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終歌

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 あと数ヶ月か数週間かで世界が滅ぶらしいぜ と少年は言った。

 そんな事、誰でも知ってるわ と少女は言った。


 荒廃したこの街では。
 大人は殺人鬼か強姦魔か自殺者で、子供は盗人か娼婦か物乞いで。工場から漏れだす排気ガスやら怨念やらで空は見えないから、誰も上を向かなくなった。サイレンが鳴り、爆弾が投下されると、下を向いて逃げる者と空を仰いで死んでいく者の半々で、人口はどんどん減っていく。それでも皆が街を離れないのは、どこへ行っても同じだと悟っているからか。笑わない 歌わないこの街は、静かに死ぬのを待っているかのようだ。


 廃れた煉瓦造の家が囲む路地裏からは、いつも曲が聞こえてくる。白人だったり黒人だったり物の怪だったりがいらなくなった物や命を捨てにくる路地裏。不必要が最後に流れつく場所、そんな場所が少年と少女の溜まり場だった。
 歌詞が終わり、欠損の激しいアコースティックギターのCコードで少年は曲を締める。錆び付いた灯油缶に座り込む少女はさも興味無さげに欠伸をしていた。少年は顔をあげる。
「どう? 今の新曲なんだけど、よかった?」
得意気に話す少年の弾く曲はいつも新曲で、同じ曲を弾いた事はほとんどなかった。少年の問いを無視して淡々と少女は口を開く。
「それよりもあんた、また右の指売ったの?」
少年の右手には、力無くピックをつまむ親指と人差し指だけが残り、他三本の指は根元から切れていて申し訳程度の縫合が施されている。少年は残った指を見ながら二、三度動かした。
「あぁ、小指を72セントで。もう右の指は売れないし、左は弦を握るから売れないな」
「臓器も大体売ったんでしょ? じゃあ後は死ぬだけね」
「何を言うか。まだ目玉が残ってる」
しぶてぇー と少女はからから笑う。この街で笑うのは気狂いだけだ。


 いつの頃か、人々は世界を二つの国に分けてしまった。そして何百年もの間、両国は戦争に興じている。いつ始まったのか、原因は、戦況は、などの事はきっと誰も知らない。ただ食っていくのにも死んでいくのにも戦争は手っ取り早く志願兵は後から湧いた。戦争自体に誰も興味は無く、自分には関係ないものだと、今までも これからも。


 少女が鼻歌を歌う中、一匹の猫がやってきてギターで爪を研ぎ始めた。少年が腕を振って追い払うと、にゃあ と猫は可笑しそうに鳴いて、少し離れた廃材の上からこちらの様子を伺っている。少年のギターにはひっかき傷が何本も出来ていた。
「ひっでぇな、人のギターで爪研ぐなんて。前もあの猫に三弦を切られたんだ」
「あんただって、人を傷つけて物盗んだりするじゃない。あの猫と一緒よ」
少女は鼻歌をやめて、少年と猫を一度だけ見比べ素っ気なく言う。
「俺は猫と違って意味なく人を傷つけたりしないさ。生きていくのに必要な時だけだ」
「あんたが生きてくのに、一体どんな意味があるっていうの?」
少年はさぁなと鼻を掻く。少し悲しくなったけれど返す言葉が思い浮かばなかったのは、どこか納得してしまったから。
 少女もそれ以上なにも言わなかった。


「あと何年かしたら地球内部爆発とかで世界終わるし。人間みんな死ぬで」
ある科学者がそう言ったのが五年程前の話で。本当は何十年も前から分かっていたが、科学者たちは面倒くさがって誰も発表しなかった。それを知らされた皆はまるで無関心で誰も行動しなかった。ただただ惰性で争って生きている。今では、大気中の3%は人体に害を与える気体が含まれている時代で。世界人口が一億にも満たない時代で。全ての罪を時代になすり付けて、自身の信じる神の為に白くなろうと足掻いている。


