07.恥を上塗れ、歌えよ乙女
だいたい他所の町から友達をオフ会とかで呼んだりして、街中で車が爆発したり、赤色の電波塔がへし折れるのを見させたりすると「天ヶ峰=人間」という図式を誰も信じてくれなくなる。それはまァ俺もそうだからべつにいいんだけど、俺がまじめ腐って、
「あいつって、実は歌うまいんだぜ」
……って教えても、誰からも「面白黒人がチョイイケな冗談言った」みたいな反応しか返されないのは少し困る。なぜってこれが真実だからだ。いや俺もあのキャラで歌が普通に上手いのはどうかと思う。リアクションに迷うし。
バスの前部に設置された、乗った面子によっては悪夢の装置にもなるカラオケに手慣れた様子でお気に入りのナンバーを手打ちする天ヶ峰がポンとマイクを紫電ちゃんに投げた。
「み、美里? これは……」
「せっかくだからデュエットしよ! ね?」
あまがみね は のりきだ!!
……可哀想に紫電ちゃん、返そうとしたマイクをほっぺにゴリゴリ押し戻されてるよ。天ヶ峰に悪気がないことはわかるが、傍から見てるといじめにしか見えない。そうこうしているうちにスピーカーからイントロが流れ始め、天ヶ峰は紫電ちゃんをあすなろ抱きで拘束、子供をあやすみたいに身体をゆさゆさ揺らしながら歌い始めた。
「春が来るたび♪ 思い出す♪ 俯き加減のあなたのことを♪ ハイッ!」
「は、春が来……び、おも……え、あの、私これ知らな……」
「中学の頃に合唱コンクールで私がハミングしてたのを思い出して!」
無茶である。
というか、課題曲うろ覚えだったくせにサボってたのかアイツ。
「路上に枯れゆく♪ 小さな想いを♪ 覚えているのは私だけ♪」
「ろ、ろじょーに枯れゆく……小さな……後藤ッ!! 後藤ぉーっ!!!!!」
俺は片手拝みに助太刀を拒んだ。いや、だって横でなんかゴチャゴチャやってる芥子島がスゲェ睨んできてるし。
「芥子島。おまえのそれ何?」
「定点カメラだ。こんなこともあろうかと持ってきたんだよ」
海パン一丁のどこにそんなもん仕込んできたんだお前は。
芥子島はまっすぐな瞳で、撮影線と車の揺れを微調整しながら言った。
「紫電ちゃんの公開羞恥プレイなんて滅多に見られるものじゃないからな。ちゃんと記録しておかないと」
「お前の犯罪歴にも新しい記録が加わると思うよ。あ、そこもうちょい右にした方がアングルよくなるぞ」
「ふっふっふ!」天ヶ峰が俺らの悪事を看破したようにびしっとマイクを突き付けてきた。
「君たち、この天ヶ峰美里の美声に酔い痴れているようだね!」
「あいつの存在をミュートにできない? 芥子島」
「編集して初音ミクのMMDと入れ替える」
こいつガチだわ。
馬鹿は俺たちからの冷たい視線を無視して身振り手振りを交えながらノリノリで歌い続ける。曲が進むたびに紫電ちゃんは学ランの袖で目元を拭き拭き、時々緊張のあまりマイクを取り落しそうになりながら小声で囁くように歌っている。節目のたびにチラチラと観客を窺う仕草も好印象だ。
「芥子島、イケるぞこれは。天下取れるぞこのむすめは」
「ああ、この動画をyoutubeにアップロードすれば、いずれはミリオン再生も夢じゃないぜ!」
天ヶ峰がくるくる回って紫電ちゃんを振り回す。紫電ちゃんはわたわたしながら倒れ掛かって来た天ヶ峰を受け止める。そうかと思うと体位が入れ替わり、紫電ちゃんの身体を膝で支えた天ヶ峰が青い瞳を見下ろす。
「――暮夜けた氷で 出来たあなたが 溶けずにいられる――」
「……遠いどこかが あればいい……」
芥子島がぐっと握り拳を作る。
「こいつは……永久保存版のデキだ……!!」
「ブルーレイ焼いてくれ」
男と男の談合をしている俺たちのところに空気を読まず汗だくの天ヶ峰がやってきた。
「その円盤、私も貰おうか!」
「うるせぇ汗くせぇ」
気が付くと俺は通路に倒れていた。首が痛いから手刀か……
「ケッシー、私の言うことに逆らうわけ……ないよね?」
浴衣姿の巨大な天ヶ峰が言った。
「…………」
芥子島は自分の芸術作品を天ヶ峰のような手渡した途端に指圧で割りそうなやつに焼いてやるのは苦痛そうだったが、渋々頷いていた。
