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結【缺】

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 たった一人の仲間を失った今や、学校は低俗な雌犬どもの巣窟でしかない。
 これで教室に行く気などするはずもなく、俺は生まれて初めての無断欠席というものをしてみた。バレたら親父に殴られるかもしれないが、むしろそうしてほしいとすら思える程度には自棄になっていたんだろう。
 家に戻れば家政婦さんが出迎えてくれる。やはり、ロングスカートは実にいいものだ。
「お帰りなさいませ。学校は、どうされたんですか?」
「ちょっと、気分が悪くなって。早退してきました」
「そうですか。アヤカ様も気分が優れないとおっしゃっていましたし、心配ですわ」
 アヤカはどうせ、ズル休みだろうがな……そうか、ここにはあいつがいるんだよな。
「おかゆでもお作りいたしましょうか?」
「いや、結構ですよ。あいつも、人に構われるのは好きじゃないですから」
「そうですか。では、お大事にしてくださいませ」
「あ、そうだ」
 家政婦さんが一礼して奥に下がろうとしたのを呼び止め、俺はひとつ言いおく。
「俺はアヤカと話をしてきます。年頃なんで、あいつが癇癪を起こすかもしれませんが、気にしないでください」
「はぁ……かしこまりました」
 俺は二階に上がって荷物を自室に置き、ポケットの中身を手の感触で確かめてから、すぐに廊下へ出てアヤカの部屋の扉をノックする。
「んぁーい」
 中からは気だるそうな、だけど平常運転の返事が届いてきた。
「入るぞ」
「……ぁあ、お前かよ。キモいくせに、なに勝手に入ってきてんだよ」
 白いたまごっちをいじりながらベッドに寝転がっているアヤカは、俺に気づくなり嫌悪感を顕わにしてきた。
「元気そうだな。サボりか」
「だったらなんだよ。あんたは違うのかよ?」
「いや、違わない。俺もサボってきた」
「へぇ、珍しいじゃん」
 上体を起こしたアヤカは、ほんの少しだけ態度を軟化させた。ずっと昔の、大した悩みも重責もなく兄妹同士でじゃれ合っていた頃の感情がわずかに想起される。こいつにも、素直に兄を慕う時期があったのだ。
「んで、何の用?」
「ちょっと話がある」
「だから、ぁんだよ」
 だが騙されてはいけない。こいつは敵だ。サメジマ家に内在する腐敗物だ。俺の近くにいてはいけない、安らぎを阻害する不純物だ。その証拠に今はミニスカートを穿いている。
「お前、売春してるだろ」
「……はぁ!?」
「最近は『援助交際』という言い方が流行っているんだっけか?」
「はぁ、意味わかんないし」
「見ていたんだよ。お前が、どう見ても恋人ではない男とホテルに入っていくところをな」
「あ、頭わいてんじゃねぇの? キモい」
 アヤカは動揺が隠せていない。やはりあのときのは、俺の見間違いではなかったようだ。
「証拠でもあんのかよ」
「証拠は無い。だから、このことを誰かに告げ口をしてお前を罰してもらおうとか、これをネタにしてお前をゆすろうとか、そんなことは一切考えていない」
 喋りながら俺は後ろ手で、扉の鍵を閉める。
「何が言いたいわけ? 独り言だったら自分の部屋でやってくんない?」
「だから、な。これは交渉じゃなくて、強制だ」
 それから俺は無造作にアヤカへ詰め寄り、こいつの頭と腕を掴み、ミヤコの顔を思い出しながら全力で引き落とした。腹ばいで床に頭を叩きつけられたアヤカは、グェッと汚らしい呻き声を上げた。きっと痛いだろう。とても怖いだろう。だが俺のほうは不思議なもので――まったく今は関係ないことだが――偶然アヤカの目にかかった親指に伝わる弾力から、これが他人の眼球の感触というものかと密かに感心していた。
「ぁにすん……っなせよ!」
 それはそれとして俺は、暴れるアヤカの背に膝を乗せ、胸を潰して動きを封じている。
 そこから、より体重をかけるようにゆるりと頭を垂らして、囁いた。

「ミニスカートを脱げ。そしてロングスカートを、穿け」

 意外にも、自分で発した声のおどろおどろしさに驚愕した。なるほどこれはミヤコが怯えるわけだ。
「バッカじゃなねぇの!? こんな、ことして、タダで済むとぉもうなよ。あたしにケガ、させて、親父に言ったらどうなるかぁ分かってんだろうなぁ!? だいたい、てめぇ、見てたってことは、てめぇもホテルに行ってたってことだろうがぁ! ざっけんなよぉ! ぜってぇチクってやるかんなぁ!!」
「もちろん分かっている。簡単に予想がつく。俺は親父に監禁されるか、それとも追放されるか、どちらにしても、まともな生活は出来なくなるだろうな。いま以上に」
「だったらぁ!!」
「だがな……お前がその雌犬生活を改めない限り、俺の居場所はどこにも無いんだよ。もう、安住の地は、どこにも」
「あぁん!?」

