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アルバイト、始めました。

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「本当にここ辞めちゃうのかい?」
 退学届おを受け取った受付のおばちゃんは心配そうな顔をして俺にそう言った。ゼミの教授に辞める旨を話しても、書類を渡されるだけで特に何も言われなかったのでこれは少し意外だった。
「あ、はい。決めちゃったんす!」
「まあ何か目的があればいいんだけどねぇ。体、気をつけなさい」
 そしてこれがこの大学に居て一番の良い思い出になるくらい俺の大学生活は荒んでいた。しかしそんな生活とも今日でおさらばである。最高に自由で、最高に希望の持てるこれからが待っているのだ――


「とまあそれが半年前のことですよ」
 薄暗いアパートの一室で俺は一人パソコンに向かってそう呟いた。あの時の俺は自分の不幸さに酔っていた。酔った上に薬をキメたようにハイになっていた。正直に言う。もう全部勢いだった。目的もなければ今後については何も考えていない。大学中退の事実を知らない親からは仕送りが毎月当然のように届く。身を案じる内容であろう手紙は読まずに捨てられ、生活費はネトゲ代につぎ込まれていると知ったらどう思うだろうか。ああ、良心の呵責に苦しむ毎日。でも最近はそれすら薄らいできている。
「あはははははは、もう駄目だ! これはもう死ぬしかねえ!」
 でもそんな勇気もない俺は睡眠薬を二錠くらい飲んで夜十二時に就寝する。心地良い眠気が俺を襲う。寝る前というのはいつも考え事をしてしまうが、こいつのお陰でそれもない。そして朝七時きっかりに目覚ましがなる。
「あ、もう朝か」
 目覚ましを止め、覚醒する意識が自分の生を認識すると同時に俺は叫ぶ。
「なんで死んでないんだ俺! 睡眠薬だって飲んだじゃないか! どうして、また死ねなかったんだあああ!!」
 もう既に俺はぶっ壊れている。そう自覚してみると、なんだかとっても楽になった。今なら簡単に逝ける気がする。ただ、気の多い俺はただ死ぬのは嫌だなあと思った。こんな俺でも大学に入る前は将来に希望を持って、何かしら大きなことをする足がかりを作ってやると意気込んだものだ。(まだ何もなしていないまま死ぬの?)と脳内嫁のアスカちゃんも言っている。でも俺は今日中にはアナザーワールドへ飛び立ちたい。
「さーてどうしたものかねえ」
(とりあえずお仕事でも探しなさい!)
 アスカちゃんは散らかった机の上にあるノートパソコンを指さした。
「アスカちゃんはいつも手厳しいわぁ……」
(ほらパソコン立ち上げて!)
「そういえば、どうせ今日中に死ぬし。別に仕事なんか探さなくても――」
(つべこべ言わずにさっさとする!)
「はいはいっと」
 頭を二、三発叩かれながらノートパソコンを立ち上げると、インターネットに接続しバイト検索サイトをひらいた。取りあえず短期、そして高時給。交通費支給であり、初心者歓迎。必要項目にチェックをいれエンターキーを高らかに叩いた。
「いやー、うんうん。いやー」
 なんだか仕事をした気になった。心の隙間が塞がれていくようだ。ああ、労働は素晴らしいな。
 軽く背伸びをしつつあたりを見回し始めると、アスカちゃんが睨んできたので渋々マウスを掴んだ。
「工場内ピッキング、試験監督、工事現場、イベントスタッフ。どれもぱっとしねーな」
(試験監督とか楽そうだからアンタできるんじゃないの?)
「こいつは派遣会社に事前登録必要みたいだ。今登録してもバイトできるようになるまで一ヶ月はかかるな」
(とりあえず登録しておきなさいよ)
「いや、どうせ今日中に死ぬし……」
(ギャーギャー言ってないでさっさとしなさいバカ! クズ!!)
「ぶひひ、俺にとって美少女の罵倒はご褒美だぜ??」
(なら、この外見と声、変えるわよ。……あんたのお母さんに)
 美少女といえ脳内妄想。意識すればするほど、強烈な思考に妄想は左右されるようになる。細く美しい足が大根のように太く、キュッとしまったおへそ回りが使い古した座布団のようにだらしなく、腰まである金髪ストレートの艶やかな髪がソバージュの白髪隠しに茶色に染められた雑なモノに変わった時、俺は鼻水を撒き散らし号泣しながら土下座で謝っていた。
(全く。こうしないと動かないんだから、駄目ね本当に)
「ごべんなざいっ! ぢゃんどやりばずっ!!!」
(ほら、鼻吹きなさい。ちゃんとこの姿で見ててあげるから)
「ぼぐ、ぢゃんどやりばず!!!」
(ほらマウスをとって。手を添えてあげるわ)
「ああのおおおお、ぜっぜながに、おおおおっばいがあだっでる!!」
(うるさいわね。どうせアンタの妄想よ。ほら、人差し指でホイールを回すの。スクロールよ、スクロール)
 背中に柔らかいもの(幻想)を感じつつ、なすが儘に俺はスクロールバーを下へ下へと動かす。画面の動きを目で追っていると、まるで催眠術にかかったかのように気持ちが落ち着いた。全く酷いものをみた。あんなおぞましいものが俺の脳内に住み着きだしたら本当に自殺してやる。
「ん?」
(どうしたの?)
 昨今の広告は華やかで目立つものばかりという印象だが、その中で飾り気の無い一つの広告に目が留まる。

