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『紺碧の弾丸だってよ』

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<おもな登場人物紹介>


 沢村……主人公。手から火を出すESP。必殺技は『沢村玉』。妹がいる
 後藤……モブ。メガネ。最近自宅が全焼
 茂田……モブ。短髪。怖いお姉ちゃんがいる
 横井……モブ。クソヤロウ。バイトが長続きしない

 天ヶ峰美里……戦闘民族。タテガミのようなボサボサの茶髪。金を返さない
 立花紫電……豪族。生徒会副会長。日米合作の金髪美少女。学ラン
 酒井さん……横井の彼女。実家が沢村に吹き飛ばされた
 紺碧の弾丸さん……手から火を出す女子高生。黒髪ロング。Fカップ



 ○



 学校からの帰り道のことだった。


 俺の前を紺碧の弾丸さんが通りかかった。
 あの人は東高なので、西高の俺とは滅多に鉢合わせたりしないんだけど、おそらく西高そばに新しく出来たドーナツ屋におやつでも買いに来たんだろう。
 俺はこっそり後をつけることにした。当然の義務ってやつだ。

 紺碧の弾丸さん。
 ちょっと前に俺の友達の沢村の手から火が出るという珍事件があり、おかげでバスが一台横転したりしたんだけど、その時に俺と知り合った女子高生だ。
 彼女も手から火を出す。
 元々厨二病をこじらせた人だったのでスゲェ喜んでスゲェ手から火を出しまくって危うく沢村が焼死しかけたりして大変だったんだが、最近めっきり会ってなかったので久々だ。
 世間にご迷惑をかけていなければいいが。
 艶やかな黒髪とFカップの巨乳をたなびかせて、紺碧さんはスイスイと街中をゆく。
 東高のお高く止まったブレザーを着ているとお嬢様のようにも思えるが頭の中は野蛮人だ。
 俺は人差し指を立てて周囲の顔見知りに「黙っていろ」とサインを送りながらJKをつけた。魚屋のおじさんがゴミを見るような目で見てきて少し傷つく。
 やはりドーナツ屋に向かっているようだ。
 俺は財布の中を確かめてみたがどう見てもドーナツを買えそうな気配がなかったので、頃合を見計らってタカることにした。
 紺碧さんが新装開店の花輪が飾られた角の店に入り、俺もすぐ背中につけた。
 紺碧さんが「チョコリング一つ」と店員に言った。
 その店員というのが最近彼女が出来て金が必要になった横井とかいうクソヤロウだったのが彼女の運の尽きだ。
 俺は背後から横井にピースサインを二つ飛ばした。
 横井はにこやかな営業スマイルを讃えたまま、「チョコリングお待たせしましたー!」と個数を巧妙に隠し、二倍の代金を紺碧さんから徴収した。
 計算能力がちょっとバカなのか金に糸目はつけないのか、紺碧さんは少し首を傾げながらもトレーを持って階段を上っていった。
 横井に親指を立ててやり、俺もその後を追った。
 それにしても紺碧さん、自宅にパンツ置き去りにした男のツラを忘れるとは相変わらずケツのお留守な女だぜ。


 で、軽くため息をつきながらアンニュイな感じで席に腰を下ろした紺碧さんの前に姿を見せたのがこの俺ってわけだ。
 紺碧さんは首を絞められた雌鳥のような声を出した。
「ごっ……後藤くん……なぜここに!?」
「何を言ってるんだ紺碧さん。さっきから俺たちずっと一緒にいただろ?」
 俺は嘘をつくのが大好きだ。
 紺碧さんは二秒ほど「そうだっけ?」みたいな顔をしたが、すぐにブンブン首を振った。
 そしてキッと俺をにらんで来た。尾行された女性としては正しい態度だ。
「何をしに来たの……!? 勘違いしないで、私とあなたは友達なんかじゃないのよ」
「恋はいつだって突然だよ」
 スマホを出されてフリックさばきがどう見ても110へ流れかかっていたので俺は片手拝みに謝った。警察は勘弁。
「いや、偶然見かけたからさ。一緒にお茶でもしようと思って」
 そう言いながら「一緒に」のあたりで紺碧さんのチョコリングをパクって食った。
 タカりはタイミングが命だ。このあと俺はぶん殴られるかもしれないが、その時はトイレの窓から逃げるので一口のドーナツと一発の顔パンだったら俺は顔パンされても人にタカる。なぜってもちろん、タカってみたいからだ。
 そんな最低なことを考えている俺だったが、なぜか紺碧さんは俺の顔を凝視したまま、何も言わなかった。
「……ごくん。どうしたの紺碧さん。おなか痛いの」
「セクハラよ」
 過剰反応しすぎだよ。
「……後藤くん、あなた、いくらほしいの?」
「いくらでも」とっさの切り返しにしては最高額を要求できた。
「……。いいわ。払うわ」
 驚くべきことに紺碧さんが品のよさそうな革の財布を取り出して中の紙幣を抜きかけた。
 俺は冗談が好きなのであって恐喝は好きじゃない。
 マジな話をすると面喰らってビビりあがって「いいよいいよやめてよ紺碧さん」と女子みたいな声を出してしまった。恥ずかしい。
 そばで一人ドーナツしてた幼稚園児が俺をくすくす笑ってみていた。マセすぎだろ園児さん。
「……なぜ止めるの? あなた、私を脅迫しに来たんでしょう!? そうなんでしょう!? 死ねばいいんだわ!!」
 そう言って紺碧さんはテーブルにおっぱいを叩きつけてワァーッと泣き出した。
 俺もちょっと泣きたい。まっすぐおうち帰ればよかった。超めんどくせえ。
「まァまァ。やり直せるよ紺碧さん、人生はそこそこ長いんだから」
「気休めはよして!」紺碧さんは目尻をポッと赤く染めながら、涙を跳ね飛ばして顔をあげた。
「たとえ私が厨二病を卒業しても、私の黒歴史は消えたりなんかしないのよ!!」
 俺はその一言で全てを察した。
 あー。
 なるほど。
 そういうことか。
 つまり紺碧さんはアカシック・レコードがどうとか、第四燃素がどうとか、悪魔と天使の融合とか、そういうゲテモノな妄想を『自分の手から火が出る』というオカルト・ソースに頼ることをやめたというわけだ。
 カード買い漁った後にふっと訪れる「俺、何やってんだろ」を喰らっちゃったわけで、いまは自分の全てが嫌いだろうし、一人で寂しくドーナツも食べに来ちゃうくらい追い詰められてる。
 アンニュイに一人ドーナツしてる時点でちょっと厨二が抜けてない気もするが、まァ、いまは色々と折り合いをつけているところなんだろう。


「へえ」
 俺は腕を組んだ。
「まさか紺碧さんが卒業するとはね」
「やめて。私は紅葉沢火穂よ! 何が紺碧の弾丸よ、過去の私のバカ!」
 紺碧の弾丸っていうのはアンタの妄想じゃなくてケツのもうこはんが由来だけどな。
「しかしまた、あんなに好きだったのに何が嫌でやめたの?」
「イドの奥底に眠る我に返った、それだけよ」
 それだけにしては長ぇセリフだな。
「もう後戻りなんて出来ないんだからどこまでも突っ走った方がいいと思うよ」
「殺されたいの?」
「生類憐れみの令を用いてほしいなァ」
「あなたみたいなボンクラには分からないのよ……!」
 紺碧さんは握り拳をテーブルにゴリゴリと押し付け始めた。ちょっと泣きが入っている。
「学校で私がみんなにどんな風に思われているか……!」
 変な人だと思われてると分かるよ。
「掃除の時間にモップを持っていれば、『紺碧さん、バルトアンデルス・ソード見せてバルトアンデルス・ソード!』とか、『やめろよ高岡、紺碧さんがドイツ語と英語を混ぜて使ったりするはずがないよ』とか、『紺碧さんドイツ語で剣ってなんて言うのねぇねぇ教えて教えて』とか……」
 俺はお冷を飲んだ。
「愉快な学生生活だね」
「どこがよ!」
 全部だろ。参加してぇわその煽り。
 紺碧さんは木綿のハンカチーフで涙を拭った。
「あとは英語の授業でなぜか先生が私にだけドイツ語での解答を求めたり、机の中にドイツ語に関する漫画作品が詰め込まれていたり、……私はね、ヴァイス・シュバルツが黒と白ってことしか知らないのよ!」
 どかん! と叩きつけられた拳がドーナツの粉を一瞬浮かせた。
「紺碧さん、ヴァイスは白でシュバルツが黒だよ」
「どうでもいいのよそんなことは!! まったくもうバカなんじゃないの……」
 そんなに昔の自分を卑下しなくてもいいと思うけどなァ。
「おかげでもう私、恥ずかしさのあまり仮面をつけて登校してみたりもしたんだけど、なぜか煽りがひどくなるばっかりで……」
「フシギダネ」
「そうでしょう?」
 つぶらな瞳だ。
 紺碧さんはがくっと肩を落とし、そのままずるずると椅子の下へと消えていき、最終的に椅子の上に後頭部が残って当たる形になった。
「どうしよう、私このままじゃお嫁にいけないわ」
「そうだね、俺から見てもちょっとそう思える」
「どうしたらいい?」
 ちゃんと座れ。
「後藤くん、お願いがあるの」
「なんだい」俺はお冷をお代わりしながら聞いた。
「私たち、もう高校二年生じゃない?」
「そうらしいね」
「私の黒歴史を闇の彼方へと放逐するために新しい剥片の蓄積が必要だと思うの」
「あー、イメチェンってこと?」
「なんで分かるの!?」
 えぇー。なにそれ。最初から分かると思われることを言ってくれない?
「そうなのよ、本当にそうだわ」
 椅子の下の化物がぶつぶつと言う。ほんとちゃんと座って。
「私、お嫁にいこうと思うのよ。進学も就職もしたくないわ……私の黒歴史のことを知らない誰かと愛の巣をつくり、そこで子供という夢を温めるの」
「へえ」いいんじゃない。
「ねえ後藤くん、私の夫を見つけてくれない? なんならあなたでもいいわ、養ってくれるなら」
「いやそれはちょっと」
「どうして!? 私と同じ空気を吸えるのよ、ありがたいと思わないの?」
「あんまり」
「えぇー……」
「俺はもっと普通の子が好きなんだよね。手から火が出たりしないタイプが」
「女の子に期待しすぎね」
「そうだね……え、そうなの?」初耳だよ。
「そうよ。女の子には秘密がつきものだわ。この世界中にいる女子高生が魔法少女ではないとあなたに言い切れるの?」
「ずいぶんと夢が広がる話になってきたな」
「でしょう? ……だから、私の秘密も邪悪さも全て受け入れてくれる、そんな男性を見つけて欲しいの。お願い!」
 パッと見は無人に見えるテーブルの向こうからにゅっと両手拝みが飛び出してきた。
「よくその態度で人にモノを頼もうって思うよね」
「私、先祖は貴族だったらしいの」
 落ちぶれたもんだぜ。


