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序章

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 始めに鼻を突いた匂いは鉄と硝煙の匂いだった。
 身体全身が鉛のように重く、指先を動かすことさえも億劫だった。だが、立ち上がらなければならない。倒れたままでは呼吸さえできない程に、ここの空気は淀んでいた。
 見える景色は赤銅色の空と鈍色をした煙霧。その景色は、ここで行われた戦いの激しさを物語っていた。
 戦いはどうなったのだろうか?
 戦闘の激しさからか、それとも無我夢中に戦場を飛び回っていたからか、直前までの記憶がはっきりしない。身体のあちこちが悲鳴を上げているということは、少なからず被弾なりして地面に落ちたのだろう。
 痛む身体に鞭を打ち身体を起こす。身体を起こすためについた手が地面ではない感触を掴む。
柔らかい。しかしその柔らかさの奥に硬さもある。死体だった。
 驚く余裕は身体にも心にも残されていない。あぁ、戦場なら当たり前かとあるがままを受け入れる。
 どれほど眠っていたのだろう。両軍は既に撤退した後なのか、人間の姿はなく死肉を貪る野鳥や野犬の群れが醜悪に蠢いている。
 さながらここは地獄のようだった。今回の戦闘が初陣の私にとっては、戦場とは武勲をたてる華々しい場所であると勘違いしていた……、いやそういう風に洗脳されていた。
「………、あ…誰……か」
 まだ息がある者がいたのか、吹きすさぶ風に混じってか細い人の声が聞こえる。それも近い。
視線を動かし、その声の人物を探す。
「あ……」
 気付いてしまった。自分の足元に折り重なるようにして積みあがる死体の中に見知った顔があった。お互い初陣を生き残ろうと約束し合った同期の少女。
「待ってて! 今助けるから!」
 誰かを助ける余力など残っているはずもなかったが、そうせずにはいられなかった。
「が……う、……」
 そこら辺に打ち捨てられた長物の武器を拾い、死体と死体の間に滑り込ませ、身体中の力とてこの力を使い隙間を作る。言葉にならないうめき声を上げるだけの少女をなんとかして引きずり出す。
「ッ……!」
 最初におかしいと気付くべきだった。ほんの少しの隙間を作っただけで人を山の中から引きずりだせるはずがないと。どうして満身創痍なこの身体で、彼女を死体の山の中から引きずり出せたのか。
「あ……あ…」
 私は少女をひっぱる手を離す。この子はもう助からない。上半身だけになった少女と目と目が合う。既に焦点も定まらない少女はその目に何が映っているのだろうか。
 どうして少女の声が聞こえてしまったのだろうか。どうして少女を助けようとしてしまったのだろうか。どうして少女を引きずり出してしまったのだろうか。どうして少女はここにいるのだろうか。どうして……どうして……どうして…………。
「…ディア……、お願………、殺し………て」
 やめてよ……。私の名前を呼ばないでよ……。私をそんな目で見ないでよ……。私にそんなこと頼まないでよ……!
「やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて……!」
 私は一心不乱に身体を動かした。いつの間にか私はその場に落ちていた剣を握り、少女だった物に剣を振り下ろし続けた。少女が息絶えてからも、自分の身体が動く限り動かし続けた。
 永遠とも思えるような時間、私は動き続けた。だが、そんな長い時間身体を動かせるはずもなく、恐らく一瞬のことだったんだろう。
「はぁ…はぁ……」
 私は剣を離し、再び地面へと倒れこむ。もう身体を動かす力はどこにも残っていない。
 私は世界を恨んだ。思いつく限りの呪いの言葉を口にする。どうしてこんな世界に生まれてしまったのだろうか。
「こんな世界なんて……、なくなってしまえばいい……」
 どうせ私ももう助からないだろう。
 世界に絶望し、生きる希望も見いだせない私は生きている価値があるのだろうか。もしも私がここから生き残ったのなら、こんな狂った世界なんて滅ぼしてやる。
「ああそうだ、狂っているのは私じゃない! 狂っているのは世界そのものだ!!」
 そんな私に一つの声が届いた。
 今思えばそれは悪魔の囁きだったのかもしれない。そんな囁きに耳を傾けない方がよかったのかもしれない。
 だが、聞こえる声はどんな食べ物よりも甘く、どんな飲み物よりも私を潤してくれた。
「その願い聞き届けたよ」
 誰?などと考える暇もなかった。そして、今の私には、その誘いを断る術を持ち合わせなかった。
「さぁ、契約の言葉を口にしてくれ。そうすれば僕たちは世界を冒す存在になることができるだろう」
 蛇の甘言を聞き入れた者の末路は、その身に咎を背負うこととなる。一生消えることのない、身体に刻まれた罪。もう後戻りすることなんてできない。この世界に、私という存在の居場所はなくなったのだ……。

