『本物のスライダー』
「そうね、つまりこういう事なのよ」
目の前にいる少女はそう言うと、得意げな顔をしてコーヒーをフォークで掬って見せる。
何をしているのかさっぱり分からん。効率のいい冷まし方か? と、喉まで言葉が出掛かるが、何かを察したのだろう。機先を制するが如く
「あれ? 意味分からない? と言うかコレ知らない?」
そこから一気にまくし立てるように、『コーヒーをフォークで掬う』ウンチクを聞かされる。
なんでも、メジャーリーグで本物のスライダーを投げる投手はいないとかなんとか、騒ぎになった時に、スライダーの名手と言われた人物がこう言ったのだそうだ。
曰く。『本物のスライダー? それは、コーヒーをフォークで掬う様なものさ』
そう言ったのだそうだ。……、だからどうしたと言うのだろうか。その名言? 自体の意味不明さと相まって、説明を受けて、より何をしたいのかが分からなくなった。
どうやって、この少女を追い返そうかと思案している間も、ニコニコと笑いながらコーヒーをフォークで掬い、そして、そのフォークの、少し湾曲した所に残ったコーヒーをすする様に飲んでいる。フォークで掬い、二コリと笑い、そしてコーヒーをすする。
あぁ、このまま放置していたら、フォークで掬えなくなって、そうしたらこの少女はどうするのだろう……ニコリと笑わなくなるのかな等と、軽く現実逃避を始めた脳を、奮い立たせる、何故こうなったのかを最初から洗うのだ、そこに突破口がある!! 気がして……
1・
今日もいつもどおりだ。
そう思いながら、既に日も高くなり始める時間に起きるでも無く、なんとなく起きる。
いわゆる、『私立』探偵をやっている、やってはいるが、恥ずかしながら『私立』である、なんちゃら探偵協会なんかにも所属もしていない、勝手に名乗っているだけの……。
そう、素人だ。
そんな所にわざわざ頼む人間なんか、つまり、言いにくいが、まともじゃない(つまり、頭とか依頼内容とかだ)そんな関係で通常営業=閑古鳥。
入り口前には一応『御用の方はこちら』と親切なブザーを着けているが。生憎と御用の方がいようといまいと、あまり鳴らされる事は無いのだ。
なにしろ、狭い縦長のワンフロアの事務所だ。
申し訳なさそうな木製のドアからは、擦りガラス越しに中が伺える。
長方形の事務所は、入り口が東側にありそして当然、西側が突き当たりだ。その、西側に俺の仕事用のデスクがある、丁度夕日をバックにする形になる、そしてパーテーションで目隠しをして、来客用のスペースを作っている。
俺ならドアをノックして声を掛ける。恐らく誰でもそうだろう。
そんな訳で、いつも通り。何となく起き、昨日着たまま寝てしまったシャツだけでも着替えるかと、来客用ソファから起き上がったら。居た。
パーテーション越しに見える自分のデスクに……神宮寺……と声を掛けそうになるほど渋い表情を作り、これ以上無いほどの渋い顔でこちらを見ている、少女。年のころは、制服からして高校生ではあろうか。が座っている。
あまりの渋さに弟子入りを志願しそうになる……訳も無く。とりあえず、時折来る、勘違いした痛い高校生(『私立』探偵に妄想を膨らませて)だろうと、軽く、コーヒーでも飲むかい?
と大人の余裕を見せつつ。来客用のモカを淹れてやって、君はどうしたの? と聞いたんだ……そしてフォークを取り出し……
ふむ。
突破口はどこにも無かった。
「それにしても、私立探偵って感じで良い事務所ね!!」
そりゃどーも、とは言わずに苦笑いで返すので精一杯だ。
状況が把握できない。
そうだ先ずは、相手の目的だ。何をしているんだ俺は!!