 俺は紺碧さんのドーナツをテーブルの下に落としてやりながら、ちょっと考えてみた。
 紺碧さんの旦那探しか……
 彼女がいないまま高二の夏を終えた知り合いなら掃いて捨てるほどいるが、紺碧さんの狂気に付き合える人材となると限られてくる。
 茂田は無理だろう、ああ見えて家庭的な子を好むタイプだ。おっぱいに全てを費やせるような男じゃない。
 横井はクソヤロウなのでアウト。
 木村はロリコンだし、ヤンキーの田中くんは最近病みすぎて病院に通っている。
 江戸川は冗談が通じないから駄目だし、沢村はあまりにも紺碧さんの闇を知りすぎている。一緒になって野良ESPをギタギタにしているのを、この夏に何度か見かけた。それにヤツの周囲にはファンネルのように妹の朱音ちゃんが徘徊しているのでおっぱいが近づき次第に撃墜されている。
 そうそう、沢村といえばあいつは最近、急激に増加したESPを取り締まる自警団みたいなののリーダーっぽいのになっていて、佐倉や男鹿あたりと暴れまくっている。
 動けばモテるという言葉を誰かが言っていたがその通りで、最近やたらと捕まえた野良ESPとか助けた一般人とかとフラグを立てまくっているらしい。
 あの主人公気質め。
 朱音ちゃんもその対応で追われているので、この上に紺碧さんみたいな大物のゲテモノをブッこんだら嫌われちゃうので、やはりそれは出来ない。
 あとは黒木というプロボクサーの友達もいることはいるが、最近めっきり学校にも来なくなってボクシング一直線、なんでも新人王が見えてきたとかで女色を近づけるのはあまりよくなかろう。
 最終手段でウチの親父という線もあるがこれは成功すると俺は義母と同い年になり気まずくて吐く。
 うーむ。
 ちょっと厳しいな……
「紺碧さん、俺の顔見知りだと候補がいないんだけど……」
「友達が少ないのね」
「さよなら」
 俺は立ち上がってその場を去ろうとしたが、テーブルの下から白い手が出てきて俺のソックスを掴んだ。
「待って! ごめんなさい、私が間違ってたわ!」
「人が頑張って考えてやってるのにひどい態度だと思わないか」
「思う思う! だから振り払おうとしないで! 痛い痛い顔に当たってる痛い、も、燃やすわよ!!」
「そういうところがよくないんじゃないかなあ」
 とりあえず俺たちは座りなおした。紺碧さんもちゃんと座った。ちょっと髪が焦げてる。
「紺碧さん、とりあえず俺の顔見知りはおいといて、男を漁ろう」
 紺碧さんは女児のように綺麗なおめめをパチクリさせた。
「出来るの? 後藤くんにそんなこと……」
「俺がするの?」発案者なのにビックリだよ。
 俺はため息をついた。
「紺碧さんが漁るんだよ。もうクラゲ出るから海は無理だけど、そういう軽そうな男がたくさんいそうなところで……」
「私、軽くなんかないわ!」
 めんどくせえなあ。
「夫が欲しいのよ後藤くん。養ってくれそうな人が」
「人に頼ろうってしている限りは誰からも好かれないんじゃないかな……」
「やめて。死ぬわよ」
 どうしろと。てめーお冷の中の氷を口いっぱいに頬張ってどうするつもりだ?
「モガモガ」
「分かった。分かったからそのマヌケな自殺をやめてくれ」
「ヴァリヴァリ」
「うん、それでいいよ。……とりあえず男がいそうな場所を考えておくから、今日は帰らないか」
 ごっくん、と紺碧さんが噛み砕いた氷を飲み込んだ。さっきに比べて表情がほぐれている。
「いいわよ。約束だからね。私はいますぐ高校をやめて入籍したいの。わかった?」
「早まらない方がいいと思うぞ」
 俺はなおも紺碧さんを改心させて、せめて厨二のままでも学校にはいさせようと思ったが、彼女は俺の話を深夜にやってるラジオ番組よりもよく聞かず、その場はそれで終わった。

 じゃあね、と元気に笑顔で手を振る美少女が夕焼けの街の中へ消えていく光景は、俺の疲れをぶっ飛ばすほどに眼福ではあったが、いやしかしそれにしても……
 厨二病アガリで巨乳でちょっと頭のイカれた女子高生の旦那探しか。
 これはちょっと、無理難題なんじゃなかろうか……
 そう思いながら俺は頼まれていた野菜を買って帰った。
 どうでもいいが、俺はこないだ家が燃えちゃったので、いま天ヶ峰と暮らしている。
 自分で壊した目覚まし時計の代わりに俺の部屋から目覚ましを持っていくのはやめろと、誰かいつでもいいから言ってやってくれよ。







 翌日。
 俺は茂田と横井に紺碧さんの一件を打ち明けたが、二人とも渋い顔になっただけだった。俺も同じ顔をしていたんだろう。
「ちょっと男子、辛気臭い顔やめてよ」
「うるせえぞ天ヶ峰。いっちょまえに女子みてえな顔してんじゃねえ」
「はい天罰ゥ」
 弾丸のようにチョークが飛んできた。あっぶね。ジャンプ持っててよかったー。
 くそ天ヶ峰はくすくす笑いながら「愚かな生き物よ」みたいなニュアンスで隣に座っている陽菜さんにきっと俺たちの悪口を言っている。
 陽菜さんは無表情がチャームポイントのショートカット読書大好きっ子で我がクラスの長門有希ポジションなのだが、いずれにせよ天ヶ峰をそばに置いておけるだけあって『不沈艦』のあだ名は伊達ではない。後は頼んだ。
「くそが。神は天使を創り賜わず悪魔を召喚せしめた」
「何言ってっかわかんねーけどお前ら付き合ってんだろ?」と茂田。
「付き合ってねーって言ってんだろ」
「だって同棲してんじゃん」と横井。ニヤニヤすんなくずが。
「お母さんもいるんだぞ、同棲っていうか同居だ」
「羨ましくはないが蔑まれるべき幸福だな」
 どういうことだよ。
 俺は眼鏡のつるをファックサインで押し上げた。
「お前らは自分の脊髄のそばにあいつを置いておくことの怖さを知らないんだよ」
「知ってるよ。でも生物学的には女性である可能性が高いだろ?」
 俗説だよそれは。学会だったら吊るし上げ。
「トイレいこうとしてあいつの部屋の前を通った時、あいつが勢いよく扉を開けただけで俺は死ぬんだ。とんだクソゲーだよ」
「窓からトイレいけよ」
「ただの変態じゃねーか!!」
「アハハハハハ、ナニソレオモシレェ」横井うっぜぇ。
「つーか、一緒の部屋にはいないわけ?」
「いや、あいつんち部屋いっぱいあるし」
「面白くねえ。面白くねえぞ後藤」
「お前が聞きたいのは俺の死に様だけだろう」
 くそどもが。ここは一発、俺とあのクソバケモノが縁もゆかりもないんだってことを公衆の面前で晒しておかないとな。俺は机から立ち上がって、昼休みの教室を突っ切って天ヶ峰のそばに近寄った。周囲が無駄にどよめき始める。
 天ヶ峰は『石より硬い!!』とプリントされた灰色のプリンをスプーンで食っている途中だった。スプーンをくわえたまま「ん?」と俺を振り向く。
「なに後藤」
「天ヶ峰、一つ聞いてもいいか」
「よいぞ」
「お前、彼氏欲しくなったらどうする」
「アマゾンで買うけど」
 ほらな。もうこれは駄目な子なんだよ。付き合うとかそういうのじゃないから。というか付き合ってたら俺が指差されてただろうし。あぶねー。勘違いされてなくてよかった。だいたい俺がコイツんち住んでるのは茂田が俺に思ったよか冷たかったせいなんだよ。全部茂田のせい。
 俺は新しい天ヶ峰担当の陽菜さんに目礼し、天ヶ峰には使うタイミングを逃し続けたアマゾンギフト券のカードを投げ渡してやり、席へ戻った。
「な?」
「ああいうことを臆面もなく聞けるのが羨ましいって言ってんだよ殺すぞ」
「どうした茂田、欲しければあんなのいくらでもやるぞ」
「女子と知り合いだったら友達の友達から発生するイベントが盛りだくさんだろ! 独占禁止法なんだよクズが!」
 ああ、駄目だこいつも。今年の夏は暑すぎた。
「助けてくれ横井、茂田はもう駄目だ。……って何メモってんだ」
「いや、後藤が言い出したんじゃん、紺碧さんに彼氏作る方法」
「紺碧さんにアマゾンで頼めばなんて言ったら俺はチキンにされてコンビニで売られてしまう。却下だ。おい茂田いつまで睨んでんだ、お前も考えろ。というかお前が付き合ってくんね?」
「やだ」
 これだよ。いったい何が望みなの? 俺にはもうわけがわからないよ。
「茂田おまえ彼女欲しいって言ってたよね? 確かに好みと違うのは分かるが、男子なんてものはな、最初の彼女は踏み台にするぐらいでちょうどいいんだ」
「お前最低だぞ後藤!」
「うるせェ――――彼女いるやつは黙ってろ横井。おまえこの期に及んで指定校推薦とかで進学も決めたらマジでおしっこチビらせる」
「お前らの狂気にもう若干チビりそうだよ……」
「とにかくな、茂田、お前がなんとかしろ。いいな」
「だって紺碧さん俺の話を聞こうっていう気分になる人じゃないじゃん」
 凄い言い方だが的を射ている。
「確かにな……」
 だからよ、と茂田は喰っていた弁当の残りをかっこむと、顔を寄せてきて囁いた。
「俺らで紺碧さんの彼氏を作っちゃえばいいんだよ」
「なるほど、科学部の桐島に頼んでダンナロイドを作ってもらえばいいんだな!」
「おうよ!」
「ムリダヨォ」
「ギャッ」
 俺たちが寄せた机の隙間から、いきなりにゅっと桐島の頭が出てきた。わりとごり押しで出てきた。
 相変わらずの白衣姿で、眼鏡が逆光を反射して煌めいている。ペロペロキャンディを舐めているが、舐めているのはそれだけじゃなさそうな態度だった。
「そんなのが作れたらアタシはアタシ専用イケメンロボットを作って逆ハーレムしてます。ワハハ」
「へっ、なんだ大したことねーな桐島よ。気合が足りないんじゃないか?」
「どんなに煽られたって作れないものは作れませーん。……建造中だけど。フフフ」
 底知れぬ笑みを浮かべる桐島。コイツも暑気あたりでおかしくなってんのか。早く秋が来ねぇとツッコミ不足で過労死する奴が出てくるぞ。俺とか。
「で、何、もみじちゃんが彼氏探してるって?」と桐島が言った。
「あの子もちょっと脳のアルコール度数が高いよね」
「どういうことだ。つーか、お前って紺碧さんと知り合いなの?」
「んー、まァね」
 どうでもいいが桐島はしょっちゅう口調が変わる。
 一番ひどいときでいきなり『ダーリン』とか呼ばれたときはちょっと具合悪くなった。気分で人をビックリさせないで貰いたい。
「ちょっと前からさァ、沢村から火が出始めたでしょ。電子ちゃん(=紫電ちゃん)が指揮ってそーゆー能力者を纏めてるのはいいんだけどさァ、アタシまで動員されてよく装備作らされたりするんだよねー。プロテクションとかさァ。領収書落ちるからいいけど、アタシだってもっと割りのいい仕事したい時だってあるんだよねぇ」
「科学部の台所事情は知らねーよ」
「ふん。ま、そういうわけで、ESP連中には知り合いも多いわけですよ桐島さんは。顔が広いから。天才だから」
「桐島さん胃薬飲む?」
「ありがとう横井くん。結婚しよう」
「今度ね」
 横井が桐島に胃薬を渡した。すごいなごやか。
 なんだかわけの分からん友情が育まれてるな……まァ胃薬はもらって嬉しくないものじゃないけども……
 いつの間に行っていたのか、トイレから戻ってきた茂田が桐島にいきなり言った。
「桐島、お前彼氏作りたくなったらどうする?」
「後藤でいっかなァ」桐島が温泉に浸かってる無職みたいな顔をした。
「お前ら揃いも揃って俺の人権をなんだと思ってるの? 俺には彼女を選ぶ権利あるからね」
「何様だよ後藤」と茂田。
「そーだそーだ」と桐島。
「元気出して」と横井。全員殺す。ブッ殺す。
「コラ後藤、人に向かって殺すとか考えちゃ駄目だよ!」
「うっせ――――こっちの話に入ってくんな、くそがみね! 陽菜さんそいつ黙らして……えっ、なんで首振るの!? 俺のこと嫌い!? そうだったの!?」
「ふっふっふ」桐島がマッドにスマイリー。
「すっかり美里と以心伝心じゃないの後藤くん」
「当然のものと思っている権利を踏みにじられた時、誰もが殺意を抱くことはバカにも読めることなんだよ。おい全然話が進まないぞ! 俺たちは何を喋ってたんだ!?」
「もみじちゃんの受難の話でしょ?」桐島がのんびり言った。
「とりあえず東圏内にはもう悪名が轟いちゃってるから、北か南か西だよね。西にろくな男はいないから……」
「おいテメー机ギロチンすんぞ」
「美里ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ後藤がいじめるぅぅぅぅぅぅぅぅ!!!」
「もぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ桐ちゃんをいじめちゃ駄目だって言ってるでしょ後藤!!!」
「ギャ――――――――――チョークが肩にっ肩にっ」
「血がぁぁぁぁぁぁぁぁ血が目にぃぃぃぃぃぃぃ」
 唯一、難を逃れていた茂田がぼそっと言った。
「駄目だコリャ」
2, 1

  