 ●

「ねえ、起きなよ。いつまで寝てるつもりさ」
 耳元で私を起こす声が聞こえる。昨日もあの時の戦場の記憶が悪夢として現れ、ろくに眠れもしなかった。だから私はその声を無視して寝返りをうつ。
「まったく、君がここまでネボスケな奴だとは思わなかったよ」
 ほっといて欲しい。眠いものは眠いんだ。
「やれやれ……、僕は親切だから言ってあげるけどさ、そろそろ出かける準備をしなくてもいいのかい?」
 はっ、誰が親切だ…白々しい。
「もう部隊に復帰させられるんだね。まったく、人使いが荒い組織だね」
 あの戦場から帰還した後、一週間の休養を言い渡された。だがその一週間はあっという間に過ぎ去り、また私は戦争に駆り出される。あいつらは私たちをただの駒としか見ていないことがわかる。
 本当は行きたくもないのだが仕方ない。私とこいつの――名無し…「ネームレス」と名乗った使い魔との計画を遂行するためには、今は時間が必要だ。
 上半身を起こし、自分の腹の上に座る新しい相棒を見る。一見するとぬいぐるみのような馬鹿らしい姿をしているが、その正体を教えてはくれない。四足歩行で人語を解することから、魔獣の類だろうとは思うが、こんな魔獣は今まで見たこともない。
「やあ、おはよう」
「おはよう、邪魔だからどいてくれないかしら?」
 やれやれと言った感じで、こちらの不機嫌な態度を感じ取り大人しく私の身体から降りる。
「改めておはよう。酷い顔だね、またよく眠れなかったのかい?」
 言われなくてもわかる。どうせ目の下には厚いクマができて、顔色も冴えないのだろう。鏡を見たくない気持ちで一杯だが、まだ心のどこかで少女らしい矜持が残っているらしい。せめて寝癖くらいは直して出かけたい。
「そうね、それでも一時間ほどは眠れたわ。十分よ」
「まったく、そんな生き方をしていると早死にするよ?」
「あら? 心配してくれてるの?」
「勿論さ、君には契約を遂行してもらわないといけないからね。せっかく力を分け与えてるんだ。早死にしてもらっては困るよ」
「そんなことだろうと思ったわ。あなた、ロクな死に方しないわよ」
 そう、こいつは私自身がどうなろうと知ったこっちゃない。ただ私とこいつの利害が一致しただけ。どうせ私が死んでも、また新しい同じ願いを有する人間を探しに行くだけだろう。
「どうするの、あなたも着いてくるの?」
「そうだね、家にいても暇だし、君に着いていくよ。それに、これから敵となる者たちの陣営を見ておくのも悪くはないね」
「そう、着いてくるのは勝手だけど、外では使い魔らしく振る舞ってよね」
「わかってるさ」
 と、名無しは尻尾を左右に振った。