「君は何をしに? その、依頼とかでもあるのかな?」
我ながら情けない言い様だ。しかし、小坊主ならまだしも相手は女子高生だ。下手な騒ぎにはしたくはない……ただでさえ胡散臭い商売してる身だ。ここは穏便に……
「はぁ?! 探偵事務所に女子高生がコーヒー飲みに来る訳もないでしょうよ!!」
鼻の骨を目掛けて鈍器の様なものを振り下ろしたくなる…やはり『痛い』方の来客か。
「勿論! 依頼よ、探偵さんに依頼をしに来たのよ」
きょとん
今、この言葉の真の意味、と言うか状態を身をもって知ることが出来た。
そんな俺をよそに依頼内容をとうとうと語りだす。
「あそこに、木あるでしょ? 桜の木がさ」
そういって少女が指差した方向は壁……だがそうじゃないだろう恐らく駅前の事だ。
「あそこの桜の木って古いのよ、樹齢何年だったかな? まぁとにかく一杯よ」
そう言って、砂糖とミルクをたっぷり入れられてしまった、元も子もないモカを、凝りもせずフォークで掬って。ニコリと笑った。
*
樹齢1500年とも2000年とも言われている(正直適当な言い伝えだ、いい所数百年ってところなのだろう)その桜の木の立地がとてもいい場所にある。
駅から徒歩2分……も掛からないだろう場所に鎮座している。小さな公園があり、そこに堂々たる風格を持って……むしろ桜の木以外何も無い広場なのだが。とにかくある。
そして、いわゆる都市開発、移設の案もあったが、樹齢故木がもたないだろうと言うことで切り倒す事になったのだそうだ。
そんな桜の木だ、反対運動等もあったそうだが、どうやら切り倒すことで話しが進みつつあるらしい……。
「それで、俺にどうしろと?」
起き抜けに、電波少女との会話で頭が痛い。
「勿論!! その工事を中止に追いやって欲しいのよね」
コーヒーを掬って、すすり、ニコリ。
このままでなら、容姿も相まって白痴美とでも言うのだろうか、美しいお嬢さん。で通るだろうになぁ、と完全に依頼と言う名の放言を受け流していた。
「なんかさぁ? その工事ってのも気に食わないのよねぇ」
なにやら鼻歌交じりに、掬えなくなったコーヒーをクルクルかき回す。
「反対派の一番ノリノリだったおじさんなんかも、急に仕方ないとか言い出しちゃうし」
フォークで掬えなくなったコーヒーをクビリと飲み、嫌よね~大人って。と、足をぶらぶら。それを見つつ、そうか掬えなくなったら普通に飲むのか……と少し残念? な気持ちになりつつ話の先を待つ。(依頼等受けるつもりは、はなから無いのだが)
「でさ? 探偵さんならその辺、ちょこちょこっと、人の弱みに付け込んだり出来るじゃない?」
酷い言い草だ。人をそこらの与太公かナニかだとでも思っているのだろうか。まぁ、得意分野な訳だが……。
「ん、確かにだ。確かに君の言うとおり、そのおじさんなり、役人なりの弱みをちょこちょこっと出来たとしよう。それで工事が中止って。そりゃ無理だろ」
*
人間、ヒトにしか出来ない事がある。
世界は儚く脆い。何時かの人間の言葉の様に、蝶の夢の様な、危ういバランスの繰り返し。
それはまるでシーソーの上での全力のキャッチボールの様な……
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2・
私の直感は当たる、昔からそうだった。
霊能力とか超能力とかそんな陳腐な言葉で表すのは性に合わない、そんな時に、どこかで聞いたメージャーリーガーの名言が、とても今の私にマッチして感じた。それから好んでよく使うようになった。
みんなきょとんとした顔をするのが楽しいって部分も否定は出来ないのだけども。
今日、会った探偵さんもきょとんとしてたなぁ。笑える。
とはいえ、笑ってる場合じゃない……依頼は一先ずお預け、とにかく明確な事案として、話を持ってきて金さえしっかり払えば受けると。確かに言ったのだ。
