東京都世田谷区用賀──深夜。
環八通り上り線に複数の緊急車両が停車し、おびただしい数のランプが付近を赤く照らしている。
いくつもの交差点で交通規制がかかり、規制は環八だけでなく交差する世田谷通り、首都高速三号渋谷線といった幹線道路に迄至っていた。
「全規制及び全隊員の配置完了しました」
グレーの作業服を着た青年が、黒いバンの前に立っているスーツ姿の男に報告する。
「砧や岡本の住民の様子はどうだ？」
「範囲内の小道はパトカーを巡回にまわしているので、そう簡単には公園には近づけない様になっています」
報告を聞いたスーツ姿の男は、おもむろに胸ポケットから煙草を取り出す。
「しまった、ライター切れてたんだった…石川、お前ライター持ってないか？」
その言葉に作業服の青年、石川は苦笑いをしながら
「僕が吸わないのは千葉さんがご存知じゃないっすか」
そうだった、こいつは酒も煙草もやらない男だったか。全く面白味に欠ける奴だ。
千葉はガスのなくなっているライターを取り出すと遮二無二リールを回す。そんな彼を見ていた石川は、クスクスと笑いながらバンのドアを開けてシガープラグのソケットを外して手渡した。
「“常に周囲に目を配らせ状況を把握しろ”っておっしゃったのはどなたですか？」
軽い皮肉を言われ、千葉は思わず舌打ちしながらソケットを分捕り煙草に火を着ける。
「それだけ言えるって事は余裕がありそうだな。後は全部お前に任せてもいいんだぞ？」
「現場が混乱するだけですから、有難い話ですが遠慮しておきます」
二人の目の前を、制服姿の警官が走り去っていく。
恐らく、あの警官は近隣の所轄だろう。ただ、いきなり上から詳細を聞かされる事なく環八周辺の通行止め規制に回されて混乱しているだろうな、と千葉は心の中で哀れんでいた。
「…“発現”迄、後何分だ？」
煙草の煙を吐き出すと同時に石川に質問する。その言葉に、石川は脇に抱えていたタブレットを起動させ必要なデータを開いた。
「時間通りでしたら、後六分といった所です」
石川の抱えていたタブレットには、【発現予定時間：午前二時半 予定ポイント：砧公園駐車場付近】と書かれていた。
「そうか…予定通りのポイントであってほしいな」
「確かに、世田谷美術館や医療研究センター付近に出られたら厄介ですもんね」
石川が懸念材料を口にすると、千葉は「いや」と返した。
「隣の運動場あるだろ。あそこのゴルフ練習場は結構利用するから、そこ壊されたら堪らんからな」
第壱話【始】
盛大なくしゃみと共に、草薙正義は身を震わせながらベンチから起き上がった。
休講の合間に入れたバイトが急に休みになってしまい、暇を持て余してしまったからたまには公園散策でもしようと砧公園にやってきて、ついベンチでウトウトしてしまった所迄は覚えていたが…まさか、真っ暗になる迄寝てしまうとは。
「うへー、夏場でも流石に寒いな…」
とっとと帰って熱いシャワーでも浴びないと、絶対に風邪を引いてしまいそうだな。
明日は朝から講義があるから体調を崩す訳にはいかない、そう考えた正義は早急に公園を出る事にした。
夜風が園内の木々を揺らし、ガサガサと不安を煽る様な葉音を立てる。
時折、野良猫でもいるのか近くのアカンサスの葉が音を立てて揺れ、暗闇に近い状態の中での音が彼の恐怖心をくすぐった。
「おいおい、俺ってそんな怖がりじゃねえだろうよ…」
自分に言い聞かせる様にわざと口にしながら、彼は公園の出口へと足早に歩いた。
何処か遠くで喧嘩でもしているのか、怒号に似た声が聞こえてくる。酔っ払いか不良でも揉めてるのかね…ま、自分が巻き込まれる前にとっとと撤収しよう。
普段はそんなに怖がりだと思っていなかった自分がこんなに怯えている事に苦笑いしながら、彼は更に足を速めた。
が、そんな彼の目の前を、黒い塊が横切った。
否、横切ったというよりは吹き飛ばされてきたという表現の方が正しく見えた。
「…？」
吹き飛ばされてきた塊は、何度か転がった後ゆっくりと大の字に広がる。
それが人であると判ったのは、遠くの白熱灯の明かりが広がってきた塊の中に苦痛に歪んだ男性の表情を照らしたからだった。
「え、あ…だ、大丈夫ですか!?」
正義は慌てて男性の下に駆け寄った。よく見ると、男性は額から大量の血を流している。