 【急募】最短一日。簡単な作業のみ。日給1万~1000万円(要相談)アットホームな職場です!!

 思わず鼻で笑った。今日日中学生でももっとましな嘘をつく。明らかにやる気のない広告に、日給一千万とは最早寒い。しかしもし本当だとしたら、とも思う。夢があるじゃないか。最早将来への希望も生きる気力もない俺にとって、少しだけ元気を貰えるような。
「人生の最後に、こんなバイトもいいかもな」
(またそんなこと言って――)



「――とまあそんな感じ? で、応募したわけす」
「はい、よくわかりました」
 気軽に「ご応募の方はこちら!」のボタンを押してから二時間後、俺は面接を受けていた。
 面接場所は俺の住むアパートから電車で一時間の小さな雑居ビル。あの後十分も経たずに折り返しの電話がかかってきた。女性の声で「取りあえず面接したいので、今これますか?」と。久々の他人との会話に焦った俺は、普段なら言い訳して返答するところを素直にイエスと返事してしまった。
「じゃあうちのバイトの内容とかも見ずに来ちゃったかんじ?」
「あ、はい。そっすね」
「あはは、そうかそうか。まあ軽作業ってしか書いてないけどね!」
 面接官の女性は愛嬌のある人で、初対面の俺に対してもかなりフランクに話しかけてくる。しかしそれを嫌味と感じさせない雰囲気を醸し出していた。それは短くサッパリした黒髪や薄い顔立ちが起因しているのかもしれない。
「それじゃあ、バイトの内容説明するね?」
「あ、はい。おねがいしゃす」
 俺の返答に笑顔で返すと、女性は机の上に置いていた鞄の中から書類を取り出し机の上に広げた。何か建物の図面のようだ。
「これ池袋駅の図面なんだけどね? まあ簡単に言うとね、ここと、ここと、ここと……」
 女性は「あれ、ここもだったかな?」と楽しそうに図面の至る所を指さしていく。そして一通りそれを繰り返すと、にこやかにほほ笑んだ。
「今指さしたところに仲間が爆発物とか毒ガスとかを仕掛けたのね。それで、あなたにはこれをどうするか決めてほしいの」
「あ、は……い?」
 意味不明ではあったが、その時とりあえず分かったことは笑顔の彼女の目が本気であったことだけだった。
 