 ●

 王宮へと向かう前に私はある場所に立ち寄った。大きく長く伸びる壁が立ち並ぶ、静かな場所だった。壁は同じ大きさの正方形に区切られ、その正方形のスペースの中には小さな文字で名前と種族が書いてあった。
「ここはなんだい?」
「あなたを連れて来るのは初めてだったわね」
 私は入口にいた管理人にお金を渡し、一束の黄色い花を買ってくる。
「ここは戦没者の墓よ……。人間ではなく、使い魔のだけどね」
 一番真新しいところに目当ての名前を見つける。
「あなたの前の使い魔の墓よ。と、言っても私はあなたに生かされてるようなものだから、使われ魔の方が正しいかもね」
「いやいや、君が僕と目的を同じくするのなら、僕は使い魔として君に力を貸すよ」
「そう、ありがと」
 先ほど買った花を、墓石に穿かれた穴に差し込む。
「名前はランって言ってね。私の初めてのパートナーだったわ……。お互い未熟だったけれど、力を合わせて頑張って…頑張って、何とか訓練校を出ることができたわ」
 私たち魔法少女は生まれながらにして魔力を持っているわけではない。魔獣と総称される使い魔から力を分け与えられることで魔力を持つことができる。魔獣と契約を結べるのは成人に満たない少女に限られる。魔獣の方としても魔力を行使するためには、私たち少女の身体を通さなくては力を発揮できないため、いわば共生関係のようなものだ。だから互いに信頼し合い、互いを守るために助け合う。
 一度契約を結んでしまえば、契約を結んだ使い魔を何らかの理由で失うまでは成人を迎えてからも行使することができる。そしてその魔力は日々の生活から、軍事力までとあらゆる分野にわたって利用されている。
「ふーん、そうなんだ」
 名無しは興味なさそうに自分の身体の毛づくろいをしながら適当な相槌を打つ。
 別にしっかりと聞いて貰わなくて構わなかった。この「ネームレス」という使い魔は他の使い魔と比べて、感情というものが欠落しているように思える。ランや、同僚の使い魔たちは姿こそ違えど、よき友人であり、よき話し相手であった。私たち人間と変わらない、泣いたり笑ったりするような子たちばかりだった。
「ねぇ、あなたは一体何者なの?」
 もう何度したか覚えていない質問をする。出会ってからの日々、毎日一回はこの言葉を口にした。だが、名無しから返ってくる言葉はいつも、「それを明らかにしなくても、僕たちの計画に支障はないだろう?」だった。
 これから私は……、この得体の知れない使い魔と戻れない道を進んでいくことになる。だからねラン……、あなたのとこに来るのは今日が最初で最後。
 きっと、あなたはこれからの私の行いを知ったら無理やりにでも止めるでしょうね……。でも私はもう決めたの、あなたを…あなたの同朋や多くの人間を巻き込むこの戦争を止めるために……。
「私は世界を滅ぼす」
「うん、それでいいんだよメディア。僕たちはそのことだけを考えればいいんだ」
 世界を滅ぼした後、またここに来ようと思う。そして、私はここで命を捧げる。行く場所はあなたと違って地の底だろうけれど、せめてあなたの近くで眠りたいと思う。
「そろそろ行かなくていいのかい? こう言っちゃあなんだけど、どうせこちらの祈りは彼らには届かないんだ。自己満足のためだけに時間を使うのは、正直時間を無駄にしていると思うよ?」
「そうね、あなたの言う通りね……。そう、全部……」
 最早自分には何が正しくて、何が間違っているかなんてわからない。それならただこいつの言うことだけを聞いて行動している方が、自分で考えなくていい分どんなに楽だろうか。
「行きましょうか」
「うん」
 名無しは私の身体を器用に登って肩の上に座る。本当ならはねのけてやりたい気持ちもあるけれど、今はじっと我慢する。私たちの目的は一致している以上、私たちは共犯者なんだ……。
 過去との繋がりを断ち切り、今この時、この場所から、私の世界に対する復讐の幕が開かれた――
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