「きゅ、救急車…救急車呼ばなきゃ！」
血まみれの男性の顔を見て動揺した正義は、ジーンズのポケットに入れたスマートフォンを取り出すのに悪戦苦闘してしまう。だが、男はそんな動揺している彼の腕を掴むと、
「救急車…は、呼ばなくて…いいから…ここから逃げるんだ…！」
「な、何を言ってるんですか！ 怪我人放っておける訳ないで──」
派手な葉音が背後から聞こえた。
余りの音の大きさに驚いて振り返ると、そこには黒い塊が二つ唸り声を上げて立っていた。
それは人の様ではあったが、よく目を凝らして見てみると鎧武者の様な、この場には不釣合いの姿形をしていた。
般若面の様な顔は眼窩が紅色に光り、肩が上下に揺れる度口元から鈍い息遣いと共に白い息が吐き出されている。その姿は、まるで鬼か化け物かといった所だった。
「…な…なんだ、こいつ等…」
化け物は徐々に距離を縮めてくる。狙いは、勿論自分達であるのは間違いないと正義は瞬時に察した。
「クソッ…こんな時に…強制解除って…有り得ない…だろ…」
自分の背後で、男性が苦しげに何かを呟いた。
そうだ、この人は大怪我してるんだった。逃げるにしたって、どうやって担いで走ればいいんだろう。
だが、化け物は更に距離を縮めてくる。これ以上四の五の考えた所で何も解決しそうにないのだから、それなら何も考えずに体を動かす方がましだろう。
「あの！ すみませんが、体が痛むの我慢して一緒に──」
男性を起こそうと振り返った瞬間、化け物達が飛び掛ってくる気配を感じた。
急いで男性を抱えて横に転がると、間一髪といった具合で男性が寝ていた箇所に化け物の爪が刺さる。それは思いの外深く刺さったのか、化け物は地面から指を引き抜こうと苦戦していた。
思わずほっとして胸を撫で下ろす正義だったが、もう一匹の化け物がこちらに近付いてくるのを見て後がない事を知った。
怪我人が横にいて、武器になりそうなものは全く持っていない。こういう時って、万事休すというべきか前門の虎後門の狼というべきか…
「ううっ…」
男性が苦悶の声を上げる。力を入れる事が出来なくなったのか、右手に握り締めていた物を地面に落としてしまう。
それがどんな物なのかは判らないが、取り合えず今はポケットにでも入れておいて後で渡せばいいだろう。
そう思って、地面に転がった石ころの様な物体を拾うと、
「──うわっ！」
突然、それは眩しい閃光を発した。
余りの眩しさに正義は目を反らし、同様に化け物も鈍い唸り声を上げて後ずさる。
何が起こったのか判らずにいると、それ迄苦しんでいた男性がいきなり「君！」と大声で正義を呼んだ。
「詳しい話は後でするから…それを…ミツルギを使うんだ！」
男性の顔は苦痛に歪んでいたが、力の入った目は真っ直ぐ正義を見ていた。
「それ…って、もしかしてこの石っころみたいなやつの事ですか？」
「時間がない…死にたくなかったら、君がそれを使って…私の代わり…に奴等を追い払ってくれ」
急な話に、正義の頭は混乱してしまう。
目の前にいる化け物を相手に、こんな石ころみたいな訳の判らない物でどうやって追い払うっていうんだ？ まさか、小型の爆弾か何かでぶつけたら派手に爆発するとかって事なんだろうか？
「追い払うって…どうやって使えばいいんですか？」
半信半疑ではあったが、これが化け物を追い払える道具になるのであれば使わない手はない。駄目元で使ってみて、もし駄目だったら改めて逃走方法を考えればいいと前向きに考えようとした正義だったが、
「『神鎧装纏』と…唱え…るんだ」
「…は？」
使用方法を教えてもらえるかと思った矢先、呪文の様な単語を口にされ正義は更に混乱してしまった。
「いいか…『しん・がい・そう・てん』…だぞ」
しかし、男性は至って真顔で呪文を口にし続ける。かなり流血したのか、顔から血の気が引いて息も切れ切れに言葉を紡ぐのがやっと、という状態で冗談を口にするとは到底思えない。だとしたら、彼の言う通りにするしかない。
「…ええい、ままよ！」
正義は光り輝く石を右手に握り締めると、化け物に向かってその右手を突き出した。
近付こうにも光が苦手なのかうろたえる姿に、タイミングを見計らっていた正義は深く息を吸うと、