「五千円な」
「ふざけろ。タダだ」
「せめてブルーレイ代くらいは出せよ!」
「だって出演していたのは私だよ? むしろケッシーがお金出さないと」
ニコニコ笑顔の天ヶ峰、腕を組んで仁王立ち。芥子島のカメラにイチャモンつけてこねぇと思ったらこんな風に知り合いを金づるにする方法があったなんて、いたいけな俺たちはあの頃思いもしなかったよ。
芥子島は唇を噛みながら目に涙を溜めていたが、おもむろにバスの窓を開けて身を乗り出し「一方通行」の標識がついたポールをむしり取って戻って来た悪魔の前に屈服せざるを得なかった。飴細工のようにポールを折り曲げた天ヶ峰は揺るがない。芥子島は海パンに手を突っ込んだ。
「もってけ、泥棒!」
「えっ、うわっ、ば、ばっちぃ!!」
天ヶ峰は芥子島が投げた触れなば切れそうな五千円の新札を真っ赤になってひっぱたいた。口を溶けかけたヨーグルトみたいに不安定にさせながら叫ぶ。
「け、ケッシーの変態! うわああああああああん!!」
おお。天ヶ峰が通路を駆けて酒井さんのところに逃げていった。出会い頭の下ネタには流石の魔物も面食らったらしい。
芥子島は茫然として、わなわなと戦く己の右手を見下ろした。
「お、俺は今、世界を救った……!」
うるせぇ変態。
「さて、馬鹿がいなくなったわけだが」芥子島が言う。
「どうするよ後藤。おまえ歌う?」
「いや、俺はまだ今期のアニソンを覚えてない」
「じゃあカラオケは終わりか……」
そう言って芥子島がカラオケの筐体を眠らせようとしたのを、
ひしっ
と止める手があった。
「…………」
「…………」
「…………」
その手は、女の子でありながら学ランを着ていた。
芥子島は動揺している。なにせ素肌を掴まれたからな。
「……えーと、紫電ちゃん? い、いったい何を……」
「……もうちょっと」
金髪のカーテンの奥で青い瞳が瞬いた。
「もうちょっとだけ、歌っちゃ駄目か……?」
「え? でもだって、いまのは天ヶ峰に無理やり……」
言いかけた芥子島の肩を、俺はポンと叩いた。
「後藤……?」
「やらせてやれ。やりたいって言ってるんだ」
「……そうか、そうだな……」
俺は俯く紫電ちゃんを見た。
「まんざらでもなかったか」
「…………」
「恥ずかしがってるうちに『ちょっといいかな』と思い始めたか」
「…………う」
俺は腹の底から叫んだ。
「普段はお固く止まってるような顔して、とんだ淫乱だな!! 見損なったよ紫電ちゃん!!」
芥子島が俺の袖を引いて、「後藤、『お固く』じゃない。『お高く』だ」と訂正してきたが、そんなことに構ってはいられない。
「普段はお高く止まってるような顔して、とんだ淫乱だな!! 見上げたもんだよ紫電ちゃん!!」
直すトコそこじゃねーよ!! という芥子島のツッコミをちゃんと聞き終えることはできなかった。その前に俺のボディに低空二転スピンからの捻りの利いたスライドエルボーがブッ刺さって、嘘偽りなく本物の泡を吹いてぶっ倒れたからだ。
ボロ雑巾のようになった俺を「ふーっ!! ふーっ!!」と猫みたいにアラシを吹いた紫電ちゃんが真っ赤になった目で見下ろしてきた。
「ああ、そうだよ!! たいして歌えるわけでもないのに、楽しくなってしまったんだ!! この私ともあろうものが!! 悪いか!?」
「救急車、救急車呼んで」俺は死にかけている。
「もういい!! 私は吹っ切れたぞ、こうなったら旅館につくまでずぅーっと、ずぅぅぅぅぅっと歌っててやるからな!! 止めても無駄だあ!!」
そう言って、紫電ちゃんは筐体のボタンをポチった。
イントロが流れ出す。学ラン姿で木刀を背負った紫電ちゃんが、息を整え直し、爪先立ちを繰り返してリズムを取る。ブレスをして、歌いだす。
おっかなびっくりの、あどけない声で。
春が来るたび 思い出す
俯き加減のあなたのことを
路上に枯れゆく 小さな想いを
覚えているのは私だけ
暮夜けた氷で 出来たあなたが
溶けずにいられる
遠いどこかが あればいい……
俺は芥子島に解放されながら、薄れゆく意識の中で紫電ちゃんの歌声を聴いていた。
いやー。
二時間で突破しました、ミリオン再生。