 桐島とかいう貧乳小娘に「西の男子はロクなのいない」とかモロに煽られたので、俺はちょっと考えてみた。
 いくら俺たちが常日頃から暴力の影に怯え、虐戮のディストピアで暮らしているとはいえ、それはちょっとあんまりな言い草だ。
 俺だってちょっと髪がいい按配に伸びていれば見れないほどじゃないと思うし……
「えっ?」
「ふんぬッ!」
 半笑いで耳に手をあてがってきた横井の膝にローキックを入れ、消火器にやつの膝小僧を叩きつけるというコンボを成し遂げた俺は、痛がり苦しむクソヤロウを置き去りにして部活棟に向かった。
 目指すはサッカー部の部室。
 部活棟には、体操着姿で頑張りすぎたフンコロガシの芸術みたいになっているおにぎりを頬張っているイガグリ頭どもが沢山いるが、だいたいそこからちょっと進んでなかなかオシャレを捨てきれない連中がサッカー部の連中だ。俺はその中の一人に声をかけた。
「おい江戸川」
「なんだ後藤」
 江戸川はチューチューとウィダーを飲んでいた。江戸川、わりと顔はジャニーズ系だが、一つ泣きボクロがあり、どこか薄幸な雰囲気を漂わせている。
「ちょっと話があるんだが」
 江戸川は露骨に嫌そうな顔をした。この野郎、暇なくせしやがって、どうせ五時間目が始まるまで部室で漫画読んでるだけだろーが。
「いいだろ? な?」
「ええー……やだよ絶対面倒事になるし、お前と絡むと」
「気のせいだよ」
「気のせいじゃねっつってんだよ! 俺は沢村みたいにはならんぞ」
「やだなあ、それじゃまるで沢村が犠牲者みたいじゃないか」
「お前が事あるごとに女子を沢村にぶつけて厄払いしてるのは知ってるんだぞ」
 江戸川の言うところの女子は天ヶ峰しか思い浮かばないが、確かに俺は以前、沢村が朝登校する時に天ヶ峰と一緒になるように仕向けたことはある。
「でもそれって悪いこと?」
 キーパーグローブが飛んできた。備品を大事にしないやつめ。
「大丈夫だって、今回は天ヶ峰は関係してない」
「そうなの?」
「そうそう。それどころか他校の女子とお茶できるかもしれないって話ダヨ」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「なんだあそれを早く言えよ」
 ちょれぇ。
 俺は江戸川に紺碧さんの一件を伝えた。
 江戸川は探偵みたいな顔になってしばらく悩んでいたが、
「会ってみよっかな……」
「マジか」
 誘っといてなんだが、この期に及んでしり込みしないとはなかなか性欲旺盛なやつだ。
 まァ手から火が出るとか厨二病とか全部伏せて巨乳としか説明してないからな。猛毒の釣り針に魚はついぞ気づかない。

 ○

 放課後。
 俺と茂田と横井は、道路に面したファミレスの前にしゃがみこんでいる。生垣の中にいるし『許可は取ってあります』という嘘八百万の札を背後にブッ刺してあるので通行人からは何も言われない。
「おお……なんかこうして見ると、妙な感慨があるな」
「そうだな」
 窓ガラスの向こう、ちょっと奥まったボックス席に、紺碧さんと江戸川が座っている。江戸川は俺たちに背を向けているが、紺碧さんは俺たちに気づいているはずだ。
 イケメン捕まえたよってメールしたらあいつ三秒で返してきた。所詮は顔か。
 で、せっかちなことにもうその当日に二人は会うことになって、俺たちはそれを覗いているというわけだ。二人はさっきオーダーを済ませたところである。
「くそ、江戸川め。さっきから肩がゆれてて楽しそうだ」
「笑ってるんだろ。反吐が出るぜ」
「お前らひどいな……」
 横井が哀れみのこもった視線をよこし、
「でも、意外だったよな」
「何が」
「俺、あっさり出会いがしらに紺碧さんが馬脚を表してあっという間に終わると思ってた」
「その可能性は濃厚だったが、カマトトぶるくらいの脳神経は残ってたようだな」
「なんかこうしてみると普通の女の子だよね」
「けっ、あんなウンコつきそうなほど髪の毛長い女が普通なわけねーだろ」
 幼稚園児のお遊戯を見守る優しいパパみたいな顔で言う横井に、茂田が辛辣に言い返した。
「姉ちゃんが言ってた、黒髪ロングなんか現実じゃ頭おかしい女しかやってねーって」
「茂田あなた疲れすぎよ。なんて夢のないことを言うんだ」
「だって姉ちゃんが言うし」
「清楚とか可憐とかいう言葉に未練があるだけだろお前の家の化物は」
「家帰る気失せるからそういうこと言うのやめてくれる?」
「ソォリィ」
「おいっ、お前らふざけてんな。料理運ばれてきたぞ」
 俺たち三人はぐっと前のめりになった。
「なんてこった……」
 茂田がパチンと額を叩いた。
「江戸川のやつ、ステーキ頼んでやがる!」
 馬鹿を言うな、あれは千円もする……と思って見てみたらマジでステーキが湯気をたなびかせていた。え、江戸川の野郎、バイトもしてねえで玉蹴っ転がしてるだけで親から千円もらえるのか。ふざけるなよヒューマン。
「畜生、俺たちなんて七百円までしか食べられないのに……!!」
「ほぼ二品限定だからな」
 紺碧さんの方は、普通にパスタを頼んでいた。
 めっちゃ食べ方汚いとかそういうオチかなと思って目を細めてみたが、普通にフォークでくるくるしてからパクリと食べていて、とても美味しそうだった。
 手で口元を押さえながら、何か言ったらしい江戸川に対してコロコロ笑っているさまを見ていると、なんだか本当に江戸川の彼女みたいだ。
 胸めっちゃ揺れてる。
「あれノーブラなんじゃねえの?」と茂田。
「捕まるだろ」と俺。
 それから彼氏彼女ら二人は何か喋繰りあいながら、いつの間にか携帯を出してアドレスを交換していた。
 ようやく俺たちに冷や汗が伝い始めた。
「おいおいおい……これマジで成功しちゃうんじゃねーか。お嫁さんコースじゃねーか」
「江戸川があせってないから結婚の話はなけなしの人間性を引っ張り出して伏せてるみたいだが、どうもお友達からコースにしても足が早そうな展開だぜ」
「おなかすいた」
 さっきあんぱん喰ってただろが横井。
 茂田が顔を覆った。
「あの場所に隕石落ちないかな」
「末期なこと言うなよ」
「だってよ……!!」
「だから俺がお前に勧めた時にウンって言っておけばよかったんだよ」
「今でもやっぱ紺碧さんは嫌だぜ? 嫌だけど……でも……すっげぇ適当なことだけ言って話合わせて、飽きたら捨てるとかすればよかった気がしてきた……」
 景気がちっとも良くならないからこういうこと言い出す奴が出るんだ。消費税増税反対。
 俺は末期患者は放っておいて横井に話を振ろうとしたが、それは出来なかった。
 本当に隕石が落ちてきたからだ。


 耳元で投球直後のスピードボールが流れ飛んだ瞬間のような風切音がした後、轟音と爆風で俺たちは綺麗に吹っ飛ばされた。宇宙空間のような耳鳴りがして、俺が真っ二つになった眼鏡をなんとか鼻の上に乗せることに成功した時にはもう、ファミレスのウィンドウは全て木っ端微塵に割れていて、通行人が両手を振り回しているところだった。スマホとファミレスを交互に見ている善なるサラリーマンがいたが、たぶん消防じゃね。
 俺は立ち上がり、周囲に充満した爆煙にけほけほ咳き込み、そばで倒れていた茂田と横井を引っ張り起こした。
「ぁーっ! ぁーっ!」
 横井が何か喚いているが鼓膜がやられたらしくよく聞こえない。俺は横井に片手でタイムをかけ、耳に水が入った時のように頭を傾けてトントンやってみたがマジで無意味だった。しかも全然ウケなかった。家帰ってバナナ食ったら死のう。
「――んだ今の!? なんだ今の!?」
 ようやく耳に声が通るようになってきた。俺はしつこく横井に待ったをかける。
「あんま怒鳴るな耳がいてえ」
「俺もだよ!」
「しらねーよなんでそこで自己主張!? ちょっと待てや!」
 くそっ。いったい何があったんだ。
 紺碧さんと江戸川はどうなったんだ……他の客もいたが女子高生が多かったので無傷か何かだとは思うが、江戸川が心配だな……今日セッティングしたの俺だし。こんなことなら同席してればよかった。
 ファミレスは火を噴くばかりで何も教えてくれない。つーかこれマジで爆発とかするんじゃねーの? この街に住んでれば避難くらいはいつものことだけど、流石にこんな大掛かりな爆発事故は年に二回くらいしかないのだが……
 茂田がトントンやりだしたので俺は即席の手話で「きかないよ」と伝えたら茂田は「イェー」と親指をあげてきた。何がしたいのかミステリー。
「とりあえず、消防が来るまでは待機か。つーかちょっとよじ登って江戸川の様子見てみるか? たぶん紺碧さんいるから大丈夫だと思うけど……」
 と、俺が横井に言った時、知らない人に話しかけられた。
「それは誤謬である」
 俺たち三人はいっせいに振り返った。
 恐怖と混乱による通行止めが発生した道路の真ん中、車線をまたぐ位置に、少女が一人、立っていた。
 めちゃくちゃバカデカイ兜をかぶっている。
 俺たちが冷めた目でそれを見ていると、兜の少女は腕組みをしながら、ぐらぐらと揺れる頭を必死に踏ん張りつつ、生意気な笑顔で言った。
「我の超・攻撃を喰らったのだ。ベルベット・ファイアは粉微塵になって死んだ」
 歳は十四、五歳くらい。全体的に細身で触ったら通報な感じ。児ポ法的に完全にアウト。服装は、なにやらゴテゴテした黒い戦闘ジャケットみたいなのが上下。ベルト多し。それに赤マントが付属しているが裾をブーツで踏んじゃってるので動いたらたぶんコケる。そして天辺の兜は戦国武将だって配下にたしなめられそうなくらいにデカく、豪華で、重すぎた。兜からあふれ返ったくしゃくしゃの赤毛は、なんとなく日本人っぽくない。目の色も黒というよりは淡い灰色。
 美少女だ。
 でも生活能力なさそう。そんなんで洗濯物とかちゃんと畳めんの?
 茂田を見ると眉をひそめて「いい、いい、いい、いい、俺もいい」と小刻みに首を振っている。だよなァ。
 赤毛兜の少女は「クックック」と作り笑いをして、顎をあげた。
「どうやら我の放つカリスマに身を打たれて声も出ないようであるな、三下?」
「それ重くない?」
「おっ、重くなどないわ! なめるな」
 首がミシミシ言ってんすけど。
「ふふふふ、恐れるな、我の狙いはベルベットファイアのみ。下級市民など眼中にないわ」
「ベルベットファイア?」
 赤毛兜が頷く。
「そう、我は彼奴を殲滅するたびに放たれた刺客……本来、人間のいる場所で争うべきではないのだが、彼奴め、無辜の男子をたぶらかしておったのでな……幸せになる前に吹き飛ばしておかなくてはならなかったのだ」
「気持ちは分かるよ」
「そうか? フフ、なんだ話が分かるではないかメガネ! 褒めてつかわす」
 うわぁすげぇ偉そう。
 俺は「どう、どう」と赤毛兜を牽制してから、やっと聴力を取り戻した茂田や相変わらずビビっている横井に耳打ちした。
「ふええ、なんなんだこの子は。ただの厨二病じゃなさそうだが」
「野良ESPじゃね? ファミレスぶっ飛ばしたのもこの子だろうし」
「それにしては強すぎるぜ。さっきの一撃は俺調べで普段の沢村よりも強いぞ」
「また沢村にフラグが立つのか……」
 俺たちがため息をついていると、
「どうした小市民ども! 頭が高い刻が永すぎるようだな?」
 わけのわからん煽りを赤毛兜がぶん投げてきた。うぜぇ。
 紺碧さんが駄目なら沢村とか早く来てなんとかしてくれないかなー、と思ってたら粉々に砕け散ったウィンドウの向こうからぬっと紺碧さんが出てきた。
 服装はズタボロで、髪はほつれ、目は血走っている。結構よさそうなパスタ食ってるの邪魔されたからげき怒こんぺき丸のようだ。
 俺は手をメガホンにして叫んだ。
「紺碧さーん、ベルベットファイアって紺碧さん?」
 顔が赤くなったので合ってるらしい。恥らう紺碧さんも珍しいな。
 茂田も俺に負けじと叫ぶ。
「なんかちっちゃい子が来てるんでナントカシテクダサーイ」
「ち、ちっちゃい子いうなっ!!」
「ギャッ」
 茂田に向かって赤毛兜が火球を三発立て続けに放った。茂田はとっさに倒れていた不審者注意の看板でガードしていたが、表面がどろっどろに溶けている。
「あちっあちっ」
「バカ早く捨てろっ!」
 茂田が捨てた看板が瓦礫の上でヨーグルトみたいになった。
 紺碧さんがカツカツと歩いてきて、半分破れていたベストを脱ぎ捨てた。ブラウスとスカートのみになり、ブラ透け視姦オッケーになった。
「オッケーじゃ無いわ」
 冷たい目をした紺碧さんがバッサリと切り捨ててきた。
「だからなんで俺の心を読むんだよ!? 俺はそんな汚い心はしていない!!」
「落ち着け後藤、もう手遅れだ」
「放せ横井!! くそがぁぁぁぁぁぁぁ……」
 男子としてのプライドがズタズタにされた俺をよそに、ベルベットなんとかさんと赤毛兜が差し向かいで睨み合う。
「まさかあなたが出てくるとはね……ドラグ・タウロス。雑魚で牽制はもうやめたってわけ?」
 赤毛兜はぐらぐら揺れる頭のまま、不敵に笑った。
「何、無駄な手間を省いただけのこと……我らの目的はあくまで『レメゲトンの心臓』の回収だからな。鮮やかな勝利など望まんよ」
「へぇ……あれを私が持っていると? 高く買われたことね」
「いやいや」赤毛兜が首を振り、ぎらっと犬歯を見せつけた。
「一番五月蝿い奴から退場してもらうだけのこと」
 紺碧さんのこめかみに青筋が浮いた。
 