「神・鎧・装・纏！」
力一杯叫んだ彼の声に呼応するかの様に石は更なる光を放ち、まるで生き物の如くうねり始め、その状態に驚く彼をよそに段々と肩、胸、腹と侵食していく。
予想もしていなかった事態に固まったまま身動きが取れずにいた彼の全身を、うねりが覆いつくす迄然程時間はかからなかった。
「な…何だ、何なんだ、これ!?」
我に返った正義は慌てて自分の体を触ってみるが、石だと思っていたそれは彼を守る鎧と化していた。思わず手を開閉させてみたり、膝の曲げ伸ばしをして自分の状態を確かめてみる。
「グルァァァッ！」
目くらましに慣れたのだろう、突如化け物が勢いよく飛び掛ってきた。
その飛距離が逃げる隙を与えないと瞬時に悟った正義は、おもむろに腕を突き出し化け物を押さえつけようとしてみた。だが、伸ばした腕の力は押さえつける所か化け物を弾き飛ばした。
「──!?」
派手に吹き飛ばされた化け物は、勢い余って二度三度と弾き転がり爪が抜けずに苦戦していたもう一匹に盛大にぶつかってしまう。
「…なんだよ、これ…戦隊ヒーローにでもなったのかよ、俺？」
だが、これで何とかなるかもしれない。適当に隙を作って、そこの男の人を抱えて逃げる事が出来ればいい。
正義は、腰を深く落として身構えた。
目の前で、二匹の化け物が首を大きく振りながら起き上がる。だが、反撃する間を与えまいと彼は地面を蹴って化け物の元へと突っ込んだ。
「グオァッ？」
「せいやッ！」
右手側にいた化け物に力一杯肘鉄を打ち込む。その反動を利用して、腰の回転と同時に左手側の化け物に右ストレートを叩き込んだ。
わずか数秒の動作に、二匹は大きく体を反らせ地面に崩れ落ちる。だが、いつ迄もやられる訳にはいかないと言わんばかりの勢いで立ち上がった二匹は牙を剥き出しに威嚇しながら正義に掴みかかる。しかし、右手側の化け物が大きく腕を振り上げた所を押さえつけた彼は、それに重心をかけた状態でもう一匹に飛び蹴りを喰らわせる。そして、そのまま今度は重心を足に移動させ勢いをつけた背負い投げで押さえつけていた方をもう一匹に投げつけた。
「っしゃッ！」
地面にひれ伏した二匹の化け物は、頭を打った人間の様にふるふると顔を横に振り意識を取り戻そうとしていた。
それは、正義にとっては好機だった。
もう少し攻撃を当てられれば戦意を失うか、そうでなくても逃げるだけの距離は稼げる。ただ、男性の出血量を考えるとそんなに時間はかけてはいられない。精々、後一発か二発当てるくらいの時間か──
「鶴生、無事か!?」
突如、背後から誰かを呼ぶ男の声がした。
はっとして振り返ると、そこには自分と似た様な鎧姿がふたつあった。
「鶴生、Type-O･N･Iだからってそんなに時間はかけていられないぞ」
ふたつの鎧の内一体が正義の元に向かってくる。どうやら、鶴生という人物と勘違いしているらしいが、どう受け応えればいいのか正義は回答に詰ってしまう。
「加賀君！ 鶴生さん、ここにいるんだけど…」
だが、それを遮るかの様にもう一体の鎧が声を上げる。
「何だって？ どういう事だ？…」
近付いてきた方の鎧がもう一体の指差す方向を向くと、そこには正義に「ミツルギになれ」と言った男性が転がっている。
そうか、鶴生というのは怪我をした男の人の名前か。だったら、それを説明して早く助けてもらえばいい。で、後は二人の内のどちらかに戦闘を任せて自分はこれをとっとと脱いでしまおう。
「と言う事は…ミツルギの中にいるお前は、一体誰だ！」
ほっとしたのも束の間、近付いてきていた鎧は正義の肩を掴み押さえつけるかの体勢になった。
「･･･は？」
いきなり敵意を向けられ、正義は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
だが、目線の端に化け物が今にも襲いかかろうと距離を縮めてきているのが判り、肩を掴んでいる腕を払っいのけると化け物に向かって身構えた。
「ッ！…貴様、一体──」
「待ってくれよ。俺は敵じゃないって」
十分な会話をする間もなく、二匹の化け物は同時に二体の鎧に襲い掛かる。
