05.出撃!くそやろうども
そしてついに、めくるめく温泉旅行の当日がやってきた……
のである。
目の前に停まった中型バスを見上げて、俺はすうっと目を細める。秋の始まりの陽光が斜めにぶっ刺さってくる。
「とうとうこの日がやってきたな、茂田」
「ああ、そうだな後藤」茂田もグラサンを中指で押し上げながら笑う。そして言う。
「誰が借りたんだこんなの」
「わからねえ。とりあえず俺はいま、集金が怖い」
「おーい、後藤、茂田ぁー」
犬小屋でも詰め込んだのかってくらいでかいリュックサックを背負った横井がよろめきながらやってきた。ちょっと夏休みと勘違いしたとしか思えない短パン小僧スタイルに野球帽をかぶっている。それでいいのかお前の高二。
「おーっす」と茂田が軽く手を挙げる。
「横井、お前スゲーな」
「え、なんで?」
「こんなバスを俺たちのために借りてくれるなんて……」
「あ、俺じゃないよ」手をぶんぶん。
「はは、こやつぅ」
「謙遜しおってぇ」
軽くフラグを立てておこう。
「とりあえず乗るか」
「そうだな」
俺と茂田はフラップに足を乗せた。すると横井が訝しげに言う。
「お前ら荷物は?」
「何言ってんだ、ちゃんと持ってきてるだろ」
「俺にはお前らが手ぶらの変態にしか見えないんだけど」
「ああ?」
俺はかぶっていたパンツの位置を指先で直した。茂田は深く被りなおした。
ぱしぃん!
「俺たちのどこが変態なんだ!」
「頭らへん」
綺麗な目で答えてきた横井に俺はため息をくれてやる。
「あのなあ横井、男ってのはパンツ一丁あればどこへだっていけるんだよ」
「最近は宿にシャンプーとかあるから困らないしな」と茂田もしたり顔。
「それにしたってやべえだろそのスタイルは!」横井が叫ぶ。
「ETC通過できねーぞ」
「マジかよ……くそっ、フリルとかついてねーからいーじゃん!」
「二枚重ねじゃなければ大丈夫だろ」茂田がパンツを一枚頭から脱いだ。
「枚数の問題じゃねーよ!! ったくお前ら……ほんとどうしようもねーな!」
「じゃあてめーはどうなんだよ横井ィー」俺はドア側で肩越しに振り返りながら言った。
「そのリュックサックの中身を教えねえとぶつ」
「脅迫がストレートすぎるだろ。普通にお菓子だよ」
「それにしたって量がやべえぞ」
俺たちはガヤガヤしながらバスに乗り込んだ。すでに誘っておいた女子たちがキャイキャイやっていた。やーべぇファブリーズのにおいする。
「あ、後藤くんだ」とにこやかに手を振って来たのは酒井さん。
この人は俺の背後でへらへらしたお荷物野郎の彼女だ。いまどき綺麗な三つ編みを一筋流しているが、顔つきはわりっとキリッとしているので野暮ったいイメージはない。ちょっと前に酒屋をやっている実家が吹き飛んだが、俺んちも燃えたので実はひっそり親近感を抱いている。
「うぃーす」「うぇーい」とモブキャラみたいにやる気なく挨拶をして、俺たちは奥の方に陣取った。
「なんかこのバス凄くね? 誰が借りたのか酒井さんたち知ってる?」
俺が聞くと酒井さんは「んーん」と首を振った。
「それより後藤くんたち、なんでパンツかぶってるの?」
あっはっは、と酒井さんの横の席に座った、白衣姿の桐島が重役のように笑った。
「そういう趣味なのだろう、記念写真は任せろー! うげっ!」
俺はクソマッドサイエンティストの首をうしろから締めながら、酒井さんをじっと見つめた。
「最近はエコだ環境だって言われてるからさ、帽子を節約したんだ」
「それで……パンツを帽子に?」
酒井さんが心配そうに眉根を寄せてきた。うん、ごめんね。ほんと俺何言ってんだろ。疲れてんのかな。酒井さんがいま心配してるのって俺の防寒じゃなくて神経のほうでしょ。わかるよ。
「三枚枚重ねで交互に被れば穴の部分もカヴァーできるぜ!」茂田が無駄に知恵を絞っている。もうよせ。
「……朝っぱらから何やってんだか」
ヘッドレストに顎を乗せて佐倉が失笑してきた。真茶色のサイドテール引っ張ってやろかこいつ。