「これは命令だ。俺はお前に、ロングスカートを穿けと言っている」

 容赦はしない。逃げ道も作らない。
「これ、何だか分かるよな?」
 こんなこともあろうかと理科室から持ち出してきたマッチ箱を、ポケットから出してアヤカの眼前で揺らした。
「何、する、つもり……」
 強がっていたアヤカの声に、とうとう震えが混じる。
 構わず俺はマッチに火を着け、それを絨毯に放った。肌触りのいい高級品が見るみるうちに焼けていき、焦げ臭い煙を上げる。
「ぁにやってんだ、消せ、消せぇ、早く消せよぁっ!!」
「お前が俺の命令を無視するのは勝手だけど、それで人が死んだらどうするんだ?」
「あんたの、せいだろ?」
「俺も、お前も、そして親父も、いっそこの紅蓮に呑まれてしまえばいい。この家から穢れを祓おう……いや、親父は出かけているんだっけ。それはそれで構わないか。あれと心中するのは気持ち悪いしな」
「……頭、おかしい……」
「もちろん、お前が心を入れ替えてくれるなら、それで済むに越したことはないんだが」
「ぁ分かった、から……着替える、言う通りにする、から」
 手足をジタバタさせて暴れていたアヤカだが、火がこいつのまつげに触れるほど迫ってくると、ついに観念したようだ。俺はその火を素手で叩いて消してやった。
 それから俺は片足をアヤカの背に置いたまま手を伸ばし、カーテンを閉めた。それからベッドシーツを剥ぎ取り、下に落とす。
「どうせロングスカートは持っていないだろうから、これで代用してみろ」
「ぁ、うん」
「返事は『はい』だ」
「は、はい」
「結構」
 足を離してアヤカを自由にさせつつも、俺は逃がさないように扉の前に立った。この位置関係ならば、アヤカは窓から飛び出せば簡単に俺から逃げられる。だけどもしそんなことになれば、この屋敷が炎に包まれるだけだ。今の季節なら、火の手は早く回るだろう。
 ひどく震えながらアヤカは、俺の目線に促され、ためらいつつもスカートを脱いだ。それからすぐにシーツを適当な長さに折って、淫らな脚を隠した。そうだ。やはり女の脚は秘められた存在でなければならない。
「立ち上がって、見せてくれ」
「……はい」
 まるで生気を失った様子で、アヤカはぎくしゃくと身を起こした。水玉模様のシーツを間に合せで腰に巻いただけの装いは、当然に色気を重視した上着とのバランスを考えたものであるはずがなく、全体として見ればちぐはぐな印象だ。
 しかしその統一感に欠けた服装は、普段は勝気で生意気な女が恐怖に打ちのめされているという非日常性がスパイスとなって、至極上等なものに引き立てられている。
「ほう……意外と、お前、ナイスロングじゃないか」
 よくよく観察すれば、アヤカも素材としてはレベルが高い。やはりサメジマ家の一員として奔放な振る舞いは改められるべきだろう。そうだ。今までなんでこいつを放っておいたんだ。兄の務めとして、妹の不遜な態度は粛正するべきだったんじゃないか。
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
 その第一歩として、まずはロングスカートを馴染ませなければな。
「……?」
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”――と、さあ復唱しろ」
「ぁんで、そんな……」
 口答えするアヤカを、俺は無言で睨み返した。
「ス、スカートの、長さは、えっと……」
「“モラルの高さ”」
 一回では憶えきれていないようなので、俺は補佐をしてやる。
「モラルの、高さ」
「“ロングスカートは正しい淑女の服装です”」
「ロングスカートは、正しい、淑女の、服装です」
「“ロングスカートの他に尊ぶものはなく”」
「ロングスカートの他に、た、尊ぶものはなく」
「“ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
「ロングスカートの他に、信じるべきものは、ありません」
「よし、じゃあ最初から」
 この短い間にもアヤカは実に疲れきった感じだが、俺は休みを与えない。
「ぇ、あ……」
「最初から復唱しろ」
「ス、スカートの長さは、モラルの、高さ。ロングスカートは、正しい、淑女の服装、です。ロングスカートの他に、尊ぶものは、なく、ロングスカートの他に、信じるべきものは、あ、ありません」
「なかなか筋がいいな。さあ、もう一回」
「スカートの長さは、モラルの高さ。ロングスカートは、正しい淑女の、服装です。ロングスカートの他に、尊ぶものはなく、ロングスカートの他に、信じるべきものは、ありません」
「もう一回」
「スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは、正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に、信じるべきものは、ありません」
「もう一回だ」
「スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません」
「何度でも」
「スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません」
「まだまだ」
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
「だいぶ良くなってきたじゃないか」
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
「いいぞ、その調子だ」
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
「どんどんやれ」
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
「もっとだ」
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
「休むなよ」
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
 ここまでくれば俺がいちいち促すまでもなく、アヤカは俺が教えたことを繰り返し繰り返すようになっていた。
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
 やおら俺は、アヤカに歩み寄る。
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」
「やれば出来るじゃないか。さすがは俺の妹だ」
 寄りながら、マッチを擦る。
「“スカートの長さはモラルの高さ。ロングスカートは正しい淑女の服装です。ロングスカートの他に尊ぶものはなく、ロングスカートの他に信じるべきものはありません”」 
「お前が言う通りにしてくれると、俺も嬉しいよ」
 そして片手で燐光をちらつかせながら、もう一方の手で、小さい頃に泣いていたアヤカをあやしてやったときのように、そっと頭を撫でた。
「……はい!」
 アヤカは胡乱な瞳で、元気そうな声を返した。