正義は襲いかかってきた化け物を右腕で押さえながら左手でボディブローを当て弾き飛ばす。もう一人の鎧は、襲いかかってきた化け物を軽くかわすとそのまま右の回し蹴りで化け物を地面に叩き付けた。だが、そのどれもが決定打にはなっていないのか化け物達はすかさず立ち上がり攻撃のチャンスを覗っていた。
「何故鶴生じゃなくてお前がそれを身に纏ってる！」
正義と共闘している筈の鎧は、苛立った口調で彼に疑問をぶつけてきた。恐らく、邪魔が入らなければ再び正義を押さえ付けて尋問していたであろう勢いの口調だった。
しかし、それは瞬時に化け物達の攻撃に邪魔され、それも苛立ちの一因になったのか、
「貴様等は邪魔をするな！」
両手を握り締め全身に力をこめた姿勢を見せると、両肩に埋め込まれている鏡状の円形部分が光り輝き、まるでレーザーの様な閃光を一体の化け物に撃ち込んだ。集約した光は化け物の胸元を溶かし始め、やがてその熱量により化け物は鈍い轟音を立てて爆発した。
「──!!」
その姿は、正義が子供の頃見ていたヒーロー物の必殺技の様だった。必殺技の名前こそ言わなかったものの、ヒーローがポーズを構え、光線が敵に当たって爆発する様は憧れたヒーローの一連のやり取りと似ている。だが、問題はこれがTVの話ではなく目の前で繰り広げられている現実であるという事だ。
「あ、もう一匹が！」
戦闘に参加していなかった鎧が突如声を上げた。
見ると、爆煙に紛れてもう一匹の化け物は勢いをつけてジャンプし近くに見える池の更に対岸へと逃げ去っていった。
「あの方向は六班がいる方向かな…こちらミタマ、六班──」
「どうせ、ロストする筈だ。連絡するだけ無駄だろう」
そう言うと、正義と共闘していた鎧はその力を解除したのか徐々に人の姿へと戻っていく。そこには、細身で切れ長の目をした青年の姿があった。もう一体の鎧の方も人の姿へと戻っていくが、今度は眼鏡をかけた小柄な少女の姿へと変化していく。
「もう戦闘はないだろうから、取り合えず貴方も脱いだら？」
少女は青年と違い、正義に敵意のない口調で話しかけてくる。
「あ…えっと…」
「どうしたの？」
「その、脱ぎ方ってどうすれば？」
正義の質問が少女には想定外だったのだろう、「え？」と軽く驚いた後クスクスと笑い出した。
「『解除』でも『脱ぐよ』でも何でもいいから、兎に角力を抜いてGMを脱ぐ意識を働かせれば脱げるんだけど」
そう言われ、正義は言われたまま力を抜いて頭の中で「外れろ」と呟いた。その意識に呼応したのか、彼を覆っていた鎧は勢いよく螺旋を描きながら戦闘前に見た石ころへと姿を戻していった。
「さて、答えてもらおうか」
正義が鎧を脱ぎ終えるのを待っていたのか、青年がいきなり詰め寄り睨み付けてくる。
「一体、貴様は何者だ？ それに、どうやってミツルギの守護者になった？」
少女と違い、青年の方は正義に対して敵意を?き出しにしている。
「それは俺が聞きたいよ。そこの人に、いきなり『これを使って追い払ってくれ』って言われたままに、呪文みたいなの唱えたらこうなっちまったんだから」
「鶴生さんが、貴方に託したって事？」
冷静に話を聞こうとしていた少女が目を丸くさせる。こんな石ころひとつに、そんな大袈裟に驚く事なのか？ と思ったのも束の間、確かに変身して化け物と戦えるだけの力を持っている物であったら、見ず知らずの一般市民に託すのは普通じゃ考えられない事なのかもしれないな、と頭の中で判断させた。
「鶴生が、どういう状況でミツルギを託すって言うんだ？ 守護者としての資格があるかどうかも判らない一般市民に」
“ミツルギ”だの“守護者”だの、一体何を話しているんだかさっぱり判らない…ただ、明らかなのはこっちの若い男は俺の事を面白く思ってないって所か。
正義は、極力冷静に状況を把握させながらこれからどうするかを考えていた。
「兎に角、GMを知られたからには連行するしかなさそうだな」
だが、そんな正義の意向を無視するかの様に青年は思いがけない言葉を発し、
「連行!? 逮捕されるって事かよ、冗談じゃねえ！」
「だったら、この場で死にたいか？」
青年は、正義の目の前で首からぶら下げていた石を握り締めると身構えた。そこには、決して冗談ではなく「秘密を知った者は生かして帰さない」といった意思が空気を伝って正義に更なる敵意として突き刺さってきた。