「 よくもまぁ飽きずにそれ、弾くよね」
昼下がりに黒ずんだ太陽は北に傾き始め、少女はだるそうに寝転がりながらあごでギターをさす。
「誰も聞きゃしないのに、一体なんのために弾いてんだか」
少年はキョトンとした顔で少女を見る。この時少年の諦観にも似た瞳を少女は理解できなかった。
「うるせぇな、別にいいんだよ。意味はなくても俺には大事なことなんだ」
少年はぶっきらぼうに言いながら頭を掻いた。言いたいことが上手く言えずどうにも焦れったい。
「世界が終わるときに搔き鳴らすんだ。ここには確かに俺がいたって証を残してやるのさ。その曲を書いてる最中なんだけど、そうだ。昔みたいにさ、お前が歌えよ。そしたらお前だって証を残せる」
「興味ないわよ。その日がきたら一日中、懺悔をするの。そしてどうぞ私を天に召して下さいってお祈りするのよ」
そう言いながら少女は胸の前で手を組み、祈りの形をする。少年はうんざりした。
「また宗教の話か」
「そうすれば死後の世界、楽園にいけるのよ。教典によると慈愛と幸福に満ちた世界なんだって」
そういうと少女は布切れのような鞄から、緑色をした教典を取り出し、昔から首にかけている十字架を握った。握られた石造の十字架は、一度でも落とすと粉々に砕けちりそうな程、ひび割れが入っていた。少年は鼻を鳴らす。
「そんなもんに祈ってどうなるね? 現実逃避って言うんだぜ、そーいうの」
「そう、あんたのギターと一緒ね」
「神様が助けてくれるとでもいうのか?」
「助けてくれるわけないじゃない。少なくとも、この世界にはどこにもいないわ」
そう言いながら十字架を握り続ける少女を、少年は蹴り倒した。少女は転び、その際に手から零れ落ちた十字架は地面に到達するや否や、いとも簡単に砕け散ってしまった。それでも彼女の信じるものは何も変わらず、砕け散ったそれを手にすくって祈りを続けた。少年は静かにそれを見つめていた。


 愛だとか希望だとかの意味合いをした宗教団体が増え始め、万を超える信者達は少し前まで馬鹿にしていたそれらにたいして一日中祈り続けている。人類が最後に信じたものは隣人ではなく、神やら宇宙人やらだった。皆同じ目をしながら別々の方向を向いて、殺戮か性行以外に触れ合う事も無く。他人に興味を持つ時間も気力も最早無かった。


 抑鬱に黙り込む街に警報音が轟いた。飛行物体を感知すると機能するこの街の耳障りなサイレンだ。雀やUFOなんかにも反応するので日に二、三回なるのも珍しくない。いつも静まりかえっている街の唯一の反抗手段にも思えた。
「そろそろ、いこうかな」
少女はゆっくりと立ち上がった。土ぼこりで汚れた服を、几帳面なほど強く払って。
「あれ? もう仕事?」
少年の問いは宙を舞って消えていった。少女は答えず、ぼんやりと空を眺めている。朧げに霞んでいるかのようで。
少年はもう一度聞いた。
「どこへ行くの?」

 みんながさ
 みんなが笑顔でさ それでみんな歌ってて 幸せに生きていて 誰かが誰かを愛しててさ 
そんな楽園みたいな場所って この世界にもあるのかな

「……そこへ行くの?」
「まさか。普通に仕事」

 バイバイ、その言葉は少年には届かなかったけど。


 街は笑っていた。歌っていた。ある日サイレンが鳴り響き、街が叫んだ。以降笑う事も歌う事も無く。それでも生き続けねばならない。それは希望を知っている者の業なのかもしれない。
 希望とは光だ、と誰かが言った。人は時代を選べず、世界を選べず、手探りで暗闇を這うように生きるしか無い。ある時ひとすじの希望を見つけると、光に群がる羽虫のようにすがりつく。しかし希望が消えても、その残像を追い続けるのだ。いつまでもいつまでも。


 爆撃なんて一つも落ちること無く今日が終わろうとしていた。天井に大きな穴のあいた廃墟でランプをつけ、少年はいつも通り固いベッドに寝転がる。埃や染みのついた壁や床一面には黒く小さいものが蠢いているが、それは蟲や黴ではなく、書き殴ったように描かれていた楽譜だった。夥しい譜面の中、少年はある一点を見つめた。周りと比べ一際汚れの少ない箇所、そこには弱々しく書かれた未完成の詩があった。
「前は歌うのが好きだって言ってたのにな」
呟いて、あの教典はどこに売っているのだろうとか、金が無いからギターを売ろうかなとか考えて。そういえば教典もギターも路地裏に落ちていたんだと珍しく昔のことを思い出した。

