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チカン考

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 さて、赤い帽子を被った人気者、マリオの話である。
――いやいや、違う。それは配管工。

 もとい、慈円の説いた史論についての話をひとつ。
――それは愚管抄。

 改めまして、ラディッツを一撃で仕留めたピッコロの必殺技について……



 ここで今回の論を読み進めるにあたって、北の果て、ポカホンタス大学札幌校にて人文科学に片足を突っ込んでしまったテンプラ学生であるところの私からひとこと言わせて頂こう。人文科学を数年修めていれば何となく気がついてしまうことなのであるが、われわれふぜいが「人の役に立つ」ような内容の文章を書くことはどだい無理な話なのである。社会科学やら理系やらの諸君が目指すような、「他人のために」どうこうといったような業績はまずもって挙げられないことをここに宣言しておこう。
 どうしても人文科学における「その手の」恩恵にあずかりたいと言うのなら、Google検索で「宗教 現世利益」とでも打ち込んで渾身の念を込めてエンターキーを押し(一見、無駄な作業のように思えるが、この「渾身の念を込める」ステップが無ければいけない。このステップを踏めなければ、おそらくあなたは宗教信仰に向いていないのだから)、上から三つか四つ目あたりに出て来たサイトをクリックして、「入信するには」をクリック、所定の口座にウン十万振り込めば良い。これで晴れてあなたも恩恵下の人間の仲間入りであろう。友達をどんどん誘って浄水器を買わせ、十五人の紹介で貰えるというハワイ旅行をゲットして、無事に現世利益を満喫、といった訳だ。

 話が多少横道に逸れた気もするが、改めて誰の役にも立たない「チカン」考である。或る日、私はいつものように昼過ぎに起きて、食パンを二枚トースターに突っ込み、そのあとまず一枚を口に突っ込み、ミルクティーを飲んだ後もう一枚突っ込み、新聞を拡げていた(やくざな人文科学修習生は大体がこういった日常を送っていることに留意したい)。その新聞のラテ欄に書いてあった言葉が「プロ野球選手が経験した『逆チカン』」である。
 これを見て、最初私は「えっ」と思い、そのあと「ほう……」と思った。つまり、最初、「逆チカン」とは「チカン」に対して何が「逆」になっているのかが良く解らずに「えっ」と漏らしたのだが、そのあと「チカン」は「痴漢」という漢字をあてるのだと思い出し、なるほど「痴漢」は「漢」=男性、つまり痴情を持ってしまった男性の意であるから、「痴漢する」は男性主体の表現であり、新聞の用法では女性から男性へ、つまり主体が「逆」になっているから「逆チカン」なのである、と腑に落ちて思わず「ほう……」といった訳である。
 余談であるが、やくざな人文科学修習生は概して「チカン」が一発で漢字変換できない無能なパソコンを使用しているものだから、ここらの文章を書いていると遅々として作業が進まず、バックスペースキーと変換キーとを渾身の怨念を込めて叩くことが多い。つまり、やくざな人文科学修習生は、皆なんらかの邪教を信仰している。

 さて、ものの本、ならぬ「モノのビデオ(今の趨勢はDVDであるが、なぜかこの手の商品はいつまでも「ビデオ」という呼称を使い続けるようだ)」には、「痴女」と呼ばれる人種の出てくるものがある。これは――他のものの本、ならぬ「モノのビデオ」に出てくる用語がそうであるように――あくまで俗語であり、辞書の類に載っていないほか、巷で話されることも少ない。この「痴女」という言葉は、「痴漢」が「痴漢行為」そのものを表す、つまり「痴漢する」という動詞で使われることもあるように、「痴女行為」のことを表してはいない。これにはひとつ考えられる理由がある。「モノのビデオ」も商品のひとつである以上、何かしらの広告をどこかしらに掲載することが求められる。広告には、その商品に対する購買欲をより刺激するような要素が必要である。そこに「痴女する」と書いてあるだけでは、欲も何もあったものではないではないか。そのため、他のその類の商品がそうであるように、もってまわったようなジットリとした宣伝文句が求められる。「欲に溺れた◯◯女史は、その指先を……云々」と言った具合である。対になる語と同様の変化が定着していないことは、はっきりとした定義づけがなされていない俗語の難点であると言えよう。

 そこで「痴漢」という言葉を、新しくしたら良いのではないかと私は思う訳である。それも、今までこの「痴漢」という言葉が保ってきた形体や響きから来るイメージをできるだけ残しつつ、である。「カン」の良い読者諸賢なら察しがつくかもしれない。「カン」の字である。この「カン」=「漢」=男性、とする漢がえ方……もとい、考え方がネックになっていると思われる。響きの猥褻さを残すため、「漢」を同音異字に変漢……もとい、変換したい。諸々の事情をカン案して……もとい、勘案して、私がカンがえ……ではなく、考えついたのが、「姦」の字である。(いちおうの結論はここでついたので、この文体を読み進めるのが面倒な向きはもう読むのを止めても構わないが、こんな「書くも物好き読むも物好き」な文章をここまで読んでいるなら、最後まで読んでしまっても構わないだろうと私は思う。しかし少なくとも「誰の役にも立たない」文章であることは、冒頭で述べた通りである)
 さてこの「姦」の字、手元のものの本には、こう定義してある。


字義:1.よこしま。わるい。……3.みだす。おかす。……5.みだら。淫行。男女関係の正しくないこと。(大修館書店『新漢語林』)


これならば男女の別なく、自由に「チカン」できるという訳だ。これからは、「痴漢」ではなく、「痴姦」と呼ぼうではないか。

 これが私の考察と提案の全てであるが、もしこの姦がえ方に賛同して頂けるならば、著者江口眼鏡の口座あてに四十三万八千円を入金したうえ、下記連絡先まで御一報を……
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