「ちょっと！ 加賀君も少しは落ち着きなさいよ、そこの彼も怯えちゃってるじゃない」
その空気を壊したのは少女の方だった。
彼女は青年の味方ではあるものの、余計な争いごとを避けようと必死になっている様に見受けられる。それは、正義にとっては救いであった。
「今、三班に鶴生さんの救護要請出したから、加賀君はそれ迄鶴生さんの看病していてよ。そんなに苛ついた状態じゃ彼も喋るに喋れないでしょ」
加賀と呼ばれた青年は、正義を一瞥すると舌打ちをしながら鶴生と呼ばれていた男性の下へと向かった。
「取り合えず、お互いに詳しい話をする必要がありそうだから、不本意かもしれないけど本部迄一緒にきてもらっていいかしら？」
少女は、努めて冷静な口調で正義に話しかける。だが、彼女は加賀と違い冷静ではあっても結果的に「逃がす訳にはいかない」と言っているのが正義に伝わり、半ば諦めに似た形で同意する事にした。
「あ、自己紹介がまだだったね。私はミタマの守護者で曲木茜。向こうの彼は、ミカガミの守護者の加賀未来…貴方は？」
「俺は…草薙正義…です」
「へー、草薙って苗字なんだー…苗字はミツルギの守護者としてピッタリだな～」
無邪気な笑顔で話す彼女の言葉に「何をいってるんだ、この女？」と、正義は深いため息を吐いた。
休講の合間に入れたバイトが急に休みになってしまい、暇を持て余してしまったからたまには公園散策でもしようと砧公園にやってきて、ついベンチでウトウトしてしまった所迄は覚えていたが…まさか、真っ暗になる迄寝てしまうとは。
「うへー、夏場でも流石に寒いな…」
とっとと帰って熱いシャワーでも浴びないと、絶対に風邪を引いてしまいそうだな。
明日は朝から講義があるから体調を崩す訳にはいかない、そう考えた正義は早急に公園を出る事にした。
夜風が園内の木々を揺らし、ガサガサと不安を煽る様な葉音を立てる。
時折、野良猫でもいるのか近くのアカンサスの葉が音を立てて揺れ、暗闇に近い状態の中での音が彼の恐怖心をくすぐった。
「おいおい、俺ってそんな怖がりじゃねえだろうよ…」
自分に言い聞かせる様にわざと口にしながら、彼は公園の出口へと足早に歩いた。
何処か遠くで喧嘩でもしているのか、怒号に似た声が聞こえてくる。酔っ払いか不良でも揉めてるのかね…ま、自分が巻き込まれる前にとっとと撤収しよう。
普段はそんなに怖がりだと思っていなかった自分がこんなに怯えている事に苦笑いしながら、彼は更に足を速めた。
が、そんな彼の目の前を、黒い塊が横切った。
否、横切ったというよりは吹き飛ばされてきたという表現の方が正しく見えた。
「…？」
吹き飛ばされてきた塊は、何度か転がった後ゆっくりと大の字に広がる。
それが人であると判ったのは、遠くの白熱灯の明かりが広がってきた塊の中に苦痛に歪んだ男性の表情を照らしたからだった。
「え、あ…だ、大丈夫ですか!?」
正義は慌てて男性の下に駆け寄った。よく見ると、男性は額から大量の血を流している。
「きゅ、救急車…救急車呼ばなきゃ！」
血まみれの男性の顔を見て動揺した正義は、ジーンズのポケットに入れたスマートフォンを取り出すのに悪戦苦闘してしまう。だが、男はそんな動揺している彼の腕を掴むと、
「救急車…は、呼ばなくて…いいから…ここから逃げるんだ…！」
「な、何を言ってるんですか！ 怪我人放っておける訳ないで──」
派手な葉音が背後から聞こえた。
余りの音の大きさに驚いて振り返ると、そこには黒い塊が二つ唸り声を上げて立っていた。
それは人の様ではあったが、よく目を凝らして見てみると鎧武者の様な、この場には不釣合いの姿形をしていた。
般若面の様な顔は眼窩が紅色に光り、肩が上下に揺れる度口元から鈍い息遣いと共に白い息が吐き出されている。その姿は、まるで鬼か化け物かといった所だった。
「…な…なんだ、こいつ等…」
化け物は徐々に距離を縮めてくる。狙いは、勿論自分達であるのは間違いないと正義は瞬時に察した。
「クソッ…こんな時に…強制解除って…有り得ない…だろ…」
自分の背後で、男性が苦しげに何かを呟いた。
そうだ、この人は大怪我してるんだった。逃げるにしたって、どうやって担いで走ればいいんだろう。