 一触即発――――……

 俺たち三人は瓦礫の影に隠れて、囁きあった。
「どっちが勝つと思う? 賭けようぜ!」と俺。
「そういう外馬はあとくされが残るからやめようってこないだ言い出したのおめーだろ後藤」と茂田。
「ギャンブル(笑)」と横井。
 あれ、なんだろ、なんか思ったより風向きが悪い。ちょっと泣きそう。
 ……にしても。
 まったく紺碧さんときたら、相変わらず厨二チックな押収だぜ。なんか俺の知らない間にへんな敵の勢力みたいのが出来てて、レメゲトンの心臓とかいうのを紺碧さんの陣営――つまり沢村サイドが持ってて、それを敵は狙ってるらしい。へぇー。七つ集めたら願いが叶うのかな多分。
 だいたい心臓がほしけりゃ肉屋に牛のこころが売ってるよ。
 俺の左で横井が「レメゲトンって何?」と言い、俺の右で茂田が「魔術書だった気がする」と言いながらスマホでウィキを検索していた。そばの電信柱めっちゃへし折れてるけど電波届くのだろうか。
「後藤くんたち、危ないから下がって。これは私の戦争よ」
「戦争ならちゃんと賠償金ふんだくってこいよー」
「やめて、お金の話なんて聞きたくないわ! ビタ一文も!」
 思考が二重螺旋に陥ってしまっていて出口が見えない紺碧さん。
 くっ、と歯軋りして、その両手に青色の炎を創り出した。
「以前は後塵を拝したけれど、あの時より私は強くなった。……滅びよ、魔牛の戦士よ!」
「ククッ、戦争下手の小娘め。我が本物の炎というものを教えてやる!!」
 とかなんとか言って格好いい呪文の押収でも始めるのかなと思ったら、
「うおーっ!!」
「ぬばーっ!!」
 ひたすら叫んで炎の塊をぶつけ始めた二人。
 猛烈に眩い破壊行動が始まった。どっかんどっかん始まった。
 茂田のスマホは完全に圏外。
 爆風が凄い。
「うぉぉぉぉぉぉぉ、後藤っ、これやばい後藤っ、逃げよう!」
「心配するなーっ!」
 俺は扇風機の神様を怒らせたかのように顔面をぶるつかせながら横井に叫んだ。
「バックドラフトは意外と爆心地の近くの方が安全だって聞いたことがある!!」
「これ開かれた場所だからバックもドラフトもなくね!? ただの爆発だよ!!」
「うぉぉぉぉぉぉぉっ、前が、前が見えない!!」
「っ!? 後藤、あれ見ろ、茂田が!!」
「茂田!?」
 見ると、いつの間にか茂田がホフク前進で紺碧さんの斜め前を進んでいた。
「何やってんだ茂田、茂田ーっ!!」
 振り返り、わずかに微笑み、親指を立てる茂田。
「茂田……!!」
 破壊の悦びに目覚めてしまった女子二人の超・攻撃とやらの余波が小さな石つぶてになって茂田に何度もぶつかった。そのたびにピッピッと細かい血が茂田から飛ぶ。
「あいつ……ああまでしてこの闘いを止めようと……!」
 確かに、そうだ。
 女の子同士が争うなんて、間違ってる。
 そうだよな茂田……
 俺たち、こんな世界でも忘れちゃいけないこと、あったんだよな……
 茂田あ……!!!!
「死ねっ、死ねっ、死ねーっ!! アハハハハハハ!!!!」
「ぐっ……負けてたまるもんですか……ヤァァァァァッ!!」
 暴風が吹き荒れる、熱波が渦を巻く。
 神の吐息のような灼熱の中を単騎で進む茂田。
 進み続ける。
「あぶないっ!」
 風に誘われて飛んできた看板や赤コーンを必死に頭を伏せて回避する茂田。
 それでも腕や足を容赦なく、無機物が痛めつけていく。
「あいつ、あんなに勇気があったなんて……」
 横井が珍しく息を呑んでいた。
 そして、ようやく、
 茂田はドラグ・タウロスとかいう美少女の足元へと辿り着いた。
 可哀想に、本当に可哀想なことに、ドラグ・タウロスはズボンなので、パンツを見ることも叶わない。
 こんなに頑張ってパンツを拝むことすら出来ないなんて……
 こんな世界、狂ってやがるよ……
 それでも満身創痍の茂田は、片手を伸ばし、
 ドラグ・タウロスを羽交い絞めにしようと、
 しようと、
 …………
 その手がさ迷う、そして、
 がしっとドラグ・タウロスを掴むと、一気に引きずりおろした。
 その黒のズボンを。
 がきぃん、と鳴り響いた金属音は、おそらく茂田が熱意でブッ壊したズボンのベルトの金具か何かだろう。
 嘘のように嵐が止んだ。
 俺たちが見たのは、あまりのことに硬直する女子二人と、台風が過ぎた後のような青空と、ズボンを握り締めたまま果てた茂田、そして、
 真っ白なパンツ。
「あっ、あっ、あっ、あっ……」
 ドラグ・タウロスの顔がみるみる赤くなる。あれほどの熱波にも汗一つかいていなかった額に脂汗が浮かんでいた。
「あーっ!!!!」
 まだズボンを掴んでいた茂田の指をブーツで払いのけると、ドラグ・タウロスは「うわああああああああああああ」と完全にぶたれた幼稚園児みたいになって撤退していった。ぶかぶかだった兜は転がり落ちて主の行く末を路傍から見送っていた。
 チラッと紺碧さんを見ると、紺碧さんも俺をチラ見していた。
 いや、
 いやいやいやいや。
 俺は要求してないッスよ? あんなブレイブ。



 ちなみに。
 消防車が来て、救急隊員がファミレスの中から江戸川を回収したが、息も絶え絶えにやつが俺らに残したのは、
「メアド、変えといて……」
 といって差し出したスマホだった。
 それを受け取り、握り締めながら、俺は思った。
 暗証番号、わかんねえ。








 世間では『謎の爆発事故』として処理された、『レメゲトンの心臓』を奪い合う異能者たちの戦いから一日が経過し――

 ――俺は、今日も学校である。
 だりぃ。
 そもそも女子同士が巻き起こしたプチ台風に踏ん張ったせいであっちこっちが筋肉痛。
 あの後で江戸川の見舞いに行ったらわりと時間を喰ってしまって、江戸川のお母さんと喋りこんだのもいけなかったんだが、天ヶ峰んちに帰り着いたのが夜中の十時。
 これじゃ疲れも取れない。
 あっちゃんママは「ゴトーくんが夕飯を食べてくれなかった!」とぷりぷり怒ってるし、天ヶ峰は「ハヤシライスが食べたかったのに今日はカレーライスだった」という誰にもどうすることができない理由で俺をぶったり蹴ったりした。ひどいよね。

 江戸川のヤツは救急車で運ばれたわりには軽症で、いちおうMRIとかいう頭の写真を撮る検査を受けて、念のために一日だけ入院することになった。今日退院のはずだ。
 あいつが受けた傷は身体のそれだけではなく、息子の一大事にあわてふためきオロオロと嘆き悲しむお母さんの過保護っぷりが周知のものになってしまったので、あいつたぶん大学いくまで彼女できないだろうなあ。何人か女子も病院にかけつけてきたけど、みんなスゲェ生暖かい目をしてたもん。

「ん~~~~」と俺はのびをする。
 ま、ようやく九月になって残暑も和らぎ、天気がいいのでヨシとするか。
 そんなこんなで、俺が鼻歌まじりに登校していると――
「ん?」
 思わず声が出てしまった。
 おお。
 道端に、でっかい兜が落ちている。
「…………」
 俺はそれに近づいた。
 そして周囲を見回し、誰もいないことを確かめてから、その兜の周囲をぐるぐると回ってみた。
 軽く足で小突くと、鈍い音がして、中に何かが詰まっていることが分かった。
「…………」
 俺はそおっとしゃがみこみ、あみだになった兜の中の暗闇を覗き込んでみた。
 すると、
「くう……くう……」
 と、いつぞやの赤毛の少女が可愛らしい寝息を立てて、猫のように丸まって眠っていた。
 兜の中で。
「…………なるほど」
 俺はそっと手を伸ばし、赤毛少女のくせっ毛を指でなでたり引っ張ったりしてみた。
「……んん……ふぅ……」
 少女――確かドラグ・タウロスだかなんだかは、ちょっとむずがゆそうに顔をしかめた後に、また元の安らかな寝顔を取り戻した。
「なんでこんなところで寝てるんだ……」
「zzz」
 タウロスは答えず、眠っている。
 昨日、みんなにパンツをご開帳した後でいきなり路頭に迷ったのか。沢村の敵はネカフェに泊まる金も持ってないらしい。
 俺は再び周囲を見回して、一軒の家に注目した。
 そこの表札には『桐島』とある。
 俺はインターフォンをポチった。
 何度押しても出てこないので、十七連射した後に小石を窓にぶつけまくったら窓を省略してドアから桐島晴海が出てきた。
 黒のタンクトップに白のパンツだけの姿で、ショートの髪はボサボサ、目をこすりながら庭先を歩いてきて門の向こうにいる俺を見るとツバを吐きかけて来た。きたねぇコイツ。
「なにすんだ変態、ちゃんと服着ろ」
「うるせえ」桐島はまだ目をこすっている。
「あたしがあたしの家でどんな格好しててもいーだろーが。それともなにか、コーフンしてんのか? ほれほれ」
 タンクトップの裾をひらひらさせ、ヘソチラでドヤ顔をする桐島。どうでもいいが今日はラフな口調の日らしい。無理やり叩き起こしたからかもしれないが、早くお嬢様口調の日が来てくれないかなと思う。
「ん? なんだそりゃ」と桐島が俺の顎に頭をぶつけるという大罪を犯しながら門の外に転がっている兜を見た。
「でっけぇカブトだなオイ! ひっくり返った風呂釜みてえ」
「言い得て妙だな。だが中を見てみろ」
 桐島はヤンキー座りになって兜の中を覗き込んだ。
「かわいい。なにこの生き物」
 俺は昨日の一件を話したが、桐島は「ふーん」で流した。
「かわいいけど、ここにあると邪魔だなァ。あたしんちのポストに牛乳が届かないよ」
「そうだよな。それにコイツ沢村の敵だし、放っておいたら危険かもしれん」
「そっか……じゃあ、こういうのはどうだろう?」
 桐島が俺に、この兜をここからどけるアイディアを話した。
 面白かったので俺はそれに乗った。
 電話をかけると、すぐに来てくれるらしい。
 俺たちは赤毛少女が、
「くう……くう……」
 と、相変わらず眠りこけている兜のセンチと重さを量って、専用のシールを貼って、しばらく待った。
 するとトラックがやってきた。
「これですか?」とブルーカラーのおじさんが言ってきたのでどう見ても男子高校生の俺とどう見ても半裸の桐島は肩を並べてこくんとうなずいた。おじさんはテキパキと兜を運んでいった。
 ぶるるるる、と走り去っていくトラック。
「ふう!」と桐島が一仕事したみたいな顔で額を拭った。
「これも世のため人のため、そして沢村のためだな!」
「そうだな」


