# 夢の中の散歩
--その夜、俺はなかなか寝つけないでいた。
目を閉じてリラックスしようとしても、全然ダメだ。
ベッドに入る前に、二時間のタイマーで設定した冷房がついさっき切れた。
二時間も経っちまったってことだ。クソ。
このままじゃ、一限のテストを最悪の気分で受けることになる。
俺はなんとか頭を眠たくさせるために、最寄駅から俺のアパートまでの道を、想像の中でたどることにした。
リラックスしてそういうことを考えていれば、眠たくなってくると聞いたことがあったのだ。
まず、改札を出たところから始める。真っ暗だ。目の前には横断歩道があるが、こんな深夜に殆ど車は通らない。
駅前のコンビニ、居酒屋もなんとなく思い描く。
あまり詳しくやろうとするとかえって目がさえてしまうらしい。
あーコンビニがあって、中に人がいるなーくらいに、なんとなくのイメージだけをして、俺は進むことにした。
電気を落として静まり返ったツタヤがある。シャッターを下ろした郵便局がある。
段々と駅前を抜けて、住宅街の方に入っていく。
この十字路の角には、ピンク色っぽい感じのクリーニング屋がある。
茶色いビルがあって……
「速度落とせ」の看板……
古めかしい石段……
いつも路駐してある車…………
そうした想像を続けている内に段々と、俺は眠たくなり始めていた。住宅街の様子もほとんど無意識に想像できていた。
よく覚えていないところはよく覚えていないままで、気にならない。なんとなくのイメージの中で、深夜の道を進んでいく。
ピンク色に塗られた柵……
幼稚園……
ゴミ捨て場……
雑草が伸び放題の空き地……
不意に、深緑色のジャンパーを着た男の後ろ姿が、前の方に見えた。
ヒョコヒョコと体を揺らしながら、四つ角を曲がっていく。
それまで、誰もいない深夜の住宅街をイメージしていたつもりだった。
が、公園のそばの道にさしかかったときも、揺れる後ろ姿が遠くに見えた。
パン屋の前の道でも、その先でも。
いや、今まで気がつかなかっただけで、住宅街に入る前から、その男の姿は想像のすみに入り込んでいた気がする……。
イメージの中で、男の後ろ姿が揺れる。俺は、まるで男についていくように住宅街を進んでいく。
想像の中から消そうとしても、どうしても出来ない。半分眠ったような頭がいうことをきいてくれない。
男の後ろ姿は奇妙なものだった。
まるで、両腕両脚の骨が折れているようだ。
ぎこちなく体を揺らしながら、ひきずられるように前に進んでいく。
男の靴がアスファルトをこするたびに、ジュッ、ジュッという音がしていた。
気味が悪い。
頭から消したい。
消えない。ジュッ、ジュッ、と音をたてて、男は進んでいく。
やがて、男は俺のアパートの前に辿りついた。
男は立ち止まり、
体を震わせるようにして、
ゆっくりこちらを振り返る----
「…………っ!!!」
声にならない叫び声をあげて、俺は飛び起きていた。
蒸し暑い夜なのに、冷や汗をかいている。
急に現実に戻って来れたような気がして、俺は大きく息をついた。
あの男の顔を見る前に目が覚めてしまったが、何だか、絶対に見たくなかったもののような気がする--。
枕元の時計は三時過ぎを指していた。これじゃ寝坊してしまうかもしれない。
俺は手探りでクーラーの電源を入れると、また横になった。
少し目を閉じるのが怖かったが、なんにせよ少しでも眠らないといけない。
さすがにもう悪夢を見ることもないだろう、と目を閉じようとして、
外の道から、あの音が聞こえてくることに気がついた。
ジュッ
ジュッ
ジュッ
ジュッ
ジュッ
音が、ドアの向こうで止まる。
そして、チャイムが鳴った。
(了)