だが、化け物は更に距離を縮めてくる。これ以上四の五の考えた所で何も解決しそうにないのだから、それなら何も考えずに体を動かす方がましだろう。
「あの！ すみませんが、体が痛むの我慢して一緒に──」
男性を起こそうと振り返った瞬間、化け物達が飛び掛ってくる気配を感じた。
急いで男性を抱えて横に転がると、間一髪といった具合で男性が寝ていた箇所に化け物の爪が刺さる。それは思いの外深く刺さったのか、化け物は地面から指を引き抜こうと苦戦していた。
思わずほっとして胸を撫で下ろす正義だったが、もう一匹の化け物がこちらに近付いてくるのを見て後がない事を知った。
怪我人が横にいて、武器になりそうなものは全く持っていない。こういう時って、万事休すというべきか前門の虎後門の狼というべきか…
「ううっ…」
男性が苦悶の声を上げる。力を入れる事が出来なくなったのか、右手に握り締めていた物を地面に落としてしまう。
それがどんな物なのかは判らないが、取り合えず今はポケットにでも入れておいて後で渡せばいいだろう。
そう思って、地面に転がった石ころの様な物体を拾うと、
「──うわっ！」
突然、それは眩しい閃光を発した。
余りの眩しさに正義は目を反らし、同様に化け物も鈍い唸り声を上げて後ずさる。
何が起こったのか判らずにいると、それ迄苦しんでいた男性がいきなり「君！」と大声で正義を呼んだ。
「詳しい話は後でするから…それを…ミツルギを使うんだ！」
男性の顔は苦痛に歪んでいたが、力の入った目は真っ直ぐ正義を見ていた。
「それ…って、もしかしてこの石っころみたいなやつの事ですか？」
「時間がない…死にたくなかったら、君がそれを使って…私の代わり…に奴等を追い払ってくれ」
急な話に、正義の頭は混乱してしまう。
目の前にいる化け物を相手に、こんな石ころみたいな訳の判らない物でどうやって追い払うっていうんだ？ まさか、小型の爆弾か何かでぶつけたら派手に爆発するとかって事なんだろうか？
「追い払うって…どうやって使えばいいんですか？」
半信半疑ではあったが、これが化け物を追い払える道具になるのであれば使わない手はない。駄目元で使ってみて、もし駄目だったら改めて逃走方法を考えればいいと前向きに考えようとした正義だったが、
「『神鎧装纏』と…唱え…るんだ」
「…は？」
使用方法を教えてもらえるかと思った矢先、呪文の様な単語を口にされ正義は更に混乱してしまった。
「いいか…『しん・がい・そう・てん』…だぞ」
しかし、男性は至って真顔で呪文を口にし続ける。かなり流血したのか、顔から血の気が引いて息も切れ切れに言葉を紡ぐのがやっと、という状態で冗談を口にするとは到底思えない。だとしたら、彼の言う通りにするしかない。
「…ええい、ままよ！」
正義は光り輝く石を右手に握り締めると、化け物に向かってその右手を突き出した。
近付こうにも光が苦手なのかうろたえる姿に、タイミングを見計らっていた正義は深く息を吸うと、
「神・鎧・装・纏！」
力一杯叫んだ彼の声に呼応するかの様に石は更なる光を放ち、まるで生き物の如くうねり始め、その状態に驚く彼をよそに段々と肩、胸、腹と侵食していく。
予想もしていなかった事態に固まったまま身動きが取れずにいた彼の全身を、うねりが覆いつくす迄然程時間はかからなかった。
「な…何だ、何なんだ、これ!?」
我に返った正義は慌てて自分の体を触ってみるが、石だと思っていたそれは彼を守る鎧と化していた。思わず手を開閉させてみたり、膝の曲げ伸ばしをして自分の状態を確かめてみる。
「グルァァァッ！」
目くらましに慣れたのだろう、突如化け物が勢いよく飛び掛ってきた。
その飛距離が逃げる隙を与えないと瞬時に悟った正義は、おもむろに腕を突き出し化け物を押さえつけようとしてみた。だが、伸ばした腕の力は押さえつける所か化け物を弾き飛ばした。
「──!?」
派手に吹き飛ばされた化け物は、勢い余って二度三度と弾き転がり爪が抜けずに苦戦していたもう一匹に盛大にぶつかってしまう。
「…なんだよ、これ…戦隊ヒーローにでもなったのかよ、俺？」
だが、これで何とかなるかもしれない。適当に隙を作って、そこの男の人を抱えて逃げる事が出来ればいい。
正義は、腰を深く落として身構えた。