 ○


 当たり前だが女の子を粗大ゴミに出しちゃいけない。
 速攻で連絡が学校に飛んできて、俺は即座に呼び出しをかけられ、生徒会室に召喚された。

 そういうわけで今、俺は地べたに正座させられているんだが、その上に卒業アルバムが拷問のように乗せられていて膝が潰れて動けない。
「後藤……」
 氷よりも冷たい目を細めて、俺を生徒会長卓に座って見下ろしているのは、我らが立花紫電ちゃん(16)。
 日米合作のハーフで、生徒会の副会長を務めている。
 いつも学ランを着ているんだが、今日はその下に
『100tはんまあ』
 と黒字で抜かれた白Tを着ている。
 とりあえずすっげぇ怒ってることは分かる。
「お前、自分が何をしたか分かっているのか?」
「…………」
「何も知らない女の子を粗大ゴミに出したんだぞ? 許されるとでも思っているのか?」
「…………桐島がやろうって言ったんです」
「桐島は後藤に脅されてやったと泣いていたぞ」
 あ、あのアマ……!!
 歯軋りして裏切者の死を願う俺をよそに、紫電ちゃんは金髪が垂れた額に手をやり、重々しいため息をついた。友達を怪我させちゃったことを報告した時のお母さんみたいな態度である。なんか申し訳ねえ。
「後藤、確かにドラグ・タウロスは我々の敵だ。だが、やっていいことと悪いことがあるぞ?」
「そういう時もありますね」
「後藤!」
 紫電ちゃんが悲痛な声を出して、俺をムチでぶった。いてえ。
「私は悲しい……! 幼い頃からの知人であるお前が、年賀状をやり取りしている仲のお前が、こんな事件を起こしてしまうなんて……何が悪かったんだ? 教えてくれ、頼む!」
「とりあえず何か言うたびにムチでぶつのやめて」
 すっげぇいてえ。洒落になんねえ。ズボン破れたし。
「くっ、後藤……」
 紫電ちゃんはムチをビシィビシィと伸ばしながら、目元に涙を浮かべている。
「許してくれ、私はただお前が許せないんだ」
「なんだか変な日本語だぜ」
 まァどう考えても悪いのは俺だけどね。タウロスまた行方不明になったらしいし。
 桐島もべつにタウロスが嫌いとか悪意があったわけじゃなく、ただ『女の子を粗大ゴミに出す』っていう行為そのものに秘められた処女性に惹かれたんだとは思うが、やっぱり危ないので今度からは止めよう。
「でもさ、紫電ちゃん、俺の言い分も聞いてくれよ」
「聞こう」紫電ちゃんはムチをゴミ箱に捨てた。
「言ってみろ、後藤」
「うん。……この夏は俺も色々あったから沢村の周囲で何があったのかとかは、間違って送られてきた佐倉とか男鹿からの一斉送信メールでしか知らないんだけど、でもなんか変なやつらと戦ってるんだろ? なんとかタウロスどう見ても日本国籍無さそうだったし」
 紫電ちゃんは青い瞳で俺を見ている。
「そういう変なやつらがいて、レメゲトンの心臓だかなんだかを取り合ってるとか、俺らは昨日初めて知ったわけよ。この町に住んでるのにさ。だからやっぱ、詳しく知らない分、ナーバスになったりするし、ちょっと過激でも町のためにと思えば無茶もやっちゃうっていうか……なんかごめんな、確かにやりすぎだったよ。女の子を粗大ゴミで出しちゃいけないよな。この通りだ」
 ぺこり、と俺は頭を下げた。
 七秒待ってから紫電ちゃんを見ると、
「……後藤」
 何か感じ入ったような、まぶしいものを見るような目になっていた。へへっ。ちょろいぜ。
「そうか、そうだったのか。それほどまでにお前はこの町を、地柱を守りたかったんだな……無力ながらも……」
「ああ、その通りさ。みんながいてこその故郷だからな。……紫電ちゃん、握手しよう」
「え……?」
「こういうのは形に現してこそ……市民代表の俺とESP対策班の長である紫電ちゃんが手を結べば、それはきっと大きな力になる……」
「後藤……」
 紫電ちゃんが酔ったような顔で手を差し伸べてくる。ふふっ。もうすぐ柔肌ゲットだぜ。
 その時、俺の野望を打ち砕く一言が、カーテンの向こうから飛んできた。
「そこまでだ、クソヤロウ!」
「っ!? 何奴!?」と俺。
「えっ、生徒会長!?」と紫電ちゃん。
 巻かれたカーテンがくるくると回り、その中から人間が出てきた。俺こんなやつにクソヤロウ呼ばわりされたのか。屈辱だ。
 そいつが誰かはよく知っていた。いけ好かないうちの生徒会長である。何かにつけて俺が紫電ちゃんにちょっかいをかけていると邪魔をしてくる嫌なやつだ。
 名前は幻狼院望夜。
 たとえ戸籍謄本を見せられても、俺は絶対偽名だと信じている。
「気をつけろと言っているだろう、立花」と会長は、アルビノ特有の白髪をかきあげ、赤い瞳を気遣わしげに紫電ちゃんの胸元に注いだ。
「そいつはお前の手に触れてお前の絹肌を堪能したいだけだ」
「そうなのか、後藤!?」
 いろいろ考えてみたがやっぱり真実なので、俺は搦め手で攻めた。
「おいこのクソ生徒会長。いいのか俺にそんな口を利いて。あのことバラすぞ」
「あのことってなんだ」
「駅裏のビデオ屋」
「ごめんポテチ食う?」
 会長は急に笑顔になって俺にポテチを差し出してきた。
「かっ、会長!? いまの後藤の発言にいったい何が!?」
「お前は知らなくていいことだ」
 そう言って目で紫電ちゃんを制した会長は、ニコニコ顔で俺にポテチを分け与えてくる。駅裏のビデオ屋は18禁ビデオしか扱っておらず、しかも二日で100円しかない上に普通に17歳に貸してくれるので法律的に完全なアウトの店なのだ。で、最近そこで芥子島がバイトしてるので俺はちょくちょく通っているんだが、普通に気まずい。あいつは平気そうだけど。
 とにかく、俺はこのクソ野郎が金髪デカパイの洋物ビデオを厳選して三日に一度借りていくのを芥子島から聞いて知っているのだ。
 俺に勝てると思うなよ。
「後藤くん、まァ座りたまえ」
「もう座ってます」
「そのアルバムをどけたまえ」会長は笑顔で俺の膝からアルバムを取ってくれた。
「君の言い分は分かるよ。いや、最初から分かっていたんだがね、念のために君を試したんだ。やはり君は素晴らしい若者だよ」
「八番勝負」
「もうやめてくれる? 分かってるよね、俺の負けだよ」
「分かればいいんスよ。……で、教えてもらいましょうか。最近の沢村たちに何が起こってるのかをね」
 紫電ちゃんと幻狼院会長が、目配せし合った。明らかに、一般人に話していいレベルかどうか、考えなければならない内容なのだ。
 俺はごくり、と生唾を飲み込んだ。
 どうしよう。

 行きがかり上、なんか聞いちゃったけど、
 ぶっちゃけ俺、そんな興味ない。
4, 3

  




「いいか後藤、レメゲトンの心臓……そしてそれを狙っている秘密結社『ソロモンズ』の野望はな」
「ちょっと待って、いまボイスレコーダーのスイッチ入れる」
 俺は制服のポケットからちょっと豪華なお菓子サイズのレコーダーを取り出し、電源をオンにした。
「続けてくれ、会長」
 会長は眉をひそめて、ゴミを見るような顔になった。
「なんだろう、俺はいまとても悲しい気持ちだよ、後藤」
「なんでだよクソが! どうせ話が長くなるんだから録音しておいた方がいいだろ?」
「そういうのじゃねえじゃん!」会長はバッシと会長卓を殴った。
「こういうのって、もっとこう、おどろおどろしい雰囲気の中で、『ポツ、ポツ』と語られるべきことだろ。なんだよボイスレコーダーって! おまえそんなもん学校に持ってきちゃいけないんだぞ!」
「なんだと! なんでアンタにそんなこと指図されなきゃいけないんだ」
「俺は会長だぞ」
「よくないそういうの」俺はレコーダーをポッケにしまった。没収されたら俺の高校卒業は夢のまた夢だ。
「くそォ、安い脅しをかけやがって」
「お互いに弱味を握り合ったようだな……」
 幻狼院会長がフ……と笑う。俺の弱味はまだ文化的だが、アンタの弱味は下半身に関することだがな。
 まァいい、とりあえずこのレコーダーがお咎めなしになっただけでもよかったことにしよう。
 そう思って胸をなでおろした俺のズボンのポッケに紫電ちゃんが手を突っ込んだ。
「没収」
 えぇー……

 ○

 結局、俺は長々と幻狼院会長のお話を生で聞かされたわけだが、ちっとも内容が頭に入ってこなかった。どうも俺は興味の無い話題を頑張って聞こうとしても、目が虚ろになるだけらしく、最終的に幻狼院会長はその身長185cmの上背をそびやかして「コイツ俺の話聞く気ねえ!」と怒って出ていってしまった。聞こうっていう気持ちはあったんだよ……

「まァ、三度も同じ話をしてからまた『もっかい言って』を喰らえば誰でもああいう態度に出ると思うがな」
「そんなこと言って紫電ちゃん、君はあのクソみてえな設定を黙って聞いてられるのかね」
「クソみたいな設定ってなんだ! ちゃんとした現実だぞ、我々の戦いは」
 俺と紫電ちゃんは帰り道の途上だった。空は晴れているが、少し霧のような雨がぱらぱらと降っていて、俺は紫電ちゃんの唐傘に入れてもらっている。なんかほのかに婆ちゃん家のにおいする。
「とにかく、いいか後藤」
 紫電ちゃんはリズムを取るように指を振りながら言った。
「この町はいま能力者がウロウロしていて危険なんだ。命だって保障はできない。極力、外へは不用意に出るな。わかったな?」
「じゃあ学校もいかなくていい?」
「そんなこと言っちゃダメだ。子供じゃないんだから」
 命の危険があるって言ってたくせに……
「だいたい、学校へ行かずにどうするつもりだ? お前が家にいれば美里もたぶん学校を休むぞ」
「なんでそうなるんだ? それじゃ俺はいつ深夜アニメを消化すればいいんだ?」
「知らん! そんなこと。というか、見てるのか?」
「いまのジャンプが面白くない以上、たとえどんなにつまんなくても俺たち男子高校生は深夜アニメを見るしかねーんだよ」
 それに毎日いろいろやってるから毎日LINEで茂田とか横井とかと感想を言い合えるしね。いい国だよ。
 紫電ちゃんはハァとため息をついた。
「まったく男はいつまでも子供だな」
 嫁に行きそびれそうなセリフだな。
「紫電ちゃん、あんたが可愛くなかったらブッ殺してるところだよ」
「……どう答えればいいんだ?」
「正解なんてあると思ってんの?」
 時々、「後藤、お前と話してると頭がおかしくなる」と言われる俺の禅問答攻撃が炸裂して紫電ちゃんは貧血を起こし始めていた。おいあぶねーぞ、そっちは車道だ。
「まァ、あれだ」
 俺は紫電ちゃんの裾を引っ張って歩道に寄せながら言った。
「結局、沢村がなんとかしてくれるんだろ? ……俺はそれを信じてるからさ」
「関わり合いになりたくないだけだろ?」
「おちょくりたいとは思ってる」
 紫電ちゃんは金色の髪に手を突っ込んで項垂れた。
「お前が私の手伝いをしてくれれば、私の負担も少しは減るというのに……」
「手伝い?」
「ああ、後藤、お前は自分では気づいていないかもしれないが、私はお前を評価しているんだ。美里のこともあるし……だから、お前が我々の戦いに手を貸してくれたら、と」
「何言ってんだ、大丈夫か紫電ちゃん」俺は本気で心配になった。
「俺に期待とかするのはやめた方がいいぞ」
「そうかな?」
「そうだよ!」
「でも後藤、お前はもっと、自分のことを好きになってもいいと思うぞ、私は」
 そう言って、紫電ちゃんは少しだけ寂しそうに笑うと、横断歩道を渡って帰っていった。
 ……意味深なこと言いやがって。
 ボイスレコーダー、返せっつーの。