 その日の夕暮れどきに、俺はアヤカのミニスカートで焚き火をした。
 屋敷の裏庭でよく燃える断罪の炎を眺め下ろしていると、ミヤコを好きだったという事実も、彼女と恋仲になれなかった無念も、揃って瑣末なことに過ぎないのだと感じられるようになってきた。
 それというのも、他ならぬミヤコが俺に新しい道を示してくれたからだ。
 彼女は言った――女は男で変わると。

 だから変えてやろう。
 俺という男が。
 だから正してやろう。
 お前らという女を。

 しかし正義を執行するには力が要る。
 個人の暴力や腕力では限りがある。
 組織が必要だ。
 強力な組織を操れる地位が不可欠だ。

 そのためには、親父――あんたの跡を素直に継いでやろうじゃないか。
 俺はあんたのことが嫌いだし、早く死ねばいいと心底から思っているが、それとこれとは別だ。あんたが用意してくれた「サメジマ」の名前は最大限に利用させてもらう。
 俺が「サメジマの息子」じゃなくて、俺自身が「サメジマ」として日本を動かせるようになるまでは、あんたに従順なフリをしてやるよ。

   *

 それからの私は、枷が外れたようだった。父が口をつぐむほど勉強に集中し、期末テストでは全教科満点を有言実行してみせた。政治家同士の社交の場には積極的に出させてもらって、愛想笑いを振りまいた。
 アヤカは調教の甲斐あって立派な上流階級の淑女になれた。
 私は期待された通りの大学に進み、官僚の道を選んだ。国会議員になることだけが政治ではないからな。こうして《ロングスカート愛好会》を設立し、時流を掴んだ今に至るまで全てが順調だ。

 本当に、私が抱いていた脆弱な価値観を壊してくれたミヤコには感謝している。彼女は大学に行ってから程なく寝取り屋――後に同窓会で聞いた話だが、ウサダという男は陰でこう呼ばれていたらしい――と別れたが、デザイナーになるという夢は叶えたそうだ。私はその方面に詳しいわけではないのだが、一時期の秋葉原で大流行した「メイド喫茶」なるものの衣装に大きく関わっていたことがあるという。
 ミニスカート支持者を増やした彼女は、今の私にとって紛れもなく敵であり、愛好会にとっては第一級の粛正対象である。もし実際に彼女と会うことがあれば即座に監禁してロングスカート憲章を全て暗記させるまで拘束するくらいは間違いなくやるが、それはそれとして、多大な感謝をしているのは事実だ。

 私にとってミヤコとの出会いと別れは、確かに傍目には「人生の分岐点」と呼べるものだろう。だが私の人生を木の成長になぞらえて省みたとき、それはむしろ横に飛び出しかけていた枝葉を切り落とす、剪定に近いものだった。
 寝取り屋に先を越される前に、具体的に言えばアヤカを追ってホテル街に迷い込んだあのときに、私にはミヤコの手を引いて淫靡な香りの建物に入るという選択肢があったはずだ。
 あるいは高校卒業後、お役御免だと思っていたポケベルが鳴って、ミヤコが彼氏と別れたと泣きついてきたときには、私は彼女の元へ駆けつけてそっと抱きしめてやることが出来たかもしれない。
 だがそれをしてどうなる。そうして軽々しく男に抱かれるような女をこそ、私は軽蔑するのだ。だから私はどのタイミングでも、どう足掻いても、ミヤコと結ばれることはなかっただろう。それが私の信仰だからだ。
 いや、ミヤコに限らない。どんな形であれ今まで、そしてこれからも、私は心から好きになった女性を抱くことが出来ない。生まれ持った肉体の性に揺り動かされることのないように、ロングスカートを純粋な気持ちで愛し続けられるようにと、独り立ちした私は自ら望んで男性機能を取り除いた。
 もはや私に下劣な欲求はいらない。
 劣情など必要ない。
 
 だがそれでも良い。
 全ては順調だ。
 大樹は遮られることなく直に伸びている。
 こうして『俺』は、今の『私』に、なるべくしてなったのだ。

 表向きにはサメジマの家長として高級官僚を務め、人脈を広げることが出来た。
 裏面では《ロングスカート愛好会》の会長として、多くの私兵を束ねることが出来た。 血を継いだ子供はいないが、私にとって血よりも大事な思想を受け継ぐべき息子は手に入れた。ユウスケという名の、賢そうな子供を養子に迎えた。

 私は『俺』が望んでいたように、充分な権力を手に入れた。
 ――さあ、世界を変えよう。
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作:橘圭郎 原:G.E. 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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