 俺がこの街にきた頃だっけ。食い物を探して初めてあの路地裏に入った時、あいつがうずくまってたんだ。気にせずゴミを漁って、どうみても食えそうにない膠化した何かを食って、すぐに腹痛で倒れて。近くにいたあいつに助けを要請したら「私も同じことでうずくまってるの」って。二人で歪んだ顔に脂汗を浮かべながら、それでも可笑しくなって笑ってた。そうだ、それからあの路地裏に俺たちは集まるようになったんだ。どうしようもない毎日で、救いようの無い街だけど、俺たちはくだらない事で笑いあって、一緒に歌ったりもした。俺たちは似ていたんだ。この街に染まって無かった。こんな街、大嫌いだったんだ。
 それでも少年がこの街を出たことはなかった。

 少年はランプに群がる蛾を追い払い、明かりを消した。蛾の気配が消えた後も、目に焼き付いた残像がうるさくてなかなか寝付けなかった。


 廃れた煉瓦造の家が囲む路地裏に、二度と少女が来る事はなかった。それでも少年は毎日ギターを担いで路地裏へ行く。そしていつものように曲を弾く。いつものような叫び声をのせて。もし少女がひょっこり顔を出した時、作った新曲を聞かせるために。俺たちの居場所を失わないために。たとえ少女が昔のようにここを必要としてなくとも。

 街が揺れた。ぼぉうと地下から何か響いてくるようだった。少年はバランスを崩し派手にこけ、ついに世界が終わるのか?と思った矢先に揺れはおさまっていった。少年が服も払わず立ち上がると、ギターが真っ二つに折れている事に気がついた。そして辺りを見渡す。煉瓦の壁に錆びた灯油缶、腐った食べ物や生き物、廃材の山、不必要な物ばかりが集まる路地裏。なぜ自分はこんな所にいるのだろう。不愉快でしかないこの街の、こんな場所に。ふと、先ほどの揺れで崩れた廃材の中に何かを見つけた。嫌に分厚くて古ぼけた、緑色の教典だった。
「あぁ、そうか」
 少年は空を仰いだ。珍しくきれいに晴れた空だった。いや、しばらく空など見ていなかったから知らなかっただけで、本当は昨日もよく晴れていたのかもしれない。ただ吸い込まれそうな程の青に目が眩んだ。
 気がつくと少年は叫んでいた。何を叫んでいるのか自分でも分からない。ただその叫び声は街のサイレンと何も変わらないなと思った。少年は膝をつき、踞る。少年は泣いていた。涙の流し方は忘れていなかった。


 あいつは何も変わっちゃいなかったんだ。会話の途中で笑ったり、急に鼻歌を歌ったり、空を眺めたり、この街が大嫌いだったり。こんな街に染まっていなかったんだ。
 こんな路地裏、居場所じゃなかったんだ。
 俺だってそうだったはずなんだ そうだったはずなのに


 どれだけ時間が過ぎただろう。ずいぶんと長い時間ここで踞っていたように感じる。この街と同化してしまったような感覚だ。それは街が揺れた時からなのか、ギターを拾った時からなのか、それともここで少女と出会った時からなのか、少年には分からない。
 少年は歌を歌っていた。昔少女が教えてくれて、一緒に歌った歌だ。名前は知らないけれど、好きだった。ずっと好きだった。でももう聞いてくれる人も、歌ってくれる人もいない。このままこの街と共に死んでいくだけ。
 にゃあ とそばで鳴いた。少年は首を傾け鳴き声を見る。それはただの猫だった。
 だが少年にとっては違った。
「またお前か。お前のお気に入りは、もう無くなっちまったよ」
 少年は軽く腕をふる。しかし猫は離れず、腕に絡み付いてきた。それは何かを促しているかにみえて。
「なんだお前、聞いてくれるのか」
少年は猫の頭を撫で、少し照れくさそうに笑った。
「ギターはもうないし、結局新曲もできなかったけど」
 俺はただ、またあの頃みたいに歌いたかったんだ。君にとっては煩わしいものだったかもしれなかったけど。きっとそこだけは、俺のままだった。
 だから今度こそ。
「聞いてくれ」
 もう会うことの無い少女にむけて、少年は口を開いた。




 街の上を爆撃機が通過していったが、調子が悪いのかその日はサイレンがならなくて。
 微かに歌が聞こえた。

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