「後藤くん、覚悟はいいわね?」
「了承したくないんですけど」

 俺と紺碧の弾丸さんは、半地下の喫茶店のボックス席に向かい合って座っていた。
 俺は借りてきた猫のよう。
 紺碧さんは山抜けしてきた熊のよう。
 とてもお怒りである。
 どうしてそんなに怒ってるんですかと聞いてみると
「あながた私の旦那さんをちゃんと探さないからでしょ!!」
 と理不尽に怒られてしまった。お茶こぼれたし。やめてよ。
 俺は布巾で紺碧さんの粗相を拭いながらため息をついた。
「だって紺碧さん、誰を紹介しても嫌だっていうじゃん」
 あれからちょくちょくイケメン候補をぶつけてみたのだが、茶髪はチャラいとか黒髪は地味とか話が面白くないとかお金もってないとか部屋に美少女フィギュアの一個師団があるとかでどの縁談もポシャってしまった。
 可哀想だから黙っておくが、断りを俺に入れてきたのは双方からである。紺碧さん相手の話を聞かないからなあ。
「いい加減に現実をみなよ」俺は言った。
「紺碧さん細マッチョにあすなろ抱きにされたいんでしょ? あれ普通に痴漢行為だから一般の男子には難しいよ」
「なんでよ!!」
 紺碧さんは黒髪を振り乱して真っ赤に充血した目で俺を睨んでくる。ストレス?
「落ち着いて紺碧さん」
 俺はちらっと紺碧さんが飲んでいる紅茶を一瞥してから、カウンターでマグカップを磨いているエプロンドレス姿の佐倉を睨んだ。
(ちゃんと鎮静剤入れとけっつったろ)
(入れたわよちゃんと)
 じゃあなんで効かないんだよ……
 甲斐甲斐しく俺のためにミートパイを焼いている男鹿を見てみると、ふっと笑って俺の勘定書き何かを走り書きしていた。もしかして今、俺はスマイルを押し売りされたのだろうか。
「私の話を聞いているの後藤くん。ちゃんとしてくれなきゃ。あなただけが頼りなの」
 そりゃ手から火を出しまくって夜のビル街を飛び回ってるイカレ女子高生と付き合いたがる男はいねーよ。こないだ流れで握手したら手ぇちょっと焦げたし。いってぇ。
「俺に言えることはね、紺碧さん、ちょっともうぶっちゃけしんどい」
「……そんなに私ってだめ?」
「うん」
 こないだファミレスでナメた姿勢とってたところもyou tubeにアップされちゃったからね。這い寄る混沌とかコメントついてたし。
 俺は男鹿が運んできてくれたミートパイ(うまい!)をもしゃもしゃ喰いながら言った。
「この街でまともな恋愛は出来ないと思った方がいいよ。引っ越すしかないね」
「嫌っ!! ……私はもう、転校なんてしたくないのよ……」
 何か転校に嫌な思い出でもあるのか、紺碧さんはうっと両手で顔を覆うとしくしく泣き始めた。
 うーん、確かにいきなりみんなの前で自己紹介はきついよね。さりげなく空いてる席にいつの間にか座っててそのまま授業受けれるとかのほうがよくね? とは思う。
 俺はパンパンと手を叩いた。
「佐倉、紺碧さんに何か暖かい飲み物を」
「その人、ツケが三万も溜まってるからもうお冷も出したくないんだけど」
「何してんだよ紺碧さん!!」
 紺碧さんは恨みがましげな顔を背けた。
「だって、ツケてみたかったから……」
 なにそのやってみたかったから説。ツケは決して大人の作法じゃねーよ。ダメな大人の頼みの綱でしかないよ。
「つーかよく三万もツケたな佐倉」
 俺は一つ年下の喫茶店経営者でもあり、兼、サイコキネシストの少女を振り返った。
 佐倉は髪を結んでいることが多いが、今日はその栗色の髪がポニーテールに結わえられていた。
 がちゃがちゃ皿洗いをしながら、フンと鼻を鳴らし、
「だってツケられてみたかったんだもん」
「子供と子供じゃ社会は成り立たねえ」俺は額に手を当てた。
「ダメだ、この街はもうおしまいなんだ。馬鹿しかいねえもん」
「何を生意気言ってんのよ後藤。あんたのツケだって五万まで膨れ上がってるわよ」
「ふ、膨れ上がってる!? ちょっと待て、俺は五百円しかツケてねーぞ!!」
「いつの話?」
「まだ先月ぐらいだろ!! なんで百倍になってんだよ!!」
「利子」
 債務者なのに初耳だよ……
「てめえ、あんまりナメた商売してっとな、紫電ちゃんにチクるぞ」
「そんなことしてみなさいよ」佐倉はにやにやとネズミをいたぶる猫の顔になった。
「あんたが天ヶ峰先輩に不埒を働いてるっていうデマをばら撒く用意がうちの女子にはあるのよ」
「俺を弁護できそうな材料がやつの肌の硬度しかねえな……」
 口でも勝てないとなると俺もこの街を出るしかなさそうだぜ。親父スマン、次に会うのは葬式だ。
 その時、それまですすり泣きだった紺碧さんが掃除機のように唸りをあげて泣き始めたので俺は躁鬱気質の人をほったらかしにしておく恐怖を知った。
「スマン紺碧さん、全部あのクソ女店主がべらべら喋るのが悪いんだ」
 つーかちょっと前までバイトだったのに、いつの間にか昇進してたな、佐倉。
 紺碧さんはしばらくして泣き止むと、ふらふらとテーブルの上に手を伸ばして俺のカップを取ってぐびぐび飲み始めた。俺のエスプレッソ……
 カン、と空になったコップを置くと、
「異世界だわ」
 と、急に言い出した。
「異世界にいくしかないのよ」
「どうしたの、冷えピタ貼る?」
「うるさいわね!!」
 紺碧さんの視線が稲妻のようにほとばしったかと思うと、そのよく梳られた前髪の前で『ボッ!!』と火球が出現した。俺はその熱気をモロに喰らってソファにもんどりうって倒れこんだ。
「熱ィ!! なにすんだこのっ」
「だって、だってもうこの世界には私の愛を受け止めてくれる人がいないなら、別の世界にいくしかないじゃない! うわぁーっ!!」
 そう喚くとまたオイオイ泣き出した。
 いや愛って……きみ確かお金と顔の話しかしてないよね? 女心はわけがわからないよ。
 カウンターのストゥールに腰かけ、いつの間にか新聞を読んでいた男鹿がぼそりと何か言った。ちなみにチビスケなので足が床につかずにプラついている。超能力者特有のどこか青みがかった目が紺碧さんの黒髪に向いていた。
「気が狂ってる」
 同感である。
 1999年のノストラダムスをすっぽかされ、行き場を失った厨二病患者たちはあの手この手を使って余裕のなくなった現代社会と氾濫した機械から放たれるテクノストレスに抗ってきたわけだが、その急先鋒を往っていた女子高生がついにダウンしたわけだ。
 いやもうほんと出先で泣き喚かれるとホント打つ手がないね。イケメンリア充じゃなくてよかったー。恋人にこんな醜態さらされたらおなか壊して下痢するわ。
 俺は物凄く放っておきたい気持ちを抑えながら、「異世界へいきたい。異世界へいきたい」としくしく泣き続ける紺碧さんの脇を抱えて佐倉の喫茶店から外へ連れ出した。
 何が異世界だウンコして寝ろとか思って自宅まで送ったんだが、まさか本当に俺と紺碧さんが異世界へぶち込まれることになるとは、その時まだ想像もしていなかったのだった……
 まる。

 いやほんと。
 知らない間に五万も借金してると、ほんと夢も希望もどうでもよくなるんだよね。
6, 5

  




「おい後藤、おまえ死ぬの?」
 俺は茂田に疲れた笑みを見せてやった。
 そりゃ衰弱もするわ。なんだか知らんが俺は最近、夜に眠ると中世ファンタジーっぽい世界へ飛んでいってしまって、なぜか紺碧さんと剣と魔法の大冒険に勤しんでいるので、まったく気が休まらないのである。向こうで冒険の書にルーン文字を記してベッドに倒れこむと目覚ましが鳴っている按配で、このままだと精神的不眠で本当に参っちゃうかもしんない。
「人間の想像力って恐ろしいな」横井が椅子の背もたれを抱えながら言った。そうだね。
「で、実際なんなんだろな。これも沢村キネシスみたいなもん?」
「ああ、そうじゃね? 紺碧さんの現実を否認する力がついに次元の壁を突破したんだろう」
 それに俺を巻き込むなと言いたい。紺碧さんはチート生活を満喫してファイアーボールばら撒いてれば魔物を倒せて楽しいんだろうけど、俺は熱波の残りを浴びていつも『状態:やけど』だ。
「あの人、アイテムを大事にしたい気持ちは分かるけど薬草まで独占するのはひでーと思うんだよ」
「人の命が安い世の中だなァ」
 ほんとにね。
 俺はため息をついた。
「ほんの少しでいいから、心休まる時が欲しい……」
「末期だな後藤……」茂田が流石に心配そうにしている。
「何か言ってやりたいけどあまりのことに何も言えねーよ」
「ああ、俺も逆の立場だったらそうだと思う」
 額に手を当てると知恵熱が出ている。
「それに、なんだかしらねーけど天ヶ峰の機嫌も悪いし……」
 原因はまったく分からないんだが、俺が紺碧さんとの同伴夢を見るようになってから、天ヶ峰はじりじりと魚を炙る火のように剣呑になっていって、最近ではホラ、あのように机に向かってひたすらに頬杖を突いて黙り込んでいる。酒井さんあたりが日焼けのした顔で何か言ってもぷいっとそっぽを向いてしまう。
 なんなんだよもう……これ以上の心労は勘弁して欲しいぜ。
「聞いたか後藤、一年の後輩が天ヶ峰とすれ違っただけで体調を崩したって」
「俺が聞いたのはあいつが通ったら花壇が枯れたってことだけだ」俺は窓の向こうの空を見上げながら言った。
「園芸部から覇王のオーラを止めるよう差し止め請求が来たが、なんで俺に言うんだみんな」
「いやお前以外にはあの覇者を止めることは不可能だろ」
 トラック止めて来いって言われた方がまだマシ。
 俺は横井が持っていたポッキーを理不尽な暴力で奪って喰いながら、天ヶ峰の茶色い頭を見つめた。静電気がパチパチ言ってる。
「そういやどうでもいいけど、そろそろ二年も終わりだな」と茂田が言い出した。
「まだ十月だろ」
「でもすぐだろそんなん。文理選択どーする? とかあのクソバケモノも考えてるのかもな」
「へっ。何を生意気な」
「いや生意気とかの問題か……? 後藤はどーすんだよ」
「俺は文系以外にいくわけねーだろ。お前らもそーだろ」
「ああ、まあな」
「俺はむしろ高校出たらどうするかってのが問題だよ」
「なんで」と横井が幼稚園児みたいなツラで聞いてきた。もちょっとシャンとしろ。
 俺はぼりぼり頭をかく。
「大学いかねーから」
「マジかよ!?」予想以上に茂田がビックリ。
「なんでだよ、考え直せよ」
「いや、普通に金ねえんだよ」家も燃えたし、親父どっかいったし。
「どうすっかな。なんか稼ぎ口ねえ?」
「そんなのあったら俺らが知りたいわ」
「だよなァ」
 ぼーっとしながら、反射神経だけで会話を進めていくうちに、昼休みの終わるチャイムが鳴った。みんなガタガタと席について、五時間目が始まる。檻のような罫線が入ったノートを見つめながら、いまいち上がっていかない気分と談合に臨む。
 書きもしないでペキペキとシャー針を折っていき、その数が二宮金次郎像の背負った薪より増えた頃、俺の隣の席の沢村がにわかに殺気立った。忘れていたが、俺はやつの隣なんだった。
 ガタッと沢村が立ち上がる。
「先生っ、ちょっとトイレ行ってきます! うおおおおおおおお」
 返事も聞かずに沢村は教室から走り去っていく。俺はその背中を目で追った。いいなあ。楽しそう。
「……沢村のやつ、毎回トイレに行くのはいいんだが、出席扱いにしていないことを知っているのか?」
「知らないと思います」
 教室の前方で交わされる会話を聞きながら、俺は何度目かのため息をついた。
 くるくるとシャーペンを指の上で回す。
 なんだか、気分が乗らない。
 そんなことを考えた次の瞬間だった。

「へええ、ずいぶん参っていらっしゃるご様子」

 空気がシン、と冷えた。
 きたねえノートから顔を上げると、そこには誰の姿もない。
 いままでいたクラスのみんながいなくなっている。
 おお、なんかジュヴナイルな気配。
 窓から差し込む日差しが反転したように青くなっている。
 月夜の晩のようになった教室の教壇に、少女が一人、座っていた。
 なんだあいつ。中世の騎士みたいな白銀の鎧を着けていて、その下に青い西洋陣羽織をまとっている。竜の骨のような硬質で滑らかなアーマーブーツの拍車がコツコツと教壇に当たっては小さな傷をつけていた。剣は佩かず、丸腰で左手に空の杯のようなものを握っている。双眸は翡翠、流れるような銀髪が胸のあたりまで広がっている。
 かっけぇ。
「先日は、私の下僕がお世話になったようで……」と少女が言った。
「下僕?」
 俺が聞き返すと少女は右手で頭に角のジェスチャーをした。
「ああ、あのドラグ・タウロスとかいう」
「ええ。彼女は私の忠実なる身内なのです。あなたには危うく廃棄処分にされかけたと……」
「お礼参りってわけか。好きにしやがれ。俺はいま元気がないんだ、あっさりと殺せるぜ」
 俺は踵を踏んだ上履きの調子を確かめた。
 銀髪の少女がそれを見ている。
「おやおや、抜け目ないお人。その距離からでも上履きを顔に当てられなどしては、私、泣いてしまいますので穏便に済ませて頂けますこと?」
「穏便もくそも、俺には状況が分からない。抵抗する以外にすることが特に無い」
「それで元気がない、などとはよく言えたものですね。実に好ましい」
「用件はなんだよ。沢村なら出て行ったばっかだぜ。俺は一般市民なんだ。巻き込まないで欲しいね」
「本当に?」
 いつの間にか、銀髪の少女が俺の後ろに立っていた。ぽん、と俺の肩にその白い手を置く。
 冷たい。
「私は悪魔……」
 少女がささやく。
「願いのないところに現れはしないのです。ええ、もちろん、あなたのご想像の通り、本物ではありません。我々もまた特殊な異能に目覚めただけの、元はどこにでもいた一般人……いまは『レメゲトンの心臓』を持つこの街の能力者と敵対しておりますが、いずれあれは奪います。そのためにあなたが必要なのです」
 氷のような気配が俺の顔のそばに近づいた。
「あなたは、ずいぶん世を斜めに見ておられるようですが、そんなご自分のことがあまり好きではないようですね」
「うるせえ。俺は血液型占いと知らないやつの話は信じないようにしてるんだ。勝手なこと言いやがって、ヘンタイ超能力バトルは他所でやりやがれ」
「噂に違わぬツンデレなお方。本当は参加したいと思ってるくせに……サワムラを見るあなたの目に羨ましがる光が宿っていたのを私は知ってるんですよ」
 俺は笑った。
「そりゃいよいよアンタの見込み違いだな」
「へえ?」
「俺はあんな大騒ぎな人生は御免だね。……俺をどんな風に料理しようとしてたのか知らねえが、一ついいことを教えてやるよ。てめえの脳味噌だけで全部分かった気になるのは、こっぱずかしいから俺以外にはやめときな」
 一瞬、怒りのような赤色が少女の顔にさっと走ったように見えたが、すぐにそれは消えてなくなった。
「確かに、見込み違いだったようです。モミジを使ってまであなたを衰弱させたのに、これほど精神的な反抗に遭うとは思ってもみませんでした。……私、屈辱です」
「他人をナメてっからそういう恥をかくんだよ」
「そのようですね」くすり、と悪魔と名乗った少女は笑った。
「しかし、それでもあなたは貰い受けます」
「ああ? ……っ!?」
 ガシっと、少女の掌が俺の額を鷲づかみにした。ぎりぎりぎりと爪が皮膚に食い込む。
「いててててててて!! やめろ、やめろって!! 暴力反対!!」
「大人しく私を受け入れてくだされば、すぐに終わりますよ……私の『上書き』は逆らわなければ一瞬です」
「ぐっ……」
 少女が手を離した。
「さて……あなたの名前は?」
「…………」
「覚えてないんですか? 仕方のない人ですね……」
 発掘された、それでいて興味の無い骨董品でも見るように少女は俺の周囲をぐるぐる回った。
「それでは、私があなたに名前をあげましょう。……あなたの名前はゴトー。そうですね」
 少女は俺の顎を掴んでガクガク揺さぶった。
「まあ! 理解の早い人は好きですよ。それではゴトー……あなたには早速手伝って貰いましょう。『レメゲトンの心臓』探しを……」