まぁ。こんな子供の言う事だ、適当にあしらわれた……と言うのが実情だろう。
ただ…そのニュアンスンは、どことなく挑戦的な。
できるならやってみろ。そういうものをふくんでいたのは間違いない。
とにかく明日だ、あす以降綿密に『依頼』にしてみせる。
自信は…。
無い、なにしろ私は普通の高校生なのだ。
こういう時にとる行動…は一つ!! しつこく食らい付くのだ。勿論その対象は、一人、あの探偵さんにだ。
*
鼻腔をくすぐるこの匂い…。
コーヒー豆を圧縮し抽出する蒸気の音……
「…っ!!」
誰かが勝手に…と思い、昨日のやり取りを思い出す。間違いない『アノ』女子高生だろう。
一応念のために座ったまま寝ていたデスク越しに、パーテーションの向こう側を覗き見る。
ご丁寧に、コーヒーを2つ用意して、ミルクと砂糖でも探しているのだろう、あちこちの棚を開け閉めしている昨日の娘が見えた。
頭が痛くなってきた。まず不法侵入甚だしい彼女。そしてこの香りは間違いなくモカをエスプレッソに仕立てたであろう事だ。
(幾らすると思ってるんだ…)
その間もバタンバタンするものだからつい…声を出す。
「お嬢さん。フォークならそっちのコンロの下だ。」
我が意を得たりと、にこりと笑ってフォークを取り出し…
「あ、おはよう! さすが探偵さんだねっ!! 寝起きから鋭い!!」
てらいも無く微笑む彼女。
なんだか細かい事などどうでも良くなった。寝起きのまま応接ソファーに移動する。その動きを察した…のかどうかは解らないが、彼女もコーヒーを二つ持ってこっちに来て座る。見るまで無く、ミルクと砂糖が入ったエスプレッソダブル。一口飲んで頭痛がするほど甘い。
とてつもなく甘く仕上げられたモカのエスプレッソを目の前に、彼女を見やる。言いたいことが山積…あまりにも言いたい事があると人は沈黙するのだな。そう思いつつ、甘いモカから彼女に視線を動かす。
昨日の事がそのまま繰り返される。フォークで掬いクビリとコーヒーを飲み、ニコリと此方を見る。
一先ず、問題を一つ解決しよう。
「エスプレッソを甘く淹れるのは良い。ただモカは使わないで欲しいな、隣のブレンドで頼むよ」
私の直感は当たる、昔からそうだった。
霊能力とか超能力とかそんな陳腐な言葉で表すのは性に合わない、そんな時に、どこかで聞いたメージャーリーガーの名言が、とても今の私にマッチして感じた。それから好んでよく使うようになった。
みんなきょとんとした顔をするのが楽しいって部分も否定は出来ないのだけども。
今日、会った探偵さんもきょとんとしてたなぁ。笑える。
とはいえ、笑ってる場合じゃない……依頼は一先ずお預け、とにかく明確な事案として、話を持ってきて金さえしっかり払えば受けると。確かに言ったのだ。
まぁ。こんな子供の言う事だ、適当にあしらわれた……と言うのが実情だろう。
ただ…そのニュアンスンは、どことなく挑戦的な。
できるならやってみろ。そういうものをふくんでいたのは間違いない。
とにかく明日だ、あす以降綿密に『依頼』にしてみせる。
自信は…。
無い、なにしろ私は普通の高校生なのだ。
こういう時にとる行動…は一つ!! しつこく食らい付くのだ。勿論その対象は、一人、あの探偵さんにだ。
*
鼻腔をくすぐるこの匂い…。
コーヒー豆を圧縮し抽出する蒸気の音……
「…っ!!」
誰かが勝手に…と思い、昨日のやり取りを思い出す。間違いない『アノ』女子高生だろう。
一応念のために座ったまま寝ていたデスク越しに、パーテーションの向こう側を覗き見る。
ご丁寧に、コーヒーを2つ用意して、ミルクと砂糖でも探しているのだろう、あちこちの棚を開け閉めしている昨日の娘が見えた。
頭が痛くなってきた。まず不法侵入甚だしい彼女。そしてこの香りは間違いなくモカをエスプレッソに仕立てたであろう事だ。
(幾らすると思ってるんだ…)
その間もバタンバタンするものだからつい…声を出す。