「とりあえずパンツは没収」
「えっ、あっ!」
佐倉が手をかざして佐倉キネシスを発動させ、俺と茂田の頭からパンツを奪い去った。ひらひらと車内を舞う純白のパンツ。俺たちはキレた。
「おい! 返せや!」
「超能力とかずるいぞ!」
なんか自分の素のパンツが宙を舞ってるのスゲー恥ずかしい。かぶってたほうがマシだわ。女子たちもそこはかとなく赤面している。あ、男鹿パイセンもう乗ってたんすね。
「……後藤、茂田。卑猥」
と傍目には中学一年くらいにしか見えないチビッ子が罵って来た。
「俺たちもそう思うんだが、この悲劇を巻き起こしてるのは君の友達です」
「クソ変態JKが! 俺たちのパンツを転売する気だな!? ごばっ」
男鹿が持っていた「ぶち殺すぞコラ」とラベルの貼られたお茶のボトルが空間を切り裂き茂田の下腹部に直撃した。ひでぇ。マジでメーカーに問い合わせる。
佐倉はニヤニヤ笑いながら俺たちが苦しむ様を眺めている。そんな佐倉に男鹿がぼそりと言った。
「……いずみ、やりすぎ」
いずみというのは佐倉の名前である。でもなんか偽名だとかなんとか紫電ちゃんから聞いた覚えもある。
佐倉は男鹿のほうを首だけで振り向いた。指先はいまだ俺たちのパンツを弄んでいる。
「ほんとにそう思う?」
「んーん」
今の話し合いになんか意味あんの? キレそう。
「クソが! もういい俺たちはフルチンで生きていく。お前らのせいだからな」
俺たちは適当に席を見つけて座った。横井はひっそりと酒井さんと手を取り合い一番後ろに移動していった。なんかもういいよ。あいつらがこの国の未来を担えばいいんじゃないかな。
「それより、このバス一体誰が借りたんだ?」茂田が桐島に聞いた。ちなみに男子勢と女子勢は通路を挟んで座りあった。パンツはまだ舞ってる。
桐島は腕組みをしながら答えた。
「ああ、知り合いのツテに頼んでな。格安で動かしてもらった」
「マジかよ桐島。有能」
「ふふん」
無い胸を張りやァがって。
「お、ほかのメンツも来たようだぞ」
見るとバスの外に何人かの変質者がいた。やるせない気持ちで押し黙る俺を佐倉と桐島がジト目で見てくる。
「発想が同じなんだな、男子というものは」
「まだパンツかぶってるだけの方がマシだろあれより」
俺は海パン一丁で浮き輪を腰に回し、シュノーケルをつけてぺたぺたとビーサンで歩いてくる芥子島を指さした。頭にはスイミングキャップのかわりにシルクのパンツをかぶっている。
桐島が窓に肘を当てて頬杖を突き、ため息をついた。
「芥子島のやつ……中学卒業以降見かけないと思ったらあんな立派な変態になっていたのか」
「あいつは昔からただの変態だ」
小学校の頃からあいつは姉貴の下着を持ち出しては振り回してたからな。なんか民俗学的な因習でもあったのかもしれない。
「あの人、うちら知らないんですけど……」と男鹿の隣に座っている佐倉が、汚物を見るような目で外を見下ろしていた。
「あれと一緒にいくの? マジで?」
「後輩、あれとはなんだ。ひとつ間違えば先輩になっていたかもしれない人間だぞ」
「入試のヤマさえ当たれば高校生になってたのになー芥子島」茂田が悲しそうに呟く。横井が中学で転校してくる前は、よく俺と茂田と芥子島でツルんでいたものだ。
「佐倉、男鹿、ああ見えて芥子島はいま自分のバイトだけで喰ってる人間だ。偉いんだぞ。ちゃんと丁寧に扱えよ」
「えー、しょせんバイトじゃん」
「黙れ小娘ぶち殺すぞ! 客にコーヒーぶっかけても許される魔物喫茶とは違うんだよ」
「ちょっと! うちらの店を悪の巣窟みたいに言うのやめてよ!」
勘定表が超能力で飛んでくるくせに何言ってんだ。
ギャイギャイやりあう俺と佐倉を無視して、桐島がぼやいた。
「まったく低レベルな争いだな」
その一言が引き金になったように、海パンの芥子島、木刀を学ランにブッ刺したヤンキーの田中くん、もう浴衣を着てる馬鹿ヶ峰、木刀を学ランにブッ刺したら田中くんとペアルックになって物凄く落ち込んでいる紫電ちゃんがバスに乗り込んできた。田中くんはチラチラ紫電ちゃんを見ている。殺す。