「……どうやら無事確保は成功したようですね」
「ええ、上手くいったわ。この人の記憶は消去した……これでもう私たちの操り人形よ」
「マジすか!」
「ギャア!」
 俺は俺を乗せていた台車から転がり落ちてなにやら高価そうなカーペットの上に着地した。
 立ち上がって振り返ると、俺にいけない遊びを施した銀髪の少女といつぞやの赤毛少女が目をまん丸にして俺を見ている。
「あなた、意識が……!?」
「最近睡眠が不規則なんだよ」
「そういう問題!?」
「マスター、どういうことですかこれは!! この男の人格を破壊する魔術を使ったはずでは……!?」と赤毛。
「……わからないわ。それだけこの男の意志が強いということなの……!?」と銀髪。
 もっと自分がミスをするかもしれないという可能性を重視した方がいいと思うけどなあ、と思いつつ俺は服のほこりを払った。あー頭いてえ。
「ちょっとちょっと。俺に何をしたんだ。なんか髪も青くなってるし。こういうの困るんだけど」
「っ!? 近寄らないで!!」
 銀髪は一つ歩み寄った俺からバックステップを取って、書斎らしき部屋の奥まで飛びのいた。痴漢か俺は。
 銀髪は俺に片手を伸ばして、なにやら呪文を詠唱し始めた。英語のヒアリングが苦手なので全然聞き取れなかったが、銀髪が「ウン!」みたいにいきむと青い光が粉々に砕け散って俺の額に直撃した。ちょっとめまい。
「っ……!! いてぇ……」
「我が言葉に従いなさい、下僕!!」
「嫌です」
「ええーっ!!」
 どうやら支配の力みたいなのを俺は使われてるらしい。やだなあ。
「マスターの魔術が効かない……っ!?」
「特異体質ってヤツなんじゃないの」俺は青くなっちゃった髪をこじりにしながら言った。
「そんなバカな! どれだけ低い確率だと思ってるんだ!」
「予防接種で死んだ人も同じ気持ちだったと思うよ」
「はあ!? 頭よさげなこと言うな!」
 スゲェ理不尽。
 俺はとりあえず手近にあった座布団を二人に勧めた。
「まァここは落ち着こうじゃないか。とりあえず、人が鬱になってる時にシリアスパートを持ち込んだのは君だね?」
「……そうです」
 銀髪が正座した。赤毛が凄いびっくりしてる。
「良くないよ。誰にだって落ち込む時ぐらいあるのに、こんなとこ勝手に連れてきて……悪魔の居城みたいなんだけど、ここどこ」
「ノルウェー」
 嘘こけ。
 俺は懐から扇子を取り出した。いつの間にかなんか二枚目のイケメン騎士みたいな装備を身につけてるし……俺の学生服を返して。
 俺は銀髪のほっぺをぺしぺし叩く。
「ダメじゃんこんなことしちゃ。もう子供じゃないんだから弁えないとそういうとこ」
「はい……」
「マスター!? どうしてそんなヤツの言いなりになっているのですか、私たちが本気を出せばこんな成り上がりの一人や二人……」
「お黙りなさい、タウロス!!」
 赤毛の少女は涙目になって黙り込んだ。やーい怒られてやんの。
 銀髪はストレスに苦しむオフィスレディみたいに額に手をやった。
「私の魔術が通用しないのです……戦士として、いいえ一人の淑女として負けを認めなければなりませんわ」
「そんな……マスター……ぐすっ」
「それで後藤さん……あ、記憶もお戻りですよね」
「うん。ゴトーって何? いくら考えるの面倒だったからって音そのままってひどくね? ちゃんとしようやそのへん」
「ごめんなさい……発想力が足りなくて」
 ありすぎても困るからいいけどね。男鹿とかみたいに。
 俺は扇子をぺしぺし自分の掌に打ちつけながら言った。
「それで、君らはあれかい、レメゲトンの心臓とかいうのを狙ってる連中か」
「はい……私たちは、ご存知ないでしょうが、あれを使って世界をよりよくしようと思っている組織なんです」
 赤毛が座布団にジャンピング着地して俺のそばにいざり寄ってきた。
「マスターはな、この世界のことを考えている立派なお方なんだ! お前みたいな小僧が本来はおいそれと口を利いていいような方じゃうわーん!」
 銀髪のマスターに思いっきり頭をひっぱたかれた赤毛はその場にくずれ落ちて泣き始めた。この間の俺、微動だにせず。どうすればよかったの、この惨劇。
「下僕が失礼をば」銀髪の少女が深々と頭を下げてきた。
「……話が逸れたが、レメゲトンの心臓とかいうのがあると世界が良くなるの?」
「はい」
「具体的にはどうなるの?」
「異能を持つ選ばれた人間だけが生き残り、無能力者は死にます」
 銀髪は両手を広げる。
「優秀な人間による完璧なユートピアが建造されるのです。弱者は死ぬのが常道……そうは思いませんか、後藤さん?」
「うーん」
 強ければいい、っていうのは俺の趣味じゃないなあ。
「その能力者って、沢村とか紅葉沢さんとかのこと?」
 確かモミジがどうとか言ってたから、交戦経験でもあるんだろう。銀髪は頷いた。
「そうです」
「俺、能力者じゃないんだけど」
「後藤さんは別です!」
 銀髪が前のめりになって俺に顔を寄せてきた。
 どう考えてもおっぱいを強調することを防御力より優先した鎧から、薄布に覆われた巨乳が揺れるのが見えた。眼福。
「私の魔術を跳ね返した意志の力……あなたは否定なさるかもしれませんが、そのほかにもお聞きしております、様々なあなたの口八丁手八丁の数々! その知能はもはや異能の類です!」
「違います。俺のはパクリなんで」
 師匠、元気かなあ。
 銀髪少女は手袋に覆われた手で口元を隠し、ふふっと笑う。
「またまたご謙遜を。いずれにせよレメゲトンの心臓により大虐殺の際に、我々はこれはと思う人材は残すことにしています。ご安心を」
「それがあんたの厨二病の行き着く先なの?」
「……え?」
 俺は立ち上がった。何か言っている銀髪の少女を無視して、壁へと近づいていく。
「ちょ、ちょっと後藤さん!? 一体何をするつもりなんですか、やめてください!!」
「嫌です」
「後藤さーん!!」
 制止の声を振り切り、俺は西洋風の壁の前に立ち、掌をかざした。爪を立てる。
 一気に引き裂いた。
 そこから現れたのは……
「ああ……」
 銀髪の少女がへなへなと崩れ落ちる。
 俺は露になった本当の壁を爪で叩いた。



「マンションの壁じゃん、これ」



 そういうことなのだった。


 ○


 ちょっと前に桐島と喋ったところによると、俺たちの暮らす地球には魔術なんてものはないらしい。
 なんでって聞いたところ、「あったら私が作ってるから」という大変自信過剰なお答えを頂いた。
 ほんと何食ったらあんな自信の塊になるんだろうね。
 まァそうは言いつつ、俺は桐島には恩も義理もあるわけで、何よりやつが自分に求めている能力の高さも、その特質を維持するために払っている努力も、定期的に爆発を起こす科学部の部室を見ていれば嫌でもわかってしまうので、ヤツの説は基本的には全て信じることにしている。
 なので、魔術がどうとか、悪魔がどうとか、全部パチモンだということはすぐに分かった。分かったというか決め付けた。
 それが、俺が銀色に髪を染めた少女――時永ハヤテちゃんの洗脳型ESP能力を跳ね返せた理由なんだろう、と自分では勝手に思っている。
 沢村を始め、ヘンタイ能力者たちの異能にいちいち定義やら理屈やらを貼っつけたところで、ぶっちゃけやつらの能力はその日の気分やお天気の調子で変動もすれば進化もするので、俺はもうまじめに考えるのはとっくのとうにやめている。
 いずれにせよ、俺は沢村たちと敵対している、あくまで『野良ESP能力者』の集まった組織に拉致られ、洗脳を施された、というわけだ。
 それもこれも全部紺碧さんがちゃんと治安維持に専念せずに旦那探しなどというわけの分からない夢を追っかけてたのが悪い。

 そして、いま。
 俺はまだ、この時はハヤテちゃんの名前を知らなかったわけだが――後日会った時は物凄く何度も謝られた。シラフだったのだろう――銀髪の少女が、俺の前で跪いて泣いている。
「ひっ……ぐすっ……どうしてっ……何が悪いのっ……本当に能力のある人間が評価される世界を望んでっ……何がそんなにいけないのっ……」
「身勝手だからね」俺は言った。
「仮にさ、誰でもなんかの能力があるってみんな知ってて、だから生きてていいんだって世界になったら……それって気持ち悪くねえ?」
「…………」
 少なくとも俺は、自分が『ああ』だからとか、『こう』だから生きてていいとか言われるのは、シャクに障るし、なんだそれって感じだ。
「それにまず間違いなく、俺のツレの茂田(バカ)と横井(アホ)は君らには選んでもらえないだろーし? 今度ギャザ一緒にやる予定だから殺されると困るんだよね」
「そんな小さなことっ……!!」
「あー、銀髪ちゃん。それ以上はやめといた方がいい」
「え……?」
「改修工事じゃ済まなくなる」
 俺がそう言った瞬間、俺が壁紙を引っぺがした壁が轟音を立てて砕け散った。光が暗い室内に差し込み、そして黒い影が一迅、駆け抜け、
 そして、



 天ヶ峰美里のドロップキックが、ものの見事に俺のわき腹にブッ刺さった。




 ○


「ギャアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」
 俺はのた打ち回った。出力を最大にしたスタンガンを無垢な幼児に容赦なく突きつけられたような、激しい痛みが全身を駆け巡る。
 そんな俺に、窓ガラスをぶち破って突入してきた紫電ちゃんが駆け寄ってきた。
「後藤、大丈夫か!? 助けに来たぞ!」
「助太刀に斬られたよ!! ふざけんなマジでいってぇ」
「スマン」
 スマンって思ってるならどうして笑ってるの紫電ちゃん。
「バッキャロ……マジでバッキャロ……」
「美里が、止めても聞かなくてな」
 紫電ちゃんは両膝をついて、俺の身体を助け起こしてくれた。
「お前がさらわれたと聞いて、一番探し回ったのがあの子なんだ」
 ドン。
 話題の本人が、殺気立ったオーラをまとわりつかせながら、銀髪と赤毛の二人の前に魔王のように立ちはだかった。横から見上げる俺からしても、今まで見たことがないような冷たい目をしている。その口が動いた。
「どっちから死にたい?」
 うわあ。
 敵じゃなくてよかったー。
 銀髪の方は俺の言葉責めでうずくまったまま動かないので、赤毛の方が我に返って斧を構えた。
「貴様……マスターをやらせはせん、やらせはせんぞ!」
「黙って」
「うっ……」
 赤毛が尻込みする。
 そりゃこえーわ人殺しの目だもんアレ。
 だが赤毛も忠義があるのか、銀髪をちらっと見下ろすと、目を瞑って、
「うわあああああああああああああ!!!!!」
 我武者羅な上段斬りで天ヶ峰に襲い掛かった。おそらくESP能力は怪力か、手から接触した範囲にのみ作用するサイコキネシスかなんかだろう。その不可視の力に支えられた斧が、天ヶ峰の額に、

