレンガ造りの家が見えてきた。ま、お洒落。
「この家に氷像が?」
「自警団の像は街の広場でアンティークにされてるけど、お兄ちゃんのは持ち帰ってきた」
そう言えば街の広場に像が数体飾られていた事を思い出す。
タイトルは確か『闇に沈む勇士』。
悪気しかない。
そもそもアンティークにする意味も分からん。せっかくだからとか言われて飾られたのだろうか。気の毒で仕方ない。
セツナが家の扉を開け、僕らはそれに続く。通された部屋には木製のテーブルとベッドが一つ、それにキッチンが広がっていた。
しかし一つ気になる事が。
「ヒエデの氷像が見当たらないんだけど……」
それらしきものはまるでない。小ぢんまりとした室内にはとても氷像をしまうスペースなどないように思える。あれば目立つし、何より異質だ。気付かないはずがない。不思議に思いセツナを見ると、彼女も妙な顔をしていた。
「ヒエデ? どこ?」
呼びかけても返事なんてあるはずないのに、セツナは一歩足を踏み入れると呪われた兄の名を呼ぶ。僕はキトと顔を見合わせた。セツナは狼狽していた。
「ヒエデの像は確かに部屋に?」
「あった。私がさっき家を出るまでは。ここに」
セツナは空間を手で指し示す。
「誰かが持ち運んだのか?」
「鍵はかけてあった……」
「ひょっとしたら、魔物がやってきたんじゃないですか? 魔法か何かで中に侵入して、ヒエデさんをどこかに連れ去っていったんじゃあ」
「そんな……」
キトの言葉にセツナは体の表面から一気に不安を放出する。悲しさと、恐怖がにじみ出ていた。僕は彼女を安心させるためにそっと肩に手を置いてやる。
「きっと大丈夫だよ。ひょっとしたら呪いが解けてヒエデが自分からどこかへ行ったのかもしれない。まだ魔物が連れ去ったわけじゃないし、決めるのは確証をつかんでからでいいんじゃないかな。それにいざとなったら僕がなんとかするよ」
「勇者……ありがとう」
セツナは微笑んでみせた。泣き笑いだ。まつ毛に涙が乗り、美しくきらめいている。
僕の言葉は所詮気休めでしかない。でも言わないよりずっとマシだ。旅を始めて多分一番勇者らしい事をした。
ふと、暖炉の前にあるスペース、カーペットが敷かれた部分に出来た染みが目に入った。じんわりと何かが染みこんだみたいに濡れ、心なしか少し水溜りも出来ている。
これはなに、と口を開く前にある一つの考えに至った。
溶けてる。
溶けてる。これ溶けてる。うん間違いなく溶けてる。カーペット、結構水吸ってるみたいだもんな。染みが大きすぎて今まで気付かなかった。よくよく考えるとそもそも何故氷像を暖炉の前に置いているのだ。この部屋はまだ暖かい。つまりさっきまで暖炉がついていたという事か。溶けますよそりゃあ。
このカーペットを絞ってもう一度凍らせばどうにかなるのではないだろうか。いや、しかしその状態で呪い解いたらどうなるんだろうか。とても筆舌では語れないようなグロデスクな物体が出来るのでは。
僕が唸っているとセツナも異変を感じたのか僕の視線をゆっくりと追いかけた。そしてカーペットの染みに目をとどめる。
最初は怪訝な顔で染みを眺めていたセツナだったが、やがて顔を青くした。「やっちまった」みたいな顔してる。
セツナは大げさなジェスチャーで体を震わせると、ギュッと僕に抱きついてきた。
「勇者……私怖い」
いやいやいや、誤魔化してきましたよこの人。色々と僕的には美味しい状況であるが、だからと言ってそれで済ませて良いのだろうか。まぁ後で生き返らせればいい話ではあるが。ああそうか生き返らせればいいのか。じゃあそれでいいや。おっぱい大きいなぁ。
こうしてドジッ子妹のせいで兄は死んだ。