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熱い雨が降る

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 雨に降られたい時はバスルームに入る。
 都合の良い、私が唯一好きな雨が降るのが、そこだけだからだ。

 バスルームミラーに映る私の姿を見て、本当、ひどい顔をしているものだと思った。濡れた髪はすっかり緩んで、かけたばかりのパーマはうんざりするくらいストレートな元の髪に戻りかけている。
 珍しくかけてみたのに……。他の人はもっと綺麗にかかるのになあ。
 シェルフ付きのミラーに指先で触れ、ミラーに映った私の体をそっとなぞってみた。面白みの無い体だ。魅力も感じない。
 もし、胸があとすこしだけ大きかったら、もっと自信が持てたのかな。なんて考えてしまう自分が途端にくだらなく、そして恥ずかしく感じてしまう。
 自分の中に芽生えた劣等感を振り切るように蛇口を思い切り捻る。熱いお湯が湯気と共にスコールみたいに降り注ぐ。曇ったミラーの中の私は輪郭を無くし、しまいに私と周囲との輪郭線を消し去ってしまう。そんなミラーを見て、ホッとしている私がいた。
 多分、私が一番心の底から安堵する瞬間は、この時だ。
 他の鏡と違って、バスルームでは私の好きな時に輪郭を曇らせることが出来るから。
 映った自分の輪郭が消えてなくなっていくと、まるで私が個体では無くなった気がして、この世界の背景に溶け込めた気がした。これで私は、誰かの背景でしかなくなる。もう周りの目を気にしなくてもいいし、誰かに対して高望みをする必要も無くなる。
 髪型も、胸の大きさも、身長も、手や足のサイズも、顔も、誰かが見ているから、誰かに見てもらいたいから、どうにかしたくなる全てから開放される。
 降り注ぐお湯の熱さが私を暖める。冷たかった指の先まで熱が行き届いて、抱きしめられた時みたいな心地よさに思わず目を細めてしまう。
 私は濡れた髪を両手で背中へと流し、前髪を掻き上げると、隅のバスチェアを引っ張って座り込んだ。まだ温まりきっていないチェアの冷たさに私は少しだけ震えたが、それもすぐにぬくもりの中に消えていった。
 
 ざあざあ。
 
 こんな風に、本当の雨も暖かかったら良いのにと、何度思ったことだろう。そうしたら、傘なんて差さなくて済むし、どんよりとした重たい気分を引きずることも無くなる。
 冷えれば冷えるほど、心は凍てついて、嫌なことばかり考えてしまう。
「まひろ、帰ったの?」
 雨模様のバスルームの外から、からりとしたお母さんの声が聞こえてきた。ただいま、と返したが、聞こえたのかは分からなかった。曇りガラス越しにお母さんがしゃがむのが見える。多分、脱ぎ散らかしたままの私の衣類を拾い上げているんだろう。
「やだ、ずぶ濡れじゃない。降るかもって折りたたみ傘渡さなかった?」
「そうだったっけ」
「そうだったっけ、じゃないわよ。もう、こんなに制服ぐしょぐしょにして……。乾かすの大変なのよ」
「別にいいよ、明日は休むから」
 そう答えると、お母さんは黙ってしまった。「ちょっとあんまり体調良くないから」と付け加えてみたが、多分、大して意味は無かった。
「……晩御飯は、ちゃんと食べなさいね」
 お母さんはそう言って、私の返事も待たずに出て行ってしまった。
 これだけ状況が揃っていたら、分かるに決っている。ただ、お父さんじゃなくてよかったな、と私は思う。お父さんだったら、一生懸命になりすぎてしまうから。それに何度も救われた事があったけれど、今日は、あまり触れたくなかった。
 降り注ぐ雨の先には、クリーム色の照明と天井が見える。雨が振る時は、やっぱりどこも曇っているものなんだな、柔らかいけど、外と同じで晴れ晴れとはしない色だ。
 雨にさらされながら、私は瞼を閉じた。
 しとしとと降り注ぐ雨の音、灰色じみた景色、蛍光灯に照らされた下駄箱。
 鞄から傘を出す彼と、開かれた傘の中に入るあの子の横顔。
 雨なのに、どんよりとした世界の中で、あの子の横顔だけが、酷く輝いて見えてしまった。
 薄く目を開けると、顔に降り注ぐ大粒の雨が目元を洗い流していく。頬を伝った雨粒は、顎先でまとまって、私の胸元に落ちて、体を伝ってやがて流れ落ちて消えてしまった。
「そっか、天峰さんと彼、そっか……」
 あの子くらいパーマのかかり具合が良かったら。
 あの子くらい胸があったら。
 あの子くらい身長が小さかったら。
 考えても考えても、そんなの答えは出ないし、今更どうにかなる話でも無いっていうのに。頭の中で反芻してしまう自分が、大嫌いだ。
 だから、この熱い雨と一緒に、私のこの大嫌いな部分を洗い流してしまおう。
 冷たい雨だったら誤魔化せない、この目元の熱だって、このバスルームの雨なら気のせいにしてしまえる。
 水浸しの体を、ふやけきった指先で抱き締め、屈みこむ。
 ほんの少し、シャワーの勢いを強くする。

 ざあざあざあ。

 地面よりもよく跳ねる雨音の中で、誰かの嗚咽が聞こえた気がした。誰かが涙を流している気がした。
 私は抱きしめた体をより一層屈めて、降り注ぐ雨を一身に受けていく。
 やっぱり、雨は嫌いだ。

 どこまでも私の心を冷たく、凍えさせてしまうから。


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