目の前で、二匹の化け物が首を大きく振りながら起き上がる。だが、反撃する間を与えまいと彼は地面を蹴って化け物の元へと突っ込んだ。
「グオァッ？」
「せいやッ！」
右手側にいた化け物に力一杯肘鉄を打ち込む。その反動を利用して、腰の回転と同時に左手側の化け物に右ストレートを叩き込んだ。
わずか数秒の動作に、二匹は大きく体を反らせ地面に崩れ落ちる。だが、いつ迄もやられる訳にはいかないと言わんばかりの勢いで立ち上がった二匹は牙を剥き出しに威嚇しながら正義に掴みかかる。しかし、右手側の化け物が大きく腕を振り上げた所を押さえつけた彼は、それに重心をかけた状態でもう一匹に飛び蹴りを喰らわせる。そして、そのまま今度は重心を足に移動させ勢いをつけた背負い投げで押さえつけていた方をもう一匹に投げつけた。
「っしゃッ！」
地面にひれ伏した二匹の化け物は、頭を打った人間の様にふるふると顔を横に振り意識を取り戻そうとしていた。
それは、正義にとっては好機だった。
もう少し攻撃を当てられれば戦意を失うか、そうでなくても逃げるだけの距離は稼げる。ただ、男性の出血量を考えるとそんなに時間はかけてはいられない。精々、後一発か二発当てるくらいの時間か──
「鶴生、無事か!?」
突如、背後から誰かを呼ぶ男の声がした。
はっとして振り返ると、そこには自分と似た様な鎧姿がふたつあった。
「鶴生、Type-O･N･Iだからってそんなに時間はかけていられないぞ」
ふたつの鎧の内一体が正義の元に向かってくる。どうやら、鶴生という人物と勘違いしているらしいが、どう受け応えればいいのか正義は回答に詰ってしまう。
「加賀君！ 鶴生さん、ここにいるんだけど…」
だが、それを遮るかの様にもう一体の鎧が声を上げる。
「何だって？ どういう事だ？…」
近付いてきた方の鎧がもう一体の指差す方向を向くと、そこには正義に「ミツルギになれ」と言った男性が転がっている。
そうか、鶴生というのは怪我をした男の人の名前か。だったら、それを説明して早く助けてもらえばいい。で、後は二人の内のどちらかに戦闘を任せて自分はこれをとっとと脱いでしまおう。
「と言う事は…ミツルギの中にいるお前は、一体誰だ！」
ほっとしたのも束の間、近付いてきていた鎧は正義の肩を掴み押さえつけるかの体勢になった。
「･･･は？」
いきなり敵意を向けられ、正義は思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
だが、目線の端に化け物が今にも襲いかかろうと距離を縮めてきているのが判り、肩を掴んでいる腕を払っいのけると化け物に向かって身構えた。
「ッ！…貴様、一体──」
「待ってくれよ。俺は敵じゃないって」
十分な会話をする間もなく、二匹の化け物は同時に二体の鎧に襲い掛かる。
正義は襲いかかってきた化け物を右腕で押さえながら左手でボディブローを当て弾き飛ばす。もう一人の鎧は、襲いかかってきた化け物を軽くかわすとそのまま右の回し蹴りで化け物を地面に叩き付けた。だが、そのどれもが決定打にはなっていないのか化け物達はすかさず立ち上がり攻撃のチャンスを覗っていた。
「何故鶴生じゃなくてお前がそれを身に纏ってる！」
正義と共闘している筈の鎧は、苛立った口調で彼に疑問をぶつけてきた。恐らく、邪魔が入らなければ再び正義を押さえ付けて尋問していたであろう勢いの口調だった。
しかし、それは瞬時に化け物達の攻撃に邪魔され、それも苛立ちの一因になったのか、
「貴様等は邪魔をするな！」
両手を握り締め全身に力をこめた姿勢を見せると、両肩に埋め込まれている鏡状の円形部分が光り輝き、まるでレーザーの様な閃光を一体の化け物に撃ち込んだ。集約した光は化け物の胸元を溶かし始め、やがてその熱量により化け物は鈍い轟音を立てて爆発した。
「──!!」
その姿は、正義が子供の頃見ていたヒーロー物の必殺技の様だった。必殺技の名前こそ言わなかったものの、ヒーローがポーズを構え、光線が敵に当たって爆発する様は憧れたヒーローの一連のやり取りと似ている。だが、問題はこれがTVの話ではなく目の前で繰り広げられている現実であるという事だ。
「あ、もう一匹が！」
戦闘に参加していなかった鎧が突如声を上げた。