「あ、え、爆弾をどうにかしろ、すか?」
 聞き間違いではないのは分かっているが、俺はもう一度聞き直す。
「んー、その言い方にはちょっと語弊があるかな。簡潔に言っちゃえばね、この爆発物とかを使うか使わないかを決めてほしいわけ。それで、爆破の号令までしてもらう」
「あ、そ、それってどういうことなんすか?」
「私達は爆発物を設置するところまでしたのね。でもそこから先は全部君の責任でどうするか決めてほしいわけ。世の中にはね、いるのよ。犯罪をしたいけど、自分のせいになるのは嫌だって人。私達はそういう人達に依頼されるわけ。それで、お膳立てまではするの」
「あ、はあ?」
 俺が「で、なぜ俺がそれを決めるのか」と言いたそうな顔をしていると、女性は「分かってる。皆まで言うな」という顔で話をつづけた。
「人って身勝手なのよ。自分が依頼して事件を起こすことが直結していると、やっぱり罪の意識が芽生えちゃうわけ。だから依頼と事件の間に第三者の意思を挟み込むの。失敗するか、成功するかを委ねちゃうの。失敗しちゃえば残念でしたで終わりだし、成功すれば、自分が決めたことじゃないって言い訳できるでしょ?」
「はあ。でもそれって俺にリスクでかすぎじゃないすか?」
 もし俺が事件を起こすことを決定すれば、罪悪感や実刑という恐怖に一生苛まれることになる。
「私達には実績やコネがあるから。あ、あとで資料見せてあげるけどね? だから貴方に法的制裁が下るってことは絶対ないわ。これは断言できる。それに罪の意識を消せるまではいかなくても和らげる位の報酬も提示しているつもりだし。あ、今回は結構規模が大きいから、上乗せも考えているわよ!」
 いい話でしょ、と女性はウインクした。
「あ、えっと、参考までに聞くんすが上乗せって?」
「あー、好きな女の子あてがうとか、こっちの全負担で海外に数年間逃亡させてあげるとか。現金がいいなら死亡人数に比例させて最大五千万円の上乗せってところかしらね。まあできることはなんでもしてあげる」
「ふひゅぇっ!?」
 思わず変な声が出る。そしてあてがうという言葉に俺の俺ちゃんがちょっと元気になった。
(キモい、変態、サイテー!)
(止めろアスカちゃん! これ以上罵倒されるともっと元気なっちゃうだろう!)
「ちょっと、大丈夫?」
「はひぃ! 平気でしゅぅう!!」
「ええと。ならいいんだけど……」
 軽く息を吐き、心を落ち着ける。
「具体的な話ね」
 女性は軽く咳払いをして話を戻す。
「今回のバイトは最大三日間。日給千円。一日目で爆発させたら三千万、二日目なら二千万、三日目なら一千万の給料がでます。爆発させなかった日は一律日給千円です。だから一日目は爆破させないで二日目に爆発させたら、二千万と千円を受け取れるってこと」
「あ、三日間なんもしなければ三千円ってことすか?」
「そういうこと。ちなみに爆発させるかどうかはバイト時間に決めてもらうから。バイト時間は十四時から十八時までの四時間ね。その四時間の間はここに来てもらうから」
 今更気づく。既に採用されている雰囲気で話が進んでいる。だがまて、やっぱり止めますと言うのは今ではないか。すでにこれは犯罪だ。警察に連絡した方がいいのではないか。
 しかし俺はもう死ぬと決めた身。ぶっちゃけ何人殺そうがどうせ死ぬのだから大丈夫という考え方もある。しかし金や願いをみすみす逃すのも惜しい。
「バイトは今日から始めてもらうから。今十三時半だから、あと三十分したら開始ね。それとバイト時間中は基本ここにいてもらうって言ったけど、付き添い有なら外出も平気よ」
「付き添い? お姉さんがすか?」
「他のバイトの子。その子は長期採用なの。ショウー、きてー!」
 女性が声を張り上げると、パタパタと足音が近づいてくる。そして面接室のドアを開けて足音の主が入ってくる。
「紹介するわね。長期バイトの佐山翔子ちゃん。遅れたけど私は北です」
 ぺこりと頭を下げる女の子。髪は短く顔は中性的。美少年にも美少女にも見える。身長もそんなに高くないし全体的に幼い印象をうける。しかし出るところは出ているので女性と判断できた。
「まだ現役高校生よ。よかったわね!」
 女性は年頃の息子が初めて彼女を家に連れてきた時の母親のような顔をした。
 俺は思った。失礼な人だ。まるで俺が女目当てでバイトを受けるようじゃないか。俺は死ぬためにバイトをするんだ。崇高な目的を持ち労働に勤しむのだ。女に現を抜かしてそれを蔑ろにはできない。
 だが、やはり同僚には節度を持った誠実な態度で接するのがベスト。何よりまずは第一印象。笑顔で、はきはきと喋り、爽やかな人当りをアッピィィイルするのだ。
「俺は有村幸助というもの! 三日間という短い期間ですがおなっしゃしゅ!」
(噛んでるし笑顔は気持ち悪いし、最短一日って言ってるのにもう三日間働く気なってる時点で吐き気がするわ!)
 かくして俺の人生最後のアルバイトが幕を開けた。
2, 1

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