「おーっす」
「くんくん! くんくん!」
浴衣を着ている天ヶ峰が空気中に鼻を突きだして、なにやら嗅ぎ始めた。
そして『ハッ』と何かに勘付いた。
「パンツが飛んでる!!」
「そうだな」
俺のだよ。
「でもそれだけじゃない……この気配は……」
天ヶ峰は炯々に輝く眼をカッと見開いた。
「――お 菓 子 の 匂 い !!!!」
はい、いま誰か死にました。それは誰でしょう。
横井くんでーす。
「ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!」
縦スピンを四回転ほどぶちかましてボサボサの髪を巻き上げたあと、床に着地した天ヶ峰はバスが揺れるほど弾みをつけ、一直線にバス後方へと突き進む弾丸と化した。そのすぐ後に聞き慣れた横井の悲鳴と酒井さんの笑い声と何かが引き裂ける音がした。俺と茂田は後方を振り返って首を振り合う。
「ありゃあ膝蹴り入ったな」
「天ヶ峰と一緒に車に乗る時は喰いもん持ってきちゃ駄目だっつーの……後藤、ちゃんと横井に言っといたのかよ?」
「言うわけねーじゃん」
天ヶ峰が誰かの茶菓子を噛み砕いてる間は、俺の身の安全が保障されるからな。
終わることのない惨劇をBGMに、俺は紫電ちゃんに挨拶する。
「おはよう紫電ちゃん。隣にいるのは彼氏かな?」
「やめてくれ後藤」紫電ちゃんが顔を赤くしてぐぬぬってなってる。
「駅前で会ったのが運の尽きだった……凄く冷やかされた……うう……」
「安心していいよ紫電ちゃん」俺は学ラン少女の肩を叩いた。
「そのガセネタは総力を挙げてこの俺が潰す」
「おいやめてくれ後藤! 俺の夢を壊すな!」田中くんが喚く。
黙れエセヤンキー。貴様が腕相撲で横井に負けたという情報を俺はある筋からリークされているんだ。
「紫電ちゃんはみんなのものなんだ。たとえ貴様が神に愛されていようと俺は貴様を倒す」
「何言ってっかわかんねーぞ後藤」
「だいたいお前ら、木刀は帰りに買うものだろ! なんで標準装備してるんだ」
「……私は自衛のためだ。温泉というものもあるしな」
紫電ちゃんが木刀を背中から引っこ抜き、手の中でバトンのように回してすちゃっと構えた。
「……覗くなよ?」
「当たり前だよ」無理に決まってんだろ。
俺は田中くんを茂田の隣に追いやって、桐島に向き直った。桐島はちょっと目を離している間に芥子島と旧交を温めているところだった。
「よう芥子島」
「おう後藤。なんでパンツが浮いてんだ?」
「ああ、それはな……」
俺はかくかくしかじかで今年の春先から始まった沢村キネシス騒動をかいつまんで芥子島に教えた。圧縮しても400kbくらいの情報を一分でスピーチした俺スゴイ。
「そんなことがあったのか……そういや沢村は?」
「ああ、それがな」俺はちょっと声を潜めた。
「今回は自分に自信をなくした男鹿の慰安旅行だからな。これまでの戦いを連想させる沢村にはご遠慮願った」
「その心は?」
「あいつ妹と逃避行に出てていま連絡つかない」
あっはっは、と芥子島は短く刈った髪をかき上げて爽やかに笑った。
「殺す」
「お前は正しい、手伝うぜ」
「いや正しくないっしょ……」と佐倉が呆れた声を放ってきた。チラチラと海パン野郎を見ているのは、なんだかんだこの変態をディスりながらも挨拶をしておきたいという後輩魂があるのだろう。愛(う)いところがあるじゃないか。
芥子島が知らない女の子に気付いた。
「おっ、君が佐倉いずみキネシスの使い手か。俺は芥子島! よろしくぅ!」
「いや、いきなりフルネームとか呼ばないでください……ていうかその格好なんなんですか?」
芥子島の馴れ馴れしさにさすがの佐倉も苦笑を隠せない。
「これか? これは俺のワクワク度をファッションで表したものだ」
「通報されますよそんな格好してたら」
「安心しろ、……警察はもう、呆れて俺には何も言わない!」
芥子島はニカッと笑って自分の裸の胸を親指で突いた。