見ると、爆煙に紛れてもう一匹の化け物は勢いをつけてジャンプし近くに見える池の更に対岸へと逃げ去っていった。
「あの方向は六班がいる方向かな…こちらミタマ、六班──」
「どうせ、ロストする筈だ。連絡するだけ無駄だろう」
そう言うと、正義と共闘していた鎧はその力を解除したのか徐々に人の姿へと戻っていく。そこには、細身で切れ長の目をした青年の姿があった。もう一体の鎧の方も人の姿へと戻っていくが、今度は眼鏡をかけた小柄な少女の姿へと変化していく。
「もう戦闘はないだろうから、取り合えず貴方も脱いだら？」
少女は青年と違い、正義に敵意のない口調で話しかけてくる。
「あ…えっと…」
「どうしたの？」
「その、脱ぎ方ってどうすれば？」
正義の質問が少女には想定外だったのだろう、「え？」と軽く驚いた後クスクスと笑い出した。
「『解除』でも『脱ぐよ』でも何でもいいから、兎に角力を抜いてGMを脱ぐ意識を働かせれば脱げるんだけど」
そう言われ、正義は言われたまま力を抜いて頭の中で「外れろ」と呟いた。その意識に呼応したのか、彼を覆っていた鎧は勢いよく螺旋を描きながら戦闘前に見た石ころへと姿を戻していった。
「さて、答えてもらおうか」
正義が鎧を脱ぎ終えるのを待っていたのか、青年がいきなり詰め寄り睨み付けてくる。
「一体、貴様は何者だ？ それに、どうやってミツルギの守護者になった？」
少女と違い、青年の方は正義に対して敵意を?き出しにしている。
「それは俺が聞きたいよ。そこの人に、いきなり『これを使って追い払ってくれ』って言われたままに、呪文みたいなの唱えたらこうなっちまったんだから」
「鶴生さんが、貴方に託したって事？」
冷静に話を聞こうとしていた少女が目を丸くさせる。こんな石ころひとつに、そんな大袈裟に驚く事なのか？ と思ったのも束の間、確かに変身して化け物と戦えるだけの力を持っている物であったら、見ず知らずの一般市民に託すのは普通じゃ考えられない事なのかもしれないな、と頭の中で判断させた。
「鶴生が、どういう状況でミツルギを託すって言うんだ？ 守護者としての資格があるかどうかも判らない一般市民に」
“ミツルギ”だの“守護者”だの、一体何を話しているんだかさっぱり判らない…ただ、明らかなのはこっちの若い男は俺の事を面白く思ってないって所か。
正義は、極力冷静に状況を把握させながらこれからどうするかを考えていた。
「兎に角、GMを知られたからには連行するしかなさそうだな」
だが、そんな正義の意向を無視するかの様に青年は思いがけない言葉を発し、
「連行!? 逮捕されるって事かよ、冗談じゃねえ！」
「だったら、この場で死にたいか？」
青年は、正義の目の前で首からぶら下げていた石を握り締めると身構えた。そこには、決して冗談ではなく「秘密を知った者は生かして帰さない」といった意思が空気を伝って正義に更なる敵意として突き刺さってきた。
「ちょっと！ 加賀君も少しは落ち着きなさいよ、そこの彼も怯えちゃってるじゃない」
その空気を壊したのは少女の方だった。
彼女は青年の味方ではあるものの、余計な争いごとを避けようと必死になっている様に見受けられる。それは、正義にとっては救いであった。
「今、三班に鶴生さんの救護要請出したから、加賀君はそれ迄鶴生さんの看病していてよ。そんなに苛ついた状態じゃ彼も喋るに喋れないでしょ」
加賀と呼ばれた青年は、正義を一瞥すると舌打ちをしながら鶴生と呼ばれていた男性の下へと向かった。
「取り合えず、お互いに詳しい話をする必要がありそうだから、不本意かもしれないけど本部迄一緒にきてもらっていいかしら？」
少女は、努めて冷静な口調で正義に話しかける。だが、彼女は加賀と違い冷静ではあっても結果的に「逃がす訳にはいかない」と言っているのが正義に伝わり、半ば諦めに似た形で同意する事にした。
「あ、自己紹介がまだだったね。私はミタマの守護者で曲木茜。向こうの彼は、ミカガミの守護者の加賀未来…貴方は？」
「俺は…草薙正義…です」
「へー、草薙って苗字なんだー…苗字はミツルギの守護者としてピッタリだな～」
無邪気な笑顔で話す彼女の言葉に「何をいってるんだ、この女？」と、正義は深いため息を吐いた。