「お嬢さん。フォークならそっちのコンロの下だ。」
我が意を得たりと、にこりと笑ってフォークを取り出し…
「あ、おはよう! さすが探偵さんだねっ!! 寝起きから鋭い!!」
てらいも無く微笑む彼女。
なんだか細かい事などどうでも良くなった。寝起きのまま応接ソファーに移動する。その動きを察した…のかどうかは解らないが、彼女もコーヒーを二つ持ってこっちに来て座る。見るまで無く、ミルクと砂糖が入ったエスプレッソダブル。一口飲んで頭痛がするほど甘い。
とてつもなく甘く仕上げられたモカのエスプレッソを目の前に、彼女を見やる。言いたいことが山積…あまりにも言いたい事があると人は沈黙するのだな。そう思いつつ、甘いモカから彼女に視線を動かす。
昨日の事がそのまま繰り返される。フォークで掬いクビリとコーヒーを飲み、ニコリと此方を見る。
一先ず、問題を一つ解決しよう。
「エスプレッソを甘く淹れるのは良い。ただモカは使わないで欲しいな、隣のブレンドで頼むよ」
『モノクロノーム』
「それでね! 探偵さんと仲良くなろうかなって思ったのよ」
なにがそれでなのか分からない。いや、赤いタバコを吸って灰色の脳細胞で推理する名探偵じゃなくても、推理可能な答えはある。なし崩し的に依頼をしようと言うことだ。でも分かりたくない…これは俺がハイライトを吸ってるのが原因なのか…一通り、くだらない思案をしていた。
それを察してか知らずか彼女は雄弁に語り続ける。
「モーニング女子高生コーヒーサービス!!」
女子高生との単語に釣られて、時計を見やる。午前七時三十分。
こんな時間に起きるなんて何年ぶりだろうか…とまた忘却の彼方に思考が飛びかける。
「どうよ! 少し嬉しんじゃない?」
確かに…しかしここで折れては大人の威厳は保てない。ここまで起き抜けで押されていたが少しでも形勢を立て直さなくては!!
「お前、学校は? 時間大丈夫なのか?」
相変わらずのチキン…なんだこの間の抜けた質問は!!
完全な世間話しではないか、道行くご近所の女学生に声をかけた、ただのおっさんではないか!!
そんな葛藤など、そ知らぬ彼女は俺の質問に愚直に答える。
「大丈夫よ、せいぜい八時にここを出れば早いくらいに着くから」
なるほど、確か近所に高校があったな、あそこの生徒なのか。思うでもなく口をつく。
「なんだ、案外頭良いんだな」
言ってから失言に気づく。まるで彼女を馬鹿だと思っていたかのようではないか。下手な言い訳は薮蛇だろう。だまって彼女の発言を待つ。
「ねっ!? 自分でもびっくりしてるんだぁ、殆ど鉛筆転がして入ったようなもんだし」
良かったどうやら取り越し苦労だったようだ。
その間にも彼女は自分の勘のよさについてとうとうと話しているが右から左に聞き流す。
さてそろそろ本題に入ろうかと、少し身を乗り出した所…
「あぁ!! さすがにもう時間だ! じゃね探偵さんまた来るね」
と微笑みながらささっと身支度を整えると嵐のように去っていく。
完全に気勢を取られたな…このままでは思う壺だ…
へんなことになって来たな…ソファーに寝転がり、惰眠でも楽しむことにしよう。
そこに女子高生が戻ってくる。
「そうそう名前! まだだったよね米倉千早、ちーちゃんで良いから」
早口でそういうと彼女、ちーちゃんは脱兎の如く走り去っていく。
ちーちゃんて…
*
私は、有体に言えば学校が嫌いだ。ゆえに深く友達付き合い…等はした事がない。実際は学校内でのみ仲良くはしてはいるが、あくまで上辺だけの付き合いでしかない。
そんな中でのこの拘束時間は苦痛以外の何者でもない。きっと今までに何万人もの学生が思ってきたんだろうな…そう思いながら先生の眠気をさそう単調な授業も、そぞろに校庭、そして空を見る。
春か…なんとものどかなもので。