「えぇー……」
「何も言わないっていうかモノも言えないんだろーな」俺は冷静に突っ込んだ。
「はははは、後藤、相変わらず言いおるな」
「誰だてめぇ。いいから座れよ浮き輪邪魔」
俺は芥子島も田中くんのそばに押し込んで、改めて桐島に向き直った。
「人数が多くて全然話が進まねぇ。おい桐島、もう女の子は来ないのか」
俺の悲しい問いかけに桐島はふうとため息で答えた。
「もう来てるぞ。背後を見てみろ」
「何奴」
振り返ると、そこにはニコニコと笑う美少女が立っていた。
おぉ……
噂には聞いていたが、これが噂の『1組のストライカー』か。
ボーイッシュでくせのある髪、牛乳を固めたような白みの強い肌、小ぶりで精緻な職人技を想像させる鼻、さっと筆でひとつ刷いたような桜色の唇。そして何より特徴的なのは、綺麗に反り並んだまつ毛の奥の、猫色の瞳。俺は右手がスマホのカメラを起動させるのを止められなかった。
「なんという美少女……」
「あはは? お褒めに預かり光栄かな、後藤くん」
そう言って美少女は俺に手を出してきた。もちろん後楽園ホールでぼくと握手。
「話すの初めてだっけ? よろしくね、ぼくが嶋岡あずさです」
「結婚してください」
「あははは、今度ね」
やったぜ。
俺が歓喜に打ち震えていると、嶋岡さんが俺をジロジロと見てきた。
「ふうん、なるほど」
「なんすか」
「君が天ヶ峰さんの彼氏?」
「……違います!! おい桐島、胃薬くれ」
「よしきた」
俺は桐島から飛んできた錠剤を唾液で嚥下した。あぶないあぶない。
「ぼくは君の二号さんになるのかな?」
「嶋岡さん、無邪気な冗談で人が死ぬこともあるんだよ。殺す気か?」
「ふふふ、しくじったか」
ニヤニヤと笑う美少女。こりゃ思ったより変な嫁だぞ。
「でも有名だよ? 君たち一緒に暮らしてるっていうし」
「それはもう過去の話だよ。ちゃんと部屋借りて引っ越したし」
「えー? なにそれ、つまんない」
出会い頭に同居人とぶつかったら轢き殺される家で暮らすことは現代人には不可能なんだよ、お嬢さん。
それからもなにかと俺に質問してくる奇妙な美少女に若干ビビリながらも、俺は嶋岡さんに男鹿や佐倉のことをどう説明しようかと悩んだ。沢村がロックマン炎なのは町内で知らない者のない常識と化しているが、男鹿や佐倉のことまで知っている人は紫電ちゃんの周囲のごく一部に限られている。さてさてどうしたものか。地柱の風紀と治安がいま俺の手中にあるぜ。
とか思っていたら、向こうから話を振って来た。
「今回は男鹿っちの慰安旅行なんだって? 大変だよねー背中から手が出たりすると。心労とかストレスとか」
「え、嶋岡さん知ってんの?」
俺が聞くと嶋岡さんは瞳孔の開いた目をしぱしぱと瞬いた。
「知ってるっていうか……」そして俺の背後の、紫電ちゃんがいるあたりを盗み見て、
「ま、そのことはいいじゃん? それよりそろそろ出発でしょ? ぼく、後藤くんの側に座りたいなあ」
「えへへへ、そう?」
とデレてはみせたものの、俺の腕を取って柔らかい身体を押しつけてくる嶋岡さんに俺は得体の知れない悪寒を覚えるのであった。チラっと茂田を見ると、ヤツもこの町で変人奇人を掃いて捨てるほど見てきた眼力からお告げをもらっているのか、美少女と戯れる俺を一瞥もせずに無視している。やべえ。
「そういや、運転は誰がするんだろう」
と俺が通路を挟んだ向かいにいる桐島に尋ねると、やつはスマホをいじりながら答えた。
「ああ、もう来てくれるよ。――あ、ご苦労様です」
桐島が珍しく敬語を使って会釈したので、俺は釣られてそっちを見た。するといかにも冴えない風貌のオッサンが運転席に座るところだった。薄くはないが軽く白髪の混じった髪、キメの粗さと苦労の勲章が重なった荒れた肌、なにやら過去に曰くありげな鋭い目つき……って、
「おお、なんだいたのか」
「親父かよ!!!!!!!」
その日、俺は同級生に親父を金で雇われるという得難い経験をした。
普通に気まずい。