 ぐさっ

 ……と突き立った。
 やったか、と一瞬にやける赤毛、だが、すぐにその顔は凍りつく。
 腐食した金属のように、斧がボロボロと崩れ落ちた。
「そ、そんな……!!」
 よく見れば砕けた斧の破片には血がついていて、ダメージを与えることは与えていたのだが、それに気づける余裕はなかったろう。
「…………」
 額から鮮血を流した天ヶ峰がどう見ても悪魔の形相で赤毛を見下ろした。そして、もう一瞥もせずに銀髪のほうに近寄り、その鎧の胸倉を掴みあげた。
「ひっく……ひっく……」
 まだ銀髪は泣いている。家ぶっ壊されたし多分お気に入りだったであろう壁紙は破かれたし、彼女も悲惨である。
「たっ……たすけて……」
「…………」
 そんな命乞いなど一顧だにしないかに見えた天ヶ峰だったが、俺と紫電ちゃんの予想を超えて、なんと銀髪ちゃんを、ひしっ、と抱きしめた。
 そしてポンポン、とその染髪された頭を軽く叩いてやる。迷子を見つけた母親のように。
「よしよし」
「……うっ……うわあああああああああああ……」
 孤独のあまりセカイ系な思想に取りつかれてしまっていたのであろう、ESP少女は、声の限りにふたたび泣き始めた。ただ俺にはわかる、その涙にはそれまでの涙とは違う、前向きな気持ちがこもっていたことに……
 ふう、やれやれ一件落着か、と俺と紫電ちゃんが談合する大人のように擦れた笑みを交わした時、室内に天ヶ峰の声がやけに冷たく響いた。

「それじゃあそろそろ――死ぬ準備はできたかな?」

 ああ。
 ダメだコリャ。
 「えっ?」とビックリしている銀髪ちゃんの頭をがしっと両手で挟み込んだ天ヶ峰は、そのまま彼女を独楽のように大回転させ三半規管を能無しに仕立てあげ、そのまま鎧の襟を掴むと高々とハンマーでも振るうようにその身体を持ち上げた。
 満面の笑みで。
「逃げよう紫電ちゃん」俺は言った。
「この建物はもう駄目だ」
 間に合わなかった。
 女の子を武器にするという、いつぞや茂田を装備した荒宮蒔火より最低な方法で、天ヶ峰はマンションの床をぶっ壊した。そして獲物から伝播した衝撃波で、全てが嵐のように吹き飛び、
 ……俺は、目を開けていることさえ出来なくなった……


 ○


 何がビックリだったかって、ハヤテちゃんが生き残ったことだと思うんだよね。
 あの時の天ヶ峰は、本気で殺すつもりだったと思うし。

 瓦礫の中にボロッボロの姿で腰を下ろしながら、俺は『タイガーパレス地柱』の跡地を眺めていた。
 ずいぶんいいとこ住んでたんだな、銀髪ちゃん。
「お疲れ」
 紫電ちゃんがやってきて、すぐそばの自販機から買ってきてくれたコーヒーを俺に渡してくれた。
 金髪美少女が笑顔を振りまくだけで人は幸せになれる。
 俺はタブをひっぺがしてコーヒーを空けた。
「うめえ」
「だろうな」紫電ちゃんが俺の隣に腰を下ろした。
 学ラン姿なので、なんだか男友達がいるような気分になる。
 今日の鉢巻は『これにて御免』。
 シャツはバベルの塔がプリントされてるクソみてえなセンスのやつ。
「レメゲトンの心臓を狙っていたESP組織は、これで壊滅したよ」
「見れば分かる」
 どうも、タイガーパレス地柱は厨二病をこじらせたESPたちの巣窟だったらしい。
 まだうずたかく瓦礫が積み重なったあたりで、天ヶ峰が「ウォォォォォォォォ!!!!」と咆哮をあげながら両腕を重機のように振り回し、建物の残骸の中から気絶した能力者たちをほじくり出しては血祭りにあげている。
 よくよく見ると沢村や佐倉、男鹿なんかも残党狩りであちこちで闘っているが、俺らのいるところからは小さな影にしか見えない。
 紫電ちゃんが、ふっと息をついた。
「最初から美里に頼めば良かった」
「その説は濃厚だね」
「でもな、美里が嫌がったんだ。あたしには関係ないって」
「ヤツはこの世に再臨せし魔王。慈愛や愛情とは程遠い摂理に生きるクソだ」
 紫電ちゃんはひとしきり笑ってから、
「――なあ後藤、お前どうして部活とか入ったりしないんだ?」
「は? そんなの、ツレといる方が楽しいからに決まってんじゃん。俺はあくせく頑張るのは嫌いなんだ」
 そういうのは黒木とか、ちょっと違うが沢村とかがやればいいんだ。
 俺ァ御免だね。
「――だよなあ」
 紫電ちゃんは空っぽになった缶をコン、コン、と自分の膝に当てた。
「そういうことだったんだと思うよ、後藤」
「何が。わけわかんねーことばっか言いやがって」
 紫電ちゃんは俺の質問には答えず、
「お前が拉致されてくれてよかった。これでこの街は平和になる。少なくとも、しばらくの間は、な」
「――結局、沢村キネシスってなんだったんだろうな」
 俺はふと疑問に思って聞いてみた。
「魔法じゃないんだろ? 桐島は『生化学的な進化の結果』とかわけわかんねーこと言ってたけど」
「たいしたことじゃないよ。誰だって違う力を持ってる。それが極端に発現した結果でしかないんだ。手から火が出るとか、誰かに気持ちを伝えるとか……」
 今日の紫電ちゃんは、なぜだかどうして艶かしい。おかしいな、おっぱいないのに。
「……後藤。美里のこと、よろしくな」
「嫌だね。そんなのは俺の仕事じゃ――」
 と言って振り返った時、もう紫電ちゃんの姿はそこにはなかった。
「紫電ちゃん……?」
 空き缶だけが、ほんの少しのコーヒーを涙のように滴らせながら、転がっていた。
 俺は立ち上がって、何か嫌な予感がして紫電ちゃんを探そうと思ったが、いきなり背後から鎧を掴まれて振り向かせられた。
「後藤くん!」
 紺碧の弾丸さんだった。
「今回は大変だったみたいね。お疲れ様」
「ほんとだよ。紺碧さんが俺を寝かせてくれないから鬱になったところを狙われたんだ」
 鬱になった時の攻撃はマジでアンフェア。避けらんねーもん頭回ってないから。
「日頃の生活態度がいけないのよ」
「厨二病女に言われたくねー。そもそも、俺を拉致ったのもアンタの同類だったじゃねーか。恥を知れ恥を。身内だろ」
「そう! そうなのよ!」
 紺碧さんはからっと笑った。俺の話、ちゃんと聞いてる?
「見なさいこれを……」と言って一冊の書物を取り出した。俺はその、結構よさげな装丁をされた本を手に取った。
「なにこれ」
「瓦礫の中から発掘したのよ。時永ハヤテが……あなたを拉致した少女が野良ESPたちを統率する時に使った、創作物みたいなの。私はそれを読んで思ったわ――」
 そうして、紺碧さんはぐっと拳を夕焼け空に突き上げた。
「負けてられない……って」
「……ドユコト?」
「やっぱり、私は自分の信じる道を往くわ……厨二病を卒業? お断り! 私は生涯現役、いえ、そもそも前世から来世へと続く大いなる秘蹟を紡ぎ繋ぐのが我が使命……諦めてなんていられない、そうじゃなくって?」
「前向きなのも考えものだなァ……」
「うるさいわよ。とにかく、そういうことだから。後藤くんにお願いしていた旦那探しはもういいわ」
「ああ、そう。よかったね。紺碧さんは自立できる女性を目指した方がいいよ」
「何言ってるの? 高校を出たら結婚するわよ」
「もうね、俺には紺碧さんの狂気にはついていけない」
「狂ってなんかないっての! 見なさい、あそこにいるのが新しいマイダーリン」
 キチガイが伸ばした手の先には、若い警官が立っていた。俺と目が合うとちょっと目礼して帽子を取った。
「さっき知り合ったの。現場検証に来てたのね。その時に、ビビっと。そういうことだから。じゃあね!」
 紺碧さんは今まで見たこともないような笑顔で駆け出すと、若い警官が運転するパトカーに乗り込んで運ばれていった。俺は今でも、彼女は警察病院の精神科に連行されていったのだと信じている。
「……はあ」
 何もかもが目まぐるしく過ぎていく。あまりのことに俺はオーバーフロー。ちょっと疲れた。
 空を見上げると綺麗な紫色だった。もうすぐ日没だ。夜が来れば夕飯が喰える。
「……って、家に帰ればあいつがいるのか」
 俺は視線を下げた。その先では真っ赤な夕陽に黒い影を差して、天ヶ峰が破壊の限りを尽くしている。
「アハハハハハハハハ!!!! 壊れろ、壊れろぉ!!!!!」
 通報したい。
「おーい、後藤」
 振り返ると、今度は沢村だった。なんなんだよ。お通夜の見舞い客かっての、どいつもこいつも。
「なんだ沢村」
 沢村は、周囲に五、六人の美少女たちをはべらせ(ているようにしか俺には見えない)ながら、俺に言った。
「もう残党狩りは終わったから、これ以上の破壊はやめるように天ヶ峰に言ってくれ」
「お前が言えや!! なんで俺が」
「どーせ一緒に帰るじゃんお前ら。じゃあな」
「へっ、とっとと帰れクソが」
 フラグばっか立てやがって。妹も美少女だし。
 羨ましいんだよ!!!!
 ……くっそー。
 俺もハーレム、作りたかったなあ。
 悲しいぜ、モブだから。
 所詮、この世が小説なら俺は端役か。
 まーいいけど。
 ラクだし。
 俺が舌打ちすると、沢村の声が背後からぶつかってきた。
「……でも実際、お前が敵に回らなくてよかったよ」
「ああ?」
 振り返るともういない。なんなの? 流行ってるの思わせぶりなこと言って消えるやつ。そんなスキル俺にはないんですけど!!!! 勝手にやらないでください!!!
 ……ちくしょー。
「……帰るか」
 俺は立ち上がった。そして踏み込んだ姿勢からの超低空アッパーで瓦礫を巻き上げては哄笑をあげている魔王の肩を叩いた。
「おいこら天ヶ峰、帰るぞ」
「え? もう帰るの?」
 何しに来たの君。
 その時、五時の鐘が鳴った。
「鐘が鳴ったらかーえろ、だ」
「かえるが鳴いたらでしょー? 後藤のバーカ」
 なにこれスゲェ腹立つ。バカにバカって言われた……
 紫電ちゃんが残していったのと俺の空き缶をコンビニで捨てながら、俺たちは家路についた。
 帰り道、天ヶ峰がやたらと俺のふくらはぎを蹴ってきたので俺のズボンはズタズタになった。
「やめてくれる? 擦り傷だって暴力だよ」
「いーやーでーす。あっさりと変な女の子に連れてかれてっちゃうよーなバカチンには制裁を加えます」
「おまえドロップキックぶちかましたことをもう忘れたのか」
 あれで充分に実刑判決だろ。
 天ヶ峰はくすくす笑いながら俺の周囲を酔っ払いのようにまとわりついてくる。うぜえ。
「後藤さ、あの時永って子にマインドコントロールされかけたんでしょ?」
 覚えた言葉をすぐ使いやがって。
「ああ」
「よく耐えたねー。偉いねー」
 手をパチパチ叩きながら顔を寄せてくる。
「んだコラ。やめろ」
「ふふふ。どーやら後藤は、浮気するような甲斐性もない旦那になるね。よかったねーお嫁さん悲しませなくて」
「ふざけんな、いつか俺は沢村みたいにハーレムを築いて逆玉の輿でのんびり暮らしていくんだ。お前こそ寝ぼけてあんなキックかましたら旦那死ぬぞ」
「死なない人を旦那さんにするからいいんですー。それにそんなに強く蹴ってない」
 壁砕けただろうが。
「ちっ……」
「えへへ」
 どこかから、夕飯の匂いがしてくる。
 俺と天ヶ峰はすんすんと鼻を鳴らして、見詰め合った。
「今日の晩飯、なんだと思う?」
「カレー」
「ハヤシライス」


 いつだって、負けるのは俺の役目だ。












                 FIN
8, 7

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