生暖かい空気に身体が溶け込んでいくような錯覚に陥る。いっそこのまま鉄のように溶けてしまえたら良いのに…なんて考えていたら、いつの間にか周りの騒がしさに授業が終わった事を知る。
なんなんだろう。と思案する。あの桜、ナニがあるんだろうか。
*
それは何でも無い普通の日曜日、まだ春休みで日曜日も何も関係ないのだけれど…その日曜日、あの桜を何となく観た。そろそろ満開になるであろう八分咲き…程度の丁度綺麗な姿がそこにあった。
『心奪われた』という表現がまさにピタリと当てはまったのが解った。いままでも通学中見かけていたものだが、なぜかその瞬間奪われたのだわたしの心は。
その時何かが聞こえた気がしたが、さすがに少女趣味すぎて忘れることにした。
「それでね! 探偵さんと仲良くなろうかなって思ったのよ」
なにがそれでなのか分からない。いや、赤いタバコを吸って灰色の脳細胞で推理する名探偵じゃなくても、推理可能な答えはある。なし崩し的に依頼をしようと言うことだ。でも分かりたくない…これは俺がハイライトを吸ってるのが原因なのか…一通り、くだらない思案をしていた。
それを察してか知らずか彼女は雄弁に語り続ける。
「モーニング女子高生コーヒーサービス!!」
女子高生との単語に釣られて、時計を見やる。午前七時三十分。
こんな時間に起きるなんて何年ぶりだろうか…とまた忘却の彼方に思考が飛びかける。
「どうよ! 少し嬉しんじゃない?」
確かに…しかしここで折れては大人の威厳は保てない。ここまで起き抜けで押されていたが少しでも形勢を立て直さなくては!!
「お前、学校は? 時間大丈夫なのか?」
相変わらずのチキン…なんだこの間の抜けた質問は!!
完全な世間話しではないか、道行くご近所の女学生に声をかけた、ただのおっさんではないか!!
そんな葛藤など、そ知らぬ彼女は俺の質問に愚直に答える。
「大丈夫よ、せいぜい八時にここを出れば早いくらいに着くから」
なるほど、確か近所に高校があったな、あそこの生徒なのか。思うでもなく口をつく。
「なんだ、案外頭良いんだな」
言ってから失言に気づく。まるで彼女を馬鹿だと思っていたかのようではないか。下手な言い訳は薮蛇だろう。だまって彼女の発言を待つ。
「ねっ!? 自分でもびっくりしてるんだぁ、殆ど鉛筆転がして入ったようなもんだし」
良かったどうやら取り越し苦労だったようだ。
その間にも彼女は自分の勘のよさについてとうとうと話しているが右から左に聞き流す。
さてそろそろ本題に入ろうかと、少し身を乗り出した所…
「あぁ!! さすがにもう時間だ! じゃね探偵さんまた来るね」
と微笑みながらささっと身支度を整えると嵐のように去っていく。
完全に気勢を取られたな…このままでは思う壺だ…
へんなことになって来たな…ソファーに寝転がり、惰眠でも楽しむことにしよう。
そこに女子高生が戻ってくる。
「そうそう名前! まだだったよね米倉千早、ちーちゃんで良いから」
早口でそういうと彼女、ちーちゃんは脱兎の如く走り去っていく。
ちーちゃんて…
*
私は、有体に言えば学校が嫌いだ。ゆえに深く友達付き合い…等はした事がない。実際は学校内でのみ仲良くはしてはいるが、あくまで上辺だけの付き合いでしかない。
そんな中でのこの拘束時間は苦痛以外の何者でもない。きっと今までに何万人もの学生が思ってきたんだろうな…そう思いながら先生の眠気をさそう単調な授業も、そぞろに校庭、そして空を見る。
春か…なんとものどかなもので。
生暖かい空気に身体が溶け込んでいくような錯覚に陥る。いっそこのまま鉄のように溶けてしまえたら良いのに…なんて考えていたら、いつの間にか周りの騒がしさに授業が終わった事を知る。
なんなんだろう。と思案する。あの桜、ナニがあるんだろうか。
*
それは何でも無い普通の日曜日、まだ春休みで日曜日も何も関係ないのだけれど…その日曜日、あの桜を何となく観た。そろそろ満開になるであろう八分咲き…程度の丁度綺麗な姿がそこにあった。
『心奪われた』という表現がまさにピタリと当てはまったのが解った。いままでも通学中見かけていたものだが、なぜかその瞬間奪われたのだわたしの心は。
その時何かが聞こえた気がしたが、さすがに少女趣味すぎて忘れることにした。
1・
女子高生…ちーちゃんが帰ったあと、蒸気で一気に圧縮抽出されてしまったモカのエスプレッソに、砂糖とミルクをたっぷり目に入れられ、のんべんだらりと睡眠と覚醒の合間をフラフラと楽しんでいた。
今日の『探偵業』のことだ、勿論依頼等は入っていないのだが。
だからと言って事件をもって駆けつけてくれる警官や少年はいないのだ、つまり営業ってやつだ。この営業にはいろいろあるが、どうしようかと思索する。春の風がパーテーション越しに吹き込む。そのあまりにも安寧とした暖かさにこのまま寝るか、と言う選択肢が増えたのも無理からぬところだろう。
*
夢をみた、生ゴミや排水溝から立ち上る匂いもリアルだ、そんな路地裏を走る、走って追いかける。何を? 敵だ。
敵をついに追い詰める。相手は懇願・哀願してくる、命だけは、こんな言葉なん万回も聞いてきた。そして、聞き入れたことなど一度たりとてないのだ。
地面にめり込まんとするかのように土下座する相手をみて、力が抜ける思いに駆られる。いままさに殺される。そう思うのならば、なぜここまで殺されやすくするのだろう。
そいつは面をあげてなけなしの金を引っつかむと、地面になげだしもっとある、だから、助けろと、また地面に潜り込もうとする。
相手の首をめがけて、いつもどうりに手を振りナイフを投げる。
一瞬だナイフが延髄を貫き一瞬で終わり。しけてやがる。といいつつ先ほど投げ出された金を拾いその場を離れる。
*
いやな夢を見たきがする…、パーテーションの向こうから吹く風の温度から言ってまだ昼を過ぎたあたりかと、思いながら起き上がり時計を確認する。昼過ぎか…さて、飲み残しのエスプレッソをグイッと一気にのみ、底に残っている砂糖の甘さにしかめっ面になる。
二度寝は決まって悪い夢を見る…口の甘さとは裏腹に苦い気持ちがせり上がってくる。嫌な事を思い出す前に営業にでも出かけることにしよう。行き先は、そうだな今日はパチンコ屋にでもしよう。
営業活動とは言ったものの実際は、パチンコ屋の小冊子や休憩コーナーにそっと事務所の名刺を置いてくるだけだが。
これが馬鹿にならない程度に依頼が来るのだ、依頼内容は様々だが、多いのは亭主の浮気調査が一番多い。これでなんとか食いつないでると言っても良い。
特に行きつけがある訳でも無いので、適当にバイクに火を入れる。
ドルンと始動して不等間隔で、ツインエンジン特有の鼓動が心地よい、ひとまずエンジンが温まるまで、ポケットからタバコを取り出してエンジン音に耳を傾けつつタバコを吸う、至福のひと時を過ごす。
*
危ういバランス、それは得てして崩れる。むしろ崩れる過程こそが危ういバランスなのだとも言える。
そうして崩されたバランスは、また何処かの、別の、全く違うものに比重が移る。
そこでまた繰り返し、危ういバランスをとり始める。世界が崩れない様に、崩れるために…
*
愛車SRVを駆り軽快に、街を流す。そして時折目に飛び込んできたうらびれたパチンコ屋を見つけては客の素振りをしつつ適当な場所に名刺をおいて回る。
特に店員に見咎められることもなく淡々と。
何度目だろうか、そろそろ名刺の束も少なくなり今日は上がろうか、そんな思案をしつつ郊外の大型店舗独特の妙に綺麗な休憩室で大して美味しくもないコーヒーをちびちびと飲みながら一服点けていた時だ。
聞くともなしに聞こえてくる。
駅前の桜の話し。
姦しく響いてくる、茶色い声色のオバサマ方の話し。
店内の喧騒もあり切れ切れに聞こえてくる内容は、どうやら反対運動をしていた側のおっさんのことらしかった。
案の定と言うかどうか…ズブズブの関係になって羽振りが良いだのなんだの、下世話な話しのオンパレードだ。場末のパチンコ屋の片隅の噂話といえばそれまでだが…図らずも女子高生・ちーちゃんの思惑は当たらずもも遠からずだったわけか…さてどうしたものか。
依頼として持ってくれば受けると彼女には言ったが、それは勿論方便なわけで、受ける気は無かった。
の、だがどうやら軽く叩いただけでホコリが舞うくらい胡散臭い、きな臭い話しのようだ…ふむ、とりあえずは聞かなかった事にして、彼女の出方を伺うか、あまり深入りするようだったら…その時にかんがえよう。聞いた限りでは子供の出る幕はなさそうだ。
2・
会合、と言うやつにお父さんに言って代わりに出させて貰った、 『桜の木保存員会』なんて大見得も良いところの題目付きだ。
実際に話し合われるのはどこぞの飲み屋のお姉ちゃんが可愛いだの、パチンコがどうしただの、お父さんが行かせたがらなかった理由がちょっとわかった。私はそれはそれは不機嫌に、フォークでコーヒーを掬うこともなくひたすらむすっとしていただけだ。だが千早ちゃんは美人になったなぁと粘着質な視線を度々浴びせられるのだ。
桜の話は何処に行ってしまったのだろうか。
そんな時に会話が途切れた。
「あのぉ、駅前の桜ですけどどうなっちゃうんですか?」
何も知りませんって態度で聞く、なんとか会話を元に、正しい方向に持っていこうと試みる。
が、無駄…っ!!
アレはねもうほとんど決まっちゃったんだ、朗らかに笑う会長とその取り巻き。
徒労とはこういう事を言うのだろうか。言うのだろう。
油まみれの身体に火をつけた誰かのように…ここで燃えてしまいたくなる衝動に駆られる。
何がどう決まっちゃったのか、それはほとんど聞くまでもない。切り倒すということだろう。
何故か手に汗が滲む、まるで高いところに無防備で立たされたかのような錯覚。すべてが無駄だという虚無感…だろうか。
声が震えそうになるのをなんとか飲み下し、発言する。
「どうきまっちゃったんですか?」
なるだけ無邪気に、裏があることを悟られないように。
「うん倒木の可能性もあるし残念だけど切り倒す方向でまとまってしまいそうだ。」
さも残念だとでも言いたそうな表情で語る。さっきの笑顔はどこにいったのだ。内蔵が裏返りそうになる。
その後も、これといった情報もないまま会合という名の社交場は宴もたけなわといった風情になるまで続き、お開きとなった。
*
無駄足、とも言えたが、有益であったとも言える、明らかだ。
明らかに懐柔されている。これが確実になっただけでもいまは良しとしよう。…でなければ今すぐにでも焼身してしまいそうだ。
さてどうしようか。帰り道トコトコと歩きながら考える。今日のことをそのまま探偵さんに言ったところで『依頼』にはなるまい。かと言ってお父さんに聞いても有益な情報が得られるとも思えない。事勿れ主義で人畜無害をモットーとしているような人だ、きっとあの会合でも隅でニコニコしていただけであろう。
その証拠が代わりに出ると言った娘を、珍しいものでも見るような目をして、行きたいなら行けばいいよと渋々承諾したことだ。
さて、怪しいのは怪しいがどこでどう何が怪しいのかまでは分からない現状どうしたものか。途方にくれる。
まぁ…こいう時は決まっているのだ。
『困った時は人に聞く』
これだ、そしてこの『人』って言うのはやはり探偵さんになるだろう。
そんな感じで、これからの行動指針を決めたところで、そんなことで足取りはなぜか自然と軽くなるのだった。
なぜだろうと、ふんわりと考える。『非日常』って奴に浮かれてるのだろうか? そんな気がしないでもないが…深く考えるのは辞めた。
何かを楽しく感じて、足取りが軽ければそれで、万事解決だ。
きっとこの春、特有の寒いような暖かいような、不思議な風にでもあてられたのだろう。